絵 1
絵を描く道具を手に入れてから、私は薔薇園や修復中の城壁の大穴付近で過ごす事が多くなった。何をしているかって? 無論、絵を描いている。薔薇園では薔薇の絵、ガゼボの絵、入り口の門の絵を描いた。でも、私、実は人物画の方が好きなんだ。だから、人がいそうなところ、つまり修復中の大穴付近で、修復のお仕事中のヴォルフやフォーゲルシメーレの絵を描き始めた。時折、通りかかったノイモーントも描かせてもらっている。三人とも、嫌な顔をする事無く付き合ってくれるんだ。それに、ヴォルフはどんな無茶な体勢でも頑張って動きを止めてくれるし、フォーゲルシメーレはせっかく作ったレンガを椅子代わりにと結構な量を提供してくれるし、ノイモーントは肌触りの良いクッションを提供してくれるし。皆、優しいよね。
「ヴォルフ、ちょっとストップ!」
「え? この体勢は、ちょっと、厳し……い!」
ヴォルフはそう言いながらも、梯子の上段で動きを止めてくれている。レンガを持つ手を上に目一杯伸ばし、ちょっと苦しそう。身体がプルプルと小刻みに震えている。でも、少しの辛抱だから。もう少し、あと少し! 頑張って!
「ありがとう! もう動いて良いよ!」
「ふぅ……」
ヴォルフは安堵の息を吐くと、作業を再開した。私はラフで描いたヴォルフの絵に肉付けをしていく。うん。我ながら良い構図。躍動感がある。
「アオイ様はヴォルフの絵を描く事が多いですね」
フォーゲルシメーレがレンガを作る手を止め、とろけるような笑顔で私に言った。
「そう言われると、そうかも」
ここ二、三日、ここで描く絵の八割方はヴォルフ描いている気がする。だって、ヴォルフってば、こんな寒空の中でも半裸なんだもん。鍛え上げられた筋肉の躍動感とか描くのが楽しいから、ついつい多くなってしまった。この調子で描いていくと、近いうちにヴォルフ・コレクションが出来上がるかもしれない。
「竜王様の絵は描かれないのですか?」
フォーゲルシメーレはそう言うと、レンガ作りを再開した。シュヴァルツの絵、ねぇ……。実は、シュヴァルツの絵はまだ描かせてもらっていない。だって、シュヴァルツはこの国の王様だもん。忙しいだろうし、私の為に時間を割かせるなんてちょっと図々しい気がしたから。頼めば描かせてくれるだろうけど、頼んでいない。
「まあ、そのうち、ね……」
私は描きかけの絵に視線を戻し、デッサンの続きを描き始めた。
薄暗くなってから部屋に戻り、夕食をとった後、私は出窓の淵に腰掛けた。そして、ラインヴァイスがお皿を片付けてくれるのを、固唾を飲んで見守る。……よし、今だ!
「ラインヴァイス、ストップ!」
「え? アオイ様……?」
お皿を手に取った直後のラインヴァイスが、困惑した表情で動きを止めた。夜はラインヴァイスをモデルにして絵を描く事が多い。だって、他にやる事が無いんだもん。元の世界に戻る方法を探したいけど、これをシュヴァルツに言うのも、ちょっと憚られるでしょ?
「あ、あの……?」
ラインヴァイスは困惑した表情で私の方を見ていた。ヴォルフやフォーゲルシメーレ、ノイモーントと違って、ラインヴァイスは絵を描かれる事になかなか慣れないらしい。一応動きを止めてくれるけど、いつも困惑した表情をしている。他の三人は、いつでもナチュラルな表情で動きを止めてくれるのにな……。
「ありがとう。もう動いて良いよ」
「は、はあ……」
ラインヴァイスは困惑した表情のまま、夕食の片づけを再開した。私はその様子を見ながら、ラフに肉付けをしていく。すると突然、黙々とデッサンをする私の頭上から影が落ちた。不思議に思って顔を上げると、目の前にシュヴァルツが立っていた。何故か、眉間に皺を寄せ、不機嫌そうなオーラを発している。……何で?
「シュヴァルツ? どうしたの?」
私は首を傾げながらも、ラインヴァイスのデッサンを再開した。ラインヴァイスの動きはヴォルフのような躍動感は無い。しかし、洗練されていて、とても上品な絵が描ける。うん、流石は王様の弟だ。動きが上品なんだね。
「アオイ、絵を見せろ」
シュヴァルツが不機嫌そうな声でそう言った。だから何で不機嫌なの? 私、何もしてないよ?
「絵? 何で?」
シュヴァルツの方を見ず、手を動かしながらそう言うと、突然シュヴァルツに右手を掴まれた。何で邪魔すんのよ! もう少しで完成なのに!
「ちょっと、何? 痛い!」
私がそう叫んでシュヴァルツの手を振り解くと、シュヴァルツの目に仄暗い光が宿った。ちょっ、シュヴァルツってば、本気で怒ってる? 殺気が漂ってきていて、ちょっと怖いんですが……。
「絵を、見せろ」
シュヴァルツは、地を這うような低い声で再度そう言った。私の背筋に嫌な汗が流れる。たぶん、今のシュヴァルツに反発しても良い事は無い。ラインヴァイスも食器を片付ける手を止め、オロオロしているし。シュヴァルツが強引な手段に打って出て来ると、お互いに嫌な思いをするしなぁ。今回は私が折れるか。仕方ない……。私は小さく溜め息を吐くと、傍らに置いてあった紙束をシュヴァルツに渋々手渡した。その紙束は、今までこの城で描いた私の絵、全てだ。
「ねえ、何なの、一体……?」
絵を見つめるシュヴァルツの顔色を、私は上目遣いに窺った。次々と絵を見ていくシュヴァルツは眉間に皺を寄せ、それはそれは険しい表情をしている。まあ、シュヴァルツの場合、普段から険しい表情だけどね。
「何故……」
「ん?」
「何故、ヴォルフとラインヴァイスの絵ばかりなのだ」
「へっ?」
シュヴァルツの発言に、私の目が点になった。ちょっと待て。ヴォルフとラインヴァイスばっかりって言ったけど、他の絵も結構な枚数あるはずだ。確かに、最近の絵はヴォルフとラインヴァイスが多いかもしれないけど、初めのうちは静物画ばっかりだった。だから、枚数も断然そっちの方が多いはず。それに、フォーゲルシメーレやノイモーントの絵も数枚あるはず。シュヴァルツの言い方だと、私がヴォルフとラインヴァイスしか描いてないみたいじゃない!
「えっと?」
私が助けを求めるようにラインヴァイスに視線を送ると、ラインヴァイスは何かが分かったのか、苦笑を漏らしていた。私、置いてけぼり……。
「竜王様。お伝えしたい事をはっきりと伝えなければ、アオイ様は分かりませんよ」
ラインヴァイスはそう静かに言い、クスクスと笑い出した。そんなラインヴァイスをシュヴァルツが振り返る。たぶん、睨んでいるんだろう。……ちょっと。私の部屋で兄弟喧嘩なんて始めないでよね?
「アオイ」
「は、はいっ!」
シュヴァルツはラインヴァイスの方を向いたまま、私の名を呼んだ。急に呼ぶもんだから、不覚にもビクリと身体が震えてしまったよ。声も裏返っていたし。恥ずかしいっ!
「明日、私の絵を描け」
「え? あ、うん……?」
私は返事をしながら小首を傾げた。今日のシュヴァルツは何か変だ。不機嫌かと思ったら、急に明日絵を描けなんて言うし。よく分からない……。
シュヴァルツは私の返事を聞き届けると、忽然と姿を消した。部屋には、明後日の方を向いて肩を震わせるラインヴァイスと、戸惑う私だけが残された。




