意志 1
次の日、私はアイリスとラインヴァイス、シュヴァルツ、ローザさんと共に図書館にいた。今まで三人で魔術の勉強をしていたから、シュヴァルツとローザさんが一緒にいるの、不思議な感じがする。見慣れない。でも、そのうち慣れるのかな?
「どうした」
私の視線に気が付いたのだろう、シュヴァルツが眉間に皺を寄せながらそう言った。シュヴァルツの事を全然知らない頃だったら、睨まれたって、そう思っていた表情だ。でも、これは怪訝な表情。この数ヶ月で、シュヴァルツの表情もだいぶ読み取れるようになった。にしても、今日も相変わらず険しい表情をしている。ずっとこんな顔をしていて疲れないのだろうか?
「ううん。いつも三人で勉強してたから、ちょっと見慣れないなって。そう思っただけだよ」
「そうか。そのうち慣れるだろう」
「うん。それよりも、本当に大丈夫なの? 私に魔術教えている時間、ブロイエさんが一人で切り盛りする事になるんでしょ? 迷惑だったらはっきりそう言ってよ?」
「ああ。大丈夫だ。ブロイエの手に余る事があれば、誰かが呼びに来るだろう」
シュヴァルツはそう答えると、ニヤリと口角を上げた。そう言えば、この悪そうな笑い方にもだいぶ慣れた。出会ったばかりの頃は、嫌みな笑い方だって、ついつい腹を立てていたんだけど。この笑い方をする時は、基本的に機嫌が良い時なんだって気が付いてからは、あまり腹が立たなくなった。
「アオイ。写本を」
「うん。どうぞ」
シュヴァルツに写本を手渡すと、彼はパラパラとページを捲っていった。真剣そのものといった眼差しで、私の描いた魔法陣をチェックしている。普段から険しい顔が、更に険しくなってるような……。私は、そんな険しいけれども綺麗なシュヴァルツの顔に、ついついボーっと見とれてしまっていた。今日もお綺麗な顔です事……。羨ましい。こんな顔に生まれていたら、人生が変わっていたかもしれない。いや。私は、他の人がなかなか体験できない珍しい人生を歩んでいるか。これ以上、人生が変わっても困るな……。そんな事を考えていると、一通りチェックが終わったのだろう、不意に写本から顔を上げたシュヴァルツとバッチリ目が合ってしまった。や、やばっ! 見とれてたの、気が付かれた?
「どうした」
「え? あー。えーっと……。わ、私の描いた魔法陣、どうかなって!」
「よく出来ている」
思いがけず、シュヴァルツに褒められてしまった! へへへっ。ちょっと嬉しくなって口角を上げる私を、ラインヴァイスとローザさんが生暖かい眼差しで見つめている。二人のこの視線、ちょっと苦手だ。背中の辺りがムズムズしてくる。もっと普通の表情をしていて下さい!
因みに、この世界で魔術を発動させる為には、魔力がある事はもちろんの事、魔法陣を描けなくてはならない。魔術のカテゴリーによって規則性が違うから、何だかんだで結構難しい。でも、規則性と言うか法則と言うか、それさえ分かってしまえば頭を悩ます事無く魔法陣を描けるようになる魔術もある。それが魔術の適性ってものらしい。私は攻撃魔術と結界術の魔法陣は結構得意だ。自信を持ってシュヴァルツにだって見せられる。
「だがアオイ。これは無い」
シュヴァルツは私の写本を開き、こちらに向けた。そこにはぐちゃぐちゃの魔法陣。これ、呪術の魔法陣だ。あちゃ~。気が付かれちゃったか……。
「あは、あはは……」
「呪術は不得手か」
「う~ん。あんまり得意じゃないんだよね……」
私はそう答えると、ガックリと項垂れた。何故か、呪術の魔法陣は上手く描く事が出来ない。不思議な事に、綺麗に描こうと思えば思う程、ぐちゃぐちゃになってしまう。同じカテゴリーに分類される治癒術と浄化術は結構綺麗に描けるのに、呪術と屍霊術の魔法陣は途中で訳が分からなくなるくらい汚くなる。これも適性ってものらしく、私は呪術と屍霊術に適性が無いらしい。ラインヴァイスはこの程度なら中級の習得には問題無いって言ってくれたけど、裏を返せば上級や最高位は無理って事。まあ、呪術師や屍霊術師になりたいって訳ではないから、上級を習得する必要は無い。だから良いんだけど。でも、こんなぐちゃぐちゃな魔法陣、シュヴァルツに見られたくなかったよ……。
「屍霊術も、か」
「うん」
「ふむ……」
シュヴァルツは顎に手を当て、考えるような素振りをした。そして、ラインヴァイスを見やる。
「ラインヴァイス。闇属性と光属性の習得は」
「いえ、まだです。その二つに関しましては、発動だけでも中級レベルと判断致しましたので」
「そうか」
シュヴァルツは納得したように頷くと、スッと立ち上がった。そして、そんなシュヴァルツを呆然と見上げる私の腕を掴むと、引っ張り上げるようにして立ち上がらせる。何だ、何だ?
「来い」
「え? あ、うん」
私はシュヴァルツに腕を引かれ、図書館の奥に連行されていった。シュヴァルツは何かを確かめたいんだろうけど、いったい何を確かめるつもりだろう? こういう時は先に説明をして下さいよ、シュヴァルツさん。本当に口下手と言うか何というか。いつも必要最低限の事すら教えてくれないんだから……。
シュヴァルツに連れて来られたのは一本の通路だった。通路の両側には、本がびっしりと納められた本棚がある。この通路、一言で言うならおどろおどろしい。見た目は普通なのに、空気と言うか何というか、雰囲気が普通じゃない。呪術の魔道書が納められていた通路も大概だったけど、ここは桁が違う。足が震えるくらい怖い。不安になり、目の前のシュヴァルツのマントの端をギュッと握ると、シュヴァルツが怪訝な表情で振り返った。
「どうした、アオイ」
「この通路、嫌だ。怖い……」
「そうか」
シュヴァルツはいつもより少し柔らかくなった表情で、マントの端を握り締めている私の手を取った。大きくて温かい手。ホッと溜め息を漏らす私の髪を、シュヴァルツが空いている方の手で梳いてくれる。
「闇属性の習得は無理そうだな」
「そうなの?」
「ああ。私の魔力を受け入れている状態でこれでは、元々、相当相性が悪かったのだろう」
「そう、なんだ……」
別に闇の魔術師になりたい訳ではないけど、習得は無理だってはっきり言われると凹む。シュンとして俯く私の手を引いたかと思うと、シュヴァルツは再び何処かへ向けて歩き出した。今度は何だろう?
シュヴァルツが足を止めた先には、さっきの通路とは真逆の雰囲気を醸し出す通路があった。キラキラとしていて、楽しそうな雰囲気だ。何をしているわけでもないのに、ここにいるだけでついつい顔がにやけてしまう。
「シュヴァルツ、ここは? ここは何?」
「光属性の魔道書を収めてある通路だ」
「光属性……」
「ああ。その顔では、どうだと聞くまでもないな」
シュヴァルツは私の顔を見ると、片側の口角を上げ、ニヤリとした笑みを浮かべた。きっと、私がシュヴァルツの予想通りの表情をしていたのだろう。シュヴァルツのこの表情、したり顔ってやつっぽい。
私、闇属性は全く駄目だけど、光属性の適性はあるのか。闇の魔術師でもあるシュヴァルツと反対属性って事だ。これも勇者補正ってやつなのかな? 私の力は、きっとシュヴァルツを害する為に与えられた物なのだろう。改めて、私は勇者でシュヴァルツが魔王なんだって、その現実を突きつけられた気がして、少し悲しくなってきた。
「どうした」
シュヴァルツが、黙りこくったままの私をジッと見つめていた。シュヴァルツは私の小さな変化も見逃さない。それだけ気に掛けてくれているのだろう。シュヴァルツに隠し事なんて絶対に出来ないんだろうなぁ。ここは正直に言った方が良いのか……。いや、でもなぁ……。余計な心配、掛けたくないしなぁ……。
「何でもない。大したことじゃないから」
私が小さく笑みを浮かべて首を横に振ると、シュヴァルツの眉間の皺が深くなった。そして、私の手を握るシュヴァルツの手に力が篭る。
「そんな顔をしていて、何も無い訳が無かろう。言ってみろ」
そっか。シュヴァルツにとっては、私が何も言わない方が心配なのか……。余計な心配を掛けたくないだけなんだけど、逆効果だったみたいだ。
「あ……うん……。あの……ね、私が闇属性が駄目なのって、やっぱり異世界から来た、その……勇者っての、だからなのかなって……。光属性に適性があったり、複数の魔術に適性があったりするの、シュヴァルツを……倒す為なのかなって……」
「だろうな」
「だろうなって……。シュヴァルツは……私に倒されても……殺されても良いの……?」
「アオイ。お前は私を殺したいと、そう思うか」
「え……?」
「お前が元の世界に帰る手段は、私を殺し、メーアと邂逅する事だ。アオイがどうしても元の世界に帰りたいと言うのならば、私を殺すと良い。私は抵抗しない。大人しくお前に殺されよう。私に止めを刺した後は、ブロイエに事情を説明しろ。あれはこの国一の空間操作術師だ。メーア大陸中央神殿までのゲートを開く事など造作無い」
「ちょ、ちょっと! 何言ってんの! 出来る訳、無いでしょ! シュヴァルツを殺すなんて、そんな……そんな事……」
シュヴァルツってば、いきなり何言い出すの? 何で私がシュヴァルツを、そんな、殺すなんて……。
「何故」
「だって……いっぱい、いっぱいお世話になって……そ、それに……!」
ああ、やばい。涙が出てきた。言いたい事はたくさんあるのに、感情が高ぶって言葉に出来ない。ボロボロと涙を零し始めた私を、シュヴァルツがそっと抱きしめた。
「すまない。泣かせるつもりなど無かった」
そう呟くと、シュヴァルツはあやすように私の背中を撫でた。壊れ物に触れるみたいに優しい手つきだ。こうしてシュヴァルツの腕の中で彼の匂いに包まれていると、高ぶっていた感情が嘘のように静まっていく。不思議だ。
私がおずおずとシュヴァルツの背中に手を回し、彼の胸に顔を埋めると、背中を撫でていた手が驚いたように止まった。と思ったら、私を抱きしめるシュヴァルツの腕に力が篭った。少し痛いくらいだけど、凄く安心する。
「アオイ。全てはお前の意志次第だ。力を得、何を成すか、決めるのはお前自身だ」
「私自身……」
「そうだ。アオイに私を殺す意思が無いのならば、私がお前に殺される未来が来る事も無かろう。私を害する力を持っていた事は運命だが、未来は運命で決まるのではない。アオイの意志で決めるものだ」
「うん……」
「皆を、そして、私を守ると、そう決めたのではないのか。その力を使って」
そうだ。私はみんなを、そして、シュヴァルツを守りたいって、そう思っていたんだ。たとえシュヴァルツを倒せるような力があっても、私が選んだ道はシュヴァルツを倒す道じゃない。道の先には無限の可能性があるけれど、私がシュヴァルツに危害を加えるような可能性なんて皆無なんだ。
「そう、だよね。みんなを守りたいって言い出したのは私なのにね。そんな事も忘れてるなんてね。思い出させてくれてありがとう、シュヴァルツ」
私がシュヴァルツの胸から顔を上げると、私のすぐ目の前にシュヴァルツの紫色の瞳があった。アメジストのような、綺麗な紫色の瞳。愛しむ様に細められた目。私が守りたい、大切な人。
シュヴァルツの手が私の頬に添えられる。そして、私の唇にシュヴァルツの唇が重なった。目を閉じると、ついばむような軽いキスが、だんだん深く、情熱的なものに変わっていく。
シュヴァルツはいつも私に温もりをくれる。寂しい時も悲しい時も、嬉しい時も楽しい時も。ああ、私はこの人に愛されているんだなって、自然とそう思えるようになったのはいつの頃からだろう。
でも、私はこのままシュヴァルツと共に過ごしていて良いのだろうか? もし、メーアに頼る以外で、元の世界に帰る方法が見つかった時、私はシュヴァルツと元の生活、どちらか一方を選ぶ事が出来るのだろうか? どちらも捨てたくないなんて、そう思うのは私のわがまま、なんだよね……。




