孤児院 1
ラインヴァイスが怪我をしてから一週間程の間、私の身の回りはノイモーントが手伝ってくれていた。そして、シュヴァルツは忙しいだろうに、朝だけでなく夜も一緒に食事をとってくれている。それでも、この世界に来てから世話をしてくれていたラインヴァイスがいないのは寂しいと感じてしまう。シュヴァルツに気を遣ってもらっておいてこんな事言っていたら、罰が当たったりするのかな……?
小さく溜め息を吐きながら、私は薔薇園への入り口をくぐった。ラインヴァイスが怪我をしてから、全然部屋から出る気になれなかった。だから、今日は久しぶりの外出だ。本当は未だ出歩く気分じゃないんだけど、ノイモーントに「身体に良くないから、少しは散歩してきなさい!」って怒られちゃったんだ。彼は言う事がどこぞのお母さんみたい。で、今日の私は日曜日にゴロゴロしていて怒られるお父さん。世のお父さんの気持ちが今日、少しだけ分かったよ。
遠目に見えるガゼボには先客がいた。黒い姿と白い姿。もしかしなくても、シュヴァルツとラインヴァイスだ! 私はガゼボに向かって全速力で駆け出した。
「ラインヴァイス!」
私が息を切らせながらガゼボに飛び込むと、ラインヴァイスは驚いたように目を見開いた後、いつもの可愛らしい顔で微笑んだ。
ラインヴァイスの顔の左側には、痛々しい傷跡が残っていた。左目は固く閉ざされている。この間の怪我が原因で……。
「ラインヴァイス、あの……もう、怪我、大丈夫なの?」
「ええ。フォーゲルシメーレの薬のお蔭で。あ。でも、あと二、三日は休んでいろってフォーゲルシメーレが。心配性ですよね」
あははと声を出して笑うラインヴァイスはとても元気そうだ。良かった。あと二、三日したら戻ってこられるのかな? それは素直に嬉しい。でも、私のせいで、取り返しのつかない事になってしまった……。
「ラインヴァイス。その……ごめんなさい。私のせいで、左目――」
「いえ。アオイ様の責任ではありません。全て私の未熟さ故に起こった事。貴女が気に病む事はありません」
微笑むラインヴァイスの優しい言葉に、目から涙が溢れてきた。そんな私の腕をシュヴァルツが掴み、隣に座らせた。そして、優しく頭を撫でてくれる。私を労わるような優しい手つきだ。二人の優しさに、何だか余計に泣けてきた。
「ところで、アオイ様?」
「うん?」
ラインヴァイスに呼ばれ、私は目元を袖で拭うとラインヴァイスを見やった。彼は悪戯っぽい笑みを浮かべている。
「あの後、城の外には行ったのですか?」
城の外? 行ってません。そんな気になれなかったもん。私はフルフルと首を横に振った。
「やはり行かれていないのですね。どうです? 今日、行ってみませんか?」
ちょっと待って。ラインヴァイスってば、今何て言った? 今日、行ってみませんかって? 私が城の外に出るの、反対じゃないの? それに、そんな事言って、シュヴァルツに怒られたりしないの? 私は恐る恐る、私の頭を撫でているシュヴァルツの顔色を窺った。
「何だ」
シュヴァルツは私の視線に気が付くと、不機嫌そうにフンと鼻を鳴らした。そして、ラインヴァイスを睨みつける。
「ラインヴァイス。分かっているだろうな」
「ええ。絶対に、アオイ様には怪我一つさせません」
ラインヴァイスがにっこりと笑いながら頷くと、シュヴァルツはニヤリとした笑みを浮かべた。シュヴァルツのこの表情……。私が外に行く事、許してくれるって事だよね?
「シュヴァルツ、良いの?」
「ああ、行って来い。但し、これを持っていろ。アオイの守り刀だ。それと、この間と同じような目に遭ったら私の名を呼べ。声が出せなかったら、心の中で呼べば良い。すぐに助けに行く」
「うん。ありがとう」
シュヴァルツが差し出したのは短剣だった。刀身が薄らと光を発している。そんな不思議な金属で出来た短剣をシュヴァルツの手から受け取り、私はにっこりとシュヴァルツに笑い掛けた。シュヴァルツもフッと笑みを零す。
「では、アオイ様。行きましょうか?」
「うん!」
こうして、私はラインヴァイスと共に薔薇園を後にした。
明るい回廊をラインヴァイスと共に歩く。それだけなのに、何故かワクワクしてしまう。今日は天気も良いし、まさにお出掛け日和!
「ねえ、ラインヴァイス?」
「何でしょう?」
「目的地、この間と一緒だと、また危ない目に遭わないかな? もっと安全な所にした方が良いのかな?」
私は前を歩くラインヴァイスに問い掛けた。私だけ怪我をするならまだ良いんだ。でも、またラインヴァイスが怪我をしたり、万が一死んでしまったりしたらもう立ち直れないもん。だから、今回のお出掛けはなるべく危険を排除したいんだ。その為だったら、目的地だって何だって変更するよ。
「目的地はそのままで、通る道を変えれば大丈夫です」
ラインヴァイスは私を振り返ると、にっこりと可愛らしく笑った。
「私に気を遣わなくても大丈夫だからね? もし、もっと安全な所を知っているんだったら、私は別に――」
「いえ。あそこ程、城から近い人族の家はありません。ただ、本日は極力、城の中を移動しましょう」
「外に出る所をこの間と変えれば安全なの?」
「ええ。但し、旧区画に入ると少々面倒な事になりそうですので、ここからは庭を通ります」
回廊の終わりが近づいたところで、ラインヴァイスは城の庭に出た。私もリーラに足鎧を出してもらい、慌ててその後を追う。
今日通る庭は、城壁の大穴がある庭とは違い、全く雪かきがされていなかった。誰も足を踏み入れていない庭をラインヴァイスと共に進んでいく。新雪を踏みしめる特有の感触に、私のワクワクが最高潮! おっと……。いけない、いけない。こうやって浮かれていると碌な事が起こらないんだ。気を引き締めなければ! 気合入れに頬を両手で思いっきり叩いたら、ラインヴァイスに苦笑されてしまった。
城壁の扉を抜けると、そこは見渡す限りの雪景色。遠くにレンガ造りの家が見える。あれが、私が窓から毎日見ていた家? 小さいかと思っていたけど、こうやって見ると結構大きいな。
「アオイ様」
「ん? 何?」
「その短剣ですが、そのまま手に持たれていては……」
ラインヴァイスに指摘され、初めて気が付いた。私、短剣を手に持ったままだった。このまま人家に近づいたら強盗っぽくない? シュヴァルツから受け取ったは良いけど、これ、どうしよう……。
――私が預かってようか?
リーラから有り難い提案が! でも、預かるってどうやって? そんな事、出来るの?
――魔鉱石の短剣だから出来るよ! 必要な時、すぐに錬成してあげるよ!
おお! 凄いな、リーラ! 万能だね。
――えへへ~。でも、シュヴァルツ兄様もそのつもりでその短剣、渡したんだと思うよ?
ん? どういう事?
――昔からね、魔鉱石で出来た物って、ドラゴン族の防具錬成みたいに、精霊持ちの魔術師が錬成したり消したりって出来たから。
ふーん。魔鉱石の武器、防具って、精霊と契約している魔術師の専用みたいな物?
――うん。使い勝手が良いんだよね。私は防具しか錬成してあげられないから、これがあればかなり心強いね。それにしても、シュヴァルツ兄様も思い切った事、したなぁ。私が知っている限り、これ、城の宝物庫の中で一番高価な武器だからね。メーア大陸だったら、ちょっとしたお屋敷が建てられるくらい高価な代物なんだよ。
「何だってえぇぇぇ!」
リーラの爆弾投下に思わず叫んでしまった。隣でラインヴァイスが目を丸くしているけど、今はそんな事気にしていられない。ど、どうしよう……。知らなかったとはいえ、お屋敷が建てられるくらい高価な武器を貰ってしまった……。今から城に引き返して、シュヴァルツに返品しようかな……。
――アオイ、アオイ。返さないであげて。シュヴァルツ兄様、絶対にショック受けるから。
冷静にリーラがツッコミを入れてくる。それにしても、白マントといい、この短剣といい、やってしまった感が半端無い。人から――いや、シュヴァルツから物を貰う時は慎重に。この世界に来て教訓が出来た。
――あ。因みに、魔人族の男の人って愛情の深さを示す為に、自分の感覚で価値が高いと思う物を贈る傾向があるからね。シュヴァルツ兄様がアオイに、宝物庫で一番高い武器を渡した意味、分かるよね?
そう言ったリーラの声色から察するに、今、絶対にシュヴァルツとそっくりのニヤリとした笑みを浮かべている。顔が見えないのに想像出来てしまうとは。流石は兄妹! って、違う、違う。やっぱり、この短剣返しに行こうかな……。シュヴァルツの好意が分かっていて、こんな高価な物をお構いなしに貰える程、図々しくはなれないよ。よし! 今すぐ返しに行こう!
――アオイを義姉様って呼ぶ日が来るの、楽しみにしてるから!
リーラが嬉しそうに叫んだ瞬間、私の手の中の短剣が光の粒子になって消えた。へぇ。精霊に預ける時、こうなるんだ。って、違う! ちょっと、リーラ! アンタが預かっちゃったらシュヴァルツに返せないじゃない! 何て事すんの! 出して! 今すぐ、短剣出して!
――あはは! 無~理~!
リーラの楽しそうな笑い声……。リーラってば、私をからかって遊んでいるんだな。錬成はリーラの担当だし、もう私じゃどうにもならない。油断した……。リーラの性格を考えると、私がシュヴァルツに短剣を返そうとする度に邪魔しそうだし。うう……。返すのは諦めるしかないのか……。
――そそ。諦めが肝心だよ。
リーラ! 覚えておきなさいよ! この事、絶対に仕返ししてやるんだからね!
「では、アオイ様。そろそろ行きましょうか?」
「あ、うん。待たせてごめん」
ラインヴァイスが先導して雪原を歩いて行く。私も置いて行かれないよう、その背を慌てて追い掛けた。




