第七十六話 気味の悪い通り
四方さんの家の近所には非常に気味の悪い通りがあるという。
沿道に桜が植えてあり、春などは景色の美しいところなのであるが、夜になるとその桜が逆に恐ろしい。
トンネル状になった桜の垂れ下がる枝に妙に圧迫感があって、まるで巨大な何が手を伸ばして自分を捕まえに来ているように思えるのである。
しかし、そこを通らなければ四方さんの自宅まではかなり遠回りになるため、仕方なくいつもそこを利用している。
ある日の仕事帰りのことだ。予定外の残業が入って、時刻は二十時を回っていた。
例の桜並木の道に差し掛かった瞬間、いつもよりも強烈に嫌な気配を感じた。
絶対にここを通っちゃいけない――そんな気がするのである。
以前から時々、同じような感覚を抱くことはあった。そういう時は、どこかで食事をしてきたり、コーヒーを飲んだりして一時間ほど時間をつぶすのだが、その日はたまたま彼女が家に来る日だった。約束の時間は二十一時。どこかへ寄っている暇はないので、無理をしてそこを通ることにした。
いつもなら多少は人通りのある道なのだが、その日に限っては誰ともすれ違うこともなかった。
自分の足音だけが、静かな夜に響く。
生ぬるい風が吹き抜け、桜の葉がザワザワと鳴った。
不安で仕方がなく、歩度は自然と早くなっていた。
ふと、四方さんはあることに気が付いた。
自分の足音にもう一つ別の足音が混じっている。
後ろから、自分と同じペースで、自分を追いかけるみたいに。
カツ、カツ、カツ、カツ。
歩くペースをあげると、後ろの足音も早くなる。
冷汗が頬を伝う。
振り返ることはできなかった。
見てしまえば、気のせいではすまなくなる。
やがて、恐怖に耐えられなくなって四方さんは走り出していた。
桜並木を抜け、マンションへとたどり着く。
エレベータを待つ時間が惜しかったから、そのまま階段を駆け上がった。
息を切らして鍵を取り出す。
と、鍵が開いている。
「え?」
と思ってノブをひねる。
「あ、おかえりー。遅かったねー」
明るい笑顔で彼女が出迎えてくれた。四方さんと反対に仕事が早めに終わったために、早くに来たようだ。
ほっ、と胸を撫で下ろし、四方さんはしっかりと鍵をかけ、鞄を置いた。
「あれ、腕のとこなんかついてるよ」
彼女が言う。
スーツを脱いで確認すると右肘の辺りにぬめぬめとしたものがついていた。
粘度が高く、ドブのような不快な臭いがした。
右側に四本、左側に一本、筋状に付着していて、まるで誰かに後ろから掴まれた後のようだったそうだ。
帰り道で起きた出来事を話すと彼女は、
「今度からはそういう場合は連絡を入れてくれれば怒らないから寄り道するように」
四方さんを心配してそう言ってくれたそうだ。
さらに、翌日、彼女が帰る時にもう一つの異変に気が付いた。
部屋のドアにべったりと手の形をした汚れがついていた。
白っぽく、乾いた泥のように見えた。
四方さんを追いかけていた何者かは、部屋までついて来ていたようだ。




