中央神殿 4
私は窓辺に椅子を移動し、夕闇に飲み込まれる街並みをボーっと眺めていた。お腹、空いたな……。夕飯が出なかったのかって? 違う。食事は出してもらえた。しかし、私はそれを食べなかったのだ。だって、今日のメイン、得体の知れない生物のお肉だったんだもん。べへモスって、何? 他のも何が入っているか分からないから、食事には一切手を付けなかったのだ。
シンと静まり返る部屋に、私のお腹の音が虚しく響く。ああ、から揚げが食べたい……。トンカツ……。ラーメン……。いかん、いかん。お腹が空いているせいか、食べ物の事ばかり考えてしまう。
ふと、視線を胸元へ移す。すると、薄暗い室内でも目を凝らさないと分からないくらい僅かだが、胸の辺りが何やら光っていた。……何、これ? 恐る恐る服の中を覗き込むと、得体の知れない光の正体はネックレスだった。こんなネックレス、してたんだ……。私は首からそれを外し、掌に乗せてまじまじと見た。
複雑怪奇な意匠の土台に、つるんとした青い石が嵌っている。でっかい石。こんなお高そうな物、私が持っているなんて……。石の部分が淡く光っているが、何だろう? 何で光ってるんだろう? 夜になると光るのかな、この石。
ネックレスを観察する私の膝の上に、ミーちゃんが飛び乗った。私同様、ミーちゃんもネックレスに興味津々。私の掌の上のネックレスに鼻先をくっつけるくらい顔を近づけ、ジッとそれを観察している。と思ったら、徐にミーちゃんがネックレスの石の部分に手を乗せた。
『繋がった!』
突如聞こえた声に、ミーちゃんの尻尾がボンと膨らんだ。驚いたらしい。ネックレスを威嚇するように唸るミーちゃんをなだめるように、私はその背を撫でた。
ネックレスに視線を戻すと、石に人影が映し出されていた。何、これ? お高そうなネックレスは、魔法のアイテム的な物だったの?
『アオイさん! 大丈夫っ?』
石に映し出されている人は、年の頃なら三十代後半だろう。濃紺色の髪と瞳のかなりのハンサムさん。見覚えは無いけれど、この人の顔を見た瞬間、私は何故だか妙にホッとした。レイガスさんを初めて見た時よりも安心した。何でだろう? レイガスさん、私の恋人だって、そう言っていたのに……。あの人を見ても何も思わなかったのに、今、目の前に映し出されているハンサムさんを見た瞬間、涙が出るほどホッとした。
『泣いてるの? 大丈夫? 何かされた?』
ハンサムさんの問い掛けに、私はフルフルと首を振った。何もされていない。強いて言うなら、メーアと喧嘩して怒られたのと、夕食に食べられそうな物を貰えなかったくらいだ。
ハンサムさんを見て分かった事がある。私はたぶん、この人を知っている。記憶を失う前、何かしらの交流があった人なのだろう。そして、この人は私の事を本気で心配してくれている。そんな気がする。
「あの……。貴方は?」
私が問い掛けると、ハンサムさんは驚愕に目を見開いた。もう、あらんばかりに。目玉、落ちちゃうよ?
『僕の事、分からないの?』
「……はい」
この人の事を忘れてしまっている事に罪悪感を覚える。何で忘れちゃったの? 自分自身が情けなくて、目から涙が溢れた。
『泣かないで。いい? よく聞いて。シュヴァルツとラインヴァイスがそっちに向かった。アオイさん、窓から離れてて。出来れば、ベッドの下にでも隠れて』
「はい」
何故か、ハンサムさんの指示には素直に従う気になる。レイガスさんやメーアには、反発心しか無かったのに……。この人、私の何?
「……貴方の名前を、聞いても良いですか?」
『ブロイエ、だよ』
「ブロイエさん……」
私は彼の名を呟いた。記憶に無い人なのに、前から知っているような、そんな親近感が湧く。記憶を失う前、こうして名前を呼んでいたのだろうか? 私は映像の消えたネックレスを両手で握り締め、目をつぶった。
きっと、ブロイエさんは悪い人じゃない。私の直感がそう言っている。彼の指示に従わないと! ベッドの下、隠れなきゃ! 私はネックレスを首に掛け、膝の上のミーちゃんを抱え上げると椅子から立ち上がった。そして、真っ白いベッドの下に潜り込む。うわっ! ベッドの下、汚っ! 埃だらけじゃない! 掃除係り、手抜きしてんじゃないの? 体中、埃だらけになっちゃう!
ミーちゃんと共に、暫くの間ベッドの下に隠れていると、外から轟音が聞こえた。何かが砕け散る音も。まるで、巨大なガラスに何かをぶつけて粉々に砕いたような、そんな音だ。何? そう思って、ベッドの下から顔を出そうとした瞬間、轟音と共に部屋の壁が砕け散った。
大小様々な瓦礫が部屋の中に飛び散る。これ、ベッドの下にいなかったら、大怪我してたんじゃない? ブロイエさんの指示に素直に従って良かったぁ。
私はベッドの下から這い出すと、変わり果てた部屋の中を呆然と見回した。床には瓦礫が散らばり、テーブルセットはひっくり返り、クローゼットはボコボコ。ソファに窓の木枠が刺さっているんですが……。
私は壁の大穴に近づき、恐る恐る外の様子を窺った。さっきの爆発、ピンポイントでこの建物を狙ったらしい。というか、この部屋を狙ったらしい。建物の他の部分は無傷だし、町にも被害は無い。良かったぁ。ふと、目を移した先――大通りには逃げ惑う人々。外は大騒ぎになっている。
視界の隅に動くものを捉え、私はそちらに視線を移した。白い……鳥? いや、違う。あれはドラゴン! 真っ白いドラゴンだ! ドラゴンは下から放たれる魔術の光を器用に避けながら、こちらに向かっているようだった。
よく見ると、ドラゴンの背に黒い人影が。そう言えば、ブロイエさんがさっき言っていた。シュヴァルツさんとラインヴァイスさんがこちらに向かった、と。という事は、あの人影がその二人のうちのどちらかなのだろうか?
部屋の外からバタバタと騒がしい足音が聞こえ、扉が乱暴に開け放たれた。そこにはガイさんとレイガスさん、メーアの姿。そんな、血相を変えて来なくても……。
「アオイ殿! こちらへ!」
「嫌っ!」
ガイさんに腕を掴まれ、私は反射的にその手を振り解いた。ガイさんは、自身の手と私の顔を呆然と見比べている。……申し訳ない事をしてしまった。突然の事に驚いただけなんだ。ごめんよ、ガイさん。
突如、メーアに突き飛ばされ、バランスを崩した私は床に尻餅をついた。さっきのお返しなのだろうか? そう思ったが、違ったらしい。メーアは私に目もくれず、大穴から外を鬼の形相で睨んでいた。こわっ! 顔、こわっ!
「竜王じゃと! 何故!」
りゅーおー? 何だ、それ。よく分からない単語を叫んだメーアは、悔しそうに爪を噛んでいる。お行儀の悪い女だ。その隣では、レイガスさんもメーアと一緒になって外を睨んでいた。普通さぁ、恋人だって言うならさぁ、こういう場面だと立ち上がるのに手を貸してくれるものじゃないの? まあ、良いんだけどっ! 独りで立ちあがれるしッ!
レイガスさんが外に向かって手を翳す。すると、魔法陣らしき幾何学模様が虚空に現れた。メーアが一歩後ろに下がる。まさか、ここからあのドラゴンに向かって魔術を放つつもり? そう理解した瞬間、身体が勝手に動いていた。
「止めて!」
叫び、レイガスさんの腰に思いきり飛びつく。その衝撃に耐えきれず、レイガスさんは床に尻餅をついた。その拍子に集中が切れたのか、魔法陣も消える。
「何のつもりです?」
「攻撃したらダメ!」
私は壁の大穴の前に、両手を広げて立ち塞がった。何のつもりだったのかなんて、私にも分からない。でも、レイガスさんにあの人を攻撃させてはいけない気がした。私の直感が、止めろと叫んでいた。
「退きなさい」
静かに、しかし、苛立ちを隠さずに言ったレイガスさんの声は氷のように冷たかった。背筋が凍りつきそうな程。こういうタイプの人は、感情的になってくれた方が逆に怖くない気がする……。脚、震える……。
「ど、退きません……」
「退け」
蛇に睨まれた蛙って、こんな恐怖を覚えるものなのだろうか? 私はごくりと生唾を飲み込んだ。流石に、私を巻き込むような魔術、使ったりしないよね……? 大丈夫、だよね……?
「アオイ!」
突如、外から私の名を呼ぶ声が聞こえ、私は反射的に振り返った。白いドラゴンとその上の黒い人影がすぐこそまで来ている。ドラゴンの上に乗っている人は、長い黒髪の、男の人に使うのはどうかと思うが、美しいとしか表現しようがない顔をしていた。かなりの美形。大好物。って、違う! 美形に見とれている場合じゃない。あの人、私の知っている人? 私の事、呼んでいたみたいだけど……。
下からドラゴンい向かって次々と魔術が放たれ、避けきれなかった数発がその身体に命中している。しかし、ドラゴンの厚い鱗に覆われた体には傷一つついていない。そのはずなのに、心配になってしまう。怪我、してないよね?
「来い!」
ドラゴンの上のお兄様がこちらに向かって片手を伸ばした。これは……私に跳べって事? この距離を? 無理無理無理。そう思う反面、あの人なら、私をちゃんと受け止めてくれそうな気がする。それに、あの人の元へ行かなくちゃいけないような気もする。
……ええいッ! 私はドラゴンに向けて跳んだ。助走も何もしていないが、思いのほか、大きく跳べた。空に身を躍らせるフワリとした感覚に次いで、抱き留められる衝撃と地に足が付く感触。無事、受け止めてもらえたらしい。顔を上げると、ホッとしたように息を吐いたお兄様の顔のどアップが! この至近距離で美形の顔見るとか、鼻血出ちゃう! 何、このご褒美!
お兄様は支えるようにしっかりと私の腰を抱くと、徐に背中に手を回した。な、何! 何何何っ! アワアワと慌てる私を余所に、彼は私の背中からベリッと何かを引き剥した。
「何だ、これは」
眉間に皺を寄せたお兄様の手にはミーちゃんが。首根っこを掴まれ大暴れしているその姿に、私の目が点になった。
「ミーちゃん……。アンタ、いつからくっ付いてたの……?」
お兄様にミーちゃんを手渡され、私は思わず脱力しながら問い掛けた。ミーちゃんは必死に何かを答えてくれている。猫語で。
「まあ良い。ラインヴァイス。やれ」
そうお兄様が低い声で言うと、それに答えるように白いドランゴンが口を開けた。目の前には大小様々な尖塔形の建物。着工から一世紀以上経っても未完成の、海外の有名な教会を彷彿とさせる形状をしている。
小さな尖塔形の建物の一つに穴が開いていた。あそこが私がいた建物らしい。ほうほう。中央神殿は、中も白ければ外も白いのね。そう感心している私を余所に、ドラゴンの口の中に青白い光が集まっていく。ん? これって……。ま、まさかっ! ドラゴンブレス!
「ちょっと――」
待ったと叫ぶより一瞬早く、ドラゴンの口からブレスが発射された。一番大きな尖塔形の建物を狙って放たれたらしいそれは、物の見事に命中。大きな尖塔形建物だけでなく、その周辺にあった小さな尖塔形建物をも打ち砕いた。
中央神殿は見るも無残な有様になっていた。ブレスの衝撃か尖塔が吹き飛ぶ衝撃かで所々の外壁は剥がれ落ち、その下の石造りが見えている。一番大きな尖塔形建物は下半分くらいしか残っていないし、尖塔形建物の数も三分の一くらいになってしまった。
「何て、事を……」
私はドラゴンの背の上で膝を付き、がっくりと項垂れた。ミーちゃんがそんな私を慰めるように、ザリザリと頬を舐めてくれる。ドラゴンはそんな私の様子を知ってか知らずか、一直線に何処かへと向かった。
ふと顔を上げると、遠目に何かの集団が見えてきた。光の点滅が起こっている。あれは……魔術の光? よく目を凝らすと、集団は大小二つあり、互いに牽制するように魔術を放っているようだった。
ドラゴンが小さい方の集団の中央に降り立つ。すると、お兄様が私を抱え上げ、ドラゴンの背から飛び降りた。次の瞬間、ドラゴンの身体が白い光に包まれ、人の姿になる。そこにはこれまた美形の少年! か、可愛い! この子、可愛い!
私達に気が付いたブロイエさんがこちらに掛けてきた。そして、私の両肩に手を置く。
「良かったぁ。無事で、本当に良かった」
心底ホッとしたような表情で言われ、何だか申し訳ない気分になった。私の事、相当心配してくれていたらしい。
「ごめんなさい……」
項垂れながらそう呟くと、お兄様がポンポンと私の頭を軽く叩いた。驚いてお兄様を見上げると、睨むように私を見下ろしている。気にするなとか、そんな意味が篭っているんだろうけど、こんな怖い顔でする行動じゃないと思う。せっかくの美形なんだから、少しは笑えばいいのに。
お兄様は徐にブロイエさんの手を私の肩からベリッと引き剥がすと、ペッと投げ捨てた。バランスを崩したブロイエさんが数歩、たたらを踏む。いつまでも肩を掴んでいるなとか、そういう事だろうか?
そう言えば、このお兄様と私の関係って何だ? 全く分からない。でも、こうして隣に立っていると凄く落ち着く気がする。
「ブロイエ、撤収だ。とっととゲートを開け」
「はいはい」
ブロイエさんは苦笑すると、手にした杖を掲げた。杖の先の石が淡く光を発し、大きな魔法陣が展開される。
「皆の者ぉ! 撤収~!」
ブロイエさんが声を張り上げると、わらわらと人が集まって来た。緩いウェーブの黒髪をした色っぽいお兄さんや、頬がこけているがなかなかハンサムの耳の長い金髪お兄さん、厳ついおっさんなどなど……。こうして見ると、結構な人数がいたみたいだ。みんなが魔法陣の上に乗ると、ブロイエさんが何かを呟いた。直後、立ちくらみのような酩酊感に襲われ、次の瞬間、私はまたしても知らない場所にいた。
そこは大きなシャンデリアのある広いホールだった。階段には赤い絨毯。おとぎ話に出てくるような、広い、広~いホールだ。ここだったら、舞踏会とかも絵になりそう。……はて? いつかどこかで、同じ事を思ったような……。
ふと、目を移した先、階段の踊り場には大きな絵が掛かっていた。今より少し若いお兄様とさっきの美少年。そして、中央には少し目つきの悪い美少女の描かれた絵。あの子、どこかで……。名前……。確か、名前は……。
突如、激しい頭痛が私を襲った。脳みそを掻き回されるような、そんな頭痛に私は頭を押さえて蹲った。視界が涙で滲む。気持ち、悪い……。何……これ……。




