第七話
彼との”思い出”を思い出す為、過去に食べたものを食べたり行った所を巡る私たち。彼は「聖地巡礼だね!」などと訳の分からないことを言っていたので無視した。悲しそうにしゅんとしていたが、それも無視した。気にしたら負けである。
成果はというと、上々であった。焼きそばを食べればその時のことを思い出し、かき氷を食べればその時のことを思い出した。思い出そうと決意し、色々頑張った私の一週間の頑張りは何だったのかと言いたい。それくらいポンポンと思い出したのだ。
だけどまだ重要なことは思い出せていない。何故彼が私に執着するのか、その切っ掛けとなった過去のことだ。
確かに私と彼は過去に一緒に夏祭りを過ごした。今日思い出した沢山の記憶がそれを肯定してくれている。それなのに一番思い出したいことはまだ思い出せない。
彼は今もそのことを自分から言うつもりはない様子だし、やっぱり私が思い出すしかない。
いつものベンチに座り、先ほど買った林檎飴を舐めながら、私は今日思い出したばかりの彼との過去に浸った。断片的だったそれは、思い出した事柄が増えるごとに繋がってく。まるでバラバラに見ていたドラマの話を、最初から見ていくように。
目を閉じれば、意図的に忘れていた遠い過去の記憶は鮮やかに甦った。
私は家族とその日、夏祭りに来ていた。多分私が珍しく行きたいとねだり、行くことになったんだと思う。ねだったのは、恐らく彼が夏祭りに行くと行っていたから。彼から神社で夏祭りがあるという話を聞き、興味を持った。確か彼がそれに行くのが羨ましくなって、自分も行きたくなったのだ。
幼い頃は少し暗い性格ではあっても、至って普通の子供だったように思う。卑屈さも後ろ向きな考え方もまだそれほどない、素直な子供。この頃の自分が少しだけ、羨ましい。
思い出した記憶によれば、私は初めてのお祭りではしゃいでいたんだ。しかも確か家を出たのは夜で、いつもは家にいるはずの時間に外に出ていることが、小さい頃の私には特別なことに思えて興奮したんだ。それに加えて人が沢山いて、普段は見ないようなお店が出てて。神社の様子もいつもと違う。
子供だったらはしゃぐこと間違いなしの要素てんこ盛りだ。私にも可愛い所が少しはあったんだな。
そんな訳で初めての祭りに興奮する私は、少々はしゃぎ過ぎたらしい。子供にありがちな、好奇心のままに動いて迷子になるお決まりのパターンに陥った。
はぐれて迷子になって、知らない人ばかりで不安になっていた私。いくら賑わっているとはいえ、やはり夜は怖い。泣きそうになっていると、夏の間に聞き慣れた声がした。
「大丈夫?」
そこにいたのは、いつも神社でよく遊んでくれる綺麗な少年だった。
私は少年に駆け寄り、知り合いに会えた安心感から泣きそうになったのを必死に堪えていた気がする。そして少年が私をそっと撫でてくれたのを覚えてる。だから以前彼に撫でられた時、覚えがあったような気がしたのか。
その手が心地良くて、また泣きそうになって目をぎゅっと瞑った。少ししてから落ち着いて、ようやく声を出したんだ。
「×××おにいちゃん、まいごになっちゃったの」
名前は未だに思い出せない。だけどそんなようなことを言ったのは覚えてる。
呼び方や彼に対する行動から、結構親しくなっていたのが分かる。そうでなければ人見知りの私がこんな風に彼と接することはできないだろう。
「そっか。じゃあ家族が見つかるまでお兄ちゃんと一緒にいる?」
「うん!」
…思い出してみれば、彼はしっかりとした少年だったんだな。懐いて一緒に遊ぶようになる訳だよ。確か普段遊んでいた時は帰りに送ってくれていたらしいし、やっぱり紳士だ。イケメンは幼い頃からイケメンなのだな。
そして私たちは一緒に夏祭りの屋台を見て回ったんだ。まずわたあめを食べて、焼きそばや林檎飴、かき氷も食べた。ラムネも買ってもらったし、揃いの狐のお面も買ってもらった。私はそれを凄く喜んで、それを見た彼も凄く嬉しそうだったな。自分のことだけど微笑ましい。
そしてその間中、ずっと彼が私の手をはぐれないように握ってくれていた。そういえば今日も手を繋いでくれようとしていた。昔から彼は変わらないのだな。
しかし、いくら私が幼い無一文の子供だったとは言っても、彼に色々買ってもらい過ぎだったんじゃないだろうか。彼はここまでしてくれなくとも良かったはずだ。
なのに彼は彼自身も楽しかったし、女の子の孫がいなかった祖父母も喜んで買ってくれたと言っていた。過去のこととはいえ、それにしても申し訳なさすぎる。彼に断られたとしても何かあとで奢ろう。そうじゃないと私が罪悪感で耐えられない。
そうやって私と彼は、一緒に楽しく夏祭りを過ごしていた。
なんで覚えていなかったのか不思議なくらい、楽しい思い出ばかりだ。辛くなるからとはいえ、私はこんな記憶を忘れてしまえたのか?
なんとなく何かが引っ掛かったような感じがしたが、それが何なのかは分からなかった。
それで、あの後確か途中で疲れてあの木製のベンチの所に行ったんだ。
それから、それから…。
思い出に耽っていると、突然彼の声がした。
「大丈夫?」
ゆっくり目を開くと、目の前にいたのは先ほどまで思い出していた少年だった。だけどそれは一瞬で、すぐに青年になった。
思い出していたからとはいえ、一瞬でも少年に見えてしまうなんて私はとうとう暑さでおかしくなってしまったのだろうか。
たまたま彼の言葉が、過去にかけてくれた言葉と全く同じだったから昔に重なっただけなのだが、自分の頭のおかしさにうんざりする。今日は色々思い出して疲れているのかもしれない。
顔を覆わずに狐の面を頭に付けた青年。あの少年をそのまま成長させたような、綺麗な青年。
確かに青年のはずなのだ。なのに思い出してから彼を見てみると、なんだか彼は昔と変わらないように思える。何がそう思わせるのかは分からない。ただ、身長も伸びてるし顔も大人っぽくなっているのに、少年の頃と変わらない、寧ろ変わっていないと感じてしまうのだ。
昔の面影を残しつつも、大人になっているはずなのに。
彼は最初から不思議な雰囲気を持つ人だったが、今は前以上にそう思える。綺麗すぎる顔もそう思わせる一つの要素かもしれない。
「…大丈夫です。ちょっと記憶を繋ぎ合わせてて」
「結構沢山思い出したよね。僕は嬉しいけど…君は辛くない?」
心配そうに覗き込んできた顔は、少し切なげな表情をしている。なんだか申し訳なくて、私は笑って彼に答えた。
「うん、平気」
「そう、良かった。無理だけはしないでね」
「ありがとう」
彼は私が思い出すことより、私が辛くないかを心配してくれている。本当に優しい人。
これもイケメンのテクの一つなのだろうか。いや、今はそんなことは考えずに彼の純粋な好意に感謝しよう。
「色々思い出してきたけど、肝心なことはまだ思い出せないの。このベンチに休憩する為に来た所までは思い出したんだけど…」
「それでも十分思い出したよ。…そっか、ベンチに来た所まで思い出したんだね」
そう言った彼は、何故か寂しげな顔をして空を見上げていた。ベンチに来た後、何かあったのだろうか。
私もなんとなく一緒になって空を見上げると、すっかり空は闇に覆われ夜へと変貌を遂げている。それでも夜空には星が点々と輝いており、決してただの闇があるだけではなかった。
こんなに遅い時間まで彼と一緒にいるのは、再会してからは初めてだ。いつも暗くなる頃には帰っていたから。
それがなんだか新鮮で、少し得した気分だった。
「ねえ、昔一緒に夏祭りを見て回った時も、こんな風に二人で夜空を見上げていたのかな」
「うん、このベンチに座って見ていたよ。懐かしいなぁ。あの日もこんな風に星が綺麗な夜空だった」
チラッと彼の方を見ると、目を細めて懐かしそうに笑っていた。
その笑顔で、心臓が高鳴った。これは、なんだろうか。
「凄く嬉しそうですね」
「嬉しいよ。やっと君と思い出を共有できるようになったから、一層嬉しい」
本当に彼は、とんでもなくストレートに気持ちを伝えてくる人だ。私は素直じゃないから、どう返したらいいのか分からなくて戸惑ってしまう。
そんな私を嬉しそうに笑って見ている彼が、何を考えているのかが分からない。分からないけど、前みたいに怖くはなくなった。怖くないし、彼が笑っていると私も嬉しい。
彼の気持ちを知りたいと思ってしまう。何を考えているのか教えて欲しいと思ってしまう。夏祭りの前までは、こんなこと思わなかったのに。
もしかして、これは。
ああ、私は本当にこの短い夏の間に変わってしまったのだな。
これが私にとって良い変化となるのか悪い変化となるのかは分からないが、どちらに転んだとしてもいいと思えた。そんな風に思えるようになった。
確実に彼の影響で、私の中の色々なものが変わっている。見た目は変わっていないけど、内面が大きく変化していた。今までの私じゃない、新しく生まれ変わったような爽快な変化だった。
だけど何より変わったのは、彼への気持ち。最初はなんだこいつと思ったし、途中からは過去に執着する変な人だと思った。モテ自慢と君は勘違いしないの発言では最低野郎だとも思った。
なのに、いつの間にか知人だと思えるようになって、今では友人だと思えるようになって。彼に心を許すようになってからは、別の気持ちも芽吹いていたような気がする。それは名前の分からない、何かで。それは私が気付かないくらいにゆっくりと変化していた。
好きではない。好きではなかった、はずだった。
少なくとも夏祭りを二人で回る前、鳥居の前で彼を待っていた時点では、あくまで彼は友人だった。
切っ掛けは、カップルに間違えられたこと。それから夏祭りで一緒に”思い出”を思い出す為に過ごしている間に、その何かが急速に変化していった。そして私はそれに気付いた。
気付いて、今さっきその何かの名前に辿り着いた。
それは、恋だった。
私は彼を、いつの間にか好きになっていたのだ。
美形は苦手だし、第一印象最悪だし、彼は謎の多い怪しい男である。好きになる要素なんて、欠片もなかったはずだ。
絆されて、友人になって。それがどうしてこうなった。
自分の気持ちに気付いて戸惑っていると、彼がゆっくりと私に語りかけてきた。色んな意味で焦ったが、私の戸惑いの理由に気づいた様子がないのが救いだった。鋭いようで鈍い彼に感謝である。
「僕ね、君と出逢ってからの夏が本当に楽しかったんだ。それはとても新鮮で、鮮やかで。僕は君が”夏”を連れてきてくれたんだなって思った」
「夏を、連れてきた?」
「そう。夏ってさ、生命力に溢れてて鮮やかで何もかもが生き生きとしてるでしょ?僕にとって、君は夏そのものなんだ」
大袈裟な、物凄く恥ずかしいことを言う人である。
それにしてもこのタイミングでそれを言うか。実は私の気持ちに気付いているのではないか?
心の中は大荒れだったが平静を装い、素直に思ったことを伝えた。
「…よくそんな恥ずかしいこと言えますね」
「心の底から思ってるからね」
「そうですか」
もう、それしか言えなかった。
悪意のない、好意的な人というのは凄い。こうも素直に自分の気持ちを伝えてくるのだから。
私は平静ではいられなくなった。多分、顔は真っ赤だと思う。暗くて見えていないだろうと思ってチラッと彼の方を見ると、彼はニコニコとこちらを見ていた。しっかりバッチリ私の顔を見ている。これは、絶対にばれている。顔が赤いのを確実に見られている。
恥ずかしくて全力で顔を逸らすと、彼が小さく笑ったのが聞こえてきた。
何とも言えない生温いような空気が漂っていることが耐えられず、私はベンチから立ち上がった。
「休憩も済んだことですし、続きをやりましょう!」
意外と大きな声が出てしまい、恥ずかしくて彼の方を見れなかった。彼からは一応堪えようとはしてくれたらしいが、残念ながら嬉しそうな笑い声が漏れている。
まさか、こんなことになるなんて。好きだと意識したら、ちょっとしたことでこんなに動揺してしまうなんて。なんて厄介な気持ちなのかと少しだけ舌打ちをしたい気分だった。
顔をずっと逸らし続けている私に、彼は苦笑しながら答えてくれた。
「うん、続きしよっか」
そうして再び私たちは”思い出”を巡る為に、屋台が出ている通りに出た。すっかり夜になってしまっているので気温は下がっていて、人混みの熱気があってもそこまで暑くは感じなかった。それに今日はいつもより涼しい。湿気がなく、風が吹くと気持ちが良かった。
一度意識してしまうと、彼の隣を歩くのに物凄く緊張した。ついさっきまでは平然と歩いていたのに。恋って難儀で面倒で緊張を伴うものだったのか。
そんな馬鹿なこと考えながらぶらぶらと屋台の出ている通りを歩いていると、聞き覚えのある声がした気がした。
誰の声だろうかと立ち止まって見回してみるが、知り合いは見当たらない。気のせいだったことに安心し、次はどこへ行くのかと聞こうとして、彼がいないことに気付いた。
そういえば”思い出”巡りの途中から、色々食べたり飲んだりしていたので彼に浴衣の袖を掴まれていなかった気がする。だとすれば、私が立ち止まってしまったからはぐれた?
最初に「はぐれないようにすればいいんです」なんて言っていたのは私なのに、なんたる失態。素直に手を繋いでもらっておくべきだっただろうか。いや、それも今は無理だな。とてもじゃないが落ち着いていられそうにない。
彼はなんだかんだ心配性な所があるので、はぐれたことに気付いて今頃私を探しているかもしれない。そんなに大きな神社ではないし、すぐに見つかるだろうとのんびり彼を探していると、また聞き覚えのある声がした。
それはよく知っている、女性の声だった。
身体が強張り、金縛りにあったように動かない。その声は人混みに紛れて近づいてきて、とうとう私のすぐ近くまで来た。なんとか首を動かして声のする方を見ると、よく知った後ろ姿があった。
長い艶のあるサラサラの髪を綺麗に結い上げ、お団子のようにしている。淡いピンクの浴衣を着て、ピンと背を伸ばして歩いている姿は花のよう。立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花という言葉がよく似合いそうな、後ろ姿でも分かる程綺麗な女性。
その女性は友人たちと夏祭りに来ているようで、楽しそうに笑っていた。
普段は聞こえない心音が、嫌に音を立てて耳に届く。比較的涼しいはずの夜なのに、大量の汗が噴き出した。
あれは、あの女性は…。
近くの金魚すくいが気になるようで、後ろを向いていた頭が、ゆっくりと横を向いた。そして見えた顔は、とても綺麗だった。そして、嫌という程知っている。
その人は間違いなく、私の姉だった。