逃走 2
朝食(昼食?)の間、シュヴァルツもラインヴァイスも終始無言だった。それは食後のお茶を飲んでいる現在も続いている。た、耐えられない……。そりゃ、こんな最悪な雰囲気なっているのは、元はと言えば、私が逃げ出した事が原因ですよ。それは分かっています。でも、理由があるわけでして……。朝からお騒がせした事は悪いと思っているけど、でも、ゴニョゴニョゴニョ……。
「あぁ~! もう!」
私は大声で叫ぶと、両手でテーブルを叩いて立ち上がった。シュヴァルツは顔色を変えずにお茶を飲んでいるけど、ラインヴァイスが驚いたように目を見開いている。
元はといえば、私が悪い訳じゃなくない? どう考えたって、私を閉じ込めているシュヴァルツの方が悪いんだ。何で私が罪悪感に苛まれないといけないの! 何か腹が立ってきたんだけど!
「限界! 私、もう無理! こんな所、もういられない!」
そう一方的に宣言し、私は二人に背を向けた。シュヴァルツは今のところ私に危害を加えるつもりは無いみたいだし、意地でもこの城を出て人里を目指そう。どれくらいの日数が掛かるか分からないけど、ポケットに忍ばせている装飾品の宝石を外して売り払えば路銀くらいにはなるはず。何とかなる! まずはこの薔薇園の出口を探さないと。よし、頑張ろう!
しかし、私の決意を他所に、ガゼボから出ようとした私の手首をシュヴァルツが思いっきり掴んだ。そりゃあもう、渾身の力で。
「痛っ!」
私の叫びに反応するように、シュヴァルツの手が少し緩んだ。もう! 乙女の柔肌に傷が付いたらどうしてくれるんだ! 私が手を振り払おうとすると、再びシュヴァルツが手に力を込めた。
「痛いって! 離してよ!」
「この城を出て、どこへ行こうと」
そう言ったシュヴァルツの目は据わっていて、仄暗い光を湛えていた。私の背筋に嫌な汗が流れる。シュヴァルツのこういう表情は、まさに恐怖の大魔王って言葉がピッタリ。
「ど、どこって、そりゃあ……」
人の住んでいる街ですよ。でも、シュヴァルツにそれを言っても納得する気がしない。かといって、納得しそうな説明なんて出来そうにないし。ど、どうしよう……。私が視線をさまよわせていると、シュヴァルツが小さく溜め息を吐いた。溜め息を吐きたいのは私の方だ!
「やはり小娘は小娘か。ラインヴァイス、部屋に戻しておけ」
シュヴァルツはそう言うと、私の背をドンと押した。二、三歩たたらを踏んでよろける私を、ラインヴァイスが慌てて受け止めてくれる。優しい少年だ。
「竜王様……」
「聞こえなかったのか。戻せと言った。今すぐに」
シュヴァルツはばさりとマントを翻すと、フッと虚空に消えた。シュヴァルツを頭を下げて見送ったラインヴァイスが私の手を取ったと思った瞬間、私は見覚えのある部屋に立っていた。東の塔、最上階。私がこの世界へ来てから寝泊まりしている部屋。あんなに苦労して逃げ回ったのに、一瞬にして戻されてしまった……。
私は出窓の淵に腰掛け、外を見つめていた。ぽかぽかと暖かい日差しが気持ち良いな。暇だなぁ。やる事、無いかな。あまりにも暇過ぎて眠くなってきた……。
私が目を開けると、薔薇園のガゼボのベンチに座っていた。ああ、夢か。久しぶりに薔薇園の夢を見たな。この夢、何なんだろうねぇ。
ふと、視線を感じて隣に目を向けると、目つきの悪い少女がジッと私を見つめていた。私が口元を綻ばせると、少女もにっこりと笑った。うわあ、可愛いなぁ。大人になったら相当の美人さんになりそうだな。羨ましい。
ふと、少女の笑顔を見ながら、この少女とシュヴァルツ、ラインヴァイスが描かれた絵の事を思い出した。そう言えば、シュヴァルツとどんな関係なんだろう。やっぱり、親戚か何かかな? 少女の髪はシュヴァルツみたいな黒髪だし。瞳の色はラインヴァイスと似た色の金色だから、ドラゴン族の子で間違いはないと思うんだけど。
「ねえ」
私が口を開いた瞬間、私の意識が覚醒した。出窓の外を見ると、だいぶ日が傾いている。一体、何時間寝ていたんだろう。変な体勢で寝ていたのか、首と肩が痛い……。私が欠伸をしながら大きく伸びをすると、コンコンとノックの音が響いた。
「はい」
私が返事をすると、鍵の開く音がし、ラインヴァイスが硬い表情で部屋に入って来た。そして、テーブルに夕食を一人分並べていく。黙々と作業をするラインヴァイスはいつもと雰囲気が違った。もしかして、怒ってる? 当たり前か……。きっと、あの後シュヴァルツに怒られただろうし。ごめんね、ラインヴァイス。君に恨みがあるわけじゃないんだ。ただ、もう限界なの。
「夕食の準備が整いました」
ラインヴァイスは私に声を掛けると、いつも通りテーブルの脇に控えた。いつもと違うのはその表情。可愛らしい笑顔は見せず、硬い表情を崩さない。
「頂きます」
私はテーブルに着くと、手を合わせて夕食を食べ始めた。私の動きをジッと注視するラインヴァイス。いつもなら、二人で和やかに話をしながら夕飯を食べるのだが、今日のラインヴァイスにそのつもりは無いらしい。自分で蒔いた種とはいえ、息が詰まるなぁ。
「ね、ねえ……?」
私は食後のお茶を飲みながら、ラインヴァイスの表情を上目遣いで窺った。普段なら、目が合うとにっこりと可愛らしく笑ってくれるラインヴァイスだが、今日は硬い表情を崩さない。やっぱり、怒ってる?
「何でしょう?」
「もしかして、怒ってる……?」
「ええ。勿論」
ラインヴァイスってば、そっけない返事。こういう対応されると凹むな……。怒っているにしても、そんな突き放すように言わなくても良いと思うんだ。優しいラインヴァイスなら「そんな事無いですよ」って言って、いつもの可愛らしい笑顔を見せてくれると思っていたのに。私が小さく溜め息を吐くと、ラインヴァイスの眉間に皺が寄った。
「不服そうですね?」
「そんな事、無いよ。ただ――」
「ただ?」
おうむ返しに問うラインヴァイスの表情に険しさが増した。本気で怒ってる? こんなラインヴァイスなんて初めて見るからか、少し怖いかも……。
「そんな、あからさまに態度に出さなくてもなぁ、なんて……」
「貴女は!」
おう、ビックリした! いつも穏やかなラインヴァイスが声を荒げるなんて……。ラインヴァイスはハッとしたように口を引き結び、自身を落ち着かせているのか数回深呼吸をした。
「貴女は、本日どれほど危険な事をされたか、分かっていらっしゃいますか?」
普段の静かな口調に戻ったラインヴァイスだったが、その表情は険しいままだ。そもそも、危険な事って何よ? 私、お城の中を走り回っただけだよ? 私はキョトンとした表情でラインヴァイスを見つめた。
「えっと……?」
「そのご様子ですと、本気でお分かりになっていないようですね。……城の中には竜王様や私の他にも、多くの魔人族の男が暮らしています」
へえ、そうなんだ。ここ、お城兼町みたいな建物なのかな? もしかして、ノイモーントやフォーゲルシメーレ、ヴォルフなんかも、お城で暮らしているの?
「身を守る術を持たない貴女が、男の前にのこのこと現れる。どうなるか分かりませんか?」
えっと、どういう事? う~ん、と……。男と私、私と男……。あっ! もしかして、この世界に来た時みたいに襲われるとか、そういう事?
「お、襲われる、とか?」
私は自分の想像を確かめるように、おずおずと口を開いた。ラインヴァイスはこくりと、険しい表情を崩さず頷く。当たった……?
「ええ、その通りです。この城には、自身の欲望に負けるような者の方が多いでしょう。この部屋の中なら、竜王様が許可しない限り扉から入る以外に手はありませんので、貴女の安全は保障されております。しかし、城の中はそうはいきません。本日は貴女の魔力を微かに感知した竜王様が、いち早く発見出来たから良かったものの、そうでなければ今頃は……」
そういうものなの? この世界の魔人族の男の人は、ラインヴァイスを基準に考えたらダメって事? ノイモーントやフォーゲルシメーレ、ヴォルフと最初に会った時なんかが、このお城では普通なのかな? そう考えると、少し冷汗が出る。何も無くて良かったぁ!
「それに」
ラインヴァイスはまだ何か言いたいらしい。でも、私はもうこれといって思い当たる事なんて無いんだけど。未だ私が知らない危険があったの?
「薔薇園への入り方にしてもです」
「薔薇園?」
「ええ。あの薔薇園は竜王様と私の結界で守られた場所。その様な所へ正規の方法以外で入るなど――」
「え? ちょっと待って。どういう事?」
「貴女がいらっしゃった場所は、竜王様と私の魔力干渉によって出来た異空間です。あんな、無限に続く空間で迷ったら出て来られなくなります。本日は竜王様がすぐに見つけて事なきを得ましたが……」
「別に、入りたくて入ったわけじゃないし……」
「とにかく! 今後、軽率な行動は謹んで下さい!」
ラインヴァイスのこの発言、外に出る事を考えるなって事だよね。絶対に無理。こんな生活、もう嫌だし、元の世界に戻る方法だって探したいもん。
「無理。絶対に無理! こんな生活、もう嫌だ!」
私の抗議を聞いたラインヴァイスの表情に険しさが増した。
「貴女は――!」
「私は家に帰りたいの! 元の世界に戻りたいの! その為だったら、何だってやってやる! 何度でもここから逃げ出してやるんだから!」
私は叫んで立ち上がると、ラインヴァイスに背を向けた。興奮しすぎたせいか、目から涙が出てしまった。何だか悔しい。私は乱暴に袖で目元を拭うと、出窓の淵に腰を下ろして外を見つめた。綺麗な星空には、大小二つの月が輝いている。暖かい日差しで日向ぼっこも良いけど、偶には月明かりに照らされるのも幻想的で良いね。ああ、私、いつになったら元の世界に戻れるんだろう……。
ラインヴァイスの溜め息が聞こえ、食器を片づける音がする。私もお返しとばかりに盛大に溜め息を吐き、ジッと窓の外を見つめた。
ラインヴァイスが食器を片づけ終わり、部屋を後にしてから暫くして、すぐ傍らに人の立つ気配がした。視線だけ動かして姿を確認すると、予想通りシュヴァルツが私を見下ろしていた。普段の三割増しに視線が鋭い。怖い顔……。
「アオイ」
「何よ」
私は視線を窓の外に戻すと、そっけなく返事をした。シュヴァルツの顔を見ていると、ふつふつと怒りが込み上げてくる。元はといえば、シュヴァルツがこんな部屋に閉じ込めるからいけないんだ。そりゃ、敵対する可能性がある以上、私を自由にするデメリットは大きい。それくらい、子供じゃないんだから分かっている。でも、私はシュヴァルツと敵対するつもりは皆無なんだ。それは前にも言ったのに。そろそろ解放してくれても良いじゃん!
「ラインヴァイスに話は聞いた」
「何が」
「何度でも逃げ出すと、そう言ったそうだな」
「言ったわよ!」
私はそう叫び、出窓から立ち上がった。そして、シュヴァルツを睨み付ける。シュヴァルツはというと眉ひとつ動かさず、腕を組んで仁王立ちし、鋭い目つきで私を見下ろしていた。暫くの間無言の睨み合いが続く。
「そうか……」
沈黙を破ったのはシュヴァルツだった。溜め息交じりに「そうか」って、もしかして私が出て行く事、納得したの? これで缶詰生活ともおさらばって事? 晴れて自由の身?
「ここを出る事、諦めるつもりは無い、と」
世の中、そんなに甘く無かった……。地を這うような低い声で言ったシュヴァルツの瞳に仄暗い光が宿った。え? 何か、シュヴァルツがやばい雰囲気なんですが……。こ、怖い……。私はシュヴァルツの迫力に押され、後退ろうとした。しかし、すぐ後ろは出窓の淵。私は腰が抜けたように出窓の淵にへたり込んだ。シュヴァルツが、そんな私に手を伸ばす。私、殺されたりなんて、しないよね……? だ、大丈夫、だよね……?
私が小さく身を震わせると、一瞬ためらったように動きを止めたシュヴァルツだったが、再び手を伸ばすと私の左手を取った。そして、懐から取り出した物を私の中指に嵌める。指輪……? 黒っぽい石が嵌った指輪だ。
シュヴァルツの予想外の行動に、私は呆気に取らてシュヴァルツを見つめた。シュヴァルツのこのやばい雰囲気は何なの? 何か、私一人怖がって、これじゃ私がただの小心者みたいだよ。でも、今のシュヴァルツ、すごく怖い……。
「こ、これ……?」
私は指輪とシュヴァルツの間で視線を彷徨わせた。銀色の地金には繊細な細工が施され、アンティークっぽい感じ。こういうデザインの指輪は嫌いじゃない。でも、何か不気味な感じがする指輪だ。特に、黒っぽい石の部分。例えるなら、シュヴァルツから漂ってくるこのどす黒いオーラをそのまま凝縮して固形にした感じ?
「じゃじゃ馬には手綱が必要だろう」
シュヴァルツはそう囁いたかと思うと、指輪に口づけを落とした。予想外の行動に、私の顔に一気に血が上る。なななな、何すんのっ!
私の動揺を他所に、シュヴァルツは顔色一つ変えなかった。仄暗い光を湛えた瞳でひたと私を見つめている。こ、怖い! 怖すぎる!
「ちょっ! 何して――痛っ!」
私がシュヴァルツの手を振り解いて手をひっこめた瞬間、左手に激痛が走った。思いがけない痛みに、私の顔が歪む。痛む左手を押さえ、視線を落とすと、指輪の黒い石が黒い光としか表現できない光を放っていた。そして、私の皮膚によく分からない、うねうねとした気味の悪い黒い模様が広がっていく。その模様も、指輪の石と同じ黒い光を発していた。
みるみるうちに模様が腕にまで広がっていく。それに伴って、痛みの範囲が広がり、額に脂汗が滲んできた。
「やっ! くぅ……!」
小さく呻き声を漏らし、私は痛む左腕を抱え込むようにして背を丸めた。呼吸が荒くなり、涙で視界が滲んでいる。痛みは腕から肩、胸へと広がっていった。
「ああああぁぁぁ!」
どんどん広がっていく痛みに耐えきれず、私は悲鳴を上げた。身体がガタガタと震え、寒気がする。怖い。もしかして、私、このまま死んじゃうの? 誰か、助けて……。お父さん、お母さん、ミーちゃん……。
全身にまで広がった痛みで意識が朦朧としてきた。身体に力が入らなくて、出窓の淵から滑り落ちそうになる。そんな私をシュヴァルツが受け止めて出窓の淵に腰掛けたようだ。あれ……? 今、私、抱きしめられて、いる……?
「手放すなど――」
シュヴァルツは小さく呟き、腕に力を込めた。力が強すぎて少し痛い……。でも……。私はそのままシュヴァルツの腕の中で意識を手放した。




