美鈴と僕(3)
「井上くん、やけ酒かい?」
「違いますよっ」
葵さんは笑いながら、
「まーいいじゃないの。しょせん生きてる世界が違うんだよ。それより、梓ちゃんもいいよー。あと2年もしたらすっごくいい女になるかも」
「そ、そんなことないですよ」
梓は顔を真っ赤にしていた。
マスター尾崎は、
「それで、美鈴ちゃんは、ホントにチェスやめちゃうのかい?」
「たぶんね」
「もったいないね……充分チャンピオンを目指せる実力なのに」
「まあ、本人が決めたことだからね」
僕はいつもより酔いが回って、少しぼーっとしていたが、葵さんは、どこか遠くを見るような眼をしていた。
「もう、8年になるんだなあ……」
「……」
「あの人が余命宣告されてから、病室にチェス盤を持ち込んで、毎日対戦したっけ。チェスが好きな人だったから」
「そうだったね」
「死にそうな病人のくせにね、手加減してやると怒るんだよ。そのうちには、駒を持つ力もなくなっちゃったけど。それでも、口がきければチェスは出来る、なんて言ってたっけ。チェスがあの人の支えだったんだね」
「チェスは、人を幸せにするのかな。それとも、洋子さんが言ったみたいに、人を不幸にする魔のゲームなのかな」
「それは、その人次第だよ、きっと」
葵さんが言った。
「あたしは、チェスのおかげで幸せだよ。あっちの世界であの人と会ったら、また対戦したいね。まあ、その時はこっちは婆さんで、とても相手にならないかもしれないけどさ」
僕には、チェスを通じて、葵さんと、亡くなった旦那さんとが、繋がっているように思えた。
それから、約半年後……
「くたびれちゃった。もうやめようよ」
美鈴が大きな欠伸をしながら言った。
「ま、待て……待ってくれよ」
葵さんは、まだ粘っている。
美鈴の強さは、僕らの想像をはるかに超えていた。
本当に考えて打っているのか疑うほど速いのだが、攻撃も守りも、一分の隙もない。いや、知らないうちに主導権を握られてしまう、と言ったほうが正しいかもしれない。まさしくエイリアンの襲撃のように、こちらの陣地は丸裸にされてしまう。
3人が同時に美鈴と対戦したのだが、僕と坂口さんはあっという間にチェックメイトされてしまった。
これが、チェス・エイリアンの実力というやつか。
もっとも、美鈴は100人と同時に対戦したこともあるのだから、実力の一割も出していないに違いない。
美鈴の恋人ラルフは、賢一くんとトランプで遊んでいた。初めて会ったとき、日本語がうまいので驚いた。当然といえば当然なのだが。
梓は、みんなの様子をどこか嬉しそうに眺めている。
僕らは、葵さんの部屋にいた。今日は日曜日。昼間にこうして集まるのは久しぶりだ。
「そういえば、木下名人は?」
僕は梓に訊いてみた。
「お父さんですか? まだ納得いかないみたいです。ラルフとも会おうとしません」
「頑固だねえ」
「そのうちあきらめると思います、きっと」
「そうそう、ちょっと訊きたいことが」
「なんですか?」
「どうして木下名人は、美鈴にお母さんの名字を名乗らせてるのかな? 自分がチェスを教えたんだから、木下美鈴、って名乗らせればいいんじゃないかと思うけど」
梓は首をかしげて、
「さあ……鳴神のほうが木下より、強そうだからかな?」
「そんなもんかな?」
「案外、お母さんとよりを戻したいのかも」
僕らは、顔を見合わせた。
そして、どちらからともなく、ぷっと吹き出し、大声で笑いあった。




