御前試合本戦 5
や、やば……。魔力、使いすぎちゃった……。膝の力が抜け、その場にへたり込んだ私は、荒い呼吸を繰り返していた。計算では、魔力の大量消費は一回分の余力があったはず。しかし、この体たらく。何でだろう……? ああ、息が苦しい。身体がだるくて立ち上がれない。観客の皆さんの歓声が遠くに聞こえる……。
この試合までに、私、結構な量の魔力を消費していたのかな? ……あ。そうだ。さっき、バルトとの試合で魔術、連発したんだった。すっかり忘れてた。あの時に消費した魔力、完全に回復していなかったんだろうな。RPGと違って、残りの魔力がどれ位かなんて分からないからなぁ。それに、リヒト・シュトラールの発動分も考えてなかった。詰めが甘かったな……。
突如、蹲る私の上に影が落ちた。のろのろと顔を上げると、シュヴァルツが私を見下ろしていた。何でそんな微妙な顔、してんの? 私、勝ったんだよ。少しは笑ってよ。
「立てるか」
立てるかって? 第一声がそれ? 私、頑張ったんだよ? 褒めてよ。一緒に喜んでよ。立ち上がる気力も湧かなくて、首を横に振ろうとした瞬間、生暖かい液体が喉の奥から込み上げてきた。
「ぐっ! げほっ! ぇっ! げほっ! ごほっ!」
口元を押さえて咳き込む私の指の隙間から、真っ赤な血が数滴、リンクの石の上に落ちた。魔力を使いすぎると身体の細胞が壊れ、こういう症状が現れるらしい。シュヴァルツとの訓練でも、何回か体験したけど、この血が込み上げてくる感覚、慣れないなぁ。口の中が鉄臭い。これは二、三日、フォーゲルシメーレの薬湯のお世話にならなくてはいけないかもしれない。あの薬、無茶苦茶不味いから、出来るなら飲みたくないんだけどなぁ。ははは……。失敗、失敗。
シュヴァルツは私の傍らに片膝を付くと、私の背中と膝の裏に腕を入れ、横抱きに抱え上げた。そして、転移時特有の酩酊感が私を襲う。気が付いた時には、私とシュヴァルツは、ボックス席のような、あの部屋に戻っていた。
「アオイ様!」
ローザさんが慌てて駆け寄って来る。私はシュヴァルツに抱きかかえられたまま、片手を上げて小さく笑みを浮かべた。そんな私の口元を、ローザさんがハンカチで拭ってくれる。今にも泣きそうな顔、しないで欲しい。別に、これくらいで死んだりはしないから。
「アオイさん! 何してんの! 無茶しすぎッ!」
珍しく、ブロイエさんが声を荒げた。眉間に皺が寄り、非常に険しい表情をしている。この顔、少しだけシュヴァルツに似ている。普段、こういう険しい表情をしない人だから、二人が似ているなんて知らなかった。
「ローザ様! アオイ様に薬湯を! アオイ様の専用茶葉の隣にストックが置いてあります! 黒い瓶!」
「は、はいっ!」
ラインヴァイスの指示に、ローザさんが慌てて何処かへ駆けて行った。別に、慌てる事、無いのに。そんな、今にも死にそうな重傷者じゃないんだから。薬湯を飲めば、すぐにとはいかないけど、治るんだから。
「みんな、慌て過ぎだよ……」
みんなが慌てていると、逆に冷静になれる不思議。何でなんだろうねぇ。たぶん、今、この中で一番冷静なの、私な気がする。
「あまり心配させるな」
シュヴァルツはそう言い、私を腕に抱いたまま椅子に腰を下ろした。立ったままだと腕、疲れるもんね。すいませんねぇ。下りたいのは山々なんですけど、まだ独りで立てそうにないんですよ。
ラインヴァイスが自身の腰の剣に手を置き、私と私を抱きかかえているシュヴァルツを包むように結界術を発動させた。リーラが私と契約する前、彼女が薔薇園にいた時に薔薇園に張ってあったという結界と同じもの。これは応急処置的なものらしい。魔力が私の身体から流れ出すのを防ぎ、身体の細胞が壊れる速度を遅らせる為のものだ。
「別に、これくらいで死ぬわけじゃないし……こほっ、げほっ!」
あ。また血が……。ローザさんがハンカチ置いて行ってくれて助かった。折角の騎士服が汚れずに済んだ。
「処置が遅ければ死ぬこともある」
「そう、なの……?」
それは初耳だ。何回かこの症状に見舞われたけど、シュヴァルツもラインヴァイスもブロイエさんも、一度もそんな事教えてくれなかった。ああ、でも、訓練でこの症状に見舞われると、毎回こんな風に、シュヴァルツとラインヴァイスは慌てていたような……。これは前言を撤回しなければならない。今にも死にそうな重傷者だ、私。
シュヴァルツの腕に少しだけ力が篭る。私を下ろすつもりは無いらしく、しっかりと私の身体を抱え直したのだ。この体勢、ちょっと人前では恥ずかしい。そう思ってシュヴァルツの腕の中から彼の顔を見上げる。すると、私を見下ろしているシュヴァルツとバッチリ目が合った。眉間に深い皺が刻まれ、怒っているような、かなり険しい表情をしている。そんな睨まないでよ。別に、私、何も悪い事、してないんだから……。
「ノイモーントとの試合、棄権しろ」
棄権……? 何言ってんの、シュヴァルツ。リタイアしたら優勝できないじゃない。そんなの――。
「いや」
「その身体では無理だ」
「いやだ!」
私は優勝したいんだ。それで、離宮に行って、絵の具を手に入れて、夜の湖と山の絵を描きたいんだ。その為に、訓練だって頑張ったのに。試合だって! 優勝まであと二勝なのに!
「絶対に棄権なんて――」
しない、と叫ぼうとした時、大量の生暖かい液体が喉の奥らから込み上がってきた。大きく咳き込み、大量の血を吐き出す私をシュヴァルツが睨んでいる。
「ブロイエ。ラインヴァイスとヴォルフとの試合の後、観客にノイモーントの不戦勝と伝えろ」
「分かった」
ブロイエさんが神妙な顔でこくりと頷く。
「やだ……。出させて……お願……い」
「出来ん」
何で勝手に決めるの? 何でもう少し頑張らせてくれないの? 悔しくて悲しくて、目に涙が溢れてきた。シュヴァルツが私の目元を指で拭ってくれるも、涙はとめどなく溢れてくる。
「薬湯、お持ちしました!」
叫び、ローザさんが部屋に飛び込んでくる。肩で息をする彼女の背を、ブロイエさんが労わるように擦った。そんなブロイエさんに微笑みを返し、ローザさんは手にした小瓶の中身をコップに移すと、私の目の前に差し出した。
「アオイ様。どうぞ、お飲み下さい」
私は駄々をこねる子どものように激しく首を横に振った。ローザさんは泣きじゃくる私と、それを無表情で見下ろすシュヴァルツ、困ったように眉尻を下げるラインヴァイスとブロイエさんの顔をぐるりと見回し、何があったのかを一瞬で理解したようだった。
「アオイ様。お体に障ります。今回は棄権致しましょう? ね?」
ローザさんは優しく微笑みながら、私を諭すようにそう言った。しかし、そうは言われても、はいそうですかとすぐに納得する事なんて出来ない。私は再びブンブンと首を横に振った。
「そんな無理をされてまで、離宮、行きたいのですか?」
ローザさんの問い掛けに、私はこくこくと頷く。そんな私の頭を、ローザさんが優しく撫でてくれた。
「では、アオイ様。竜王様にお願い、してみてはいかがですか? アオイ様は頑張ってきたのですもの。竜王様、無碍には出来ないはずですよ。ね?」
そう言ったローザさんをシュヴァルツが睨んだ。私はそんな二人の顔を見比べる。シュヴァルツ、お願いしたら離宮に連れて行ってくれるのかな? ローザさんの言い方、確信があるみたいだけど……。
離宮への旅行は、この御前試合の優勝賞品だ。それと同じものを、途中棄権の私が貰っちゃうなんて……。優勝者に申し訳ない気がする。でも、離宮には行きたい。絶対に行きたい。……お願い、してみようかな。優勝者には、改めてお詫びすれば大丈夫、だよね……?
「でも、その前に。薬湯、お飲みくださいね」
ローザさんが微笑みながらも、有無を言わさぬ様子で、ずいっとコップを差し出した。その中には青汁のような濃い緑色の液体。味も青汁そのものといった、身体に良さそうな味のする薬湯だ。私はコップを受け取ると、一気に中身を煽った。ま、不味い! 無茶苦茶不味い! いつも思うのだけれど、この青汁、じゃなかった、薬湯の味、どうにかならないものだろうか? 飲んだ後、「おえっ」ってなるんですけど。
私は相当微妙な表情をしていたのだろう。ローザさんが苦笑しながらグラスに水を注ぎ、私に手渡してくれた。私はそれを一気に煽った。口の中が少しスッキリ。
私が薬湯を飲んだ事で、みんな一様にホッとしたのだろう。部屋の雰囲気が少しだけ和らいだ。なんか、ご心配お掛けして申し訳ありませんってカンジ。
「じゃあ、ラインヴァイス。試合の準備、してね」
ブロイエさんがそう言うと、ラインヴァイスがこくりと頷き、私と私を抱きかかえるシュヴァルツを包むように展開していた結界術の魔法陣を閉じた。そして、ぺこりと頭を下げ、転移魔法陣の上に乗る。その姿を無言で見送っていたシュヴァルツの顔色を、私は上目遣いで窺っていた。私の視線に気が付いたのか、シュヴァルツが私の方に顔を向ける。私が遠慮がちにシュヴァルツの服を掴むと、彼の瞳が少し揺らいだようだった。動揺、してる?
別に、私はシュヴァルツを困らせたい訳じゃない。ただ、どうしても離宮に行きたいって知ってほしいの。どうして私がここまで頑張ったのか、少しでも分かってもらいたい。だから、全身全霊を込めてお願いしよう。
「シュヴァルツ。あの、ね……。離宮、どうしても行きたいの。湖の絵、描きたいの。お願い。連れてって?」
突如、私を抱くシュヴァルツの腕に力が篭った。ギュッと抱きしめられ、少し苦しい。……いや、だいぶ苦しい。ぐぇってなりそう。ギブギブギブッ!
「ぐ、苦じ、い……!」
「すまない」
シュヴァルツは私を抱きしめる腕の力を緩めた。そんな私達を、ブロイエさんとローザさんが生温か~い眼差しで見つめている。二人の視線のせいで、背中の辺りがムズムズする。けど、今はそれに文句を言っている場合ではない。シュヴァルツの言質を取らなくてはいけないから。私はシュヴァルツの胸から顔を上げ、彼のアメジストのような瞳を見つめた。
「離宮、連れてってくれる?」
「ああ。共に行こう」
シュヴァルツが口の端にを上げて頷く。そして、私の額にキスを落とした。ちょっ! ブロイエさんとローザさんの前だってのに。くそぉ~! 油断した! 顔が熱いよぉ! これは顔が茹蛸みたいになっているはず。恥ずかしくてシュヴァルツの胸に顔を埋めると、シュヴァルツが再び私を抱きしめた。さっきとは違って、苦しくない程度の力加減だ。こうしてシュヴァルツの腕の中で、彼の匂いに包まれていると落ち着くなぁ。
暫くシュヴァルツの胸にもたれるようにしていると、耐え切れない程の眠気が襲ってきた。目、開けてられない……。私はシュヴァルツに身を預け、ゆっくりと瞼を閉じた。




