準備 4
その日の夜、私は夢を見た。薄暗い薔薇園で私は独りぼっち。ぽつんと突っ立っている。最近よく見る夢だ。そういえば、この夢、いつ頃から見るようになったんだっけ?
ガゼボには誰もいない。何の気配も感じられない。主が留守の家のような、そんな寂しい雰囲気が漂ってくる。心細い……。
「誰か、いないの……?」
私の呼びかけに答えてくれる者はいない。何故だかそれが無性に悲しくて寂しい。胸が締め付けられるようだ。私は独り、涙を流した。
ハッと目を覚ますと、真っ先に目に入ったのはミーちゃんの顔のドアップだった。私の胸の上に乗り、今まさに私を起こそうとしていたらしい。お腹、空いたのかな……? でも、朝食はまだだよ、ミーちゃん。
私はベッドから起き上がり、ボーっとしたまま洗面所へと向かった。洗面所の鏡を覗くと、目が赤く腫れている。この顔、寝ながら泣いていたみたいだな……。あの夢、何なんだろう? ガゼボを見て悲しくなるなんて……。最近、あそこにいる事が多くなったからあんな夢を見るのかな? それにしても変な夢だと思う。何で夢の中だとあんな悲しい気分になるんだろう?
私は小さく溜め息を吐き、冷たい水で顔を洗った。最近、水がだいぶ冷たくなってきた。秋も深まってきた証拠だろう。朝晩はめっきり冷え込むことが多くなったし。
洗面所を出ると、ラインヴァイスとアイリスが朝食の準備をしてくれていた。その横で、バルトさんがミーちゃんの餌と水を準備してくれている。
バルトさんとミーちゃんは、いつの間にかとても仲良しになっていた。彼は、こうしてミーちゃんの餌と水を毎朝届けてくれる。それに、ミーちゃんがお城の中をお散歩する時、いつも一緒に行ってくれているらしい。というか、ミーちゃんが彼をお散歩に誘っているらしい。バルトさんってば、仕事、大丈夫なのだろうか? ミーちゃんの専属世話係になってないか? まあ、バルトさんとミーちゃんが良いのなら、私は敢えて何も言わないけどさ。
ミーちゃんはきっと、バルトさんと意思疎通出来ることが嬉しいんだと思う。ミーちゃんの言葉を分かってあげられるのは、バルトさんと、彼のお仲間のエルフ族の人達くらいだもん。一緒にお散歩するの、楽しいだろう。それに、バルトさんは動物好きみたいだし、ミーちゃんに懐かれて悪い気はしていないだろう。
「では、ミー殿。俺はそろそろ仕事に――」
「みゃ~。みゃあぁお~!」
朝のお別れは、ミーちゃんにはとても辛いらしい。ひしっとバルトさんの足にしがみ付き、何事かを訴え掛けている。今生の別れじゃないんだから……。どうせ、ご飯を食べて少し休憩したら会いに行くくせに。
バルトさんが去り、彼と入れ替わるようにシュヴァルツが姿を現した。微笑む私を見て、彼の口の端が僅かに上がる。彼が席に着くと、アイリスがお茶を入れてくれた。私はそれに口を付け、シュヴァルツの顔を上目で窺った。
シュヴァルツならあのガゼボの夢、何なのか心当たりが無いかな? 私には、あの薔薇園の記憶が殆どと言って良いほど無い。あそこに関する記憶が、何故かすっぽりと抜け落ちている。私が気に入っていた場所だったって話なのに……。でも、彼ならば、私が記憶を失う前、薔薇園でどう過ごしていたか知っているはずだし、何か分かるかもしれない。
朝食が終わり、食後のお茶を飲みながらソファで寛ぐ。シュヴァルツは多忙だ。特に、今日からは、私の魔術や剣の練習に付き合ってくれる事になっている。以前にも増して忙しくなるはず。ゆっくり話を出来るタイミングが少なくなるかもしれない。だったら、聞きたい事は早めに聞いておいた方が良いはずだ。
「ねえ、シュヴァルツ?」
私が呼ぶと、シュヴァルツは怪訝そうにこちらを見た。視線だけ上げるものだから、睨まれているように見える。でも、彼に睨んでいるつもりな全く無いと思う。デフォルトで怖い顔をしているだけだ。
「私、最近、不思議な夢を見るの」
「夢……」
「うん。薔薇園のガゼボでね、私、独りぼっちで泣いてるの。結構頻繁に見る夢でね、印象的な夢だから気になって……。何か心当たり、無いかなぁなんて思って」
シュヴァルツは少し視線を彷徨わせた。心当たりを探してくれているのかな? 私が魔術や剣を使えていた事を隠したみたいに、隠したりなんてしないよね……?
「あそこ、私のお気に入りの場所だったんでしょ? もしかしたら、私が記憶を取り戻す切欠になったりするかなぁ、なんて思ってるんだけど」
私がそう言うと、シュヴァルツはすくっとソファから立ち上がった。そして、私に着替えを差し出す。私はそれと彼の顔を交互に見やった。
「あの……?」
「準備しろ。心当たりに連れて行く」
シュヴァルツの言葉に、私は着替えを受け取ると、慌てて洗面所へと駆け込んだ。そして、手早く着替えを済ませる。今日の服は、白いフリフリレースとピンクのヒラヒラリボンがそこかしこにあしらわれた、エメラルドグリーンのロングドレスだった。こういう乙女チックなドレス、似合わないから着ないようにしてたのに。洗面所に入る前にどんなドレスか確認するんだった。失敗した!
洗面所を出ると、シュヴァルツが私に向かって手を差し出した。今日は転移魔法で移動するらしい。まあ、心当たりに歩いて向かうより時間短縮になるわな。私が彼の手を取ると、一瞬、視界がぐらりと揺れた。そして、気が付いた時には部屋とは別の場所にいた。
そこは広いホールだった。ここ、見覚えがある。確か、私が中央神殿からこのお城に戻って来た時に着いた場所だ。ここがシュヴァルツの言う、心当たりなのだろうか? ここと薔薇園、何か関係しているのだろうか?
シュヴァルツを見る。すると、彼は真っ直ぐ一点を指差した。その先には一枚の絵。三人の人物が描かれた大きな絵が飾られていた。
向かって右側には、今より少し若いシュヴァルツ。十代後半から二十歳そこそこだろう。そして、左側にはラインヴァイス。十代前半くらいかな? そして、絵の中央には長い黒髪の女の子。十歳くらいだろうか?
「これが心当たり?」
「ああ。中央が妹のリーラだ。見覚えがあるか」
私は少女の絵をジッと見つめた。少しきつそうな顔つきをした、かなりの美少女だ。大人になったら美人さんに、それこそシュヴァルツと同等の美形になるに違いない。……どうでも良いけど、あの子の髪型、私に似てないか?
それにしても、見覚え、ねぇ……。こんな子、会った事無いと思うんだけど。この子のデッサンも無かったし。そもそも、シュヴァルツの妹なら、何で今までお城で会わなかったの? 私と交流が無かったから? それにしたって、挨拶くらいはすると思うんだけど……。
「見覚え、無いけど……。この子、このお城にいるの?」
「いや」
「この子と薔薇園、どういう関係があるの?」
「薔薇園を作り上げたのはリーラだ。そして、アオイに会うまでは、ずっと薔薇園にいた」
あの薔薇園を作り上げたのはこの美少女なのか。私に会うまでって事は、交流はあったって事か。でも、今はこのお城にはいない、と……。むむむ……。よく分からない。
「ええっと……。今はどこにいるの?」
「さあ」
さあって! シュヴァルツですらどこにいるかわからないってどういう事よ! まさか、家出? 家出なのか? はっ! 私に会うまで薔薇園にいたって事は、その家出に私が関係しているのか! 流石に、私が追い出したって事は無いと思うけど、馬が合わなかったとか? そうなの?
「もしかして、家出したの? 私が気に入らなかったの? だからお城から出て行っちゃったの?」
「違う」
「じゃあ何でいなくなちゃったの? どこに行っちゃったの?」
シュヴァルツの顔を見上げると、彼は眉間に深い皺を寄せていた。何か言いたくない事とか言いにくい事でもあるのかな? 違うって言っていたけど、やっぱり私のせいでいなくなっちゃったのかな? どうしよう……。私のせいで兄妹仲が悪くなっちゃってたなんて……。
「あれ? シュヴァルツ? アオイさんも。こんな所で何やってるの?」
突如掛けられた声に驚いて見上げると、階段上の廊下からブロイエさんが姿を現した。不思議そうに首を傾げながら、階段を下りてくる。そうだ! ブロイエさんなら、リーラちゃんがどこに行ったのか知っているかもしれない。シュヴァルツに行き先を告げていなくても、ブロイエさんになら告げている可能性が、僅かだけどある。
「ブロイエさん! リーラちゃん、どこに行ったか知りませんか?」
「そんな事、聞いてどうするつもり?」
ブロイエさんの表情が険しくなる。彼には心当たりがあるのかもしれない。でも、私と会わせたくないんだ。私、リーラちゃんに何かしちゃったんだ!
「私、仲直りしたいんです! だって、私のせいでいなくなったんでしょう? 私が何か、彼女の気に障るような事、したんでしょう?」
「……え?」
険しい顔が一転、ブロイエさんの目が点になった。そして、彼はシュヴァルツに視線を移す。
「ええっと、シュヴァルツ? アオイさんにどんな説明、したの?」
「リーラが薔薇園を作り上げた事。そして、今はこの城にいない事」
「まだ、まともに説明してないって事?」
「ああ。リーラの顔を見れば思い出す事もあるかと思ったが、そうもならなかった」
私はきょとんとしながら二人のやり取りを聞いていた。まだ、まともに説明されていなかったらしい。私、色々と早とちりした?
「ここじゃ何だし、薔薇園行こうか?」
ブロイエさんが杖を掲げると、青い魔法陣が出現した。これは……転移魔法陣だ。シュヴァルツが使う転移魔法と違い、これは複数人同時に転移出来るはず。三人で一気に薔薇園まで飛んで行くのね。
私とシュヴァルツが魔法陣の上に乗ると、ブロイエさんが何かを呟いた。カッと魔法陣が光り、立ちくらみのようにぐらりと視界が揺れる。そして、次の瞬間には、薔薇園にあるガゼボのすぐ目の前にいた。
ガゼボに入り、ベンチに腰を下ろす。私の隣にシュヴァルツが、正面にブロイエさんが腰を下ろした。私とシュヴァルツを交互に見やり、ブロイエさんが口を開く。
「そもそも、何でリーラの話になったの?」
「私がこの薔薇園の夢を見てて……。不思議な夢だから、シュヴァルツに心当たりが無いか聞いたら、あの絵のところに連れて行ってくれて……」
「不思議な夢? どんな夢?」
「私、独りぼっちでここにいるんです。それが凄く寂しくて、悲しくて……。泣いて目が覚めるんです」
私の答えに、ブロイエさんが考えるように腕組みをし、目を瞑った。かなり険しい顔つきをしている。心当たりを探していると言うよりは、何か悩んでいるような、そんな雰囲気が彼から漂ってくる。ややあって、ブロイエさんが目を開け、ひたと私を見つめた。
「アオイさん。一つ約束して」
「約束、ですか?」
「そう。リーラを探しに行こうだなんて考えないって約束。約束出来るなら教えるし、出来ないなら教えられない」
「何でそんな――」
「約束出来る? 出来ない?」
「う……。約束、します……」
「その約束、絶対に守ってよ」
ブロイエさんはシュヴァルツに視線を移した。話して良いかとでも聞くような彼の眼差しに、シュヴァルツが小さく頷き返す。
「まず、リーラについてだけど、彼女はアオイさんの精霊だった」
「精霊……」
「そう。彼女は先の大戦で命を落としているんだ。でも、肉体が滅んでも魂までは消えなかった。彼女の魔力と魂とが融合して精霊になり、ずっとこの城――薔薇園にいたんだ」
リーラちゃんが精霊……。私の精霊……。むむむ。そんな記憶、全然湧いてこない。今までは、こういう話を聞くと、そんなことがあったようなって、少なからず思い出せていたのに……。
「長い年月、契約者もいないままここにとどまっているうちに、彼女は消滅の危機を迎えていた。そこに現れたのがアオイさん、君だ。君がこの世界に来てすぐの頃――その頃、僕はこの城にいなかったから詳しいいきさつはわからないけど、君はリーラと契約を交わしたんだ」
「あ! もしかして、薔薇園の夢! 独りぼっちで寂しくなるのって――!」
「無意識の内に、リーラを探しているんだろうね」
そうか。リーラちゃんに関しての記憶なんて全然無いけど、私、彼女の事を探していたのか。でも、全然姿を見せないから、寂しくて、悲しくて泣いていたのか……。
「何でリーラちゃん、いなくなっちゃったんですか? 何かあったんですよね?」
「中央神殿で無理矢理引き剥がされたとしか考えられない。だって、離宮に行く直前まで、しっかり君の左手の甲にはリーラの紋章があったから」
衝撃だった。まさか、中央神殿でそんな事をされていたなんて。もしかして、シュヴァルツは気が付いていたのだろうか? リーラちゃんの紋章が無くなっていた事――リーラちゃんが引き剥がされてしまった事に。
「中央神殿の奴らはリーラが邪魔だったんだろうね。だって、アオイさんに忘却の術を掛けたところで、何が真実で何が偽りか、リーラが君に教える事が出来るんだから。君を良いように操れない。だから、忘却の術を掛ける前、君からリーラを無理矢理引き剥がしたんだと思う。多分、リーラはそれによって相当のダメージを負ったはずだ。もしかしたら……あまり想像はしたくないけど……既に消滅してしまっているかもしれない……」
リーラちゃんが消えてしまっている? 私から無理矢理引き剥がされたせいで? 私が攫われたせいで……。私のせい……。私の……。そう自覚すると、とめどなく涙が溢れてきた。泣いたってリーラちゃんが戻って来る訳じゃないのに……。分かっているのに、涙が止まらない。
「泣くな、アオイ」
シュヴァルツが私を強く抱きしめた。私の背をさする彼の手が優しくて、逆にそれが居た堪れなくて……。私は彼の腕の中で、声を押し殺して泣いた。
ごめんなさい、シュヴァルツ。貴方の大切な妹を守れなくて……。ごめんなさい、リーラちゃん。貴女の事を守れなくて……。こんな、大切な事を忘れていて……。
その日から、私は件の夢を見なくなった。そして、薔薇園に足を踏み入れる事も無くなった。




