先生 1
カーテンが開けられ、眩い光が私の瞼を焼く。何でこんなに早く起こすの。あと五分……。私は窓のある方へ背を向けるように寝返りを打つと、頭から掛け布を被った。
「朝ですよ。起きて下さい」
あれ? 今日のラインヴァイスの声、やけに高い……。ああ、そうか。この声、アイリスだ。私の専属メイドになったから、起こしに来るのもアイリスなのか……。
「アイリス、あと五分……」
「ごふんって何? アオイ、起きて?」
「じゃあ、あと十分……」
「ア~オ~イ~!」
身体がゆさゆさと揺すられる。昨日なかなか寝付けなかったんだから、もうちょっと寝かせてよ……。私を揺さぶるアイリスの手から逃れるように、私は再び寝返りを打った。
「むぅぅぅ!」
アイリスの不機嫌そうな唸り声が……。ああ、意識が遠くなって……。気持ち良い……。
「アオイ!」
「ぐぇっ!」
突如、身体にずっしりとした重みが圧し掛かり、私は堪らず、カエルが轢かれた時のような声を上げた。お、重い……!
「起きろー!」
アイリスが私の耳元で叫ぶ。ああ、折角ウトウトしていて良い気持ちだったのに……。
「アイリス。主人に何て事を……」
ラインヴァイスの呆れた声と、カチャカチャという食器の音が聞こえる。もう朝食の時間なのか……。よし、起きよう……と思ったけど、やっぱりもう少し……。
「アオイ! 起きてってば!」
「んん~……。分かったわよ……。起きる……」
私が返事をすると、身体の上のずっしりとした重みが消えた。仕方なくベッドから上体を起こすと、私の目の前にメイド服のアイリスがちょこんと座っていた。濃紺色のワンピースと、白いエプロン姿。フリルの付いたエプロンとホワイトブリムがとってもプリティー。
「アイリス、おはよ……」
「おはよ。アオイ、寝起き悪い!」
不機嫌そうに口をへの字に曲げたアイリスが、ぷーっと頬を膨らませ、抗議の視線を投げてくる。そうは言われてもなぁ……。昨日、なかなか寝付けなかったんだもん。
「うん。ごめん、ごめん。昨日、遅かったからさぁ。ふあぁぁ~」
欠伸をしながら伸びをする。今日の朝ごはん、何かな……? ふと、テーブルの方に目を向けると、ラインヴァイスと目が合った。にっこりと微笑むラインヴァイス。何故、「あえて言われなくてもちゃんと分かっていますからね」と言いたげな目をする。何を悟ったというんだ、少年!
「何?」
「いえ。昨日は遅かったのか、と」
「そうよ。なかなか寝られなかったんだもん……」
「湯浴み、されます?」
ラインヴァイスが小首を傾げる。何で朝風呂……。別に、寝汗なんてかいてないよ? はっ! もしかして、私、臭いの? くんくんと自分の臭いを嗅いでみるも、ローズオイル以外の臭いなんてしない。
「アオイ、お風呂沸かすの?」
アイリスも私の目の前で、ラインヴァイスと同じように小首を傾げた。くぅ! 天使だ! 天使が目の前にいる! 何、この可愛さ!
「アイリス、今日は一段と可愛いねぇ! メイド服、よく似合ってるじゃない!」
アイリスに抱き付いて頬擦りをすると、アイリスから嬉しそうな悲鳴が上がった。ああ、アイリスが可愛すぎる!
「もう、食べちゃいたくらい可愛い!」
「ほう……。アオイの世界では、同族を食べるのか」
突如、ベッド脇に人影が現れたと思ったら、シュヴァルツの声が頭上から降ってきた。私の腕の中のアイリスがビクリと身を震わせる。私が恐る恐る顔を上げると、抱き合う私とアイリスを、眉間に深い皺を寄せたシュヴァルツが腕を組んで見下ろしていた。朝から何という怖い顔をするんだ……。
「シュヴァルツ。お、おはよ……?」
「ああ」
私が引きつった笑みを浮かべると、不機嫌そうに返事をしたシュヴァルツが無造作にアイリスの首根っこを掴んだ。そして、そのまま片手で持ち上げると、ラインヴァイスの元へ届ける。アイリスの運ばれ方、まるで子猫みたいだ。手足がプラーンとなってる……。
ベッドでアイリスが運ばれていく様を呆然と見ていた私の元へ、シュヴァルツが戻って来た。と思ったら、片膝をベッドにつき、私の方へ身を乗り出してきた。そして、私の顎に手を掛け、グイッと私の顔を持ち上げた。すぐ目の前にシュヴァルツの綺麗な紫色の瞳がある。か、顔が近い! 近いって!
「ベッドの上で抱き合い、二人で何をしていた」
ニヤリとした笑みを浮かべたシュヴァルツが問う。この顔、私をからかっているな! それが分かっているけど、近すぎる距離のせいで顔が赤くなっちゃう。昨日の事とか思い出しちゃうじゃないか! やめてよ、もう!
「あ、朝の、挨拶的な?」
「ほう……。朝の挨拶、ね……」
シュヴァルツが目をスッと細めたと思ったら、次の瞬間には私はシュヴァルツの腕の中にいた。ど、どうしてこうなった!
「ちょ、ちょっと! シュヴァルツ!」
「挨拶、なのだろう」
そう言って、押し殺すように笑うシュヴァルツの声がすぐ近くで聞こえる。何とかシュヴァルツの腕から逃れようと、彼の胸を両手で突っ張るように押すと、少しだけ身体が離れた。よし! と思ったのも束の間、シュヴァルツは私の額にキスをし、そっと腕を離した。今、わざとリップ音させたな! 何て辱め!
「ちょちょちょちょっと! シュヴァルツ!」
キスされた額を両手で押さえながら、顔を茹蛸のように真っ赤に染めて慌てる私を他所に、シュヴァルツは低く笑ったかと思うとばさりと漆黒のマントを翻し、テーブルへと向かった。何でシュヴァルツってば、今日はこんなに機嫌が良いの? 不機嫌よりはかなりマシだけど、機嫌が良いシュヴァルツも大概だ……。
ふと、テーブル脇のラインヴァイスとアイリスに目をやると、ラインヴァイスがアイリスの目をしっかりと両手で覆っていた。ナイス、少年! と思ったけど、ラインヴァイスは今の、ばっちり見ていたんだよね……。ああ、やめて! そんな生暖かい目でこっち見ないで!
食後のお茶をしながら、私は今後について考えていた。仕事、どうしよう……。あと、魔術を習うって、誰に習えば良いんだろう?
「シュヴァルツ?」
「何だ」
シュヴァルツはティーカップをテーブルに置くと、真っ直ぐと私を見つめた。シュヴァルツはこの国の王様だ。きっと忙しい。あまり時間を取らせるわけにはいかないし、単刀直入に聞こう。
「私、仕事しなくて良いの? アイリスも仕事しているのに」
「問題無い」
へぇ。問題無いんだ。って、違う! 世の中はギブ・アンド・テイクなんだ。ただで魔術を習わせてもらおうなんて、そんなの虫が良過ぎるんだって!
「いや、そうは言うけどさ……。魔術、ただで習わせてもらうって訳にもいかないでしょ? 機会をくれるシュヴァルツにも、それ相応の見返りがあっても良いと思うんだ」
「ほう……」
「だからね、私にも何か出来る事が無いかなって」
「ならば、私専属のメイドでもするか」
シュヴァルツの発した言葉に、私は椅子ごとずっこけそうになった。
「なななっ!」
「冗談だ」
あ。冗談なんだ……。真顔で言うから本気なのかと思った。良かった~。まさか、シュヴァルツの口からこんな冗談が発せられるとは……。恐るべし、シュヴァルツ!
「アオイは今まで通りで問題無い」
「でも――」
「そこまで気にする事でも無かろう」
「そうかなぁ。お城にいる人はみんな、仕事、してるんでしょ?」
ラインヴァイスはシュヴァルツの補佐。ノイモーントは仕立て屋さん。フォーゲルシメーレは薬師。ヴォルフは農夫。リーラだって庭師だったし、アイリスはメイドなんだ。私だけニートじゃん……。
「ふむ……。ならば、絵師などどうだ」
絵師……。画家さんって事? そんなんで許されるの?
「今までやっていた事とあんまり変わらなくない?」
「構わんだろう」
シュヴァルツがそう言うなら、私は文句を言う立場じゃないんだけど……。でもさ、これじゃ、ただ肩書を貰っただけのような気がする。
――アオイ。気にしなくて大丈夫だよ。皆、似たようなものだから。ノイモーントだってフォーゲルシメーレだってヴォルフだって、やっている事は趣味が高じたようなものだし。他の皆もそう。この城で必要とされている事をする。お互いにそうする事で、皆助かるんだよ。
でもさ、リーラ。絵って、この城に必要なの? 現状、たくさん飾ってあるよね?
――分かんない!
ちょっと、リーラ! アンタ適当過ぎ! いくら考えるのが苦手だからって、即答は無いでしょ! 少しくらい考えてよ!
にしても、必要とされいる事、か……。肩書にこだわらず、出来る事をする。それで良いのかな……? リーラの言葉で、少しだけ肩の荷が下りたかもしれない。
「聞きたい事はそれだけか」
「あと、もう一つ! 私とアイリス、誰に魔術を習えば良いの?」
私の質問に、アイリスがハッとしたようにシュヴァルツを見た。と思ったら、すぐに目を逸らした。怖いんだね。まだ二日目だもんね。この綺麗だけど険しい顔にはなかなか慣れないよね。分かるよ、アイリス。ドンマイ!
「ラインヴァイスが手解きをする。攻撃魔術は私が、時空魔術はラインヴァイスが、状態魔術はノイモーントが得意としている。師事するも良し。好きにしろ。赤毛の小娘は、フォーゲルシメーレに薬草の知識も聞いておけ」
シュヴァルツのこの説明、ラインヴァイスが最初の先生で、シュヴァルツ達が専門の先生になるんだね。ふむふむ……。アイリスがフォーゲルシメーレに薬草の知識を聞いておいた方が良いのは、治癒術師には薬草の知識も必要になるから、かな?
「じゃあ、今日からラインヴァイスが私達の先生だね」
「せん、せい……?」
ラインヴァイスがキョトンとした表情で小首を傾げる。そっか。学校が無いから、先生って呼び方も無いのか。
「うん。学校で子ども達に勉強を教える人の事を先生って言うの。ラインヴァイス先生、宜しくお願いします」
「よろしくお願いします」
私がにっこり笑いながらラインヴァイスに頭を下げると、アイリスもぺこりと頭を下げた。くぅ~! アイリスの仕草が可愛い! 何でちんまりしている子の仕草って、こんなに可愛いの! 癒されるぅ!
「はい。宜しくお願い致します」
ラインヴァイスも嬉しそうな笑みを浮かべ、優雅な仕草でお辞儀をした。ラインヴァイスは礼の一つ取っても絵になるなぁ。私とは大違い。魔術だけじゃなく、マナーも併せて教えてもらおうかな……。




