挨拶 3
困惑する私を他所に、ラインヴァイスがグラスにベリー酒を注ぎ、全員に配った。もちろん、私の目の前にも鮮やかなピンク色の液体の入ったグラスが配られている。どうしよう……。
私がちらりとシュヴァルツの顔色を窺うと、シュヴァルツが横目で私を睨んでいた。飲むなって事っぽい。やっぱり、お酒は飲んじゃダメですよねぇ。
「あのぉ。私、お酒は――」
「あら。アオイ様はお酒が苦手でした?」
そう言って、ローザさんが残念そうに眉尻を下げた。何だか申し訳ない事をしてしまった感が半端無い。せっかく、お土産で持って来てくれたのに……。
「いや、苦手ではないんですけど、そのぉ……」
「苦手じゃないのでしたら、一口だけでも召し上がってみて下さい。とても美味しいお酒ですから。アオイ様にも、是非ご賞味頂きたいの。ね? 乾杯だけでも」
「えっ、あ~、え~と……」
飲みたいのはやまやまなんだけどなぁ……。再びちらりとシュヴァルツの顔色を窺うと、シュヴァルツが諦めたように小さく溜め息を吐いた。
「あまり飲みすぎるな」
おお! 意外にもあっさりとお許しが出てしまった! あまり飲み過ぎなければ飲んでも良いらしい。やったぁ! 合コンの時を最後にお酒は絶っていたし、今日くらいは良いでしょ! むふふっ!
「じゃ、じゃあ、少しだけ」
そう、今日は少しにしておこう。この前の合コンの時みたいに、泥酔して記憶が無くなったうえに、キス魔に変身したら大変だから。
目の前のグラスを手に取ると、ふわりとベリーの甘酸っぱい香りが私の鼻孔をくすぐった。この香り、合コンで飲んだ、あの強いベリーのお酒と同じ物っぽい。この国では、結構メジャーなお酒なのかもしれない。
シュヴァルツが無言でグラスを掲げると、ブロイエさんとローザさんもブラスを掲げた。私もそれに倣う。そして、グラスに口を付けた。口の中いっぱいに甘酸っぱいベリーの味とアルコール独特の、喉がカッと熱くなるような刺激が広がる。ああ、美味しい。やっぱりこのお酒、無茶苦茶美味しい!
「如何ですか?」
ブロイエさんが微笑みながら私にそう問い掛けた。如何ですかって? もちろん、とっても美味しいです!
「このお酒、実は凄く好きなんです」
「本当ですか! 良かった。うちのローザさんもこのお酒、大好きなんですよ。見た目も綺麗だし、口当たりも良いし」
「あら、アナタ。私がこのお酒を好きな理由はそれだけではないですよ? お忘れ?」
「いや。ちゃんと覚えているよ。君が僕の元に嫁いで来た日の、初めての晩餐で一緒に飲んだお酒だからでしょう?」
「うふふ。忘れていたら離縁も考えるところでしたけど、きちんと覚えていらしたのね」
「忘れるわけ無いじゃない。僕とローザさんとの思い出なんだから」
そう言うと、ブロイエさんがローザさんの額を人差し指で軽く突っついた。この二人、いい年して熱々だな。はいはい。ご馳走様です。お腹一杯です。目の前でイチャイチャしないで下さい。
「仲が宜しい事で」
あっ……。嫌みっぽい言い方になっちゃったかも……。だって、何となく面白くないんだもん。他人がイチャイチャするところなんて見たくないし。
――アオイもさ、負けずにシュヴァルツ兄様とイチャイチャすれば良いじゃん! そしたらお互い様になるし!
リリリ、リーラ! アンタ、何言っちゃってんの! 私は別に、そういうつもりで言ったわけじゃなくて――! そ、それに、アンタ、出歯亀する気満々でしょ!
――でばがめ? う~んと……。覗きって事? 出来ないよ、そんな事。アオイが私に見せたくないって無意識にでも思った事は、私には見れないんだもん。だから、アオイがべろんべろんになってキス魔になったところとか、シュヴァルツ兄様に何て言って一緒に寝てもらったのかは見えなかったんだよねぇ。朝起きたらアオイの隣にシュヴァルツ兄様が寝てるでしょ? あの時はとうとう致したのかと思ったよ!
ななな、何、言ってんの! にしても、リーラには醜態を晒してなかったのね。ちょっと安心した。
――まあ、お酒に酔ってる状態は普通の状態じゃないし、そういう時ってただでさえ見えにくいんだけど。それにさ、トイレとかお風呂とか着替えとか、その他もろもろ、私に見えていたら逆に怖くない?
はっ! そうか。そ、そうだよ! トイレとか着替えとか見えてたら怖いよ! 恥ずかしくって、何にも出来なくなっちゃう!
――でしょ~? だから、アオイは遠慮なく、シュヴァルツ兄様とイチャイチャして良いんだよ! ぐふふっ。
それとこれとは別問題でしょっ! 何で私がシュヴァルツとイチャイチャ――。
「――ですよね? アオイ様?」
ふと顔を上げると、ローザさんがニコニコと笑いながら私を見つめていた。な、何だ? 何を言われた? リーラと話をしていて、全く聞いてなかった!
「え?」
「あら。照れておられるのかしら?」
ローザさんは尚も聖母のように優しげに微笑んでいる。何だろう? 助けを求めるように隣のシュヴァルツを見やると、スッと視線を逸らされた。うん? 何だ、この反応?
「えっと……?」
「本日のドレス、竜王様の瞳の色に合わせたのですよねと、そう申し上げたのですよ?」
ローザさんの柔らかいけど有無を言わせぬ言い方、やっぱりうちのお母さんにそっくりだ! 似たタイプだとは思っていたけど、ここまで同じタイプだったとは!
「ち、違――!」
慌てて叫び、ふと我に返った。今日の紫色のドレスと黒い石のアクセサリー。これ、どこをどう見てもシュヴァルツの瞳の色と髪の色の組み合わせじゃない! アイリスが選んでくれたドレスだったし、強引に押し切られた感じだったし、全然そんな事、考えてなかっ――。まさか! そう思って、弾かれたようにアイリスへ視線をやると、気まずそうに目を逸らされてしまった。あの反応、分かっていて、あえてこのドレスを選んだな! はっ! もしかして! ラインヴァイスへ視線を移すと、彼もアイリス同様、私から目を逸らした。ラインヴァイスってば、アイリスの魂胆、分かってたな! はあぁ……。私はアイリスに嵌められたのか。こんな小細工をするような子だったとは。恐るべし、アイリス!
恐る恐るシュヴァルツの顔色を窺うと、彼は悠々とお酒を飲んでいた。心なしか、口元に笑みが見えるのは、私の気のせい……じゃないだろう。シュヴァルツのこの表情、満更でも無い表情なのね。
「そうして二人で並んでおられると、仲の良い夫婦のようですわよ?」
「ぶっ!」
ふふふ、夫婦? 誰と? 誰が? ローザさんの発言に、私は思わずお酒を噴き出してしまった。せき込む私に、アイリスが慌ててナプキンを持って来てくれる。
「ローザさん。夫婦だなんて失礼ですよ?」
ブロイエさんが援護してくれる。思わぬところからの助け舟だ。私はむせ込んでいて反論できないから、私の代わりにもっと言ってやって!
「でも、契約印はあるし、恋人同士なんでしょ? 僕達に結婚の挨拶もしてくれたし。式はいつ頃?」
援護と見せかけて攻撃してきた! 何だ、この人! それに、私がいつ結婚の挨拶をした!
「ちょっ! げほ、げほっ!」
「不束者ですが宜しくお願いしますって、一度言われてみたかったんだぁ」
そう言えば、そんな挨拶した! そうだ。あれじゃ、結婚の挨拶みたいだ! 本格的に恥ずかしい。穴があったら入りたい。誰か! この部屋に穴を掘って下さい!
「初めてが息子のお嫁さんじゃないのがちょっと残念ではあるけど、シュヴァルツも僕の息子みたいなものだし! アオイさん。不出来な子ですが、お願いね?」
そう言うと、ブロイエさんは黒い笑みを浮かべた。怖い! この夫婦、何だか怖い! ゆっくり、しかし着実に、逃げ道を塞がれている気がする!
――ブロイエ叔父様、曲者で有名なんだよねぇ。奥方様はその叔父様の手綱をしっかりと握っているっぽいし、相当の曲者夫婦だろうね。アオイ、明日から頑張れ~!
明日から、曲者で有名な人の曲者な奥様が私のお世話係になるのか……。嫌な予感しかしない。ああ、どうしたものか……。私は手に持っているグラスの中身を一気に煽った。カッと喉が熱くなる。少しだけって思っていたけど、こうなったらヤケ酒でも飲んじゃおうかな……。でもなぁ、合コンの時飲み過ぎて、シュヴァルツに次は無いって言われたしなぁ。愛想尽かされて追い出されても困るしなぁ……。お酒の失敗で追い出されるとか、無茶苦茶恥ずかしい。それに、行く当てなんて――。
――うん? 追い出す? シュヴァルツ兄様が? アオイを?
うん。だって、この前、シュヴァルツに言われたよ? 次は無いって。明日から魔術を教えてもらいたいのに、追い出されたら困る……。
――ああ、あれね。それ、誤解だよ。シュヴァルツ兄様がアオイを追い出すわけ無いじゃない! あれはね、アオイがまたべろんべろんに酔ってシュヴァルツ兄様を誘ったら、その時は誘いに乗るからなって意味だよ。もう我慢はしないって事。イチャイチャするチャンス到来!
「ななな、何だってぇぇぇ!」
叫んで立ち上がった私を、その場にいる全員がギョッとしたように見つめていた。頬を染め、慌てて座り直す私を、ブロイエさんが興味津々といった目で見つめている。
「すみません……」
「いえいえ。もしかして、リーラと話を?」
「ええ、まあ……」
「リーラは何と? アオイさん、顔が真っ赤」
「え? いえ! 何でもないです! 聞かないで下さい!」
私はフルフルと首を横に振った。そんな私を見て、ブロイエさんとローザさんが嬉しそうに笑っている。
「照れているという事は、シュヴァルツ絡みの話かな?」
「んもう! アナタ。それ以外、何があるというの?」
「ですよねぇ。本当に仲が良いようで。若いって良いね」
「ええ。羨ましい限りですわね」
「あっ! お酒の力を借りて熱い夜を――とか、リーラはそんな助言でもしたのかな?」
「んまぁ! お酒の力を借りなくても、いつでも熱いんじゃなくて?」
人が黙って聞いてれば、好き勝手に言いやがって! 確かに、シュヴァルツ絡みの話なのは間違いないけど、ブロイエさんの発言、セクハラだし! 話題に乗るローザさんも同罪だ! 膝の上で握り締める私の拳が、怒りでプルプルと震えている。
「ああ! 早く二人の子どもが見たいな!」
「本当ですね! お二人のお子様なら、愛らしいでしょうね」
私の怒りに気付く事無く、ブロイエさんとローザさんはきゃいきゃいとはしゃいでいる。ふふ、ふふふ……。リーラ。魔鉱石の短剣、出して。
――ちょ、ちょっと! アオイ! まずいって! あの二人に危害加えたら、いくらアオイでもシュヴァルツ兄様、庇いきれないよ!
いいからっ! つべこべ言わずに、とっとと出せ!
――は、はいっ!
私の左手のリーラの紋章が淡い紫色の光を発し、私の手の中に魔鉱石の短剣が出現した。短剣を手に、ゆらりとソファから立ち上がった私を、二人が呆然と見上げている。
私が魔力を送ると、魔鉱石の短剣の発する光が濃くなった。そして、私の意志通りに、発動させたい魔術の魔法陣が虚空に浮かび上がる。私は大きく息を吸い込むと、魔術を発動させる言葉を口にした。
「フォアラデュンク!」
虚空に浮かび上がった魔法陣が眩い光を発し、中心に向かってゆっくりと集束していく。光が治まった後、私の目の前には、一本のハリセンが宙に浮いていた。
私が今使った召喚術には、魔術を発動させる言葉は一つしか存在しない。覚えやすいと言えば覚えやすい。しかし、その代りに、召喚したい物体が複雑になればなる程、魔法陣が大きく、複雑な形状になっていく。中級の召喚術でも、かなりの大きさの魔法陣を描く必要があるらしい。一個の魔法陣を描くのに、数ケ月掛かりになる事が一般的らしく、時間効率が悪い。その為、この魔術を習得するのは後回しにしようかと思っている。決して面倒だからではない。……たぶん。
因みに、初級の召喚術は、一番難易度の低い、現世から単純な形状の物体を呼び出す練習をしていた。形が単調で、紙という単一の素材で出来た葵ちゃん印のハリセンは、私にとっては格好の練習台だった。だから、召喚術の魔法陣を描く練習はハリセンで行っていたのだけれど、それがこうも役に立つとは! 食らえ! 葵ちゃん印のハリセン・アタック!
乾いた音が二回鳴り響く。このハリセン、実は物体強化魔術の練習台にもしていて、強化魔術を施してあるから殴られると本気で痛い。本当は簡単に壊れないように丈夫にしたかっただけなんだけど、思わぬ武器を自作してしまったらしい。試しにと、一度だけアイリスにこれで頭を軽く叩いてもらったら、目から星が散る位痛かった。
ハリセンで殴られたブロイエさんとローザさんは、頭を抱えて痛みにのた打ち回っていた。ざまぁみろだ! 葵ちゃんをからかうとどうなるか、身をもって理解しただろう。ふふん!
「アオイ。気が済んだか」
「うん」
シュヴァルツってば、こんな事態になっても顔色一つ変えていない。余裕綽々の表情で、ベリー酒を飲み続けている。肝が据わっているのか何なのか……。色々な意味で大物だと思う。
「ならばその短剣、しまっておけ」
「うん。分かった」
私がこくりと頷くと、リーラの紋章が淡い紫色の光を発し、私の手の中の短剣が光の粒子になって虚空に消えた。そして、私はソファに戻ると、どさりと腰を下ろした。
「ブロイエ。ローザ」
『はい』
シュヴァルツが静かに二人の名前を呼ぶと、痛みにのた打ち回っていたブロイエさんとローザさんがピシッと背筋を伸ばし、声を揃えて返事をした。二人の目に光るものが溜まっているのはご愛嬌だ。何だかんだで、この二人にも躾が行き届いているらしい。流石は大魔王だ。締める所はしっかりと締めているのね。
「あまりアオイをからかうな。気性の激しさ、噂で知っていたであろう」
『はい』
シュヴァルツと話をしているはずなのに、ブロイエさんとローザさんは私の方を見ていた。ビクビクと私の顔色を窺っている。ちょっとからかってみようかな……。
「何か?」
ブロイエさんとローザさんに笑顔で問い掛けると、二人の身体が面白いようにビクリと震えた。必死の形相で首をブンブンと横に振る二人に向かって私が笑みを深めると、二人は抱き合ってガタガタと震えだした。面白い反応だ。これはからかい甲斐がありそうだ。
「アオイ」
「ん?」
「あまり二人をからかうな」
「うん。分かってるって」
ブロイエさんとローザさんに聞こえないよう、小さな声で呟いたシュヴァルツに、私も小声で返事をした。
「そうか。ならば良いが」
「ちょっと反応見てみたかっただけなのにさ。これくらいの逆襲、大目に見てよ」
「ああ」
私とシュヴァルツが何か相談を始めたように見えたのだろう。ブロイエさんとローザさんの身体の震えが一際大きくなった。おお! 良い反応! 最初はどうなるかと思ったけど、この二人とは、何だかんだで上手くやっていけそうな気がしてきた。




