第十二話
結論から言おう。彼は夏まつりの次の日、神社に現れなかった。
あの夏祭りから、もう5日は経っている。私は焦ったが、毎日夕方になると神社に行かずにはいられなかった。
彼はやっぱり、怒っているのだろうか。
気のせいでなければ彼とはあの一瞬、目が合った。姉と接触する瞬間の、あの一瞬だけ。多分間違いなく気のせいではないと思う。
だとすると、彼は私が彼からダッシュで逃げていくのを見ていたこととなる。
…これはもう、彼が怒っているとみて間違いないのではないのだろうか。だってベンチで待機していたはずの私が何故か現れ、その後すかさずダッシュで彼から逃げたわけですよ。しかも彼からしたら理由が不明な訳ですよ。姉のことを話したとはいえ、彼は姉の顔を知らないから相手が私の姉だなんて思わないだろうし。あんまり私と姉は似てないしね。
このまま会えないと浴衣は返せないし、夏しかいないらしい彼に今年はもう会えないままになりそうだった。
そういえば、彼が本当に妖怪だというのなら、何故あんな嘘を言ったのだろう。祖父母宅に泊まりに来てなどの細かい設定など作る必要はなかったのではないだろうか。
だがしかし、それも嘘ではなく事実なのだとしたら。彼は生きている世界が違うと言っていた。私は彼の生きている世界がどういう世界なのかは知らないが、彼の世界でも私と同じように学校があって、夏休みがあってというのが存在していてもおかしくはない。
本当に偶然、この神社の夕方にだけ、あちらの世界とこちらの世界が交わったのだとしたら。
もしかして、もう彼と会える期限が終わってしまった?
冷や汗が全身を伝う。夏特有の生温い風が、気持ち悪く張りつく汗を撫でて不快感が増した。
大丈夫、彼は昔、夏祭り後も私を神社で待っていたと言っていた。きっと大丈夫。
そう言い聞かせれば言い聞かせるほど、手に汗が滲み、額から汗が伝った。
本当は、そんな保障なんてない。
彼がそう言っていたというだけで、私には分からないことが多すぎる。どんな理由であれ、彼の方から会いに来てくれなければ、私は彼とは会えない。
その事実に押しつぶされそうだった。後悔してももう、遅かった。
時間が巻き戻るなら、あの時逃げ帰った自分を叱咤してやりたい。もし彼が姉に惹かれてしまったとしても、それでもあんな別れ方をするべきではなかった。
考えても考えても、私の考えだけではなんの答えも出ない。
暗くなり、夜空を暗雲が覆う。今日は星は一つも出ていない。まるで、私の心みたいだった。
◇ ◇ ◇
彼と会えなくなってからも、夏休みは続いた。もうすぐ、学校が始まってしまう。
あれから、私は何をするにも無気力になった。クリーニングを終えた浴衣を持っては神社に行き、そのまま浴衣を持ってくる私を母は励ましてくれたが、私は力なく笑って返すことしかできなかった。
姉と彼がどうなったのかは、知らない。母は夏祭りの後聞いたらしいが、私が姉と彼のことは聞きたくないと言って聞かなかったからだ。
やっぱり私はどこかで彼は姉に惹かれてしまって私と会わなくなったのだという思いがあり、怖くてどうしても聞くことができなかった。耳で聞いて事実だと知ってしまったら、立ち直れそうになかったから。
姉とは相変わらず会話という会話をしていない。私が今現在も避けているからだ。彼のこともあり、神経質になっている私に姉という存在は今現状触れてはならぬものなのだ。
なんとか宿題を終え、夏休みの貴重な残り時間を私はぼーっとするか、神社に行くかで過ごしていた。
母は何か言いたそうだったが、彼にあれから私が会えていないと知っているので何も言わずにいてくれている。その心遣いが、嬉しかった。
彼と会えなくなってから、私は自分について、色々と考えるようになった。
自分が壊れないように、必死に優しさを遠ざけ、悪意を避けながら生きてきた私。そんな生き方をしてきたことに、今は少しだけ後悔している。
せっかく私みたいな捻くれた人間にくれた優しさを、素直に受け取っていれば。
そしたらもっと、生きやすくなっていたのではないか。そしたら、彼へも素直に接することができたのではないか。そんなことを毎日毎日考えた。
いよいよ明後日で夏休みが終わる。未だに彼は神社に現れてはいない。それでも私は、神社に行かずにはいられなかった。
その日は彼と出会った日のように、じめじめとした暑さのせいで汗が絶え間なく肌を流れた。エアコンも扇風機もないこの場所にずっといるには、暑過ぎる日だった。
これまでの日々で、私はどこか彼と会えることを諦めていた。だから浴衣は持ってきていない。
ただ、彼に会って謝りたかった。
空は夕暮れに染まり、物寂しさを感じる時間帯。そういえばこういう時間帯を逢魔が時と呼ぶらしい。
妖怪の彼と、人間の私が会っていた時間帯が逢魔が時。まさに出逢うべくして出逢ったようだな、なんてらしくもないことを考えた。
「……暑い」
今年の夏は、いつも彼が隣にいてくれた。だから彼がいないのが寂しくて、つい独り言が出てしまう。
彼は昔、私と会うのが”日常”となっていて嬉しかったと言っていた。私も、彼と同じようになってしまったようだ。
彼との他愛無い会話が、もう私にとっての”日常”となってしまっていた。だから、毎日が物足りない。
昔の彼も、こんな気分を味わっていたのだろう。本当に申し訳ないことをした。
いつもはベンチで座って彼を待っていたのだが、その日はなんだかベンチの気分ではなかったので大木を背に寄りかかっていた。
すると、後ろからカサリと音がした。驚いて大木に預けていた体を地に戻し、大木の後ろを覗き込んだが、そこには何もない。気のせいだったのだろうか。
何もないことを確認し、また大木に寄りかかる。この大木はなんだか安心感があって好きだ。森林浴とはいかないが、何かしらのリラクゼーション効果があるのかもしれない。
背を預け、空を見上げるとふと、彼のことが浮かんでくる。そういえば、彼の名前はなんだったか。
彼の名前は思い出せないが、名を呼んでいた記憶はある。だから、知っているはずなのに全然思い出せない。
彼とは会えないし、ぼーっと神社にいるだけで暇なので、せっかくだから彼の名前を思い出そうとしてみる。沢山、彼との思い出は思い出した。あとは名前を手繰り寄せるだけ。大丈夫、私なら出来る。そう言い聞かせてもう一度記憶の蓋を開いた。
なんかこう…夜に関連する名前だった気がする。思い出した記憶の一つに、昔の私が彼の名前に対して「よるみたいでかっこいい!」とか何がどうカッコいいのか不明だが言った記憶がある。
夜…夜…夜っぽい名前ってなんだ。夜がゲシュタルト崩壊しそう。全然思いつかん。
うんうんと唸っている間に空は暗くなり、星が輝き始めていた。
「星夜…いや、なんか違うな…」
なんかこう、きらびやかな名前ではなかった気がする。でも普通の名前でもない感じの。こう…中二病炸裂!みたいな感じだったような…。(彼に対して大変に失礼なことを言っている気がする)
「うーん…夜…夜…」
とりあえず夜空から離れ、何かキーワードになりそうなものはないかと周りを見渡して夜と組み合わせてみるが、しっくりくるものはなかった。
ふと地面を見ると、すっかり暗くなっていたために影が姿を消していた。
…影?
『おにいちゃんのなまえってにんじゃみたい!』
と、私の頭の中に幼少期の私の声が響き渡る。
『かっこいいなまえだね!よかげおにいちゃん!』
よかげ?
その響きを思い出した瞬間、私は声に出していた。
「…夜陰」
しんとした神社に、その声は想像以上に響き渡った。
「呼んだ?」
彼の、声がした。
誤字修正。




