準備 1
一ヶ月ほど経っても、私の記憶は完全には戻っていなかった。説明しづらいが、記憶にもや~っとしたものが掛かっていて、思い出すのに時間が掛かったり、思い出せても漠然としていたり、一部の記憶が抜けていたり。そんな状態が続いている。
そんな中でも、着々とお披露目の日は近づいている。そのはずなのに、周りのみんなからは、そんな気配は微塵も感じられなかった。きっと、水面下では準備を進めているのだろうが、私が不安になったりしないようにと、上手く隠してくれているんだと思う。
今日だって、午前中はシュヴァルツと一緒に農園を見て回って、午後は図書館で勉強するアイリスちゃんを温かい目で見守りつつ、絵を描いたり、本を読んだり、ラインヴァイス君とアイリスちゃんと私の三人で、部屋でお茶をしたり――。ダラダラ過ごしているなって、自分でもそう思う。
朝晩の食事はシュヴァルツと一緒に食べているが、彼は少しでも時間が空くと私に会いに来てくれる。彼だって、お披露目の準備やら何やらで忙しいはずなのに。私と信頼関係が築けるよう、そうしてくれている事が伝わってくるだけに、彼には感謝しきりだ。
このまま無為に過ごしていても、お披露目の日はやって来る。だったら、そろそろ準備、始めても良いんじゃないかって、自然とそう思えるようになったのはいつの頃からだろうか? つい最近の気がするけど、初めからお披露目に対しての抵抗感は無かったし……。
「私、そろそろお披露目の準備したい」
夕食時、私は思い切ってシュヴァルツにそう訴えた。彼は驚いたように少し目を見開いた直後、フッと笑みを浮かべた。何だか嬉しそうな笑い方。もしかしたら、私からそう言い出すなんて想定していなかったのかもしれない。
「そうか。では、明日より始めるか」
「うん!」
シュヴァルツの言葉に、私は満面の笑みで頷いた。まずは何から始めれば良いのかな? ドレス? アクセサリー? 会場の下見? ……いや。会場の下見はまだまだ先か。きっと、お披露目の会場設営が終わってからだろうしね。
「アオイ様。こちらなど如何ですか?」
ローザさんがネックレスと、それとお揃いのデザインの耳飾りとブレスレットを私の前に置く。ルビーみたいな紅い石で花をかたどったデザインはとても可愛らしい。でも、何か違う。
「ん~。こういうのじゃなくってぇ……」
私は今、お披露目の準備をしている。とは言っても、鏡台の前に座り、ローザさんが持って来てくれたアクセサリーを眺めているだけなんだけど。本来ならこれ、つけてみないといけないのだろう。でも、そんな気になれない。
「こちらは?」
次にローザさんが置いたのは、深い青色の石を雫形にカットし、薄い水色の石を周りに散りばめたデザインのネックレスだった。この石の色、ブロイエさんを彷彿とさせる。
「これは嫌」
「では、こちらは?」
こうして、次々とアクセサリーを見せてもらうも、これだというのが無い。何か、私の思い描いている物と違う気がする。
「こういうのじゃないんですよぉ!」
「はあ……?」
ローザさんは不思議そうに首を傾げた。そりゃ、分からないよね。私にも分からないんだもん。でも、コレジャナイ感が半端無いんだ。
「こういう豪華な感じじゃなくて、もっと、こう、清楚な感じで――」
必死にコレジャナイ感を説明していると、部屋の扉をノックする音が響いた。ローザさんが扉まで行き、来客者を招き入れる。訪ねてきたのはノイモーントさんだった。彼は私がお披露目で着るドレスのデザイン担当である。私が気に入ったドレスを仕立ててくれるらしく、たくさんのデザイン画を持って来てくれた。
私は、ソファに通されたノイモーントさんの正面に腰を下ろした。すかさず、ミーちゃんが私の膝の上に乗る。邪魔だけど、どかしてもしつこく乗って来る。私はミーちゃんのソファじゃない! でも、可愛いから許す。私はミーちゃんの背を撫でながら、ローテーブルの上に並べられたデザイン画に目を通し――。
「コレジャナイ……」
がっくりと項垂れた。そんな私を見て、ノイモーントさんもがっくりと項垂れる。彼のデザインしたドレスは、どれもこれも申し分ない程ゴージャス仕様だ。お披露目は、他国の王様までもが来るらしいが、衣装のゴージャスさでは決して見劣りするなんて事は無いだろう。たとえ、貧相な私が着ていたとしても。
まさか、シュヴァルツがこの国の王様だったなんてね……。私はそれを知った時、飛び上がる程驚いた。小さい頃、シンデレラストーリーには憧れていたけど、まさかそれが実現するなんて……。しかも、異世界で。世の中、奥が深い。
驚いた事といえば、実はもう一つある。それは、この世界の結婚と元の世界の結婚の違いだ。この世界では、契約印を貰って初夜を迎えると結婚した事になるらしい。つまり、お互いの同意と身体の関係が重要で、元の世界のように書類を出したり結婚式をしたりなんて事は無いらしい。その代り、夫婦になった事を事後報告的にお披露目するパーティーをするんだけど……。
「結婚式、したかったのになぁ……」
私がポツリと呟くと、ローザさんとノイモーントさんが顔を見合わせた。聞き慣れない単語を聞いたぞ、みたいな顔をしている。そりゃ、習慣が無ければ無理も無い。
「そのような式をされる習慣があったのですか?」
そう私に聞いてきたのはノイモーントさんだ。私はこくりと頷き、溜め息を漏らす。私だって女の子だもん。ウェディングドレス、着てみたかった。白無垢でも可。
「まさか、式も挙げずに夫婦になるなんてさ……。そりゃ、お披露目があるって言えばそれまでだけどさ……。披露宴だけじゃん、それじゃ……」
「そんなに重要な式なのですか?」
「重要と言うか、夢と言うか……。つかぬ事をお聞きしますが、お披露目のドレス、白一色じゃ駄目ですか?」
「白一色?」
ノイモーントさんは驚いたように目を見開いた。そりゃ、これだけ派手派手なドレスを考えてくれているのに、私が白一色のドレスを希望したら驚くだろう。そう思うけど、やっぱりウェディングドレス着たいんだもん。きっと、アクセサリーを見てもピンと来なかったのは、ウェディングドレス着たかったなぁ、なんて思ってしまっていたからだ。パールっぽいネックレスがあったら、迷わずそれを選んでいた自信がある。
いいや。もう開き直ろう。誰が何と言おうと、私はウェディングドレス以外着たくない! 私はウェディングドレスを着てお披露目に出る! 決めた! 今決めたぞ!
「そうです。元の世界で、結婚式の時に花嫁が着るドレスなんです。純白のドレスで、小さい頃からずっと憧れていたんです! それ、どうしても着たいんです!」
「白……」
ノイモーントさんは、手元のデザインがに目を落とし、暫くの間、黙りこくった。こんなに凝ったデザインを考えてくれていたのに、気を悪くさせちゃったかな……?
「他の色は全く使わないのですか? 白のみ、ですか?」
顔を上げたノイモーントさんは、真剣な眼差しをしていた。こういう顔をしていると、仕立て屋さんも職人さんなんだなぁって、しみじみそう思う。彼は今、職人らしい、仕事に打ち込む男の顔つきになっている。
「そうですね。物によっては淡い色を使う事もありますけど、私は白一色が良いです。レースとかも白で、頭にはヴェールを被って――」
「ヴェール? 顔を隠すと?」
「え? あ~。そこまで長くなくても……。頭の飾りに、スケ感のあるレースが垂れ下がっているような感じで……」
ああ、もう! 口で説明するの、面倒臭いな。
「ちょっと待ってて下さい」
私はサイドボードから紙と木炭を取り出し、簡単にウェディングドレスの絵を描いた。何故か、小さい頃にお父さんとお母さんの結婚式の写真で見た、お母さんのウェディングドレスに近いデザインの絵に仕上がってしまった。私の中のウェディングドレスのイメージって、あれみたい。でも、古いデザインだし、それを着たいかって言われたら、う~んってなるけど。
描いたウェディングドレスの絵に、重要事項の注釈を入れていく。白一色、頭にヴェール、長袖か手袋で腕は隠す、と……。
「こんな感じです」
「地味ではないですか?」
「まあ、簡単に描いただけですから。詳細なデザインはお任せします。透明な石くらいだったら使っても良いですし、白い糸だったら刺繍も良いですし……」
「分かりました。いくつかデザインを考えてみます」
「はい。お願いします」
私がぺこりと頭を下げると、ノイモーントさんが少し表情を曇らせた。こう、悲しいような、寂しいような、そんな顔をしている。
「あの……何か?」
「いえ……。分かっていた事とはいえ、少し寂しいな、と……」
「はい?」
「話し方、余所余所しいなどと思ってしまって……。交流の記憶が無ければ、他人と変わりない事は分かっているのですが……」
余所余所しい、か……。ノイモーントさんと私、性別や年齢差を考えると、お友達って事は無いだろう。でも、それなりに親しい間柄っぽいし、そう思わない方がおかしいのかもしれないな……。
「私、貴方の事、何て呼んでいたんでしょうか?」
「ノイモーント、と」
「ノイモーント……」
私は彼の名をポツリと呟いた。何となく、しっくりくる呼び方だ。こう、前から知っているような、そんな感覚。ヴォルフもそうだけど、年上の人を呼び捨てにしていたなんて、相当砕けた間柄だったみたい。たぶんだけど、彼らとは、夫の部下という関係だけでは無い気がする。それこそ、友達に近い、フランクな付き合いだったのかもしれないな。
「ねえ? 私、また貴方の事、呼び捨てにしても良いのかな? 話し方も崩しても良い? 嫌?」
「いえ。是非そうして下さい」
ノイモーントは、凄く嬉しそうな笑みを零した。彼の顔を見ていると、もっと早くこういう話をしておけばよかったかなと、ちょっと後悔した。それこそ、私の状態を診てくれた時にでも確認しておくべき事だったのかもしれない。
もしかしたら、他の人達も、ノイモーントと同じような思いをしているのかもしれない。アイリスちゃんやラインヴァイス君、フォーゲルシメーレさん辺りは、呼び捨てにしていた可能性が高い。デッサンの枚数、結構あるし。せめて、みんなの呼び方だけでも記憶を失う前と同じにしたいな。
……いや。それだけじゃ駄目だ。呼び名だけ元に戻しても、私にはみんなとの記憶が無い。だったら、初めて会った時の事だったり、何か印象的なエピソードだったりを確認しなきゃ。それが切欠になって記憶が戻るかもしれないし。お披露目の準備と並行して、こっちも頑張ろう! お~!
ノイモーントさんが去り、ローザさんとお茶休憩をしていると、シュヴァルツが部屋に姿を現した。ローザさんが立ち上がり、彼のお茶を淹れてくれる。私には真似出来ない素早さだ。私のお尻には根っこが生えているので、お茶の準備、お願いしますね。
「時間、空いたの?」
「ああ」
シュヴァルツは頷きながら私の正面の席に腰を下ろした。彼は結構頻繁に、こうして会いに来てくれる。時々、本などのお土産を持って。因みに、私が一番驚いたお土産は、イーゼルやキャンバス、筆、絵の具用の顔料と溶剤とそれらの作り方や使い方が記されたノートといった、絵描き道具一式だ。何でも、私が欲しがっていたらしく、一緒に探しに行ったらしい。その出先で夫婦になって、次の日に私が攫われたとか何とか。そういう話を聞くと、朧気ながらも、そんな事があったような……と思い出せた。シュヴァルツと話をしていると、忘れている事を何となくでも思い出せるから、こうして頻繁に会いに来てくれるのはとても嬉しい。感謝感謝だ。な~む~。
「ノイモーントから聞いた」
「何を?」
「白一色の衣装を希望したそうだな」
「ダメ?」
「地味だろう」
シュヴァルツは腕を組み、フンと鼻を鳴らした。彼は派手派手ドレスの方がお好みらしい。でも、ウェディングドレスだけは譲れない。絶対に着るって決めたんだから。ついさっき。
「そんな事無いよ! 当日、白い衣装を着るのを禁止すれば良いんだもん。ドレスコードだよ、ドレスコード! 派手な衣装より目立つよ、きっと」
「ラインヴァイス様はどうなさるのです? 騎士服、白ですよね?」
私の反論に、ローザさんがもっともな疑問を投げかけた。そう言えば、すっかり忘れていたけど、ラインヴァイス君の服も白だった。お披露目の当日、あれ、着るのかな?
「ラインヴァイス君、他の色の服、持ってないのかな? あの服じゃ、シュヴァルツと被っちゃう」
「待て。何故、私が白い衣装を着る事になっている」
「だって、新郎は白い衣装着るものなんだもん。花嫁とお揃いの、真っ白い衣装だよ」
「揃いの衣装……」
「そうそう。私とお揃い。……お揃い、嫌?」
「悪くない」
「わ~い!」
よし! シュヴァルツは丸め込めた。残る問題は、ラインヴァイス君の服かぁ。灰色……。銀色……。ベージュ、は無いな……。水色……。う~ん……。
「ラインヴァイス君、何色にしようか? 灰色、かな?」
「それが妥当だろう」
「灰色一色だと被り気味だし、ズボンは黒にしてもらう?」
「ああ。好きにしろ」
うん。速攻で問題解決。お披露目当日のラインヴァイス君の服は、灰色の上着と黒いズボンに決まった。と言うか、勝手に決めた。ごめん、ラインヴァイス君。ノイモーントに、丹精込めて新しい服作ってもらうから。だから許してね。
「お披露目のシュヴァルツの衣装、私がデザインしても良い?」
「アオイが、か」
「うん。シュヴァルツにね、タキシード着てもらいたいの。でも、こっちの世界にそういうデザインの服があるか分からないし、私が絵、描いた方が確実だろうから」
「そうか。ノイモーントに伝えておこう」
「うん。ありがとう、シュヴァルツ」
私がにこりと笑うと、シュヴァルツも口の端を上げた。こうして彼と笑い合って、ずっと一緒に過ごせたら幸せなんだろうな。そう思うのに、出来ればお父さんとお母さんにも私の花嫁姿、見てあげたかったなぁなんて……。私、我儘で欲張りなのかな……。




