風邪 2
「ノイモーント、採寸は」
「お、終わりました」
何という事だろう。採寸って、普通はメジャーを当てるものじゃなかった? あんな短い間に採寸が終わるって、どんだけ凄いんだ、異世界。
「そうか。では去れ」
「は!」
ノイモーントは短く返事をし、姿を消した。比喩じゃなく、本当に姿が消えるんだから、異世界って凄い。
「はぁ……」
私は溜め息を吐き、ソファの肘掛けに頭を乗せた。寒いけど、ベッドまで歩くのも億劫だな。ベッドの中なら温かいって分かっているのに、立ち上がれない。私はソファの肘掛けに頭を乗せたまま、左手で右腕を擦った。こんなので暖かくなる訳が無いんだけど、寒いとついついやっちゃうよね。
「寒い、のか……」
シュヴァルツはそう呟き、眉を顰めた。寒いでしょ、この部屋。隙間風でも入ってきてるんじゃない? 眉間に皺を寄せたまま、シュヴァルツが私の目の前に跪き、額に手を乗せてきた。冷たい手。でも、ひんやりしてちょっと気持ち良い。ああ、でも、寒気で背筋がゾクゾクする。でも、気持ち良いな……。
「熱いな……」
シュヴァルツはそう呟くと、私の額から手を離して立ち上がった。そして、暖炉に近づき、暖炉脇の薪を放り込んでいく。暖炉の火が大きくなった事を確認すると、シュヴァルツは私の元へ戻って来た。そして、ソファにもたれる私を見下ろしていたかと思うと、小さく溜め息を吐き、口を開いた。
「フォーゲルシメーレ」
シュヴァルツに呼ばれ、私の目の前に金髪のお兄様が現れた。昨日会った、長い牙のあるお兄様だ。今日は長い牙が無いところを見ると、あれは出し入れ自由なのかもしれない。
「小娘が熱を出した」
シュヴァルツがお兄様に言った言葉に私が驚いた。私、熱あるの? もしかして、朝から寒いのは熱があるせい? なんてこった。自覚したら具合悪くなってきた。寒い。だるい。気持ち悪い。頭痛い。
「薬湯を用意しろ」
「……血を一滴、頂けるのならば」
シュヴァルツと金髪お兄様――フォーゲルシメーレとの間で何やら不穏な会話が……。血って、誰の血? 普通に私の血、だよね……。
「一滴、ね……」
シュヴァルツが剣呑な表情でフォーゲルシメーレを睨んだ。フォーゲルシメーレはというと、何故か私の首筋を見つめている。こ、怖い……。
「血を頂ければより良い薬湯をご用意出来ますが?」
「……指先、ならば」
「ありがたき幸せ」
諦めたようなシュヴァルツの声とは裏腹に、フォーゲルシメーレは嬉しそうな声を出した。ちょっと待て。何、勝手に話を進めているの? 私の意見は? 私の血、なんでしょ?
フォーゲルシメーレは私の前に跪くと、私の手を取り、とろけるような笑みを見せた。何、良い笑顔してんのよ。私は血をあげるなんて、一言も言ってないでしょ!
私が手を引っ込めようとすると、フォーゲルシメーレにグッと力強く手を握られた。ちょ、痛い、痛い! フォーゲルシメーレはそのまま私の手を口元に近づけた。そして、口を開くと、いつの間にか伸びていた長い牙に私の指を浅く刺した。針で刺されたような痛みで思わず手を引くも、フォーゲルシメーレの力強い手にその動きは阻止された。私の指に小さな血の粒が出来るのを、フォーゲルシメーレは恍惚とした表情で見つめている。そして、程よく大きくなった血の粒に口を付けると、スッと目を細め、私の指に舌を這わせ始めた。
え? さっき、一滴って言ってなかった? 一滴って、さっきのじゃ足りないの? 混乱する私をしり目に、フォーゲルシメーレは尚も指に舌を這わせ続ける。
「やっ!」
私が抵抗するより一瞬早く、シュヴァルツが無言でフォーゲルシメーレの頭をわし掴んだ。そして、そのまま床に叩き付ける。あ、床にヒビが入った。だ、大丈夫なの?
「何のつもりだ、フォーゲルシメーレ」
シュヴァルツが静かに問い掛ける。その声は地を這うように低く、ただでさえ悪寒の走っている私の背に、更に悪寒が走った。さ、寒い。凍え死ぬ……。
「も、申し訳ありません。あまりに美味だったもので……」
意外に石頭だったのか、無傷のフォーゲルシメーレも見事な土下座を見せてくれた。今日は土下座日和なんだね。まあ、どうでも良いんだけど。
もういい。疲れた。この二人は放っておいて、このままここで寝よう。そう思って私が目を閉じると、ふわりと薔薇の香りが鼻をくすぐった。うっすらと目を開けると、目の前にはシュヴァルツの綺麗な顔がある。シュヴァルツは私の背中と膝の裏に手を入れると、私を軽々と横抱き――お姫様抱っこをした。
「ちょっ、お、下ろして……!」
私が恥ずかしさのあまり頬を染めると、シュヴァルツはフンと鼻で笑った。嫌味なヤツ……。
「後ほど薬湯を持って来る」
シュヴァルツは私をベッドに下ろすと、掛け布を掛けてくれた。そして、何故か私の頭を撫でる。何、この行動。意味が分からない。シュヴァルツは、ベッドに横たわる私に背を向けると、床で土下座したままだったフォーゲルシメーレの首根っこを掴み、姿を消した。