挨拶 2
夕食後、私は件の紫色のロングドレスに着替え、シュヴァルツの叔父さんが訪ねて来るのをソワソワとしながら待った。何でこちらから挨拶に行かないのかと言うと、訪ねて来られる前に行こうとしたら、ラインヴァイスに絶対にダメだって止められたから。異世界の文化、よく分からない。
私の隣には、シュヴァルツがお茶を飲みながらスタンバイしている。とは言っても、いつも通りソファで寛いでいるだけ。こういう時は、私の緊張をほぐすような気の利いた言葉くらい掛けてくれても良いと思うんですけど。まあ、口下手なシュヴァルツに、それを期待する方が間違っているのか……。
にしても、私ばっかり緊張して何だか不公平だと思う。あれ? そう言えば、私、何でこんなに緊張してんの? 国の偉い人に会うからか? いやいや、一番偉い人は私の隣でふんぞり返っているし、これだけ緊張する理由にならないような……。何でだ? う~む……。
突如、部屋の扉がノックされた。来た! 来てしまった! ああ~! 失敗しないように頑張らないと! 緊張するよぉ! と、とりあえず、笑顔! 笑顔だ!
「ど、どうぞ」
私は返事をしながらソファから立ち上がった。こういう時は立ってお迎えしないと。大人の嗜みってヤツだ。くぅ! 脚が震える! 生まれたての子鹿ですか、私は!
「失礼します」
アイリスが開けてくれた扉から、男女二人組が腕を組みながら入って来た。シュヴァルツの叔父さんとその奥さんは、二人とも青っぽい服装をしている。ラインヴァイスの助言通り、青いドレスにしなくて正解だった。
シュヴァルツの叔父さんは、随分若々しい外見をしていた。叔父さんだって知らなかったら、ちょっと年の離れたご兄弟ですかって聞きたくなるくらい。年の頃なら三十代後半だろう。奥さんも同じくらいの年齢っぽい。叔父さん夫婦にしては若すぎると思う。あっ! もしかして、シュヴァルツのお父さんと年の離れた兄弟だったんだろうか? いや、待てよ……。確か、魔人族って長命だって話だった。だとしたら、シュヴァルツの叔父さんが、見た目通りの年齢かどうかがそもそも怪しい。物凄い高齢者だったりして……。
「こちらの、せ、席、どうぞ」
私は手で正面のソファを示し、叔父さん夫婦に笑顔を向けた。頬がピクピクする。絶対に顔、引き攣ってる! 恥ずかしいぃぃ!
「失礼しますね」
叔父さんは優雅に一礼すると、ソファの前に立った。叔父さんの奥さんもソファの前で立っている。あれ? 座らないの? 何で?
「アオイ、座れ」
シュヴァルツがそう言いながら、私の腕を引っ張った。成すがままに、ストンとソファに腰を下ろすと、叔父さんと奥さんがソファに座る。そっか。私が座るの、待ってたんだ。座る順番も決まっているのか。異世界の文化、奥が深い。
ラインヴァイスが、叔父さんと奥さんにお茶を出してくれる。私はジッとその様子を見守っていた。お茶菓子のクッキーもちゃんと用意してあるし、準備万端! バッチ来い! と思ったけれど、沈黙が流れる。あんれぇ? 誰もしゃべらない。おかしい……。
沈黙が続く。ど、どうしよう! 気まずい! 助けて、シュヴァルツ! そう思ってシュヴァルツを見ると、シュヴァルツがクイッと顎で叔父さん夫婦を示した。あっ! 私からなのか! そういう事は初めから教えておいてよ!
「神崎葵です。シュヴァ――竜王様にお世話になっています。不束者ですが、どうぞ宜しくお願いします」
私がぺこりと頭を下げると、叔父さん夫婦も頭を下げた。ちらりと上目で確認すると、叔父さん夫婦の肩が小刻みに震えている。笑っている。この二人、絶対に笑っている! 何かをやらかした自覚は無いけど、やらかしてしまったのだろう。挨拶は失敗だ! ああ、やってしまった!
顔を上げてシュヴァルツへ視線を移すと、何とも言えない微妙な表情をしていた。驚いたような、それでいて笑っているような、不思議な表情だ。ああ、そっか。シュヴァルツにも呆れられたんだ。どうしよう。泣きたくなってきた!
「あ、あの――!」
「失敬。予想外の挨拶だったもので。それに、今のシュヴァルツの顔――!」
意を決して口を開いた私を手で制し、叔父さんが笑いを堪えながらそう言った。今にも噴き出しそうなくらい、一生懸命笑いを堪えている。一足遅れて顔を上げた奥さんも笑いを堪えていた。私、相当変な挨拶をしてしまったらしい。穴があったら入りたい!
「ブロイエと申します。以後、お見知り置きを」
叔父さんはブロイエさんと言うらしい。濃紺色の長い髪を、後ろで一つに束ねている。瞳の色も髪と同じ濃紺色をしていて、かなりのハンサムさんだ。まあ、シュヴァルツには負けるけど。好奇心旺盛なようで、少年のように目を輝かせ、色々な角度から私を観察しようとているのだろう、落ち着きなく上体を動かしている。見られていると思うと余計に緊張して来た。ああ~! こっち、見ないでよぉ!
「にしても、シュヴァルツってば隅に置けないなぁ。こんな可愛い子、囲ってたなんてねぇ」
ブロイエさんがニヤニヤとしながらシュヴァルツにそう言った。すると、シュヴァルツが無言でブロイエさんを睨み付けた。おお、怖い顔! しかし、ブロイエさんは全く意に介した様子は見せず、悠々とお茶に口を付けている。ふむふむ……。ブロイエさんもラインヴァイス同様、シュヴァルツの睨みには耐性があるのね。ああ、あれか! 付き合いが長いから、本気で怒っている時とそうじゃない時の見分けがつくのか!
「ブロイエの妻、ローザと申します。明日よりアオイ様の身の回りのお世話を手伝わせて頂きます。どうぞ宜しくお願い致します」
ブロイエさんの奥さんはローザさんと言うのか。綺麗に結われた赤毛に近い金髪と、濃いグリーンの瞳をした美人さんだ。豊満な胸を強調するように、大きく胸の開いた青いドレスを纏っている。ふと目を落とした先、彼女の左手の中指には、私の指に嵌っている契約印とよく似たデザインの指輪が嵌っていた。あれは十中八九、契約印だろう。石のところから変な感じがする。ほうほう……。ブロイエさんの魔力結晶は、サファイアみたいな色なんだ。ローザさんのドレスとアクセサリーも、それに合わせたような組み合わせだ。ラインヴァイスが、何故ローザさんが着るだろうドレスの色を知っていたのか不思議だったけど、ブロイエさんの服装や魔力結晶の色と合わせると、必然的に青系統のコーディネートになるのか。知っていれば予想が立てやすい。
穏やかに微笑むローザさんは、まさに聖母のようだ。優しい人なんだろう事は、彼女の話し方や醸し出す空気で分かる。この人になら、私の身の回りのお世話を任せても安心だ。ん? 待てよ……。身の回りのお世話……? え?
「ちょ、ちょっと待って下さい! 身の回りのお世話って! どど、どういう事ですか!」
「えぇ?」
私が驚いて叫ぶと、ローザさんが不思議そうに首を傾げた。おっとりした雰囲気の美人さんだから、こういう仕草が絵になる。って、違う! 何で宰相さんの奥さんが、私の世話係りをする! 絶対におかしいでしょ!
「言っておりませんでしたっけ?」
ラインヴァイスが「あれ? おかしいなぁ?」とでも言いたげに首を傾げた。そんな顔しても騙されないんだから! 私が抵抗すると思って、あえて言わなかったんだろう、ラインヴァイス!
「聞いてないわよ! 何で教えてくれないのよ! どうせ、わざとなんでしょ!」
「まあまあ、アオイさん。落ち着いて。うちのローザさんたっての希望なんですよ」
ブロイエさんが苦笑しながら、どうどうと両手を上げた。はっ! そうだった。感情的になったら駄目だ。ブロイエさんの前だった!
「す、すみません……」
「いえいえ。にしても、アオイさんは聞いていた通りのお方の様で」
聞いていた通り? どういうこっちゃ? 私、噂でもされてるの?
「聞いていたって、どんな風にですか?」
「大した事じゃないから。気にしない、気にしない」
「そう言われると、余計気になります」
「はは。そう?」
「そうです」
私がジッとブロイエさんを見つめると、ブロイエさんの目が泳いだ。尚も無言でジッと見つめ続けると、ブロイエさんは降参とばかりに溜め息を吐き、肩を竦めた。よっしゃ! 勝った!
「シュヴァルツやラインヴァイスに、物怖じせず、言いたい事を言える方だと……」
「それだけですか?」
絶対にそれだけじゃないでしょ? ブロイエさんの顔に、「隠し事してますから、これ以上聞かないでね」って書いてあるもん。絶対にろくな噂じゃない!
「そ、それだけ、ですよ?」
「本当に、ほんとーにそれだけですか? まだ何かありますよね? 顔にそう書いてありますけど?」
私が腕を組んでブロイエさんを睨みつけると、ブロイエさんは蛇に睨まれた蛙の如く、身を縮込ませた。
「う……。き、気が強くって……うま……」
「はい? 聞こえませんけど? 何か?」
なおも睨み続けると、ブロイエさんがごくりと生唾を飲み込み、意を決したように叫んだ。
「き、気が強くって、じゃじゃ馬だって、そう聞いてましたッ!」
なぬ? 気が強い事は否定しない。でも、誰がじゃじゃ馬だ、誰が! そんな噂したヤツ、覚悟しておけ! 葵ちゃん印のハリセンで叩きのめしてやるからな! 怒りに震える私を、ブロイエさんが顔を青ざめさせて見つめている。けれど、この際、そんな些細な事、気にしない。誰だ! 誰が言った!
「ローザさん。この子、怖いよぉ!」
ブロイエさんは叫ぶと、半泣きでローザさんの腰のあたりにしがみついた。ブルブル震えるブロイエさんの頭をよしよしと撫でているローザさんは、まるでお母さんのようだ。この夫婦の力関係が少し分かったかもしれない……。脱力する光景に、私の怒りのボルテージが少し下がった。
「お話を元に戻しても宜しいですか、アオイ様?」
「はあ……」
「私がお聞きした限り、現在、貴女様の身の回りのお世話をしているのは、そこの――」
「アイリスです」
ローザさんと目が合ったアイリスが、慌てて頭を下げた。ローザさんはそんなアイリスを、目を細めて見つめている。聖母のような微笑。私には絶対に真似出来ない。
「そう。アイリスちゃんとおっしゃるの。宜しくね。アオイ様のお世話をしているのは、アイリスちゃんだけ、なのですよね?」
「はあ。まあ……」
正しくは、アイリスとラインヴァイスが世話をしてくれている。でも、ラインヴァイスは世話係にカウントしてはいけない。だって、彼は近衛師団の団長で、どう考えても国の要人だから。ローザさんやブロイエさんに調子に乗っていると思われても嫌だし、あえて訂正はしない。
「この子だけでは手に余る事もあるのでは?」
「はあ……」
「ですので、私もお世話係りとして――」
「いやいやいや。宰相様の奥様に、そんな事、させられません!」
「あら。そんな事だなんて。アオイ様のお世話を出来るなんて、大層名誉な事ですのに」
「は?」
名誉? 何で私のお世話係りが名誉な事なの? う~んと……。あっ! あれか! 異世界から来た人は珍しいからとか、そんな理由か!
「竜王様の想い人ですよ? 名誉な事よね、アナタ」
「ですよねぇ」
ローザさんとブロイエさんはお互いに顔を見合わせながら、「ねぇ」と言うように、コテンと頭を倒した。何だ、このシンクロ。いい年した人達がやる仕草じゃないのに、何故だか可愛らしく見えてしまう。ちょっとだけ私の目尻が下がったが、すぐに真顔になった。ちょっと待て。想い人だって? この二人、何でそんな事、知ってるんだ? 今日、お城に来たばっかりのはずなのに!
「ちょっ、待って下さい! 何でそんな事、知って――」
「あらぁ。この国に、アオイ様の事を知らない人なんておりませんよ? 皆、竜王様のご寵愛を受ける女性がどんな方なのか、興味を持っておりましたから」
「ななっ!」
何だってー! そ、そうか。だから私、噂されているのか! って事は、さっきブロイエさんが言っていた事は、国中で噂され――。考えるのはよそう。精神衛生上、良くない!
「根も葉もない噂だなんておっしゃりませんよね? 事実、竜王様はアオイ様とのお時間を作りたいが為に、隠居していたうちの人を宰相にと推したのでしょう? ねえ、竜王様?」
ローザさんがシュヴァルツを上目遣いで窺った。この人、ほんわかした雰囲気を醸し出していて物腰は柔らかいけど、何が何でも我を貫き通すタイプなんじゃ……。話し方と言うか言い方が、うちのお母さんとよく似ているような……。こういう人は、我を通す為に口八丁、手八丁をしてくるはず。気を付けなければ!
シュヴァルツは私の隣でふんぞり返って、上から目線でローザさんを睨んでいた。と思ったら、諦めたように溜め息を吐いた。
「ああ」
「では、確認なのですが、私共の出した条件、お忘れではないですよね?」
「ああ。ローザをアオイの世話係とする。無論、忘れてなどいない。だが、アオイの意思は憂慮すべきだと伝えていたはずだ」
「ええ。アオイ様がどうしても嫌だとおっしゃるのなら、このお話は無かった事にと、そう思っております。本日中にでも、領地の城に戻らせて――」
「だが、それは私にとっても不本意だ。だからこうして同席している。アオイを説得する為に、な」
あら? シュヴァルツが何時に無く素直な気がする。もしかして、シュヴァルツってば、ローザさんの事、苦手なんじゃ……。まあ、こういうほんわかしつつも言いたい事を言うタイプの女の人に、口で勝てる人ってそうそういないだろうし……。口下手なシュヴァルツが苦手意識を持つのも仕方ないか。
「ですって、アオイ様」
「え? あ、え?」
ちょっと整理しよう。ブロイエさんが宰相になる条件は、ローザさんが私の世話係になる事らしい。それはシュヴァルツも了承している事だし、私が嫌がっても説得するつもりみたいだ。私がここで素直に「いいよ」と言えば、誰の手を煩わせる事無く、ブロイエさんが宰相になってくれる。みんなの希望通りの結果になる、と。
私には、ブロイエさんに宰相になってもらわないと困る理由がある。宰相がいなければ、シュヴァルツは日々の業務に忙殺され、私に魔術を教えてくれる時間なんて取れないから。それは私にとっても不都合極まりない。だったらこの条件、大人しく飲むべきだろう。
「分かりました。明日から、宜しくお願いします」
「ええ、こちらこそ。どうぞ宜しくお願い致します」
私が頭を下げると、ローザさんも微笑みながら会釈をした。女性らしい仕草だ。この人には世話係じゃなくて、マナー講師でもしてもらった方が良いのではないだろうか……。
「では、話もまとまったところで!」
ブロイエさんがにっこりと笑い、静かに控えていたラインヴァイスに目配せをした。ラインヴァイスは微笑みを返しながら頭を下げると、ティーセットの乗っていたカートの下段から、一本のボトルと数個のグラスを取り出し、テーブルの上に置いた。何だろう、これ……。
「僕の領地はベリーが名産でね。本日はベリー酒をお持ちしました。アオイさんのお口に合うと良いんだけど」
ブロイエさんのお土産なのか。でも、ベリー酒……。お酒、飲まないって決めたのにな……。でも、飲まないと失礼だよなぁ。参ったなぁ……。




