契約 2
着替えを済ませた私は、シュヴァルツとラインヴァイスと共に城の中を歩いていた。今日は一瞬で移動しないらしい。お城の中を見て歩けるし、私としても徒歩で移動の方が楽しめる。
昨日はお城の中を走り回ったけど、ゆっくり周りを見る暇なんて無かったら、ついついきょろきょろしちゃう。あっ! あの花瓶、高そう。あっ! あの風景画、良い仕事!
「どうした」
一枚の風景画の前で足を止めた私を、シュヴァルツが怪訝そうに振り返った。この絵、構図がとっても参考になるなぁ。
「絵に興味があるのか」
シュヴァルツに問い掛けられ、私は無言で小さく頷いた。この絵、湖と山が描かれているけど、この近くなのかな。行ってみたいな。昼間の風景画だけど、夜も絶対絵になると思うんだ。湖と、それに映る星空と月と山の影。うん、想像しただけで創作意欲が湧く!
「ねえ、この絵の場所、ここから近いの?」
私は絵を見ながらシュヴァルツに尋ねた。シュヴァルツは考え込むように沈黙する。古そうな絵だし、もしかしたらシュヴァルツにも場所が分からないのかな……。
「確か、近いとはいえん場所だったはずだ。ただ、アオイが行きた――」
「そっか。絵具も無いし、諦めるか……」
そう呟いて絵から視線を外すと、すぐ近くにシュヴァルツの顔があった。思った以上に近い距離にいた! 頬が熱い。顔が赤くなっているのが自分で分かるとか、どんだけだ!
「絵を描きたいのか」
シュヴァルツは近すぎる距離など気にしていないように続けた。私だけドギマギしている。でも、仕方ないよ。だって、傲慢そうで態度はデカいけど、美形は美形だもん。間近で見ると心臓に悪い!
「そ、そう。元の世界では美大に通ってたの。だから、こういう素敵な絵を見ると、ついつい私も描きたくなっちゃうの」
私がこくこく頷くと、シュヴァルツは不思議そうに首を傾げた。
「びだい?」
ああ、そうか。こっちの世界には美大なんて無いもんね。どんな所か分からないか。
「美大っていうのはね、絵とか彫刻とか陶芸とか、芸術関係を習う学校」
「がっこう?」
学校も無いのね、この世界。学校って、どうやって説明したら良いんだ?
「ええっと、学校っていうのは……。子ども達が先生に読み書き計算を習うところで――」
「アオイは子どもではないだろう」
「ああぁ、何て言えば良いんだろう? 確かに子どもじゃないよねぇ。ええっと、私くらいの年齢になると、大学っていう学校に通って、専門的に学んでいるんだけど……」
学校って、説明するの難しいね。分かりやすく説明出来ないなぁ。シュヴァルツとラインヴァイスが首を傾げている。そりゃ、今の説明じゃ分からないよね。
「要するに、年齢で通う場が違う、と」
顎に手を当て、難しい顔をしながらシュヴァルツが問う。私はこくこくと頷いた。
「そうなの。色々種類があってね。小学校とか中学校とか高校とか大学とか!」
「ほう。そんなに種類があるのか」
「そう。小学校は基礎の基礎を勉強して、中学校で基礎。高校で応用。大学で専門的な勉強になるのかなぁ?」
「幾つから通うのです?」
そう私に問い掛けてきたのはラインヴァイスだった。興味津々のようで、目がキラキラと輝いている。
「小学校は七歳から十二歳で、中学校が十三歳から十五歳。ここまでが義務教育だから、皆行かないといけないし、親も行かせないといけないの。んで、ストレートに試験に合格出来ればだけど、高校が十六歳から十八歳で、大学が十九歳から二十二歳。その上に大学院っていうところもあるし、大学の代わりに短大とか専門とかに行く子もいるけど、混乱しそうだから省略するね」
「そんなに長い間、勉学に励めるのですね」
そう言ったラインヴァイスは少し悲しそうに目を伏せた。何で? 私、何か悪い事、言ったかな?
「アオイ、参考になった」
そう言ったシュヴァルツは私に背を向けて歩き出した。その背中は少しだけ寂しそう。何で? 私、何もしていないよね? 何で二人とも凹んでいるの?
連れて来られたのはシュヴァルツの薔薇園だった。そう言えば、今日は薔薇の迷路を通っていない。大きな扉をくぐったらすぐに薔薇園なんだもん。もしかして、昨日ラインヴァイスが言っていた正規の入り方ってのが、あの扉なのかな? 私はくぐってきた扉を仰ぎ見た。石造りの扉は細やかな彫刻が施されている。何かの神話か物語をモチーフにしているのか、両サイドに男女の像がある白亜の扉は神秘的な雰囲気だった。絵のモチーフには良いかもしれない。
「行くぞ」
そう言ったのはシュヴァルツだ。傲慢そうに仁王立ちしてこっちを睨んでいる。今日も絶好調で上から目線。本当に残念な美形だね。私は小さく溜め息を吐き、シュヴァルツの元へ小走りで急いだ。
先を歩くシュヴァルツは迷う事無くガゼボへと向かっている。私としては、もっとゆっくり薔薇園の中を見て回りたいんだけどな。でも、勝手に動き回って良いものか……。
「どうした」
きょろきょろとあたりを見回す私を不審に思ったのか、シュヴァルツが胡散臭そうな目で私を見つめている。うーん、言っても良いかな? やっぱりダメって言われるかな?
「あのね、もう少しこの中を見て回りたいなぁ、なんて……」
「今度にしろ」
シュヴァルツはそう冷たく言い放ち、再びガゼボを目指して歩き出す。私はそんなシュヴァルツの背中を見ながら、がっくりと肩を落とした。予想していたとはいえ、やっぱりダメか……。あれ? でも、今度って……?
「今度?」
ポツリと呟いた私を、シュヴァルツが振り返る。
「ああ、そうだ。城の中ならば、自由にして良いと言ったはずだが」
ニヤリと笑いながら言ったシュヴァルツの言葉に、私はポンと手を打った。そっか。道を覚えればここに来ても良いのか。帰りにしっかりと道を覚えなければ!
「歩いて少し疲れたであろう。休め」
そう言ってシュヴァルツはガゼボに入ると、ベンチに腰を下ろした。別に疲れてはいないんだけどなぁ。でも、ここは素直に従っておこう。無駄に反発しても疲れるだけだし。
私はベンチに腰掛けると、そこから薔薇園を見回した。万年春の陽気なのかな、ここ。ぽかぽかと暖かくて、何だか眠くなるなぁ。ついつい欠伸が出てしまう。
「ラインヴァイス、昼食を」
「はっ!」
ラインヴァイスはシュヴァルツに頭を下げると姿を消した。もうお昼の時間か。確かに少しお腹が空いたような気がする。ふとシュヴァルツを見ると、腕と足を組んで偉そうに座りながらも、目を細めて薔薇を眺めていた。何だか、いつもより目つきが優しい気がするけど、気のせいかな? 私も薔薇に目をやり、ふと薔薇園の夢に出てきた少女の事を思い出した。シュヴァルツとラインヴァイスと共に、大ホールの絵に描かれていた少女。あの子、誰?
「ねえ」
私の呼びかけにシュヴァルツが視線だけをこちらに移した。横目で睨まれているみたいで少し怖い。でも、きっとシュヴァルツに睨んでいるつもりは無いんだろうな。何とな~くだけど、そう思うんだ。薔薇を見つめている時の表情が、いつもより少しだけ柔らかく感じたからかな?
「大ホールにあった絵なんだけど」
「絵?」
「そう。シュヴァルツとラインヴァイスと女の子が描かれていた絵」
「ああ、あれか」
シュヴァルツの目が懐かしむように細められた。大きな態度も不愛想な口調もいつも通りなのに、表情だけがいつもと違う気がする。
「あの絵に描かれていた子、誰?」
「……妹だ」
シュヴァルツはそう呟くと、フッと笑った。どことなく寂しそうなその笑い方に、何故か胸がドキドキする。ど、どうした、私!
「い、妹? シュヴァルツ、妹いたの?」
「ああ。大分昔に死んだがな」
シュヴァルツの答えに愕然とした。さっきの寂しそうな表情の理由はこれか! 私、地雷を踏みました。ど、どうしよう!
「ご、ごめんなさい……」
「そんな顔をするな」
俯く私にシュヴァルツはそう言うと、薔薇に視線を戻した。ああ、失敗した。気まずい。早く戻って来て、ラインヴァイス!
「……で?」
シュヴァルツはそう言うと、私の方へ身体を向けた。……えっと?
「あの絵、気になったのだろう。どうした」
シュヴァルツは真っ直ぐと私を見据えている。アメジストのような綺麗な色の瞳に吸い込まれそうだ。ああ、また胸がドキドキしてきた。って、違う、違う! 私の話、聞いてくれるみたいだし、夢の事、話しても良いかなぁ?
「あの、信じてくれるか分からないんだけど……」
「言ってみろ」
「あの絵の女の子がね、時々私の夢に出てくるの」
「そうか」
シュヴァルツはニヤリと笑った。口調は全く興味無さそうだけど、この表情……。もしかして、信じてくれた?
「信じて、くれるの?」
「信じるも何も。この薔薇園は、あれの為に守っている」
「え? どういう事?」
「肉体は滅んだが、魂はここにある。そういう事だ」
シュヴァルツはそう言うと視線を薔薇へ移した。魂がここにあるって、幽霊的なもの? 私が薔薇へ視線を移すと同時に、一陣の心地よい風が吹き抜けた。
「アオイはあれに気にいられたようだ」
「へ?」
唐突なシュヴァルツの発言に、私の目が点になった。気に入られたって、幽霊に? 何それ、怖い。
「そんな顔をするな」
シュヴァルツは私の顔を見て鼻で笑った。たぶん、相当微妙な表情をしているのだろう。でもさ、そうは言うけど幽霊に気に入られたって、祟られているって事じゃない? 怖いって。
「強い魔力を持つ者は、時として肉体が滅んだ後も生き続ける。精霊となってな」
「精霊……」
ポツリと呟いた私の言葉に、シュヴァルツが頷く。
「そうだ。別に悪さをするわけではない。まあ、あれは生前悪戯好きだったから、悪戯はするかもしれんがな」
祟られているわけでは無いらしい。少し安心。でも、悪戯されるのも嫌かも……。朝起きて顔に落書きされていたりとかしたら、ブチ切れる自信があるよ。悪戯されない方法とか無いかなぁ。うーん……。
「お待たせ致しました」
声がした方を見ると、ラインヴァイスが可愛らしい笑みを浮かべながらティーセットの乗ったカートを押してきていた。勿論、お茶だけでなく、サンドイッチっぽい軽食と焼き菓子もある。お腹空いてきていたから嬉しい! 次々と並べられる軽食は結構な量があった。それに、何となく嗅ぎ慣れた香りがする。
「本日の昼食は、スイギュウの子の肉をローストしたものを、食べやすいようにパンに挟んであります。あと、焼き菓子の方は、料理長より味見をして欲しいと」
ラインヴァイスが手で差す物を目で追う。子スイギュウさんが一匹、解体されてしまったのか。可哀想なんて思うのは間違っているのかな? 生きている姿を見ると、どうしても情が移っちゃう。でも、命を粗末にしない為に、残さず食べないとね。
「頂きます!」
私は手を合わせると、仔スイギュウのローストサンドを口に運んだ。美味しい! 元の世界の牛肉より少し硬いけど、ジューシーなお肉。噛めば噛むほど味が出る! スパイシーなソースも食欲をそそるなぁ。元の世界のパン屋さんでも、こんな美味しいサンドイッチは売っていないよ。
「美味いか」
シュヴァルツにそう問われ、私はこくこくと頷きながら次々と口に運んだ。美味しい。ん~、幸せ。
あっという間にサンドイッチを食べきり、私は焼き菓子に手を伸ばした。味見して欲しいって言ってたけど、何、これ? 見た目はクッキーっぽいけど、バターが無かったこの世界にクッキーなんて無いだろうし……。ビスケットみたいな物かな? でも普通に美味しそう。
焼き菓子を一口口に含み、私は目を見開いた。これ、バタークッキーだ。サクサクの触感とバターの香り、優しい甘さ。元の世界でも大好きだった。小さい頃、お母さんが作ってくれた味に似ている。日曜日のおやつの定番だった。お母さんと一緒に作って、お父さんとお母さんと私でおやつに食べるの。懐かしいな……。
「如何でしょうか? ばたーが焼き菓子にも使えるとの事でしたが……アオイ様?」
ラインヴァイスの問い掛けに、私は頷くしか出来なかった。感動が大きすぎて、言葉に出来ないよ……。
「アオイ……」
シュヴァルツの手が私に伸び、頬に手を添えられた。そのまま親指で目元を拭われ、初めて自分が泣いている事に気が付いた。
「ごめ……。懐かしい味だったから……つい……っ!」
私は両手で顔を覆った。泣き顔なんて見られたくない。でも、涙が止まらないんだ。私、元の世界に戻りたい。頼れる人もいないこんな世界、独りで生きていくなんて出来ない。心細いよ……。
隣に誰かが座る気配がし、突然抱きしめられた。この薔薇の香り、それに目の前の黒い服はシュヴァルツだ。突然の事に驚いて、シュヴァルツの腕から逃れようと身じろぎすると、腕に力が込められ、背中を優しく撫でられた。何でだろう……。シュヴァルツの力強い腕や、背中を撫でる手に安心する。私はシュヴァルツの胸に縋り付くようにして、声を出して大泣きした。




