準備 3
最近、私は薔薇園で過ごす事が多くなった。ガゼボに置いておいた絵描き道具で、薔薇園の風景を描き始める。ここは万年春の陽気だし、室内だから雨も降らないし、アトリエとしては申し分ない。いつの間にかガゼボを占拠してしまったけど、今のところ、誰にも文句を言われてはいない。というか、シュヴァルツ公認だ。だって、彼は私がここで絵を描いて過ごしているのを知っているのに、文句も何も言わないもん。
鼻歌交じりに絵を描いていると、すぐ横に人の気配が生まれた。そちらに顔を向けると、シュヴァルツだけでなく、ラインヴァイスとブロイエさんまでもが連れ立っていた。どうしたんだろう? この三人が雁首揃えて来るの、とっても珍しい気がする。何か、大切な話でもあるのだろうか?
「アオイさん、今良い? ちょ~っと話があるんだぁ」
ブロイエさんはにこやかにそう言い、ベンチに腰を下ろした。シュヴァルツ、ラインヴァイスもベンチに腰を下ろす。遠くの方から、アイリスとローザさんがカートを押してやって来るのを視界の隅に捉えながら、私も腰を下ろした。
人数分のお茶と、お茶菓子のクッキーがテーブルの上に置かれる。私はクッキーを一つ口に運び、お茶に口を付けた。絵を描いている間はあまり自覚が無かったけれど、私、小腹が空いていたらしい。どれ、もう一個。おまけにもう一個。
次々とクッキーを口に運ぶ私を、ラインヴァイスとブロイエさんが苦笑して見つめている。そんなに笑わなくても良いと思う。うう、恥ずかしい。でも、止まらない。あと一個……。そんな私を見て、ブロイエさんが口を開いた。
「アオイさん、お腹空いてたの? 軽食準備させようか?」
「大丈夫です。それより、お話って何ですか?」
お皿の上のクッキーは既に半分以上、私の胃袋に収まっている。ラインヴァイスが目配せをすると、アイリスがぺこりと頭を下げて何処かへと駆けて行った。きっと、クッキーの追加を取って来てくれるのだろう。これで心置きなくクッキーを食べられる。むふふ。もう一個食べちゃお。
「これ、渡しておこうと思って」
ブロイエさんはそう言い、懐から紙の束を取り出すと、私にそれを差し出した。これは……手紙?
「他国の王とか要人からの祝辞が届いたんだぁ」
お祝い電報みたいなものか。パラパラと紙束を捲り、内容を確認していく。中身は大方一緒だった。シュヴァルツと夫婦になった事へのお祝いが述べられ、何故か私に祝いの品を贈りたいと続いている。この世界では、結婚するとプレゼントでも貰えるのだろうか?
「このお祝いの品って? しかも、何で私宛? 普通、交流があるシュヴァルツ宛に贈るものじゃないの?」
「男から贈り物をされる趣味は無い」
「同性に贈り物はしないの?」
この世界では、同性からプレゼントを貰う習慣が無いのだろうか? シュヴァルツはさも当然のように言ったけど、文化の違いなのかな? 変なの。異世界ってよく分からない。首を傾げる私を見て、ラインヴァイスが口を開いた。
「贈り物とは通常、異性に親愛の情を示すものです。何か見返りを求める場合は、同性同士でも贈る事がありますが……」
「お礼が欲しい場合?」
「ええ。その様な場合、見返りに何が欲しいか、何をしてもらいたいのかが予め明示されています。しかし、今回の様な結婚祝いの品は、見返りを求めるものではありませんので、異性――奥方様宛にお贈りします」
ふむふむ。贈り物一つ取っても奥が深い。この世界では、何も考えずにほいほいプレゼントを受け取っちゃうと、後で大変な事になりそうだ。
「ふ~ん。そういうものなんだ」
「はい。あと、祝いの品に装飾品を求めるのは避けて下さい」
「装飾品? アクセサリー類?」
「アクセサリーや服ですね。そういった品を求めると、誤解する者もおりますので」
アクセサリーや服が駄目って……。いったい、何を貰えば良いの? 身につける物以外って事……? ええ~! 全く思い付かないんだけど!
「そんなに難しく考えなくても良いんだよぉ?」
腕を組んでうんうん唸る私を見て、ブロイエさんが苦笑した。別に、難しく考えているつもりは無いんだけど、プレゼントって言うと、アクセサリーが真っ先に思い浮かんじゃうんだもん。それに、あんまり安価な物だと、相手にも失礼な気がする。何たって、他国の偉い人達だし。安い物を求めて、馬鹿にしていると思われても嫌だ。
「食器でも食べ物でもマジックアイテムでも、何でも良いんだ。アオイさんが欲しい物ならね」
「マジックアイテム……」
マジックアイテムって、魔剣とか魔道書とか? でも、そんなの貰っても困る。
「でも、私、魔術なんて使えな――。ん? あれ? ちょっと待った……。私、魔術、習ってたような……?」
「あっ……!」
ブロイエさんが慌てたように口を噤んだ。そんな彼を、シュヴァルツがギロリと睨んでいる。シュヴァルツだけじゃない。ローザさんもかなり怖い顔でブロイエさんを睨み付けていた。これは、後でローザさんの雷が落ちるな……。
それよりも、私、ラインヴァイスに魔術、習っていたはず。……いや、ラインヴァイスだけじゃない。シュヴァルツにも魔術を教えてもらってた……。剣は……そうだ! シュヴァルツに習ってた! 何でその事、誰も教えてくれなかったの? もしかして、敢えて黙ってたの……?
「私、魔術使えたよね? 剣だって使えたよね?」
シュヴァルツに問い掛けると、彼は逡巡したように視線を彷徨わせた。そして、小さく頷く。
「……ああ。使えた」
「何で教えてくれなかったの? 何で黙ってたのよ!」
「アオイの為だ」
「意味が分からない! もしかしたら、魔術や剣が切欠で、記憶、戻るかもしれないのに!」
「戦う術など――」
シュヴァルツは何かを言いかけ、口を閉ざした。それが私の神経を逆撫でする。私は立ち上がり、彼に詰め寄った。
「何よ! 言いたい事あるなら、はっきり言いなさいよ!」
シュヴァルツの肩を掴んで前後に揺さぶろうとするが、それは彼に手首を掴まれ、阻止された。渾身の力で彼の手を振り払おうとするも、力では勝てない。悔しい!
「アオイさん、ちょっと落ち着こうか? ね?」
そう言ったブロイエさんを、私はギロリと睨む。落ち着けと言われて落ち着けるほど、私は穏やかな人間じゃない!
「ブロイエさんだって、ラインヴァイスだって、ローザさんだって、みんな同罪なんだから! 何で教えてくれなかったのよ! 何で黙ってたのよ! それとも何? みんな、私の記憶なんて戻らない方が良いとでも思ったの? そうなの?」
「それは違う」
そう言い、シュヴァルツが眉間に皺を寄せた。でも、口先だけなら何とでも言える。本心かどうかなんて分からない。どうせ彼らには、記憶を失った私の苦しみなんて、悲しみなんて、不安なんて分からない。どれだけ心細いかなんて分からないんだ!
「じゃあ、何でよ! 何で黙ってたのよ! 私が納得いく説明、してよ!」
私だけなの? 私だけ、記憶を取り戻そうと必死になっていたの? みんな、私の記憶なんてどうでも良かったの? なんか、裏切られた気分だ……。
泣き崩れる私を、シュヴァルツが抱え上げるようにして隣に座らせた。そして、なだめるように私の背を擦る。でも、私はこんな事くらいじゃ誤魔化されないんだから! 理由、聞かせてよ! 私を納得させてよ! はぐらかそうとしないで! 止めてよ! 私はフルフルと首を振った。
「……お前を、守りたかったからだ」
絞り出したような声で呟いたシュヴァルツの顔を、私はハッと見上げた。彼は、とても苦しそうな、悲しそうな顔をしている。何でそんな顔、するの……? もしかして、私、またシュヴァルツの事、傷つけてしまったの……? 私は彼の顔に手を伸ばした。その手を、シュヴァルツが両手で包み込むように握りる。
「アオイ。力ある者の務めは思い出せるか」
力る者の務め……。確か、魔術や剣を使える――戦う力がある者は、戦となった時、竜王軍として出陣しないといけないんだ。そうだ。私が魔術を習いたいって言った時、誰かに教えてもらった気がする……。誰だっけ? あれは確か……。あ。フランソワーズだ。
「この国は、いえ、この世界はいずれ、戦になります」
そう静かに言ったのはラインヴァイスだ。悲しそうに目を伏せ、ギュッと拳を握りしめている。
「戦……。もしかして、私を助けた時に中央神殿、壊したから?」
「確かに、あれで人族がこちらに戦を仕掛けてくる大義名分を与えてしまった。でも、根本的に違う」
答えたのはブロイエさん。いつもは飄々としているけど、今は苦虫を噛み潰したような表情をしている。
「よく考えてみて。アオイさんがこの世界に召喚された意味を」
「私が召喚された意味……」
「そう。君はシュヴァルツを、そして、魔人族を殺す為に召喚されたんだ。戦を主導する為に。過去の勇者達の様に」
そうだ。元はと言えば、私は勇者としてメーアに召喚されたんだ。この世界の魔王を――シュヴァルツを筆頭とした、魔人族の王を殺す為に。でも――!
「私は――!」
「アオイさんとアオイさんの白い獣の他にも、後二人、この世界に召喚された人物がいる。戦になるかならないかは、彼らの行動次第なんだ」
言われてみれば、勇者として召喚されたのは私だけじゃない。私とミーちゃんの他に、後二人いるんだった。その二人がもし、戦に乗り気だったら……。元の世界に戻す代わりに、シュヴァルツやその他の王を殺せって命令されていたら……。こちらに攻撃を仕掛けてくる理由なんて、いくらでも思い付く。
「記憶が戻らない場合、戦う術を持たない方がアオイさんの為になると思ったんだ。守ってあげたかったんだ。黙ってて、ごめん……」
ブロイエさんが頭を下げる。私は首を振ってそれに答えた。理由は分かった。でも、納得出来るかどうかは別問題。そんなの、納得出来る訳が無い!
「そんなんで、私が納得するとでも思ってるんですか?」
「……え?」
「私が記憶を失くしているから戦う力は必要無いなんて、ただ守られているだけなんて、納得出来る訳無いじゃないですか! もし戦になったら、私だって戦いたい! だって、私、シュヴァルツの妻なんでしょ? シュヴァルツの役に立ちたいって、守りたいって思うのが普通じゃないですか! それに、お世話になった人達が戦っているのを、黙って見ていられる訳が無い!」
そう言った私をブロイエさんがギョッとしたように見つめていた。こんな事言って、シュヴァルツ、怒るかな……? そう思って隣に座る彼の顔色を、ちらりと上目で窺う。すると、彼は何故か声を押し殺して笑っていた。私、笑わせるような事、言ったっけ? かなり真面目な事を言った気がするんですけど?
「何よ! 何で笑うのよ!」
「いや、実にアオイらしい発言だと思ってな」
私らしい? もしかして、私、前にも似たような事を言ったのだろうか? 記憶を失っていても、人の本質は変わらないっぽいし、その可能性が非常に高い。そう自覚した瞬間、私の顔がカッと熱くなった。
「わ、笑うなぁ!」
ぽかぽかとシュヴァルツを叩くと、その手を彼に握られた。彼は目を細め、穏やかな表情で私を見つめている。この顔、反則だと思う。シュヴァルツにこういう顔されると、どう反応して良いのか分からなくなる。直視出来ないじゃないか!
「ああ、済まない。……祝いの品は、マジックアイテムや魔道書にすれば良い。他国の王達も、嬉々として贈って寄越すだろう」
「……良いの?」
「良いも何も、祝いの品はアオイへの贈り物だ。お前が役に立つと思う品を求めれば良い。誰に何を求めるかは、ラインヴァイスが相談に乗る」
「うん。……あの。また剣、教えてくれる? 魔術も……」
「ああ。中途半端な力では身を滅ぼしかねんからな。教えられる事は教えよう」
「ありがとう」
私が微笑むと、シュヴァルツが真顔で小さく頷いた。この顔、私が魔術や剣を再開する事、手放しで賛成は出来ないようだ。心配、してくれているんだろうな……。
でも、シュヴァルツが私を守りたいように、私だってシュヴァルツを守りたい。それに、私には友達だっている。お世話になっている人達だっている。そういう人達を守りたい。みんなの笑顔を守りたいんだ。




