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幽怪百物語  作者: 背戸山葵
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第六十一話 水槽の中の手

 バイト先で知り合った能見さんという四十代の男性が大学時代に経験した話だ。

 ある日、能見さんはゼミで仲良くなったKという同期生の家に熱帯魚を見に行った。

 Kさんは親が大きな会社の社長らしく、学生にしては羽振りがよく、オートロック付きの高級マンションに一人で住んでおり、熱帯魚専用の部屋を持っているというのである。

 彼の自慢げな様子は鼻についたが、能見さんも当時一人暮らしの寂しさを紛らわそうとグッピーを飼い始めていたため、熱帯魚専用部屋というのに興味が湧いて、遊びに行っていいかと持ち掛けたのだった。

 市販の餌ではなく、魚にあったオリジナルの餌を調合して与えているのだと嘯くだけあって、Kさんの熱帯魚部屋は設備も整っており、魚の種類も豊富で、中には目をみはるほど大きなアロワナの泳ぐ水槽もあった。

 だが、その中で一つだけ奇妙な水槽が目に留まった。

 その水槽だけが、他に比べて明らかに汚いのである。アクリルガラスの内側は濃い色のコケに覆われて、水は何か月も替えていないように濁っていた。六十センチほどの横幅があり、三段ある棚の一番上、ちょうど人の目の高さにあるだけに、余計に悪目立ちしていた。

「これ、何か入ってるのか? 酸素のやつあるけど」

 一目見て何もいないことはわかったが、能見さんがついついそう訊ねたのは、エアポンプが泡を吐き出していたからだった。

「いや……」

 Kさんはバツが悪そうにそっぽを向いて、

「……入れられないんだよなぁ」

 とだけ答えた。

 たまたま入れていない、または、入れたくない、というのならわかるが、入れられない、という答えが逆に気にかかった能見さんは、さらに突っ込んでその理由を問いただしてしまった。

 はじめは言いたくなさそうにしていたKさんだったが、やがて、

「いや、信じてもらえないかもしれないんだけどさ」

 と、言葉を選ぶように説明し始めた。

 Kさんの話をまとめるとこんなものだった。

 ここに越してから、その水槽に魚を入れるとKさんの見ていない間に魚が全滅するようになったというのである。

 それも、水の状態が悪い場合や、病死した時のように腹を見せて水面に浮くのではなく、ぐしゃぐしゃにつぶれた状態で死んでいるのである。

 原因がわからず、けれど最初は訝しみつつもまた魚を入れなおしていたが、一度や二度ではなく、三度も続くといよいよKさんも気味が悪くなってきた。

 何かがおかしい。

 Kさんが初めに考え付いたのは、誰かが部屋に侵入して悪戯しているということだった。自分とたまにくる友達以外は熱帯魚部屋を訪れる者はいなかったが、その不自然な魚の死に方から、人の手による犯行であるとしか考えられなかった。

 だが、流石に二十四時間水槽部屋に張り付いているわけにもいかない。そこで、カメラを設置して経過を観察することにした。

 はじめのうちは特にこれと言って何も起こらなかった。

 しかし、撮影を開始して四日目、帰ってきたKさんは件の水槽の魚がまた全滅しているのを発見した。

 Kさんは慌ててテープを確認した。

 すると、昼を過ぎたあたりの録画に、異様なものが映っていた。

 人間の手だった。

 それも手首から先の部分だけの、いわば手そのものが、水底の石をかき分けるようにして、ぬるりと現れたのである。

 色白で、指の細く長いその手は魚を追い回すようにしばらく水の中をぐるぐる回っていたかと思うと、突然、

 ぐちゃ。

 泳いでいたディスカスを握りつぶした。

 血と肉片と目玉が水中に搾り出された。

 手は一匹だけでは飽き足らず、逃げまどう魚を、捕まえては

 ぐちゃ。

 ぐちゃ。

 まるで恨みでもあるかのような執拗さで握りつぶしていった。

 やがて、水槽の魚を全て殺し終えると手は出てきた時の逆回しのように石の間に吸い込まれていった。

 それを見て以来、Kさんはその水槽には何も入れず水も抜いていないそうだ。

 放置している分にはなにも影響はなく、余計なことをして他の水槽にうつったら嫌だからということだった。

 あまりにも荒唐無稽な話に、能見さんはテープを見せて欲しいと願い出たが、Kさんは気持ち悪くなって録画テープはすぐに処分したと答えた。

 それでは信憑性に乏しいということを暗に伝えると、

「じゃあ、ココに泊めてやるから、お前、監視してみるか?」

 Kさんは真剣な顔つきでそう訊ねてきた。

 能見さんは首を縦に振ることができなかったそうだ。


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