表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦争夢  作者: 魁斗
1/10

日本が戦争状態に………

そこは茶色の世界になってしまっていた。

ベトナムに旅行しに行こうと思っていた矢先だった。突然、招集状がやってきた。第二次世界大戦の後、ながらく平和であったはずの日本が中国との戦争を突如始めたというニュースは聞いていたがまったく実感はなかった。しかし、招集状を無視して出頭しなかった人がどんな目にあったかという噂くらいは聞いている。私の隣人も出頭していったのは記憶に新しい。その光景を見たときはまさか自分が招集されることになるとは思いもしなかったけど。

招集状にある通り最低限の衣服と食事は用意されているみたいなので、持っていくものはあまりない。出頭時間が明日の12:00に迫っているのでとりあえず両親に宛ててそれぞれ1通手紙を書いた。私は大学に入学する際に福岡から東京に出てきて一人暮らしをしている。招集されたことを知らせないと急に娘が失踪したのかと要らぬ気苦労をかけてしまうだろう。書き終わって手紙を出しに行き、ついでに今日の夕飯も買ってきた。

それから今まで育ててくれてありがとうという内容の手紙を書く。もし無事に帰ってこれたら渡したくないのでこの手紙は出さない。向こうで死んでしまったら両親はこの部屋を探しに来るだろう。そのときのことをかんがえながら私の手紙とボイスメッセージを残した。

次の日、私は指定された場所へ電車で向かっていた。これでしばらくあるいは永遠に見れなくなると思うとまるで他人事のように歩いている人達がとても羨ましく思えてきた。平和ボケした私たちの頭では実際に自分が戦場に行かされるまで戦争が始まったことに対する実感が湧かないのだろう。

つまらないことを考えているうちに灰色の兵営に到着した。ここは政府が慌てて作った兵舎兼訓練所である。男女平等が普及したいまでは兵営も男女一つずつ設置されている。兵営に入るとお婆さんが憐れみの視線とともに部屋番号を教えてくれた。さて共同生活の苦手な私にここでの生活は耐えられるだろうか。


結論から言えば心配は無意味に終わった。同室の子はとてもいい子だった。さつきと名乗ったその子は非常にさばさばといた性格で後から入隊した私の面倒をよく見てくれた。

兵営での訓練は楽ではない。朝の6時に起床。7時から30分で朝食をかきこんでそのまま12時まで訓練。昼食も30分で終わらせてまた18時まで訓練。運動というものをあまりしない現代っ子にはきついものがあった。その上奇襲訓練まである。毎日へろへろになって布団にもぐりこむので奇襲訓練のサイレンに気づかず熟睡なんてことはざらにある。その度にさつきに助けられて罰を受けるのを免れている。近所の公園でやっていたラジオ体操に参加しとけばよかったなと思う今日この頃である。

「もっと頭低くしないと見つかるぞ!」

女性なのにとても男らしい声を聞きつつ必死に匍匐前進をする。私はどうしても頭と踵があがってしまい、教官に叩かれる。心の中では体罰反対!とか叫んでいるが、ほんとに叫んでしまうと拳骨が必至なので自重している。

そんな日常を繰り返してうちに筋肉もだいぶついてきて最初は絶対無理だと思ったショットガンも担いで行軍できるようになった。

さつきとは同じ出身地であることが分かり、無事に帰れたら遊びに行こうと話している。さつきの他にも話す仲間ができ、休憩時間や入浴中にお喋りをしている。人間って適応できちゃうのかというのが正直な感想である。この生活の中で一番意外だったのがご飯が危惧していたほど不味くなかったことだ。私はお腹が弱く、下手なものを食べるとすぐにお腹が壊れてしまう。一人暮らしだっときはなんとかなっていたのだが、共同生活で長い時間トイレを占領するのは申し訳ないし、若干恥ずかしい。と思っていたのだが…

「おかわり!」

「こっちもお願いします!」

食事当番が余りがあると宣言した後は争奪戦になるくらいにはご飯が美味しかった。

そんなこんなであっという間に1カ月が過ぎていき私たちは翌日に出兵を控える身となった。


同室のさつきとも一緒の小隊に入っている。

私たちは一時帰宅を許可された。

最後に日本を見てこいとでもいうのだろうか。軍のやることはよく分からないと思うが、一応帰宅する。両親にも会おうと思えば会えるのだが会えば未練が残るので会わないことにした。

1カ月ぶりの外の世界。1カ月前より忙しなさは増しているけど、招集されてないからやっぱり実感がわかないようだ。

久しぶりの我が家はまるで他人のようによそよそしく私を迎えた。まるで私の居場所はこの世界になくなってしまったかのようだった。

特に行くあてもないので家で一晩を過ごして兵営に戻った。


いよいよ出航である。

早朝3時に荒天の中、私たちは小型のボートに乗り込んで中国を目指した。これに乗ったら戦場かと思うとボートに乗る足が震えた。

「どうした?」

教官が尋ねてきた。

「何でもありません。」

ごまかそうとしたら

「第二次世界大戦での日本兵の死亡率は約30%、湾岸戦争での多国籍軍側の死亡率はより低いです。10人に7人生き残ることができています。戦場に行ったからといって必ず死ぬわけではありません。」

見抜かれていた。

まあすぐに別れるからいいんだけど。

教官の言葉は正しいかもしれないし、間違っているかもしれない。でも今の私はその言葉に縋るしか精神を安定させる術はなかった。

「何してる。早く乗れ!」

「はい!」

ボートによじ登る。

「よし、出るぞ!」

私で最後だったみたいだ。

まあ最後まで話していたんだから当たり前か。

作戦中は私語は禁止されている。

私達は黙ったまま上陸した。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ