第三十七話 かえことしよか
大阪に住んでいる主婦の垣内さんが深夜に近所のコンビニまで買い物に行った帰りのことだ。
急に尿意を催して古墳のある公園のトイレに駆け込んだ。用を足してトイレから出ると、公園の入り口の街灯の下に奇妙な人を発見した。
ベビーカーを押した女の人だった。
こんな時間に公園に赤ちゃんを連れてくるなんて、垣内さんはギョッとしてその場に立ちすくんだ。
ゆったりとした黒いドレスを身に着けたその女は垣内さんの方に、ベビーカーを押してゆっくりと近づいてくる。
女は垣内さんの目の前にくると、ベビーカーの中にそっと手を差し入れ、中の赤ん坊を抱きあげ、胸の前に掲げた。
「かえことしよか」
女が静かに呟いた。取り換えよう、という意味の方言だ。
と、垣内さんはあることに気が付いた。
女が抱き上げたのは赤ん坊ではなかった。
薄汚れた赤ん坊の人形だった。
「かえことしよか」
女は同じ言葉を繰り返した。その表情は筋肉が強張っているかのように動いていない。まるで女自身も人形のようだった。
垣内さんは恐ろしくなって、走ってその場から逃げ出し、家に帰った。
それから8か月後のことだ。
垣内さんは一人目の子供を妊娠した。
けれど、運悪くその子は生きて産まれてくることはなかった。
出産時の死亡は日本でもまだ年に50件ほどはある。
リスクは知っていたとはいえ、それがいざ自分の身に降りかかるとショックなことには変わりない。
「残念だったな。でもお前が無事でよかった。ゆっくり休んでくれ」
そう言って旦那さんは病院のベッドで静かに泣く垣内さんを慰めた。
しかし、言葉では喪失の悲しみは埋めらず、夫の慰めに適当に返事をして、垣内さんはベッドに潜りこんでしまった。
ふいに、ベッドの中で硬い何がが手に触れた。
掴みだしてみると、赤ん坊の人形だった。
誰が何のためにこんな悪趣味なことをしたのかという話になった。
当然夫も、看護師も心当たりはないとのことだった。
垣内さんは件のベビーカーの女を思い出した。
赤ん坊の人形は、その時ベビーカーに入っていたものと全く同じに見えた。
「あの女の人は、取り換えたのね」
垣内さんは昔のことを思い出して寂しそうにそう言った。
理不尽な出来事に、一度は鬱のような状態になった垣内さんだったが、周囲の助けもあって立ち直り、現在は二人目の子供の育児に忙しいそうだ。




