芽衣と僕(1)
「井上くん、電話だよ。友談社の人だって」
友談社? どこかで聞いたような気もするが、思い当たらなかった。
「君に訊きたいことがあるって。女の人だよ」
葵さんはそう言って、電話を回した。
僕のデスクの電話が鳴る。いったい何だろう。
「お電話代わりました。井上です」
「マサヒロ……」
「は?」
「久しぶり。マ、サ、ヒ、ロ!」
「あの、どちら様です?」
「えー、マサヒロってば冷たいんだ。あたしのこと忘れちゃったの?」
マサヒロって……僕のことをそう呼ぶのは、両親と、あとは……
まさか……
「芽衣だよーん。元気だった? マサヒロ」
「なんでここがわかったんだよ!」
思わず、大きな声が出ていた。
どうして芽衣がここに電話してくるんだ? 頭が混乱しそうになる。
みんなの訝るような視線を感じた。
「な、なんの用事だい。今は仕事中なんだよ」
「あたしもだよ、マサヒロ」
「もう関係ないはずだろ? お前とは」
僕は声を思いっきり小さくして言った。
「あー、そーゆーこと言うんだ」
「とにかく用事を言えよ、用事を!」
「3年前、あなたに捨てられて、あたし泣いたんだからね。目が腫れるくらい。おかげで次の日、仕事に遅刻しちゃったんだから。責任とってほしいわね」
「責任って……ちょ、ちょっと待てよ!」
「それなのに、あなたはあたしと別れてすぐに、職場の人と酔った勢いでエッチしちゃうなんて、サイテーだわ」
「なっ……」
なんで知ってるんだ……?
友談社とは、中堅どころの出版社だ。芽衣はそこに勤めていたのだ。
「チェス・エイリアンの鳴神美鈴のことを調べていたの。あなたと関係があることがわかったのでね……」
最初からそう言えよ、まったく……
「こんなことで、あなたと再会するとはねー、驚いちゃった」
こっちこそだ。
「チェスの天才少女。グランドマスター級の実力を持ちながら、突如、現役引退を表明。もっと情報が集まれば、面白い記事が書けそうなのよ」
「あのな、悪いけどあんまり面白い情報はないぜ」
「えー、でも、友達なんでしょ?」
「そんなに頻繁には、会ってないからな」
「でも、妹の梓ちゃんとは、会ってるんでしょ?」
げっ、いったいどこから情報が漏れているんだ?
「キスくらい、したの? もう」
そう言うと芽衣はけらけらと笑った。
ほんと、昔のまんまだな……
「近いうちにどこかで会えないかな? いろいろ、積もる話もあるし」
「え? そ、それは……」
「イヤなの? 元カノだから? 梓ちゃんに気兼ねするほど、深い仲ってわけでもないんでしょ?」
うっ……まずい。完全に芽衣のペースだ。
「わかったわかった。会えばいいんだろ」
「よかったー。すっごくおしゃれなイタリア料理の店があるの」
「あのな、あくまで仕事で会うんだからな」
「はいはい。わかってるって。じゃあ今度の土曜日はどう?」
結局、会う約束をしてしまった。
電話を切ると、葵さんがニヤニヤしながらこっちを見ていた。
「なんか訳ありのようですなあ、井上氏?」
「そ、そんなんじゃないっす」
美鈴が突然チェスをやめると言った理由は、いまだにわからない。
それだけではない。恋人のラルフも、程なくしてチャンピオンの座を譲り、引退してしまったのだ。
まだまだこれから、というところだったのだが。
おそらく芽衣も、そのへんの事を僕から聞き出そうとするつもりなのだろう。
正直、あまり気は進まなかった。きっと2人でよくよく考えたすえ決めたことなのだろう。出来ることなら、そっとしておいてやりたい。
しかし、あのマイペース女の芽衣と話していると、どうも調子が狂う。
確かに、昔はそこが魅力的ではあったのだが。




