出会い 1
扉の先に一歩踏み出すと、暖かい空気がフワリと私を包み込んだ。そこは真紅の薔薇の生垣で出来た小道だった。こんな真冬に薔薇が咲いているところを見ると、ここは温室か何かなのかな?
私は上を見上げ、目を見張った。そこには綺麗な星空が広がっていた。月が二つもあるし……。
幻想的な光景に、私はつい見とれてしまった。生まれ育った都会ではまずお目に掛かれない、見事な星空なんだもん。都会より空気の綺麗なはずの大学近辺でだって、こんな見事な星空見られないよ。
しかし、私はすぐに我に返った。さっきの扉から誰か入って来たら、すぐに見つかってしまう。小道の先がどうなっているかは分からないけど、進むしかない。そう決心し、私は薔薇の小道を進み始めた。
薔薇の小道は所々枝分かれし、行き止まりもあった。迷路だね、迷路。薔薇の迷路をつくるって、どんな乙女趣味よ。まあ、嫌いじゃないけど。薔薇の香りも素晴らしいし、何より暖かいし、吹雪いている外に比べて天国だよ。ここ、気に入っちゃったかもしれない。
行き止まりにぶつかる度に枝分かれの道に戻り、別の道をまた進んで行くと行き止まりにぶつかり戻る。そんな、進んでいるんだか戻っているんだか分からない状況が暫く続き、出口なんて無いんじゃないかと不安になってきた頃、私は開けた場所に出る事が出来た。
そこは、一面色とりどりの薔薇が咲き乱れる、見事な庭園だった。インターネットの画像検索で見るような、本当に見事な薔薇園だ。アメジストみたいな色の薔薇や、鮮やかな青い薔薇も咲いている。あれ? 青い薔薇って、作るの不可能って言われてなかったっけ? 遺伝子操作で出来たんだっけ? 薔薇の花は好きだけど、専門家じゃないから分からない。でも、こんなに鮮やかな色の青い薔薇なんて、初めて見た。
そんな薔薇園の真ん中には大きめの西洋風東屋、えぇっとガゼボって言うんだったかな、あれがあった。真っ白で、柱には淡いピンクの蔓薔薇が這わせてあるお洒落なガゼボ。乙女趣味全開で、個人的には結構好きかも。あの中にはベンチもあるだろうし、壁は無いけど柱のお蔭で外からは見えにくいだろうし、ここに突っ立っているよりあの中の方が見つからない気がする。うん、あの中で休ませてもらおう。私はガゼボに向かって歩を進めた。
私が恐る恐るガゼボの中を覗くと、予想通りベンチが据え付けられていた。真ん中にはテーブルもある。この温室の中は温かいし、朝になるまで休ませてもらおうかな。ここなら凍死なんて事にはならないだろうから。でも、早くこのお城は出たい。もし、さっきの狼男とか金髪お兄様とか痴漢お兄さんとかが来たら怖いし。やっぱり城の出口を探すべき? どうしよう。でも、もうヘロヘロだし、少しくらい休んでも大丈夫だよね? そう思って、私がガゼボの中に一歩踏み込んだ瞬間、私の肩に手が置かれた。
「いやああぁぁぁ!」
私は悲鳴を上げると、いつの間にかすぐ後ろに立っていた人物に手を振り上げた。乾いた音が響く。
……やばい。私の平手が相手のほっぺにクリーンヒットした。びっくりして思いっきり殴っちゃったけど、狼男とか金髪お兄様とか痴漢お兄さんじゃないかもしれないのに。もしかしたら、確率は低そうだけど、まともな人かもしれないのに。どうしよう。どうしよう……!
私が殴ってしまった人は、俯いて頬を押さえていた。そりゃ痛いよね。ごめんなさい。ごめんなさい。サラツヤストレートの長い黒髪が顔に掛かっていて顔は見えないけど、たぶん男の人だろう。私より二十センチくらい背が高い気がするし、身体の線も細くはない。その人は中世の騎士が着るようなデザインの、黒を基調とした服装をし、腰には黒い剣を帯びていた。フワフワのファーが付いた白いマントがお洒落アクセント。あのマント、暖かそうだなぁ。
「あ、あの……」
私は恐る恐る声を掛けた。黒髪の人が私の声に反応するように顔を上げる。私はその人の顔を見て息を飲んだ。
その顔は、男の人に向かって言うのはなんだけど、とても美しかった。白い肌にスッと通った鼻梁。薄い唇は真一文字に引き結ばれていた。アメジストのような綺麗な紫色の瞳に思わず見とれそうになる。黒髪の人は、そんな芸術品のような綺麗な顔で私を睨んでいた。
「小娘が。私に手を上げるとは良い度胸をしているな」
そう静かに言った黒髪の人から、不機嫌なオーラが漂ってくる。あ、やばい。怒ってる。ど、どうしよう……。
「あ、あの、その、ひ、人違いというか、間違えたというか。何というか、その……。ご、ごめんなさい!」
私は勢いよく頭を下げた。初対面の人殴るなんて失礼極まりない行為だ。さっきの変な男の人達に会った時みたいに襲われたわけでもないのに。綺麗な顔に傷はついていなかったみたいだけど、時間が経ったら腫れちゃうかもしれない。あんな綺麗な顔を殴るなんて、何という不覚! 何でちゃんと確認しなかったの。私のバカ! ああ、涙が出てきた。
「ふん。ただの無礼な小娘かと思ったが、己の過ちを素直に認める態度、悪くは無い」
黒髪の人のこの発言は、許してくれるって事かな? 私はそおっと顔を上げた。黒髪の人は腕を組んで仁王立ちし、傲慢そうな視線を私に向けている。でも、さっきまでの不機嫌そうなオーラは無くなっていた。
「で、小娘。お前はここで何をしている」
小娘って……。私、もう二十歳になっているから、小娘って年齢じゃないと思うんだけど。これでも立派な成人なんだよ。失礼しちゃう。
「えっと、吹雪で道に迷いまして、気が付いたら迷い込んでいた、みたいな……。あは、あはは」
私は誤魔化すように笑った。殴ったのは悪かったけど、小娘呼ばわりされて腹が立たない訳がない。私、そんな温厚な人間じゃないんだよね。
「あまり頭が良い訳では無いみたいだな。ここにどうやって入った」
かっちーん! 確かに、胸を張って頭が良いですって宣言出来ませんよ。でも、見ず知らずの人に頭が悪いって言われる筋合いは無い。こめかみがピクピクし始めた。
「ですから、吹雪で迷ったんです」
「二度も同じ事を言うな。お前が吹雪で迷った事は理解している。私が聞きたいのは、この場にどうやって入ったかという事だ。ここは私の許可が無ければ入れない筈だ」
ここって、お城じゃなくて薔薇園の事? 許可が必要って事は、この薔薇園って彼のプライベート空間か何かで、私がどうやってこの薔薇園に入ったか知りたかったのね。それだったらそうと、最初から言って欲しい。いや、ただ単に私が勘違いしたのかな。まあ、いいや。
「お城の中に入ったら変な男達に襲われて、お城の裏庭みたいな所を逃げていたら小さな扉を見つけました」
「で?」
「えっと、その扉を入ったら薔薇の迷路になっていて、そこを抜けたらここに繋がっていました」
「……そうか」
いや、そうかって。それだけ? しかも、私に質問しながらこの人、遠くの方見てるし。興味無いなら聞かないで欲しい。でも、もしかしたら、予想通りの答えだったのかな? うん、そう言う事にしておこう。いちいち怒っちゃダメだよ、私。
「で、小娘。お前はこれからどうするつもりだ」
また小娘って言われた。確かに、私の方が五歳くらい年下っぽいけど、小娘は失礼でしょ。私には神崎葵っていう、立派な名前があるんだから。それに、どうするもこうするも……。ど、どうしよう……。