離宮 1
私とシュヴァルツ、ラインヴァイス、アイリス、ブロイエさんの五人は、竜王城の屋上に来ていた。空に二つある月が両方とも満ち、薄明るい月の光に照らされた森が、おとぎ話の挿絵のよう。でも、幻想的な光景にうっとりなんてしていられない。だって、今日、やっと離宮に行けるんだもん! この日をどんなに待ちわびた事か。
御前試合が終わり、一週間程の間、私はベッドで過ごした。その間に、第三連隊長に格下げになりそうになったフォーゲルシメーレが、第二連隊長に格上げされる見通しだったヴォルフに決闘を挑むなど、面白そうな騒ぎがいくつかあったらしい。しかし、ベッドから起き上がる事が出来なかた私は、そんなお祭り騒ぎにも参加出来なかった。そして、やっと起き上がれるようになったと思ったら、今度は鈍った身体をシュヴァルツとの模擬戦で鍛え直された。それに十日程費やし、やっとこさ体力を回復させて、そして今日! 念願かなって、離宮に行く運びとなったのである。
因みに、ローザさんは今、竜王城にはいない。色々準備があるからと、昨日、一足先にブロイエさんの転移魔法陣で離宮に行ってしまった。私も一刻も早く行きたかったけれど、ローザさんと一緒に行くとは言い出せなかった。だって、私がローザさんと一緒に行くなんて言ったら、シュヴァルツまで付いて来ちゃいそうだから。準備とは具体的に何をするのかは分からないけれど、王様であるシュヴァルツが滞在するのだから、きっと色々あるのだろう。だから、昨日はローザさんと、おもてなし部隊に選抜された第一連隊の面々を笑顔で見送った。「子どもじゃないんだから、一日くらい我慢、我慢」と自分に言い聞かせて。
「早く! 早く出発しよう!」
急かす私を、シュヴァルツが無言で見つめている。その表情はどこか晴れない。シュヴァルツの様子が、朝から少し変だ。今日、シュヴァルツの声聞いて無いんじゃないかな、という疑問が脳裏に浮かぶ程だ。彼は普段からおしゃべりな訳では無いけれど、それに輪を掛けて今日は口数が少ない。
「シュヴァルツ? 何かあった?」
「いや」
シュヴァルツは静かに首を横に振るも、その表情は暗い。どうしたんだろう? 離宮に行けるのを楽しみにしていたのは、私だけだったのかな……? シュヴァルツも一緒に行ってくれるって言ったけど、本当は行きたくなかったのかな……? シュヴァルツのお母さんが使っていた離宮だって話だったし、お母さんとの思い出の場所だから一緒に行きたくない、とか……? なんだか、ちょっと悲しくなってきた……。
「ほら、シュヴァルツ。ちゃんとアオイさんに説明して。アオイさん、不安そうにしてるじゃない!」
ブロイエさんが苦笑しながらシュヴァルツの肩を叩いた。説明って何だろう? やっぱり一緒に行けない、とか……?
「あの、シュヴァルツ?」
おずおずと私が名を呼ぶと、シュヴァルツは少し視線を彷徨わせた。
「離宮へは、私が連れて行く」
「え? あ、うん。そうだろうね」
そりゃ、一緒に行くのなら、シュヴァルツが連れて行ってくれるんでしょうとも。電車だって飛行機だって、この世界には無いんだから。……いや、ブロイエさんに連れて行ってもらうという手もある、か。ローザさんと第一連隊の人達の時みたいに、転移魔法陣で離宮に送ってもらうという方法だ。ブロイエさんの転移魔法陣なら、竜王城の結界を無効化させる必要も無い。けれど、シュヴァルツが連れて行ってくれるという事は、転移魔法陣は使わないのだろう。そして、シュヴァルツ自身の転移魔法も使えないはずだ。この竜王城で転移魔法を使うには、シュヴァルツが管理している竜王城の結界の一部を無効化させなければならないから。
「どうやって行くの? 転移魔法じゃないでしょ? シュヴァルツがいなくなったら、無効化した竜王城の結界、元に戻せないもんね」
「ああ。竜化する」
竜化……。シュヴァルツがドラゴンの姿になるって事? そう言えば、シュヴァルツのドラゴン姿、初めて見るかもしれない。ラインヴァイスは一度だけ見たけど、よくよく考えると不思議な現象だ。人がドラゴンになるんだから。異世界って不思議だらけ。
「じゃあ、私はシュヴァルツの背中に乗って良いの?」
「ああ」
「アイリスとラインヴァイスは?」
実は、今回の離宮滞在は、御前試合の優勝者であるラインヴァイスの旅行も兼ねている。優勝のご褒美だ。因みに、アイリスも御前試合で実況を頑張ったご褒美に、ラインヴァイスの旅行に同行出来る事となった。まあ、アイリスの場合、私に付いて来るか、ラインヴァイスに付いて来るかの違いしか無いのだが……。
「ラインヴァイスも私と共に竜化する」
「そっか。じゃあ、アイリスはラインヴァイスにお願いすれば良いのね」
「ああ」
シュヴァルツは頷き、口を閉ざした。今日のシュヴァルツのテンションは最低だ。どうしてこうなった?
「シュヴァルツ? あんまり気乗りしないならさ、シュヴァルツは竜王城残る? ブロイエさんの転移魔法陣でゲート開いてもらえば、離宮、行けるんだし」
「いや。共に行こう」
そうは言っても、シュヴァルツの顔に気乗りしないって書いてある。これじゃ、せっかくの楽しいお出掛けが台無しになっちゃうよ! 今日の為に、ノイモーントにラッセルボックのリュックサック作ってもらって、日持ちする焼き菓子だって入れて、遠足気分なのに!
「もう! じゃあ、何でそんな顔してんのよッ!」
「アオイさん、怒らないであげて。シュヴァルツはね、不安なんだよ」
「は?」
ブロイエさんの発言に、私の目が点になった。不安て……何が? あ! もしかして、道、分からないとか? いやいやいや。行き方が分からなかったら、わざわざドラゴン姿にならず、ブロイエさんに転移魔法陣で送ってもらうだろうし、それは無い、か……。う~む。シュヴァルツが不安になる事、不安になる事……。さっぱり分からん!
「不安って、具体的に何がでしょう?」
「アオイさんは、シュヴァルツが竜化したところ、見た事無いでしょ?」
「ええ、まあ……」
「シュヴァルツはさ、目つき悪いし、鱗の色が真っ黒という、とっても迫力ある姿なわけだ」
「はあ……?」
「だからね、こういうきっかけが無いと今後もアオイさんにもう一つの姿、見せられないだろうって。本当は、馬車を作ってそれで旅する予定だったのにね。付き合わされるラインヴァイスも災難だよ」
う~む。ブロイエさんの説明、回りくどくてよく分からない。シュヴァルツが目つきが悪いのは既に分かっている事だし、あの目つきがドラゴンになってマイルドになっていたら、逆にそっちの方が怖い。シュヴァルツがドラゴンになったら迫力ありそうだなってのは、容易に想像出来る事だし……。こういうきっかけが無いと、もう一つの姿を見せる機会なんて、そりゃないだろうし……。結局、何で不安なの?
腕を組んで頭を捻るも、答えが全く浮かばない。そんな私を見て、ブロイエさんが苦笑した。
「アオイさんはさ、シュヴァルツが竜化しても怖がらない?」
怖がる? 私が? シュヴァルツを? ……あ! 不安って、ドラゴン姿のシュヴァルツを見て、私が怖がると思っているからなのね。納得、納得。
「怖がりませんよ。だって、ラインヴァイスがドラゴンの姿になったところ、一回だけ見てますから。シュヴァルツのドラゴン姿がどんなのか、大体想像出来ますもん」
「でも、シュヴァルツはラインヴァイスより、かなり迫力あるよ?」
「でしょうね。だって、シュヴァルツですから」
私はブロイエさんに苦笑を返した。シュヴァルツのドラゴン姿、ラインヴァイスみたいにマイルド表情でない事は確かだろうし、体格だって大きいだろう。RPGで言うところの、暗黒ドラゴンとか、邪悪ドラゴンとか、悪役っぽいドラゴン姿なのだろう。何たって、シュヴァルツだし。
「うん。実にアオイさんらしい反応だね」
ブロイエさんはそう言うと、可笑しそうにケラケラと笑った。むッ! 今、ちょっとバカにされた気がする!
「それ、けなしてます?」
「いや。褒めてるんだよ」
「……まあ、良いですけど」
私は小さく溜め息を吐くと、視線をシュヴァルツへと移した。私とブロイエさんのやり取りを、腕を組んで黙って聞いていたシュヴァルツだったが、その表情は普段通りになっている。
「シュヴァルツ、大丈夫だよ。怖がったりしないから。そろそろ出発しよう?」
「ああ」
返事をしたシュヴァルツの足元に魔法陣が広がっていく。だんだんと大きくなっていく魔法陣と黒い光。この黒い光はシュヴァルツの魔力っぽい。契約印の魔力結晶と同じ気配だ。
ゆっくりと黒い光が収束していく。そして、私の目の前には、大きくて真っ黒いドラゴンが、で~んと鎮座していた。予想以上に目つき悪ッ! 無茶苦茶凶悪そうな面構えしてんですけど! そりゃ、私に見せるのを躊躇する訳だ。でも、実にシュヴァルツらしい姿。
「ほ~。凄いねぇ」
私は感嘆の声を上げ、シュヴァルツの脇腹辺りをペタペタと触ってみた。硬い鱗の感触はあるものの、爬虫類と違って体温が感じられる。ドラゴンは変温動物では無いらしい。見た目はでっかいトカゲに翼が生えたような姿なのに。う~む。不思議だ。
「ちょっ! アオイさん、触り過ぎだから」
そうは言っても珍しいんだもん。ついつい、お腹をペタペタ、サワサワ、ナデナデ……。
「見た目が変わっても、シュヴァルツなの、忘れちゃ駄目だよ。シュヴァルツのお腹、どんだけ撫で回すの?」
ブロイエさんに指摘され、私はハッとして手を引っ込めた。そして、恐る恐るシュヴァルツの顔を見上げる。シュヴァルツはと言うと、気持ち良さそうに目を細めていた。お腹、くすぐったくないの? 気持ち良いの? あの顔、怒ってはいないよね? でも、珍しくて、ついつい不躾に撫で回してしまった……。
「シュヴァルツ、あの、ごめん……。つい……」
「いや」
そう答えたシュヴァルツの声は、普段より少しだけくぐもっていたが、それでもシュヴァルツの声だった。身体が大きくなった割に、声質は変わらないのか。不思議だ。
「ええっと……。どうやって乗れば良い?」
シュヴァルツの身体はよじ登るにしては大きすぎる。失敗して転げ落ちたら大怪我だ。出発前に大問題発生。むむむ……。腕を組んで頭を捻っていると、シュヴァルツの尻尾がトントンと私の肩を叩いた。
「乗れ」
「え? あ、うん。ありがとう?」
差し出された尻尾に、首を傾げながらも横座りしてみる。すると、ふわりと私の身体が浮いた。シュヴァルツが尻尾で、私の身体を持ち上げてくれたのだ。そして、翼の付け根付近に下ろしてくれる。私はシュヴァルツの大きな背中の上に座ってみた。硬すぎず柔らかすぎず、丁度良い座り心地だ。
「あ! 忘れるところだった! アオイさん、これ、持ってって!」
突如、叫んだブロイエさんが私に向かって何かを放る。慌ててキャッチすると、それはネックレスのような、首に掛けるタイプの護符だった。
「これはシュヴァルツの!」
追加でもう一個。それも無事にキャッチし、先に放られた護符を首に掛け、シュヴァルツの分はリュックサックの中に入れておく事にした。
それにしても、何の護符だろう? 首から下げた護符を目の前にかざし、観察してみる。普段使うような護符より、装飾が複雑怪奇だ。う~ん……。刻まれているこの複雑な装飾パターンからして、空間操作術を使っているような……。
「これ、何の護符ですか?」
「連絡用! 試しに作ってみたんだ。魔力流して呼び出したい人の名前を呼べば、その人の護符につながるから! もし、何かあったら連絡ちょうだい! すぐ行くから!」
「試してみても良いですか?」
「良いよ!」
護符を手に取り、まじまじと見つめる。連絡用の護符って、何と便利な物を作り出す人だ。これ、元の世界で言うところの、トランシーバーとか、携帯電話とか、そういう類の物だよね。
「ブロイエさん」
魔力を流し、ブロイエさんの名前を呼んでみる。すると、淡く光を発し出した護符に映像が浮かび上がった。そこには、にこやかに笑うブロイエさん。シュヴァルツの背中から下を覗いてみると、ブロイエさんの手にした護符には私の映像が……。トランシーバーとか携帯電話レベルじゃなかった! これ、テレビ電話だし!
「凄~い! 便利!」
「でしょでしょ? 護符なんて作ったの初めてだったから、結構時間掛かったんだよ。一人一つずつあるからねぇ」
ブロイエさんは、目をキラキラと輝かせて護符を見つめるアイリスと、苦笑して護符を見ていたラインヴァイスにも、一つずつ護符を手渡した。
「じゃあ、行ってらっしゃい! ローザさんによろしくね~!」
ブロイエさんが手を振ると、シュヴァルツが翼を羽ばたかせた。遅れて竜化したラインヴァイスもアイリスを背に乗せ、大きく羽ばたく。私達四人は一路、離宮への空の旅を開始した。




