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ひと夏の友人  作者: 遊々
本編
4/23

第四話

 私と彼はあの日以来、毎日夕方にあの神社で会うようになった。私としては勘弁してほしかったのだが、彼が懇願してくるので仕方なく今も会っている。夏休み初日から、一週間が経っていた。

 彼は「昔に戻ったみたい」と喜んでいたが、私としては複雑だ。その昔を私はうっすらとしか覚えていないし、彼に好きで会っている訳ではない。言い訳がましいが、彼に頼まれたので今も会っているという感覚だ。

 それでも最初の頃よりは彼への印象は良い。好感度は二度と浮上することはないと思っていたが、それはこの一週間で覆された。残念な人だと感じたのはモテ自慢の件だけで、彼は話せば結構良い人だった。イケメンは中身も完璧なのか、不公平だ。


 さて、彼と会って何をしているかというと、専らお喋りである。流石にけんけんぱーやままごとをするような年ではない。だから神社の中のベンチに腰掛け、互いに世間話をした。まあ、私があまり話さないので彼が主に話すのだが。最近読んだ本のこととか、夏休みの宿題の進み具合とか、そういう他愛無いこと。一番多い話題は、やっぱり思い出話だけどね。

 彼はどうやら私に自力で私と彼の遊んでいた過去の記憶を思い出して欲しいみたいだった。確かに気にはなるが、私はあくまで非協力的な姿勢しか示していない。それに気付いている彼が残念そうに苦笑しているのには気付いているが、この姿勢を変えるつもりはない。

 だってこんなに会うつもりなかったし。今だってこうして会っているのが正直驚きだし。

 彼にすっかり絆されてしまっている自分に落胆するが、勉強の息抜きになっているのは確かでなんだかんだ会ってしまっているのだ。


 彼は話し上手であり、聞き上手であった。彼の話す話は聞いていて楽しいし、口下手で上手く話せない私の話も真摯に聞いてくれる。相槌や聞き方が上手いようで話すのも苦ではなかった。

 だからか、少し彼に気を許すようになっていた。あんなに警戒していたのだが、話しているとそれなりに彼の人柄が私にだって見えてくる。

 彼は少しうっかりしたところがあるらしく、あの謎モテ自慢も本人が意識して言った訳ではなかったらしいことが推察できた。別に自慢するつもりなどなく、口からポロッと出てしまったという所だろう。

 だからこそ、地に着いていた好感度が浮上したのだ。まだプラスにまではいかないがな。


 彼に気を許すようにはなったが、私は彼に私に関して踏み込ませはしない。

 だから、私は名前を彼に教えてはいない。彼とは過去に会っていたし、もしかしたら私の名前を知っているのかもしれないが、彼は私の名前を呼ばない。あえて呼ばずにいるのか、本当に知らないのかは分からないが、私にとっても都合がいいのでそのままにしている。

 彼はそんな私に気付いているのだろう、私に名前を尋ねはしない。そして彼も私に名乗らない。名乗らないのは、どうやら私に思い出してほしいかららしい。本人に直接言われたので間違いないだろう。

 彼は過去の思い出に執着している節がある。何故そんなにも執着しているのかは分からないが、私も彼に踏み込む気はないので特に聞きはしなかった。


 だから、私は彼を「あなた」と、彼は私を「君」と呼んでいる。互いに名前を呼ばないこの気軽な関係は、他人であることを忘れさせない遠い関係であった。でもこれだけ交流しているのに逆に名前を呼ばないことで、ある意味近しい関係であるような不思議な感覚もあった。

 もし私が彼の名を呼ぶことがあるとしたら、きっと彼の要望通り彼の名を思い出したときだろう。そしたらこの関係が変わってしまうのかもしれないと思うと、少しだけ残念だった。

 何故残念に思えるのかは分からないが、もしかしたら友人になってしまうと繋がりが強くなり、別れが辛くなるからかもしれない。

 どうせ彼は、夏休みの間しかこちらにいないのだから。


 しかし、そんな彼と一週間会ってみたが分からないことがあった。彼の私と会う目的である。

 約束をして会うようになった数日は、ただ単に古い友人との再会を楽しんでいるのかと思っていた。だが、彼は明らかにそれだけではなく、私と遊んだ過去に執着している。たけどそれが目的とはまだ現時点では断定できない。


 互いに自分のことは何も言わないし、聞かない。

 名前も知らない、詳しい素性も知らない、記憶にない昔の友人。謎ばっかりでどう考えても怪しい男。

 そう考えると、いつ終わるのかも知れない約束のこの逢瀬は、なんだかおかしなものであるように思えた。





 彼と約束をしてから、つまり夏休みが始まってから中盤に差し掛かった15日目に、私は彼に今まで誰にも言ったことのない悩みを口にした。話の流れの中でとか、そういう訳ではない。話題がふっと途切れたときに、ごくごく自然に私の口から零れてきたのだ。

 きっと、彼が年上であること、親し過ぎない他人の領域を出ないことがそうさせたのだろう。親しい友人だったなら、こんなことは絶対言わなかったから。


「私さ、自分が嫌いなんだ。優秀な姉がいるんだけど、私は優秀じゃないから。出来損ないの自分が、嫌なんだ」


 この悩みを誰かに打ち明けたのは初めてで、言ってしまってから焦ったがどうしようもなかった。もう、口に出してしまっていたのだから。

 気を抜きすぎていたのかもしれない。あまりに今までと違う、平和な日々を送っていたから油断してしまっていたのだ。

 慌てて言い訳をしようと口を開こうと思ったのだが、彼の人差し指が口を開かせなかった。思わぬ彼の行動に身体が石になったみたいだった。

 私の口を閉じさせている彼は真剣な顔で私を見ていて、有無を言わせぬ彼の眼差しに私は口を開く気力を失った。なんだか、言い訳をしてはならない気がしたから。


「出来損ないなんて、言わないで」


 自分のことじゃないのに、彼はそう悲しそうな顔で私に言った。

 少し前までは互いにずっと会話をすることも、会うこともなかった。彼と会うようになって、会話をするようになったのだって、ここ最近のこと。彼にとっては違くとも、私にとっては私と彼はいくらそれなりに親交を深めたとはいえ、あくまで他人の域を出ない薄っぺらい関係でしかない。


 なのに、なんでそんな顔をするの。

 なんで、あなたの方が傷ついたみたいな表情をしているの。


 正直今まで生きてきたけど、一番戸惑ったかもしれない。やっぱり彼は、少し怖い人だ。

 彼は私に悪意を持っていない。それ故に、彼の行動原理が分からない。なんで私の今の発言で悲しそうにしているのか、傷ついたような顔をしているのか。

 この男は私を動揺させ、戸惑わせる。こんなこと、今までなかったのに。


 普段通りの自分でいられないことが、不安だった。

 彼は私をいつも不安にさせる。

 彼は私に()()を齎すから。


 私は不安そうな顔をしていたのかもしれない。私の唇を抑えていた指をゆっくりと離し、その手を私の頭に乗せた。乗せた後に頭の形に添って手を下ろして、また元に戻す。その行為を何度か繰り返している。

 気のせいではなく、もしかして頭を撫でられている?しかし何故?

 またしても私の困惑が顔に出ていたようで、彼は苦笑している。


「こういうの、あんまり慣れてない?」


 こういうのとは、頭を撫でる行為のことだろうか。小さい頃はよく両親が撫でてくれたが、私が反抗期のようなものを迎えてからは、そういえば撫でられたことはなかった気がする。両親が撫でようとしても、拒否していたから。

 だから素直に、こくりと頷いてみた。何故こんなに素直に自分が彼に答えたのかは分からない。年上マジックだろうか。いくら考えてみても分からないままだった。


「君は…変わらないけど、少し変わったよね」

「どういうことですか?」

「昔君と会っていた頃は、もっと素直だった」


 事実なのだが、図星であることが悔しくて、ムッとしてしまった。確かに私は素直じゃない。

 さっき彼に素直に答えられたのは奇跡みたいなもので、私は素直である自分など、とうに忘れてしまっていたのだから。素直なままでいられたら、どんなに良かっただろう。私だってできることなら、素直になりたかった。


 彼は苦笑しながら少し思案した後、ゆっくりと口を開いた。私を撫でるのを止める気はないようだ。

 その手で撫でられるのがなんだか懐かしい気がして、不思議だった。


「うーん…毎日君とこうして会うようになったでしょ?それで、昔の君と変わらないんだけど、確かに君が言った通り少し捻くれたなって」

「だから言ったでしょう。…それと悪かったですね、捻くれてて」

「そんなことないよ。ただ、君がそうなってしまうような環境にいたのが、少し悲しいかな」


 予想外のことを言われて、思わず彼の顔をガン見してしまった。彼は目に憂いを浮かべ、私を真っ直ぐに見ている。


 捻くれたって言われたとき、私を批難するのかと思った。それなのに、私がそうなるような環境にいたことを悲しいと言われるなんて。

 そんなこと、考えたこともなかった。周りがあんなだから、私が捻くれたのは当たり前だと思ってはいた。だけど捻くれても悪いのは私だと思っていたし、私が捻くれていたのを批難しない人は数少ない友人だけだった。

 そんな環境にいたことを憂いてくれる人はいなかった。友人も批難はしないが、私の環境を憂いてくれた訳ではなかった。だから、ずっと私がこうなってしまったことが悪いのだと思っていた。私自身に問題があったのだと。


 私は予想外のことに弱いのかもしれない。彼の言葉を聞いて、いつの間にか涙を流していた。

 涙を流したのは、いつ以来だろう。昔はよく姉と比べられて、それが辛くて泣いていた。だけどいつしか私は泣かなくなっていた。

 辛いことがあっても我慢して、裏切られたときが辛いから何に対しても期待しないように過ごしてきた。それが自分の心を守る為に幼い私にできたことだったから。だから涙なんて流す機会はずっとなかった。

 何より、泣くことだけは私のプライドが許さなかった。泣いてしまったら、心が弱くなってしまうことに気付いたから。だから泣かないように、必死に心を守ってきた。


 それなのに堰を切ったように涙はとめどなく溢れてくる。だけどなんで自分が泣いているのかは分からなくて、困惑した。辛くて泣いている訳じゃないから余計に。多分間抜けな顔をしながら涙を流していたと思う。

 彼は頭を撫でるのを止めて、白く細い指でそんな私の涙を拭ってくれた。


 ああ、彼は優しい人なのだな。

 涙を流しながらも、私の頭はどこか冷静だった。


「僕は素直な君しか知らなかったから、君の変化に驚いたんだ。それだけの時間が過ぎていて、君がそれだけ変わるほどの何かがあった。それを防げなかったことが、悔しくて」

「どうしてあなたが悔しがるの?」

「僕は素直な君が好きだから」


 はにかむ彼の顔の後ろに丁度夕日があって、眩しい。

 今私の顔は、真っ赤に染まっているだろう。夕日のせいだけではなく、彼の言葉のせいで。どうか、夕日に照らされたせいで顔が赤くなっていると彼が思ってくれますように。


 普段の私ならこんなことを考えることはないので、相当動揺しているのだと思う。普段あまり触れることのない人の優しさというのは、心に揺さぶりをかけてくる。

 それに何より、あまりにも自然に「好き」なんて言うから。そんなこと、言われたの初めてだったから。

 勿論恋愛的な意味合いではないとは分かっている。そういう人間が好ましいとか、そういった意味での好きのはずだ。だけど、それでもこれはあまりに不意打ち過ぎた。耐性のない私には刺激が強すぎる。


 彼は無意識にこういうことをさらっと言ってしまうのだろう。今も特に何かを意識して言ったような顔はしていない。ごく自然に、当たり前のことを言っているような顔である。

 彼の以前のモテ自慢の件を思い出すと、やはり彼はこれが自然にできてしまうような男なのだと思えた。だからきっとよく告白されるのだろう。まったくたちの悪い男である。


「なんでそういうこと、さらっと言っちゃえるんですかね、あなたは」

「そういうことって?」

「だから、その…好き、とかそういうことです!」


 恥ずかしすぎて若干キレてしまったが、私は悪くないはずだ!そもそもはこの恥ずかしい男が悪いのだ!

 八つ当たりだと分かってはいても、やはり私は素直ではないから悪態をついてしまう。家族以外にこんなに真っ直ぐな好意を寄せられたのは、初めてでどうしたらいいのか分からない。


「ご、ごめん。そういえば友達も前そんなこと言ってたかも。僕は直すべき課題が沢山あるみたいだ」

「そうですね。今のままだと女の敵ですからね」

「敵!?僕って君にとっても敵なの!?」

「ええ、敵ですよ敵。恐ろしい敵ですから早く直して下さい」

「分かった、頑張るよ!」


 話がいつの間にか逸れているが、私としては一向に構わないので敢えて逸れていることには何も言わなかった。そもそもポロッと口を滑らせてしまった話だったのだ、掘り返されては堪らない。

 そう思っていたのだが、彼は話が逸れたことに気付いたようだった。切実に見逃してほしかった。


「君は、自分が嫌い?」

「…嫌い」

「昔の君なら、そんなこと言わなかったのに」


 昔の私なら、ね。

 純粋な好意に戸惑っていた私の心はスッと冷え込んで、落ち着きを取り戻した。


「過去の私にこだわっているようですが、もう昔の私はいませんから。別に嫌な奴だと思ってくれて構いませんよ。」


 そう、素直な私は消えてしまったのだ。過去に固執している彼にしてみれば残念かもしれないが、長い年月が過ぎれば人は自然と変わるものだ。そこは諦めてもらうしかない。


「私は変わりました。過去の私はいません」


 過去の私にこだわる彼には酷だが、今目の前にいる私も私だ。過去のことを引き合いに出されて比べられるのは嫌だ。ただでさえ姉と比べられるのが嫌なのに、過去の私とまで比べられたくない。

 過去の私のほうが良いなんて言われたら、今の私の存在意義はないにも等しくなってしまう。過去の私を彼が褒めると、今の私に価値がないと言われるようで、胸が引き裂かれるようだった。


 今の私はどんどん価値がなくなっていく。いや、元から私という人間に価値なんてなかったのだ。その事実を彼が親切心で教えてくれているのかもしれない。

 …彼はそんな意地悪な人ではないと分かっているが、ひたすらネガティブな私の思考はついそんなことを考えてしまう。

 ああ、なんて自虐的なんだろう。ああ、なんて虚しいのだろう。ああ、なんて苦しいのだろう。

 こんな思いをするくらいなら。


「だから、もう会うのをやめましょうか」


 もう会わなければいい。

 そもそも彼の懇願によって私は彼と渋々会っていただけだ。ならば辛い思いをしてまで彼と会う必要なんてないじゃないか。いくら彼が私と話したくても、私はこれ以上はもう無理だ。


 昔の君なら、と言われたときに心が冷えていくのを感じた。

 彼が執着しているのは、あくまで昔の私であると直接言われたようで。今の私は必要ないと切り捨てられたような気がして。

 胸が苦しくなって、息が止まるかと思った。


 彼と過ごすのが最近は少し楽しく感じてきてしまっていて、危機感はあった。これが日常になってしまったら、夏休みが終わったら始まる苦痛の日々に耐えられなくなってしまう。それだけは死守しなくては、今後の私の人生に関わる。

 だから段々、会うのを止めようと思ってはいたのだ。それが少し、早まっただけだ。


 笑って彼に別れを告げよう。

 少しの間だったけど、楽しさを思い出せた貴重な日々だった。そんな彼と別れるのなら、せめて笑顔で別れたい。そんな風に思えるくらいには、彼に感謝しているのだから。


「あなたに会ってからの毎日は、結構楽しかったよ。久々に笑えたかも。だから、ありがとう」


 私を気遣ってくれた、久しぶりに会えた優しい人。

 ほとんど覚えていない、昔遊んだ友人。

 不思議な関係だったけど、いい夏休みの思い出になった。


「そして、さようなら」


 呆気にとられた彼の顔は、苦手じゃないかも。

 そんなことを思いながら私はベンチを立ち、鳥居の方へと歩き出した。

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