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看病 1

 私は城の薔薇園に立っていた。この間の夢に出てきた美少女が、不安そうに私を見つめている。ああ、これは夢なんだと、やけに冷静に想う。それよりも、一体この子は誰? 「貴女は誰?」と問い掛けようとした瞬間、少女の身体が炎に包まれた。青白い炎に巻かれ、少女の悲鳴が聞こえた気がした。そして、少女が私に助けを求めるように手を伸ばす。私に何が出来る訳でも無いが、私は咄嗟に少女の手を掴んだ。その瞬間、私の身体も炎に包まれる。熱さで息が出来ない。肌が焼け落ちる激痛に、私はのたうち回った。


 ハッと目を開けると、真っ先に目に入ったのは天蓋だった。血のように赤い、真紅の天蓋。そして、少し顔を横にずらすと、大きな出窓が見えた。真紅のカーテンの掛かった出窓からは暖かな日の光が差し込んでいる。


 良かった。私は安堵の息を吐いた。夢だと分かっていても炎に巻かれるなんて怖い。怖すぎる。震える身体を小さく丸め、ギュッと抱きしめた。涙が出そうだ。震えが止まらない。夢だと分かっていたのに熱かった。息が出来なかった。肌が焼ける感覚とか、凄くリアルだった。思い出した途端、耐え切れない吐き気が私を襲った。


 私はベッドから転がり落ちるように降りると、這うようにして洗面所へ向かった。そして、洗面台の水栓を全開にすると、胃がひっくり返りそうな感覚と戦った。苦くて酸っぱい液体しか出てこない。そりゃそうだ。昨日から何も食べていないんだから。吐き気がひと段落すると、口を漱ぎ、棚から引っ張り出したタオルっぽい布で口元を拭った。動く気力もなくて、洗面台にもたれ掛るように座り込む。何で私がこんな目に――そう考えると、堪え切れなくて涙が頬を伝った。口からは嗚咽が漏れる。


「どうした」


 私がのろのろと顔を上げると、洗面所の入り口で、シュヴァルツが傲慢そうな視線を私に向けていた。その隣には、ホカホカと湯気の立つコップが乗ったお盆を持ち、驚いたような表情をしているラインヴァイスもいる。いつからいたんだろう、この二人……。


「あっち、行ってて……」


 泣いているところなんて見られたくなくて、私は膝に顔を埋めた。体調を崩した事も、泣いているところを見られた事も、全てが情けなくて余計に泣けてくる。涙が止まらない。


 声を押し殺して泣いていると、私の目の前に誰かが跪いた。少しだけ顔を上げると、黒い服と白いマントが視界に入る。シュヴァルツだ。何でこっちに来る。あっち行ってろって言ったじゃん! 私はシュヴァルツの視界から一刻も早く逃れたくて、力の入らない身体に鞭打って、フラフラとした足取りでベッドに戻り、頭から掛け布を掛けた。もう寝よう。そう思うが、ふと、この二人、何しに来たんだろうと気になった。


 恐る恐る掛け布から目だけ出す。呆れたように私を見下すシュヴァルツと、困ったような表情でお盆を持つラインヴァイスがベッドの傍らに立っていた。


「薬湯を持って来てやったというに……」


 シュヴァルツが溜め息交じりに言う。ああ、お薬。そう言えば、さっきそんな事を言っていたような気がする。でも、いりません。何が入っているか分からないから。


「いらない」


 私はそう言うと、再び頭から掛け布をかぶって目を閉じた。風邪なんて自力で治してやるんだから。たくさん寝ればきっと治るもん。怪しげな薬なんていりません。


 シュヴァルツが盛大に溜め息を吐いた。良かった、諦めた。そう思った瞬間、ギシッとベッドがきしみ、掛け布が引っぺがされた。さ、寒い。病人に何て事するんだ!


 私が驚いて目を開けると、シュヴァルツのお綺麗な顔がすぐ目の前にあった。私の顔の両脇にシュヴァルツの手が置かれる。そして、シュヴァルツは私の身体を馬乗りに近い体勢で跨いだ。うぎゃっー!


「いい加減にしろ、小娘が!」


 そう言ったシュヴァルツの声は明らかに苛立っていた。ただでさえ険しいシュヴァルツの顔が、更に険しさを増している。こ、怖い……。


「りゅ、竜王様!」


 ラインヴァイスが慌てたように叫ぶ。そりゃ慌てるわな。自分の上司が急に女の子に馬乗りになっても慌てなかったら、そりゃ相当の大物だよ。


「薬なんていらない」


 私はシュヴァルツから顔を背けた。苛立つシュヴァルツが怖いのと、お綺麗な顔が間近にある緊張で咄嗟に身体が動かなかった。口をへの字に曲げて、顔を背けるくらいしか抵抗できなかったのが悔しい。


 しかし、私の些細な抵抗は、シュヴァルツの手によっていとも簡単に阻止された。最悪な事に、シュヴァルツは私の口元を片手で押さえたと思ったら、力ずくで自分の方へ向くように私の顔を戻したのだ。首と顎が痛いじゃないか! 何するんだ!


「小娘。薬湯を自ら飲むのと無理矢理飲まされるの、どちらが良い」


 シュヴァルツは無表情にそう言った。む、無理矢理って……。あんなに湯気が立つ薬湯を? 確実に口の中、大火傷するよね? 正気ですか?


「い、いらない。何が入っているか分からない薬なんていらない!」


 私は口を塞いでいたシュヴァルツの手をむしり取ると、大声で叫んだ。何故か、シュッヴァルツもラインヴァイスも眉を顰めている。


「どういう事です?」


 口を開いたのはラインヴァイスだった。どういう事も何も、貴方が手に持っている薬は何から出来ているかって事ですよ!


「貴女のいた世界では、薬草から薬を作る習慣は無かったのですか?」


 漢方薬とかも薬草だから習慣はある。だから、私は首を横に振った。


「それ、へ、変な動物とかも入っているんでしょ?」


「変な動物ですか?」


 ラインヴァイスはキョトンとした表情で私を見つめている。


「そ、そうよ。ナントカの爪とか、ナントカの目玉とか。昨日のご飯だって変な動物だったし、入っているんでしょ?」


 ジズだか何だか知らないが、鳥だかモンスターだかよく分からないお肉を食べる世界だ。絶対に変な動物が入っている。……昨日のご飯を思い出したら吐き気がしてきた。私は両手で口を押さえると、こみ上げてくる吐き気と戦った。


「……そう言う事か」


 シュヴァルツは納得したのか、溜め息交じりに呟くと、私の上から降りた。そして、私に掛け布を掛ける。


「何が入っているかが分かれば飲むのだな」


 いや、そうは言うけど、変な物が入っていたら飲まないよ、絶対。でも、草っぽい物だったら大丈夫かな。でも、元の世界では毒のある植物もあったしなぁ……。うーん、悩むなぁ。


「ラインヴァイス。フォーゲルシメーレに薬湯に入っている薬草を全て持って来るように伝えろ」


「は、はい!」


 ラインヴァイスは慌てたような返事と共に、フッと虚空に姿を消した。シュヴァルツはというと、ベッドの脇の椅子に腰かけ、足と腕を組んで出窓の外を眺めている。綺麗な横顔が、柔らかな日差しを受けてとても幻想的だ。今、イーゼルとキャンバスがあったら良い絵が描けそうな気がする。


 暫くすると、扉をノックする音が響き、シュヴァルツが「入れ」と返事をすると、ガチャリと鍵を開ける音が響いた。大きな扉から入って来たのはラインヴァイスとフォーゲルシメーレだ。フォーゲルシメーレの手には、コンビニ袋くらいの大きさの布袋が握られている。


「失礼致します。こちらが、薬湯の中身でございます」


 フォーゲルシメーレは布袋の中身を次々と私の枕元に置いたお盆に並べていった。小さな白い花がついた植物や薄紫色の花がついた植物、葉だけの植物も色々な大きさや形がある。乾燥させた赤い実、アーモンドっぽい茶色い実や何かの根を乾燥させた物、木の皮っぽい物を乾燥させた物もある。全てが植物から採った薬草みたい。


「本当に、ほんとーに、これで全部?」


 実は虫入りとか、変なモンスターの身体の一部とか入っていても困る。念には念を入れておかないと。


「ええ。こちらで全てとなっております」


「本当に? 絶対?」


「これ以外は入れておりません」


 疑り深い私に気を悪くする事無く、フォーゲルはにっこりと、とろけるような笑顔で頷いた。その視線は、何故か私の首筋にいっている。こ、怖いよ、この人。


「嘘、吐いて無いよね?」


「やけに疑っていらっしゃいますが、何かありました? 彼はこれでも腕の良い薬師なのですよ?」


 ラインヴァイスが小首を傾げた。こういう仕草が似合う少年って可愛いね。癒されるなぁ。


「指、舐められたの。変態は信用出来ないの」


 私はジト目でフォーゲルシメーレを見つめた。彼の視線は、未だに私の首筋に首っ丈だ。


「え……」


 ラインヴァイスが、ドン引きした表情でフォーゲルシメーレを見つめる。こういう表情も似合うのね、少年。フォーゲルシメーレは、ラインヴァイスのドン引き視線に気が付くと、慌てたように首を横に振った。


「あ、あれは、血を頂いて現在の状態に合う薬湯を作る為で……!」


 フォーゲルシメーレの言葉に、ラインヴァイスは納得したように、あぁと頷いた。


「彼はヴァンパイア族ですから。血の味からその人の体調を見分ける事も出来るのですよ」


 ラインヴァイスのフォローに、フォーゲルシメーレはこくこくと頷いている。必死の形相だ。それより、フォーゲルシメーレってヴァンパイアだったんだ。まあ、なんとなく予想はしていたけど。


「でも、一滴って言ったのに、指、舐め回された。言った事守れない人も信用できないの」


 私の爆弾投下で、ラインヴァイスとフォーゲルシメーレの表情がピシリと音を立てて凍り付いた。


「フォーゲルシメーレ?」


「は、はい?」


「女性の血の味に魅せられないよう、あれ程、自制の仕方を教えましたよね?」


「え、ええ……」


「自制、出来なかったのですか?」


 静かに問い掛けるラインヴァイスの顔が怖い。口元は笑っているのに、目が笑っていないんだもん。ラインヴァイスの迫力に押され、フォーゲルシメーレがじりじりと後退っている。


「ラインヴァイス」


 沈黙を守っていたシュヴァルツが静かにラインヴァイスを呼んだ。スッと目を細めた不機嫌そうな表情は、それはそれで怖いものがある。


「はい」


「フォーゲルシメーレを躾け直せ。ノイモーントもだ」


「かしこまりました」


 ラインヴァイスは優雅な仕草で頭を下げると、悲壮な表情のフォーゲルシメーレの首根っこを掴み、扉目指してずるずると彼を引きずって行く。意外な事に、ラインヴァイスとフォーゲルシメーレとノイモーントの三人では、一番若く見えるラインヴァイスの立場が一番上らしい。人は見た目によらないね。そんな事を思いながら、扉から出て行く二人を見送った。


「小娘」


 唐突にシュヴァルツに呼ばれ、ハッと我に返った。やっぱり薬、飲まないとダメ? 私、雑草と薬草の見分けなんてつかないし、あの中に毒のある草が入っていたとしても分からない。信用、しても良いのかな? うーん……。チラッとシュヴァルツの顔色を窺うと、その目が「早く飲め」と言っていた。変な圧力、掛けないで欲しい。


「わ、分かったわよ。飲むわよ! 飲めば良いんでしょ!」


 えぇい! 女は度胸だ! 私はベッドから上体を起こし、腰に手を当て、生ぬるくなった薬湯を一気に飲み干した。ほろ苦さとスーッとした爽やかな味が口に広がる。薬湯というからどんな不味い物かと思ったが、ハーブティーに近い味だった。温かかったらもっと美味しかったかもしれない。私が薬湯を飲み干した事を確認したシュヴァルツは、私の手からコップを取った。


「また後で来る」


 シュヴァルツはそう言うと身を翻し、姿を消した。また後で来るって……。もう来なくて良いです。心の中でそう毒を吐きつつ、私はベッドに横たわり、静かに目を閉じた。


 暫くするとぽかぽかと暖かく、いや、暑くなってきた。暑い! 汗が止まらない! 半分寝ぼけながら「うーん」と唸り声を上げて掛け布を手で撥ね退けた。ひんやりとした空気で手がスーッとする。再び眠りに入ろうとウトウトしていると、掛け布から出した手が誰かに握られた。そして、掛け布の中に戻される。暑いんだから余計な事しないで欲しい。私は冷たい場所を求めて寝返りを打った。


 突然、額にひんやりとした大きな手が置かれた。冷たくて気持ち良い。私がその手を求めるように仰向けに寝返りを打つと、冷たい物が額に当てられた。誰かが看病してくれているみたいだけど、瞼が重くて目が開けられない。誰だろう? 夢と現実を行ったり来たりする私の頬に、ひんやりと大きな手が触れる。額の冷たい物も気持ち良いけど、こっちの手も気持ち良い。私が頬に触れている手にすり寄ると、その手は驚いたように突然離れた後、私の頬を優しく撫でてくれた。どこからか薔薇の良い香りがしている。まるで薔薇園にいるみたい。心地良い香りと共に、私は深い眠りに落ちた。

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