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葵さんと僕

「へー、鳴神美鈴の妹に、母親? この辺に住んでたなんてねえ」

 坂口さんが言った。

「今度オレも連れて行ってくれよ、その店」

 翌日の昼休み、僕と坂口さんは、一服しながら屋上で話していた。

 葵さんは、一人息子の賢一くんが熱を出したという学校からの連絡で、早退していた。

「葵さんのちょうどいいケンカ仲間が見つかったみたい」

 僕は言った。

「でもさ、その洋子さんだけど、木下名人とくっついたのはおそらくチェスを通じてだろうけど、別れちゃったのもチェスが原因なんじゃないかな?」

「そうですねー」

「たかがチェス、されどチェスってわけだ。洋子さんはそれでチェスそのものを嫌うようになったのかもしれない」

 坂口さんはそう言ってタバコを消した。

「葵さんも、旦那さん亡くしてるからなー。そういう意味じゃ、相通じるものを感じたのかもしれない。チェスに関しては正反対でもね」

 相通じるもの、か……

 僕は2年前の出来事に思いを馳せていた。


 僕は大学を卒業後、現在の職場に就職した。

 一通りの研修が終わり、配属部署が決まって、葵さんや坂口さんと知り合った。

 それは、その時の僕の歓迎会の夜に起こったのだった。

 なぜか僕は、真っ先に葵さんと意気投合してしまった。よく笑う、魅力的な女性だと思った。僕より7つ年上で、シングルマザーだということも含め、こんな人と職場でいつも顔を合わせられるなんて幸せだ、と思った。

 僕はちょうどその頃、大学時代につき合っていた彼女と別れたばかりだった。そうなると、そんなときに何が起こったか、だいたい想像はつくんじゃないかと思う。

「送ってくれてありがとう」

「いえいえ」

「あのさ、ちょっと話があるの」

「はい……」

「上がっていかない? 飲み直しながら話そ」

 ちょっとまずいんじゃないか、と頭のどこかで警報が鳴っていたが、アルコールの力もあって、僕はあっさり誘惑に負けた。

 そして、太古より変わらない、当たり前の男女の営みのあと、

「……」

「……」

 2人とも、すっかり酒が覚めてしまい、超気まずい雰囲気。

「ま、まあ……起こっちゃったことは、しょーがないよ、ね?」

「そ、そうですね……」

「ふしだらな女だと思った? か、彼女とか、いるわけ?」

「いえ、いません……」

「犬にでも噛まれたと思ってさ、忘れてよ、ね?」

「はい……」

 僕は何気なく、葵さんの部屋の中を見渡した。ふすまの向こうでは、息子さんが寝ているのだろうか。

 3人が写っている写真が、立てかけられていた。

 そして、その近くには、高級そうなチェス盤と駒が置かれていた。

 僕が見ているものに気づいたのか、葵さんは、

「ああ、死んだ旦那が、チェスが好きで……」

 そこまで言うと、突然、がばっと身を起こして、

「そ、そうだ! 話があるんだけど!」


 その場で、僕はチェス同好会に入ったのだった。そして2年が経ち、いまだにヘボだけど、チェスというゲームの奥深さは、わかってきたつもりだ。

 チェスで勝つために重要な要素は、先読みが出来ること、定跡を知っていることなど、いろいろあるかもしれないが、その最たるものは、抜け目のなさである。

 相手のミスや、有利になる局面を決して見逃さず、自分は決して間違った手を打たないこと。神様のように強く見える、マスターと呼ばれる達人たちは、正しい手を打つから強いのである。

 しかし、強さだけがチェスのすべてではない。少なくとも僕はそう思っている。なぜなら、単に量的に強いということなら、人間が機械にかなうわけがないからだ。どんなに強い人工知能も、所詮は道具にすぎない。

 道具はチェスを楽しむことは出来ない。人工知能どうしの試合なんて不毛に違いない。チェスは人間が造ったゲームであり、人間どうしが楽しむためのものなのだ。


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