鈴の音
「それでは今日のカンファレンスはここまで。」
50代半ばの、青山先生が静かに告げた。
「今日も1日お願いします。」
病棟師長の南沢が言う。
(やーーーと終わった。皐月もおねえ様方も夏目先生に対してのアピールやりすぎだよ。アイコンタクト激しすぎ。記録書いてるのが私だからって絶対内容頭に入ってないだろう。)
そんなわけで
―朝の多職種カンファレンスが終わった。
青山先生、南沢師長、今日リーダーの皐月はもちろん、病棟看護師、社会福祉士、リハビリスタッフは自分達の持ち場に戻ろうとしていた。
そんな中、夏目先生だけは、なにやら深刻そうな顔をして、古い懐中時計を白衣のポケットから出し眺めていた。
私はその様子をみて、先生もそんな表情もするんだなって軽く思っていた。
午前中も終わるころ、ありすは患者さんの昼食準備のためセッティングを行なっていた。
まだまだ日中だと思っていたが、なんだか暗いと思い、窓の空をみるとあたたかな朝の空と違い、寂しく濃い灰色の空へと変わっていた。
(なんだか、心が不安になる。そんな空だ。朝はあたたかな太陽の光が差していたのに。)
そう思った矢先だった。
まるでありすの不安が的中したかのように…
「ああああああぁ…。わぁああああ、ぐぅううううう、うおおおおおおおおおおおおおぉ」
ありすのいる病室の廊下側の患者、川岡 絢子が獣のようにうめきはじめたのだ。
―川岡 絢子(70)認知症もなく、穏やかな性格の上品なお婆ちゃんだ。ありすの病棟では、軽い肺炎のため入院しており、もうすぐ退院といわれているほど回復していた。
(え、川岡さん?なに、急変??でもなんだか様子が変…。認知症でもないし、入院も長くなっているのにせん妄でもないし。なんだろう、、近づいたら危険って私のよく分からない勘が言ってる。)
ありすは、川岡をみながらも動かずにいた。全身に勢いよく汗が流れ、足が震えていた。
…こわい。
恐怖がありすを支配しているようだった。
そんな時、病室の扉がガラリと勢いよく開いた。
現れたのは、研修医の夏目だった。
夏目の目が、朝のカンファレンスでみた時とまた違い、鋭く獲物を見つけたような目をしていた。
「川岡さんを診にきた。柊木くんだったね、僕の後ろに下がっていなさい。」
「え、、あ…はい。」
先生が扉を勢いよく開けて、正気に戻ったのか
先生の姿をみて安心したのか
足の震えは自然と治っているのに気づき、ありすは夏目の後ろへと下がった。
(状況がわからない。なぜ先生は川岡さんのうめき声に合わせてすぐに来てくれたのか。とりあえずどうなってるの。看護師として仕事をしなくちゃだけど…頭の中がパニックだ。)
夏目はゆっくりと、川岡に近づいていた。その間も川岡は獣のようにうめき声をだし、今にもベッドから飛び出してきそうな様子だった。
(先生、先生が危ない。でも…。助けを呼びたいのに声が。)
―シャラン
朝に聞こえたような気がした鈴の音が今度ははっきりと聞こえた。
川岡がベッドから飛び出す直前、夏目はポケットから注射器を取り出し、左手で川岡の右手、体で川岡の胴体を押し付け左腕に針を差していた。
「チェックメイト」
まるで吐息のような言葉としてはっきりとは聞こえない声で夏目は言った。
その直後雷のような光が差した。
(まぶしいっ。なにが起きているの。)
光が止むと同時に、川岡はベッドで眠っていた。夏目は鋭かった目がいつもの穏やかなな目にかわっていた。
「これで川岡さんは落ち着いたと思うよ。びっくりしさせちゃったね。一応バイタル測定はしておいてね。これで失礼するよ。何かあったら僕に連絡してほしい。」
優しい笑顔を向け、病室から出て行った。
ただただ呆然とありすはしていた。
―状況が理解できない。
夏目を追いかけるため、病室を出ると夏目の後ろ姿が遠目から見えたが、鈴の音がまた聞こえ……
夏目の姿が突然と消えた。
(えーーーーっ。)
遠目から夏目の消えた所に何か落ちているのに気づき、ありすはそこへ向かった。
落ちているものを拾い、
「なにこれって…懐中時計?先生が朝見てたやつだよね。とりあえず返さなきゃだけど…どーみても先生消えたんだけど。」
ありすは夏目の懐中時計を白衣のポケットに入れるのだった。
(取ったんじゃない。拾ったの。それにしても先生どこに行ったの?)
耳にあたたかな光を感じると思い、ありすは窓を向くと、朝と同じようなあたたかな日差しが差していた。ありすは小さく息を吸い、おかしな日だなと思い仕事をまたはじめたのだった。