挨拶 1
汗ばむ陽気が続くようになってきた頃、私は一通り、初級の魔術教本をマスターした。とは言ってもこの教本、本当に魔術の触りの触りしか載っていなかったらしい。マスターしても、簡単な魔術を一通り出来るようになっただけだった。魔道書に記載されている内容を基に魔法陣を描く方法、魔法陣から魔術を発動させる方法、発動した魔術を魔力媒介に記録させる方法、記録した魔術を、魔法陣を使わずに魔力媒介から直接発動させる方法が理解出来ただけ。いや、それだけ出来るようになれば十分なのだろうか?
「はぁ~。終わった~……」
私はぐったりとテーブルに突っ伏した。そんな私を、アイリスがじっとりとした眼差しで睨んでいる。アイリスが不機嫌な理由は簡単だ。私がアイリスを置いてけぼりにしたから。実は、アイリスは初級魔術教本をまだ三分の一も終えていない。スタート日が同じでも、勇者補正らしきもので識字が出来、なおかつ複数カテゴリーに適性がある私の方が教本の理解が早いからか、一つ一つの魔術習得が早かった。アイリス自身、それは仕方ない事だと理解はしているのだろう。でも、やっぱり面白くないんだ。アイリスを置いてけぼりにしたの、不可抗力とでも思ってくれないかなぁ……。ごめんね、アイリス。
「これで明日から中級の魔術、習えるんでしょ?」
「ええ」
私はテーブルから顔だけ上げ、正面に腰掛けているラインヴァイスに問い掛けた。すると、彼は可愛らしい笑顔を浮かべ、大きく頷いた。
「しかし、アオイ様。どの魔術を専門的に学ばれるか決められたのですか?」
ラインヴァイスの問い掛けに、私はこくりと頷いた。今日に至るまで色々と考えてみたけれど、私がやりたい道に進むとしたら、やっぱりこれしかない。
「私、戦い方を知りたい」
「戦い方……。それは――」
「うん。一人前の魔剣士、目指したいんだ。リリーの事もあったし、初めは治癒術師も良いかなぁなんて思ってたんだけど、フォーゲルシメーレがちゃんと診てくれているし、アイリスが頑張ってこの国初の治癒術師になってくれるし。いざという時、私は皆を守れるようになりたいし、シュヴァルツの力にもなってあげたいし。それにさ、適材適所でいっても、私は魔剣士を目指すのが良いんじゃないのかなって」
「アオイ様らしいですね」
ラインヴァイスはそう言って、優しく微笑んでくれた。私が選んだ道、応援してくれるらしい。ありがとう、ラインヴァイス。
「では、明日より竜王様に魔術をご教授願いましょう。それに、剣術も」
「うん。でも、シュヴァルツ、そんな時間あるの?」
シュヴァルツはこの国の王様だし、色々忙しいに決まっている。私の為に時間なんて取れないだろう。特に、シュヴァルツの補佐をしていたラインヴァイスが、私やアイリスに付きっ切りで、余計に忙しくなっているのではないだろうか? もしかして、私、シュヴァルツに迷惑掛け過ぎなんじゃ……?
「それでしたら、問題は無いかと思います。この度、宰相を立てる事になりましたから。竜王様の性格上、大半の業務は宰相に任せるでしょうし」
「宰相? 誰?」
「先代の竜王様の弟君が任命されました。竜王様や私の叔父に当たるお方ですね。先代の時分に宰相をされていた経験もおありですし、これで竜王様もお時間に余裕が出来ると思います」
「へぇ。そうだったんだ。全然知らなかった。それに、叔父さんなんていたんだね」
「田舎の方に引き篭っておりましたから、アオイ様がご存じないのも無理無い事かと……。本日、奥方様と共に竜王城へ戻って来られますので、アオイ様の元へも夕食後、ご挨拶に伺うかと思いますよ」
「きょ、今日!」
何てこった。シュヴァルツに叔父さんがいるって知ったその日に挨拶とか! 何でもっと早く教えてくれないの! ああ、どうしよう。何かプレゼントでも準備しておかないといけないのかな? あっ! 挨拶の時に着るドレス、どんなのにしよう! あんまりラフな格好も出来ないし! ああ、どうしよう! どうしよう!
「アオイ様、落ち着いて下さい」
ラインヴァイスってば、クスクス笑っているけど、これは笑い事じゃないんだよ! もしも、粗相があって嫌われたらどうするのさ!
「だって、今日でしょ! 今日なんだよ! 何にも準備出来てないよ! ああ、どうしよう!」
「叔父上も奥方様も、大変お優しい方ですので――」
「で、でも! シュヴァルツの叔父さんでしょ! 準備ってものが必要だよ! 何でもっと早く教えてくれないのよ!」
「はあ……? 特別準備など必要でしょうか?」
「必要だよ! 粗相があったらどうすんの!」
「粗相? どちらかと言うと、叔父上の方が気を遣う立場だと思うのですが?」
「何で!」
「それは、まあ、色々と……」
「意味が分からない!」
ああ、何から準備しよう! あっ! まずは部屋の掃除からだ! あと、一張羅にも着替えないと! とにかく、おもてなしの準備だ!
その日の午後は、急遽、おめかしタイムとなった。あんまりラフな格好は出来ない。だって、シュヴァルツに恥をかかせることになるから。あまり私の好みではないが、ロングタイプのドレスと、それに合わせたアクセサリーを選んで試していく。どれもこれも豪華な逸品だ。豪華すぎて今まで一度も纏った事が無い物ばかり。これ、豚に真珠――。いや、考えたら負けだ。選定に集中、集中!
「どう? これなんて結構良い組み合わせだと思うんだけど!」
「良くお似合いです。ただ、色が頂けませんね」
鮮やかなブルーのロングドレスを身に纏った私を、ラインヴァイスが褒めつつも落とす。こういう言い方、地味に傷つくなぁ。駄目なら駄目で、初めからはっきりとそう言って欲しい。
「この色、結構気に入ってるんだけど。このネックレスの、水色の石とも合ってない?」
「確かに良い色ですが、青のドレスは……」
「え~? 何で?」
鏡台で後ろ姿を確認しつつ、ラインヴァイスに問い掛ける。ラインヴァイスはというと、少し離れた所で、そんな私を生暖かい目で見つめていた。何でそんな目で見ている?
「叔父上の奥方様が、青いドレスを纏われているかと思いますので」
「ふ~ん。そっか。色が被っちゃうのか。じゃあ、別のにする」
「是非とも、そうして下さい」
そう言って頭を下げるラインヴァイスに背を向けると、私はクローゼットへ向かった。そして、観音扉を開く。クローゼットの中のだだっ広い空間には色とりどりのドレスがずらっと並んでいた。毎日見ているとはいえ、改めて考えると凄い量だ。いつの間にこんなに増えたんだ? シュヴァルツってば、未だに新しいドレスを毎日持って来るんだよなぁ。着た事が無いドレスもたくさんあるから、しばらくはいらないって言ってんのに……。ノイモーントもドレス作るの、大変なんじゃないかな?
私は胸元のネックレスを外すと、クローゼットの中、隅っこに鎮座する小さい箪笥みたいなアクセサリー入れの引き出しを開き、その中に大切にネックレスを仕舞い込んだ。そして、別の引き出しを開く。その中にあるのは、血のような真紅の宝石がついたネックレスとイヤリング。これじゃないなぁ……。私は今しがた開いた引き出しを閉め、別の引き出しを開いた。そこには、虹色の輝きを放つ白っぽい石がついたネックレスと、濃いオレンジの石がついたネックレスが収まっている。これでもないし……。次の引き出しの中には、深海のような深い色のブルーの石のネックレスとおそろいのイヤリングが入っていた。これも何か違う。私は次々と引き出しを開けては閉め、開けては閉めを繰り返した。どれもこれも、コレジャナイ感が半端無い。やっぱり、小市民の私には、こんな豪華なアクセサリーは豚に真珠だ。
「お悩みですね」
ラインヴァイスが頭を悩ます私を見て、クスクスと笑っている。笑い事じゃないってのに! にしても、アクセサリーもドレスも、何でこんなにたくさんあるのさ! 一つしか無かったら、こんなに悩まなくても済むのに!
「も~! 決まらない! どぉしよぉぉぉ!」
「アオイー! これはぁ?」
クローゼットの奥の方からアイリスの声が聞こえる。ついさっきまで、すぐ後ろにいたと思ったのに。いつの間に潜り込んだんだ、アイリス!
「アイリス、アンタ、いつからそこにいるのー!」
「ついさっきー!」
そう叫びつつ、アイリスが一枚のドレスを手に姿を現した。鮮やかな紫色のロングドレス。こんなドレス、あったんだ……。黒いレースがそこかしこにあしらわれていて、雰囲気は大人っぽい。でも、紫は着る人を選ぶ色だ。一度も袖を通した事がないけど、これ、私が着て似合うのか?
渋い表情でドレスを見つめる私を、アイリスがジッと見つめている。期待に目を輝かせ、おいそれと断れる雰囲気ではない。私はこっそり溜め息を吐くと、ドレスを手に、洗面所へ向かった。
手早く着替えを済ませて洗面所を出ると、アイリスとラインヴァイスが楽しそうにアクセサリーを選んでいる最中だった。仲睦まじいようで、それはそれは良い雰囲気である。私、お邪魔虫?
「あ! アオイ! 見てー! これー!」
アイリスが私に掲げて見せたのは、一際豪華なネックレスだった。蔦を模した白銀の地金に、実に見立てた黒い宝石がそこかしこに散りばめられている。一言で言うと、ゴテゴテした派手なデザイン。私の趣味じゃない。もっとこう、シンプルなのが良いんだけどな。
「それ、私につけてって事?」
「嫌?」
アイリスががっかりしたように、しょぼんと項垂れた。ああ、アイリスのこういう姿を見ると断れない。似合うかどうかは分からないけど、今着ているドレスはアイリスが見立てた物だし、アクセサリーも試しにアイリスの見立て通りの物をつけてみるか……。
「分かった、分かった。一応つけてみるから。そんな顔、しないの」
「ん……」
アイリスは眉を下げたまま、こくりと小さく頷いた。そして、鏡台の椅子に腰掛けた私の後ろに回り、ネックレスをつけてくれる。最後にブラシで髪を梳かしてくれて完成したらしく、満足そうに一つ頷いた。アイリスの鼻の穴、膨らんでるし! くふふ! 何という可愛い顔をするんだ!
私は椅子から立ち上がると、鏡台から少し離れ、全身を確認してみた。ほうほう……。ドレスとネックレスの組み合わせは悪くは無い。悪くは無いけど、私に似合うかどうかは別問題。これ、似合ってんの? 色味は結構地味なはずなのに、何故かど派手に見えるのは私の気のせい? ケバくない?
「アオイ、きれー!」
アイリスがパチパチと手を叩き、興奮したように頬を紅潮させている。褒めらると悪い気はしない。でも、これで挨拶とか、気が引ける。第一印象が大事だし、ちょっと派手だと思うんだ。
「派手じゃない?」
「いえ。良くお似合いです」
ラインヴァイスも微笑んで、アイリスと一緒になって手を叩いている。アイリスが選んだドレスだもんね。思うところがあっても本心は絶対に言わないよね。嫌われたくないもんね。分かってるよ、ラインヴァイス。
「ん~。じゃあ、これは候補一、ね」
「ええ~! これが良い!」
「そう言われてもなぁ……」
「これが良いの!」
困った。アイリスが頑固モードになった。口をへの字に曲げ、眉を吊り上げている。この顔、これはこれで可愛い。でも、今すぐアイリスが選んでくれたこのドレスに決めないと、この後大泣きされる。参ったな……。
助けを求めるようにラインヴァイスに視線を向けるが、彼から助け船が出る気配は全く無い。生暖かい眼差しで事の成り行きを見守っていた。本格的に参った。これに決めるしかない状況になってしまった!
「うう……。分かった。分かったわよ! これに決める」
「わ~い!」
アイリスが嬉しそうにびょんびょん飛び跳ねている横で、私は盛大に溜め息を吐いた。私はアイリスに弱いと思う。弱点と言っても良いくらいに弱い。いつからこんな力関係になった?
「アイリスは良いセンスをしていますね。アオイ様の黒髪と肌の美しさを際立たせるこの配色、見事です」
ラ、ラインヴァイス! アンタ、本心で似合うって言ってたのかい! このケバいドレスを! 何てこった! 異世界のセンスは、私のそれとはかけ離れているらしい。
ラインヴァイスがアイリスを持ち上げるものだから、アイリスってば増長して胸を張っている。あ~あ。鼻高々って顔までして……。まあ、それはそれで可愛いし、良しとするか。




