第六十四話 見てはいけないモノ
釣りが趣味の金井さんは休みの日になるとしょっちゅう釣りに出かけていた。
海にも川にも池にも足を運ぶのだが、その日曜日は趣味を持つ4つ年上の会社の同僚Dさんと釣りを教えて欲しいという後輩Mさんの三人で日の出すぐから京都の山奥にある渓流で釣りを楽しんでいた。
時期は5月の中頃。山の空気は冷たく澄んでいて、深呼吸すると肺の中が洗われるようだ。静かで雰囲気のいいところで、川のせせらぎと時々聞こえる鳥の声が心地いい。
金井さんは初心者のMさんに餌の付け方や投げるポイントなどをレクチャーしながら、目の届くところで竿を垂らしていた。
Dさんは無口だが割と気ままな人で、金井さんに後輩の世話を押し付けて、あちこちポイントを変えて釣りを楽しんでいた。
釣果は上々で、よく肥えたイワナが何匹も釣れたが、自分たち以外に釣りをしている人は見かけなかった。穴場のスポットを見つけたとその時は喜んでいたそうだ。
釣り始めて三時間くらい経った頃だ。日が少しずつ高くなりはじめ、もう十分な数を釣ったし、もう少し釣りをしようか引き上げようかと三人で相談していると、ふいにⅯさんが川下に向かって手を振り始めた。
「どうしたんだ?」
「いや、ほらあそこ。誰か手振ってたから」
言われてみれば自分たちのいるところから100メートル以上上流に誰かがいる。遠すぎて顔も性別もわからないが、白っぽい服を着ていることと、両手を大きく振ってゆっくりこちらに近づいて来ていることはわかった。
「なんだあれ? 知ってる人か?」
「いや、わかんないっす」
何かこちらに用でもあるのだろうか。
だったら大声で呼び掛けるなりすればいいのに。
もしかして不審者かも、とも思ったが、こちらは男が三人だ、怖がることもない。
けれど金井さんはなんとなくその男が気になった。
どんなやつか見てやろう、双眼鏡を取り出した。
すると、
「やめとけ」
Dさんが手を掴んで金井さんを止めた。
「え、なんでだ?」
「ありゃ人間じゃない。見たら目が潰れるぞ」
きっぱりとそう言い切ったDさんの顔からは血の気が引いていた。
普段は無口で大抵のことは気にしない性格のDさんの態度に、金井さんもこれは尋常じゃないんだと感じた。
白い何かが近づいてくる前にさっさと荷物をまとめ、三人は渓流を後にした。三人とも、絶対に上流の方に視線を向けることはなかった。
足早に山道を引き返す間、事務的なこと以外誰も喋ろうとはしなかった。
「人間じゃないって、じゃああれなんなんスか?」
車に乗り込んでから安心できたのか、Ⅿさんが声を潜めてDさんに訊ねた。
「知らん。知りたくもない」
Dさんは霊感と呼ばれる類の感覚を持っているのだと、その時初めて話してくれた。だが、ただ見えたり感じたりできるだけだし、そういったモノとは一切かかわり合いになりたくないから、絶対に言いふらすなと釘を刺された。
「ああいうのがいるから、ここは人が少ないんだろう」
よく釣れる場所なのに全然人がいない、あちこち釣りをしていると、海でも川でもそんな場所を見つけることがある。だが、そういった場所には、稀によくないモノがいることがあるのだとDさんは語ったそうだ。




