診察 1
リリーの熱が下がってから数日が経ち、私がリリーをフォーゲルシメーレの元へ連れて行く日になった。フォーゲルシメーレが善意で治療をしてくれる事を話したら、意外にもリリーは治療を受ける事をあっさりと了承してくれた。本当に拍子抜けするくらいあっさりと頷いてくれた。あの様子だと、お城で貰って来た薬でも飲んでくれたんじゃないだろうか……? 地道にこの近辺の苔を根こそぎ毟り取った私の苦労って、いったい……。
フォーゲルシメーレとの待ち合わせ場所は彼の仕事場の一つ、竜王城の病室にした。別に、私の部屋でも良かったし、薔薇園でも良かったんだけど、フォーゲルシメーレが診察しやすいだろう場所を選んだ。リリーの病気を治してもらう為に、彼には良い仕事をしてもらわないといけないからね!
先導するラインヴァイスが大きな扉の前で歩みを止め、私とリリー、アイリスもつられるように足を止めた。ここがフォーゲルシメーレの病室かぁ。植物の蔦をモチーフにした繊細な彫刻が施された立派な扉は、この間の研究室の扉とは大違いだ。この扉を見る限り、相当立派な造りの病室っぽいな。この城で唯一の病室らしいし。中に入るの、ちょっと緊張しちゃう。
ラインヴァイスが扉をノックすると、部屋の中からフォーゲルシメーレの返事が聞こえた。ラインヴァイスがゆっくりと扉を開き、私達に先に入るのを促すように手で中を示す。私達はラインヴァイスにぺこりと頭を下げ、おずおずと病室の中に入った。
室内に入って真っ先に目に入ったのは、ずらっと並んだベッドだった。真っ白い清潔そうなシーツが掛けられたベッドが、ずっと向うの方まで並んでいる。この病室、いったい何床くらいあるんだ?
「こちらへどうぞ」
とろけるような魅惑的な笑みを浮かべたフォーゲルシメーレが私達に声を掛け、病室を先導して歩く。颯爽と歩く彼の背中からは、ウキウキとしたオーラが漂ってきていた。……何で?
フォーゲルシメーレに連れて来られたのは、衝立で仕切られた小さな診察スペースだった。机と椅子、小さな薬品庫があって、学校の保健室をレトロにした雰囲気だ。この広々とした病室とは、少しだけ不釣り合いな気がする。もう少し大きくて豪華な設備にすれば良いのに……。
「どうぞ」
そう声を掛け、フォーゲルシメーレが椅子に腰を下ろした。人数分が用意されていた椅子に、私とアイリス、ラインヴァイスも腰を下ろす。リリーは、何故かその場で立ち尽くしていた。
「リリー?」
私がリリーを見上げると、リリーが気まずそうに私から視線を逸らして俯いた。
「座らないの?」
アイリスがそう言い、心配そうにリリーを見つめている。
「あの……私……私、治療は受けられません……」
リリーは顔を上げたかと思うと、唐突にそう言った。治療は受けられない? だって、今日はフォーゲルシメーレにお薬を貰う為に、きちんと身体の状態を診てもらおうって話したのに……。何で急にそんな事、言い出すの?
「リリー、何言って――」
「今日はそれをはっきりお伝えしようと思って伺いました。私の為に薬草を一生懸命集めてくれたアオイには感謝しています。こちらの薬師の方にも。こうしてお時間を作って下さって……」
「だったら――!」
「だからこそ、ですわ。私には恩に報いる術が、無いの……」
そう言ったリリーの目には、今にも零れ落ちそうな程、涙が溜まっていた。リリーの身体が小刻みに震えている。必死で泣くのを堪えているのだろう。
「……お嬢さん。取敢えず、座りませんか? お茶くらい、飲む時間はあるでしょう?」
口を開いたのはフォーゲルシメーレだった。惚れ惚れするような優しげな微笑みを浮かべている。リリーは目元を指で拭いながら小さく頷き、椅子に腰を下ろした。
フォーゲルシメーレが、机の上のティーセットで人数分のお茶を淹れてくれる。私はティーカップを受け取ると、無造作に口を付けた。あっつ! 口の中、火傷した。しくしくしく……。
「で。どういう事でしょうね?」
フォーゲルシメーレは足を組んでお茶を飲みつつ、考えるように視線を彷徨わせた。リリーはティーカップを両手で包むように持ち、思い詰めたような表情でその中を見つめている。
「恩とはすなわち、恵みや情け。それに報いるという事は、それに見合う物を返す、という事ですか? 孤児ならば、それに見合う価値のある物は持ち合わせていない。ふむ……。それも道理ですかねぇ」
「ちょっと! フォーゲルシメーレ!」
リリーの悪口なら許さないよ! 私がキッとフォーゲルシメーレを睨むと、彼は肩を竦めた。
「失敬。今のは言い過ぎでしたね。撤回致します。しかし、私には、返せるものが何も無いなどとは思えないのですよねぇ。彼女がそれを分かっていないようでしたので、少々苛立ってしまいました」
苛立ったって、こんな穏やかな顔で? リリーも私と同じことを思ったのか、ティーカップに口を付けながら苦笑するフォーゲルシメーレを呆然と見つめていた。
「アオイ様の立場になればこそ、分かるものもあるかと思うのですが? それすら分からないなど、友人と言っても、所詮、その程度の間柄という事ですか。アオイ様も苦労のし甲斐がありませんね」
フォーゲルシメーレはリリーの反応を窺うように言葉を切った。今日のフォーゲルシメーレの言い方、少し棘がある。顔はいつも通り穏やかだし、とろけるような笑顔も見せてくれるけど、言い方が何時に無いほどきつい。苛立っているというの、本音だろうなぁ。
「アオイの立場……」
「ええ、そうです。アオイ様が望む事、それは貴女に元気になってもらいたい。ただそれだけだと、私はそう思っておりましたが? 貴女が取るべき行動はただ一つだというのに、それすら分からないとは……」
やれやれといったように首を振ったフォーゲルシメーレが、同意を促すように私に視線を送る。私はその視線に苦笑を返した。
「確かに。私はフォーゲルシメーレの言うように、リリーに元気になってもらいたいんだ。だって、リリーが元気無いと、孤児院のみんな元気無いんだよ? もし、私が薬草を集めた事に、リリーが恩とかを感じているんだったら、治療、受けてくれないかな?」
上目遣いでリリーを見つめると、リリーが逡巡するように視線を彷徨わせた。
「でも、アオイ。私、診て下さるこちらの薬師の方へのお礼――」
「ああ……。それでしたら、全く、問題ありませんよ」
フォーゲルシメーレはそう言うと、それはそれは良い笑顔をした。全くの所に思いっきり力が入っていたけど、嫌な予感しかしないんですが……。フォーゲルシメーレさん。リリーに変な事、言わないでね? 変人と知り合いって思われるの、私、嫌だからね?
「貴女が私の妻となって下さるのでしたら、私は全身全霊を込めて薬を作――」
満面の笑みを浮かべたフォーゲルシメーレが全て言い終わらないうち、ラインヴァイスが電光石火の速さでフォーゲルシメーレの頭を鷲掴んだ。と思ったら、そのまま机に叩き付ける。机、くの字に拉げちゃった……。机に頭を埋めたまま、フォーゲルシメーレはピクリとも動かない。
「フォーゲルシメーレ」
ラインヴァイスが絶対零度の声色でフォーゲルシメーレの名を呼んだ。机に頭を埋めたままのフォーゲルシメーレを見下ろすラインヴァイスの目が据わっていて、無茶苦茶怖い! 少年のこういうところ、シュヴァルツとそっくり! 涙がちょちょ切れそうなんですけどっ!
突如、私のすぐ後ろに人の気配が出現した。この威圧感、振り向かなくても分かる。シュヴァルツだ! や、やばっ! ラインヴァイスの事を本気で怖がっていたら、それ以上に怖い、恐怖の大魔王を召喚してしまった! ああ、どうしよう! どうしてこんな事になった!
「何事だ」
そう言ったシュヴァルツの声は苛立ちを孕んでいた。後ろから不穏な空気が漂ってくる。怖いよ! リリーとアイリスが泣いちゃいそうだから、せめて不機嫌そうにするのは止めて!
騒ぎの原因のラインヴァイスとフォーゲルシメーレは、床に片膝をつき、騎士の礼ポーズで頭を下げている。てか、いつ復活したんだ、フォーゲルシメーレ!
リリーとアイリスも慌てて床に両膝をつき、胸の前で手を組むと頭を垂れた。私も椅子から腰を浮かせ、リリーとアイリスに倣おうとすると、シュヴァルツが私の肩に手を置き、私を押しとどめた。驚いて後ろを仰ぎ見ると、シュヴァルツが小さく首を横に振る。私はこのままで良いの?
「お騒がせして申し訳ありません、竜王様」
ラインヴァイスが静かに口を開く。ラインヴァイスとフォーゲルシメーレ、内心焦っているんだろうな。二人の頬に一筋の汗が流れたのを私は見逃さなかった。
「フォーゲルシメーレがあまりにも馬鹿げた事を申しましたもので……。私がつい感情的になり――」
「何を言った」
「はい。娘の病を診る代わりに妻に、と……」
「ほう……」
ラインヴァイスの答えを聞いたシュヴァルツの目が、スッと細められた。シュヴァルツは面白い物を見る目でリリーとフォーゲルシメーレを見つめている。でもね、シュヴァルツさん。全身黒ずくめの大魔王スタイルの貴方がその表情をすると、正直、凶悪すぎて心臓に悪いんですよ。リリーとアイリスが怯えるから、やめてくれると助かります。
「フォーゲルシメーレ。誠か」
「はっ」
「聞いた話では、お前は薬師の矜持に掛け、病の者を捨て置けぬと申したそうだが」
「は。勿論、そのつもりでしたが……」
「何だ」
「は、はい。孤児院の者と聞き、アイリスのような幼子だと思っておりまして……。まさか、年頃の娘などとは思ってもおりませんでした。それで、その……」
「一目見て、その娘が欲しくなったか」
「……はい」
フォーゲルシメーレは戸惑いがちに頷いた。最低だ。ダメな大人が目の前にいる。そりゃ、リリーは守ってあげたいタイプの美少女だ。こういうタイプの子に一目惚れする気持ちも分からなくはない。でも、立場を利用して手に入れようとするとか、最低すぎる! 見損なったぞ、フォーゲルシメーレ! シュヴァルツにキツイお灸を据えてもらうと良い!
「娘」
「は、はい」
シュヴァルツの呼びかけに、リリーが慌てたように返事をした。リリーの身体は小さく震え、怯えているのが手に取るように分かる。大丈夫だよ、リリー。いくらシュヴァルツが怖い顔しているからって、別に取って喰ったりはしないから。……たぶん。
「この男はこう見えて、優秀な薬師だ。そして、我が近衛師団第二連隊長でもある。もし、そなたに心に決めた男がいないのであれば、この話、前向きに検討してはくれまいか」
「ちょっと、シュヴァルツ! 何言ってんの! そんなの無理に決まってるでしょ!」
私は思わず立ち上がり、シュヴァルツを睨んだ。フォーゲルシメーレにお灸を据えてくれるかと期待したのに、全くその気が無いどころか、口添えまでするなんて! シュヴァルツは私の視線に怯む事無く、上から私を見下ろしている。
「二人は今日、初めて会ったんだよ? しかも、病人と薬師って関係なんだよ? 急にそんな事言われて、前向きに検討なんて、出来る訳無いでしょ!」
「何故」
「だって、結婚だよ? 一生を決める、大事な事なんだよ? お互い、よく知りもしない。立場だって全然違うのに!」
「今すぐどうにかなれと言っている訳では無い。それに、検討した結果、駄目だったとしても娘を責めるつもりも無い」
ん? シュヴァルツのこの発言……。時間を掛けてフォーゲルシメーレの事を知って、良いなと思ったら結婚してあげてって事? 結婚の強制もしないって事? じゃあ、受けるも断るも、リリー次第って事だよね……。魔人族の結婚事情の厳しさを考慮しての発言だったのかな? 本当にシュヴァルツは言葉足らずだ。もっときちんと説明したら、本当は色々配慮してくれている優しい人だって皆に知ってもらえるのに! 何でちゃんと言わないの!
「どうだ、娘。病気の治療も、当初の予定通り無償で行わせよう。治療と先程の話、分けて考えて構わない」
「はい。お、仰せのままに……」
リリーは小さく震えながらそう答えた。シュヴァルツはリリーの答えを聞き、ニヤリとした笑みを浮かべると、フッと虚空に姿を消した。私以外のその場にいた全員が、ホッと安堵の息を吐く。みんな、シュヴァルツがいつ怒りだすか、戦々恐々としていたらしい。
「――では、お嬢さん。診察をしましょうか?」
私が冷めてしまったお茶を口にしていると、フォーゲルシメーレがにっこりと微笑みながらリリーの手を握った。フォーゲルシメーレの顔、若干赤い気が……。それに、呼吸が荒くなっているような……。興奮を示すように、彼の口元からは鋭い牙が覗いていた。手を握られたリリーは、青ざめた表情でそんなフォーゲルシメーレを見つめている。これ、魔人族が怖いとか以前の問題じゃ……。
「大丈夫。痛いのはほんの一瞬ですから」
「いや……」
「怖くありませんよ。身も心も私に委ね――」
「やっ……!」
ハアハアと荒い息で迫るフォーゲルシメーレと、青い顔で身を引くリリー。これ、セクハラっぽくないか? フォーゲルシメーレをどうにかした方が良いのか私が逡巡していると、ラインヴァイスがアイリスに何かを耳打ちしたようだった。アイリスがこくんと頷き、ギュッと目を閉じ、両手で耳を塞ぐ。ラインヴァイスはそんなアイリスの様子に目を細めていた。かと思うと、アイリスのアダマンティンの杖を手に取り、黒い笑みを浮かべて立ち上がった。
ええっと、ラインヴァイスさん? 私の想像が正しいなら、その世界一硬い金属の杖でフォーゲルシメーレを殴る、とか――? いや、私は何も見てない! 聞こえない! 私もアイリスに倣い、目を閉じ、耳を塞いだ。次の瞬間、変な振動が伝わってくる。微かに破壊音が聞こえるけど、それはたぶん私の気のせいだ。気のせい、気のせい、気のせい……。ここ、城で唯一の病室なのに、壊して大丈夫なのかなぁ……?




