城外 2
目指す家は城の反対側らしい。私とラインヴァイスは城壁に沿いながら、人族の家を目指して歩を進めた。寒いけど楽しい。ワクワクが止まらない! どんな人達が住んでいる家なのかな? 早く行って確かめたい!
遠目に見えるあの森が、いつも私が窓から見ている森なのかな? おとぎ話に出てくる森みたいだなぁ。
突如、狼のような遠吠えが響き、ラインヴァイスが歩みを止めた。怪訝そうに眉を顰めるラインヴァイスが、森の方へ目をやる。私もつられて視線を森へ向けた。
自慢じゃないが、私は目が良い。勉強だって、ゲームだって、読書だって、それなりにしてきたのに、何故か視力が落ちる事は無かった。視力検査ではいつも褒められていた。それくらい、目が良いんだ。そんな私の目に、大きな狼っぽい生物と、それに追われる赤毛の女の子が写った。粗末なワンピースと、コートとマントの中間くらいの上着を羽織っている女の子は、たぶん七、八歳。あんな子どもの足じゃ、絶対に狼から逃げきれない!
「ラインヴァイス!」
「分かっています!」
私はラインヴァイスと共に、女の子を目指して駆け出した。リーラの作り出した鎧のお蔭だろうか、雪に足を取られる事は無い。走りやすい!
必死の形相で逃げる女の子の元にもう少しで追いつこうかという時、女の子が雪に足を取られたのか、盛大にひっくり返った。そこに襲い掛かろうとする狼。間に合わない! そう思った瞬間、ラインヴァイスが腰の剣を引き抜くと、狼に向かって投げつけた。一瞬、剣に気を取られた狼の動きが止まる。そして、警戒するように後退りながら、私たちに向かって低く唸り声を上げた。
一歩先を走るラインヴァイスが一瞬光ったと思ったら、白銀鎧を身に纏っていた。本当に魔法だったんだ……。って、違う、違う! 女の子!
私は倒れたままの女の子の元へ行き、女の子を引き起こした。そして、背中側に庇うように隠す。ラインヴァイスは剣を回収し、狼と対峙していた。
目の前の狼は体長二.五メートルくらい。真っ白い毛並みが綺麗だけど、流石は狼と言うべきか、狂暴そうな顔つきをしている。歯を剥き出しにして唸る姿は迫力満点。見ているだけで足がガクガクするよぉ。でも、震えてなんかいられない! だって、私の後ろには幼い女の子がいるんだから!
私は女の子を背中に庇ったまま、じりじりと後退った。こういう時、絶対に猛獣から目を逸らしたらダメだって、テレビで観た覚えがある。ゆっくり、ゆっくり、刺激しないように……。そんな私の動きを知ってか知らずか、ラインヴァイスは剣を構えたまま、狼と対峙して動かない。
突如、狼が吼え、ラインヴァイスに向かって突進した。大きな身体の割に、動きが素早い! ラインヴァイスが剣を一閃させるも、狼は軽々とその軌跡から逃れた。狼がラインヴァイスに向かって前足を振り下ろす。その攻撃を剣で受け止めきれず、ラインヴァイスが雪の中を転がった。そして、狼が次に視線を向かわせた先は私。狼がこちらに向かって突進してくる。マ、マジですか……?
「アオイ様!」
――アオイ!
雪の中で上体を起こしたラインヴァイスと、リーラの叫び声がほぼ同時に聞こえる。一瞬、視界が眩い光に包まれ、直後、鈍い衝撃が全身を襲った。そして、再び衝撃がくる。雪の中を跳ね飛ばされたのだろう、真っ白い視界がぐるぐる回る。さっき、確かに雪の中を転げ回りたいとか思ったけど、こんなの望んでないし!
「いたたっ……」
大したダメージは無かったけど、少し目が回った。むっくりと雪の中で身体を起こすと、目の前に真っ白い狼がいた。金色の瞳、剥き出しの牙、太い前脚……。呆然と狼を見つめる私に向かって、鋭く長い爪がある前脚が振り下ろされる。うそ~ん! これ、絶対に当たったらいけない攻撃じゃん!
「ひいぃぃ!」
私が涙目になって情けない叫び声を上げた瞬間、狼の姿が私の視界から消えた。呆然とする私の目の前に、白くて細長い物体がユラユラと揺れている。何、これ……?
白い物体の先を辿ると、雪の中に見慣れない生物が鎮座していた。雪みたいな真っ白い鱗がある身体、金色の瞳……。こ、これ、ドラゴンじゃない? 真っ白いドラゴンだ!
純白のドラゴンは、低い唸り声を上げながら狼と対峙していた。ドラゴンの大きさは、私の目の前で揺れる尾の先まで入れると優に四メートルはある。リーチではドラゴンに軍配が上がりそうだけど、身体が大きい分、素早さでは狼の方に軍配が上がりそう。
ドラゴンと狼が同時に吼えたかと思うと、二つの影が交差した。ドラゴンが悲鳴のような咆哮を上げる。狼は、音も無く雪の上に着地したかと思った次の瞬間には再び飛び上がり、ドラゴンの首を狙って襲い掛かっていた。直後、狼の死角より繰り出されたドラゴンの尾が狼を跳ね飛ばす。二匹は再び雪の中で対峙していた。
ドラゴンの左目付近は血だらけだった。狼の最初の攻撃が当たったらしい。狼の方はパッと見、大きな傷は無さそうだけど、よく見ると右の後脚が少し浮いている。ドラゴンの尾の打撃ダメージは相当大きそうだし、二回も跳ね飛ばされて無傷な訳が無い。もしかしたら、あの後脚、骨に致命的なダメージを負っているかもしれない。チャンスだ! 頑張れ、白ドラゴン!
二匹は再び吼えたかと思うと、お互いの首筋を狙って襲い掛かっていた。そして、次の瞬間には勝敗が付いていた。純白のドラゴンの口には、絶命した狼が咥えられている。ドラゴンがそれを宙に放った瞬間、その姿が白い光に包まれた。
「アオイ様、お怪我は!」
元の人型に戻ったラインヴァイスが私の元へ駆け寄り、傍らに跪いた。彼の顔の左半分は血だらけだった。額から頬に掛けて大きな切り傷が三本走っており、ラインヴァイスは左目を手で押さえていた。その指の間からは、結構な量の血が流れ出ている。
「あ……うん……だ、大丈夫……。ラインヴァイス……ひ、左目……」
私が小さく震えながらラインヴァイスに手を伸ばすと、ラインヴァイスは空いている方の手で私の手を握った。そして、優しく微笑む。傷、痛いはずなのに……。無理して笑っている……?
「お怪我が無くて何よりです。リーラの魔力が戻っていて、本当に、良かった……」
ん? リーラの魔力が戻っていて……? そういえば、私、跳ね飛ばされたはずなのに、何で無傷なの? そう思って視線を下にずらすと、白マントの下に薄紫色の光を発する全身鎧を纏っていた。これ、リーラが錬成した鎧……? さっき、一瞬光に包まれたと思ったけど、あれは魔法陣の光だったって事? リーラが私を守ってくれたの?
――うん。アオイに怪我が無くて良かったぁ。
きっと、リーラはにっこりと可愛らしく笑っているに違いない。顔は見えないのに何故だか分かる。不思議だなぁ。
「あっ!」
女の子。すっかり忘れていたけど、どうなった? きょろきょろとあたりを見回すと、雪の中からむっくりと女の子が起き上がった。良かった。無事だったみたい。立ち上がった女の子の元に行こうとした私を、眩い光が包み込み、青いワンピースと、白マント、足鎧姿に戻る。女の子はそんな私を見て、目を見開いていた。
「ああ……」
恐怖を顔に張り付かせ、私とラインヴァイスから後退る女の子。何、この反応? 何で怖がっているの?
「ねえ――!」
「アオイ様」
ラインヴァイスが、女の子の元へ行こうとした私の腕を掴んで制止する。何で止めるの? 私は一応、怪我が無いか確かめようと――。
「行きましょう。怖がっています」
静かにそう言ったラインヴァイスの顔は悲しげだった。そうか。これが人族と魔人族との関係、か……。でも、私は魔人族じゃないから、そんなの関係無い!
「ちょっとアンタ!」
私は仁王立ちし、ビシッと女の子を指差した。「ひぃ」と女の子が悲鳴を飲み込むのが聞こえる。女の子の脚、生まれたての小鹿みたいになってる。今にも泣き出しそうな顔だし。でも、言いたい事があるから、見逃してあげないんだから!
「助けてもらったら、お礼くらい言いなさい! アンタの親、どんな教育してんのよ!」
叫んだ私を女の子が睨んだ。おや? 存外、気が強いお子様か? 涙が溜まった大きな目でキッと私を睨む姿は、威嚇する子猫を彷彿とさせる。迂闊に手を出したら引っ掛かれそうな雰囲気のお子様だなぁ。まあ、大泣きされるよりは多少マシか……。
「か、母さんの悪口、言うな!」
「言われたくなかったら、お礼くらい言いなさいよ! 人として当たり前の事でしょ!」
「うるさい! 魔人族のくせに偉そうに!」
「常識無い人族より、魔人族の方がよっぽど偉いわよ! それと、私、魔人族じゃないから」
女の子は驚いたように目を見開いて固まった。私の事、魔人族と思っていたのね……。まあ、防具錬成なんていう、ドラゴン族固有魔術を使っていたし、魔人族に関して多少の知識があればそれくらい分かるのだろう。間違えられても仕方ない状況だよね。
「嘘だっ!」
女の子は両手をギュッと握り締め、力一杯叫んだ。嘘だなんて失礼な。私は魔人族ではありません。まあ、この世界の人間ですらないんだけどね。
「嘘じゃない。私は魔人族じゃない」
「う、嘘だ、嘘だ! 魔人族はそうやって騙して、女の子を攫うんだ!」
騙して攫うって、それじゃただの人攫いじゃん……。魔人族って人攫いなの? ……あ、そっか。一部の魔人族が昔、そんな事をやらかしたんだっけ……。こんな小さな子まで魔人族を嫌うって、相当根が深い問題だな。もしかして、この世界では「魔人族に攫われるぞ~」ってのが、親が子どもを脅かす時の定番なのか?
はてさて、こういう場合って、どうやったら信じるのかねぇ? 別に信じてもらいたいわけじゃないけど、嘘つきだと思われるのも心外だしなぁ。
――アオイ、アオイ。私の紋章、見せれば?
ああ、そっか。精霊と契約出来るのは人族だけなのか。すっかり忘れていた。
「これ、見なさい!」
「何、それ……」
私が掲げた左手を見て、女の子は怪訝そうに眉を顰めた。あれ? 精霊の紋章、知らないのか?
「精霊と契約した紋章よ! 精霊と契約出来るのは人族だけでしょ!」
女の子が呆然と立ち尽くしている。いわゆる、放心状態ってやつだ。暫く放心状態の女の子を見守っていると、女の子が悔しそうに唇を噛んだ。取り敢えず、私が魔人族じゃないってのは信じたらしい。
「ごめん、なさい……」
目を泳がせ、消え入りそうな声で謝る女の子。そして流れる沈黙。……あ、ヤバい。私、キレそうだわ。
私はつかつかと女の子の目の前に行くと、両手でその頬をつねった。勿論、手加減はしていますよ。だって、大人ですから。
「いひゃい、いひゃいぃっ!」
私が手を離すと、再び涙目になった女の子がキョトンとした眼差しで私を見つめていた。何で私がここまで怒っているのかが理解出来ないらしい。本当に、どんな教育されてんだ!
「ラインヴァイスはね、アンタを助ける為に怪我までしてんの! 私に謝るより、ラインヴァイスにお礼くらい言いなさい! アンタ、さっき、母さんの悪口言うなって言ってたけど、言われたくなかったら礼儀の一つ二つは覚えなさいよ! 命を助けられたらお礼を言うくらい、アンタより小さい子だって出来るわよ!」
「あ……」
「アオイ様、もう、その辺で……」
見かねたラインヴァイスが私と女の子の間に入った。少し困ったように笑うラインヴァイスの表情に胸が締め付けられる。
指の間からはドクドクと血が流れ出ているし、白い服の襟元から肩に掛けても血で汚れ始めている。こんな大怪我をしたのに、お礼すら言ってもらえないなんて……。下手したら死んでいたかもしれないのに……。
「ラインヴァイス、ごめん……。お城、戻ろう……」
早くお城に戻って手当しないと。踵を返す瞬間、チラッと見えた女の子は顔面蒼白になっていて、カタカタと小さく震えていた。




