農園 2
「着きました」
そう言ったのはヴォルフだった。目の前にはレンガ造りのしっかりとした小屋。中から動物の鳴き声がするし、動物園みたいな匂いもする。家畜小屋ってやつだね、これ。
「ご苦労だった」
シュヴァルツはヴォルフの方を見ずに言うと、匂いをものともせず中に入って行った。私も入らないとダメかな? 虫、いたら嫌だな。そう思ってラインヴァイスを見ると、「お先にどうぞ」とでも言うように、入り口の所で中に向かって手を向け、にこやかに笑っていた。せっかくレディファーストをしてくれているラインヴァイスを待たせる訳にもいかず、私は渋々と家畜小屋に入った。
家畜小屋には頭に二本の角のあるウサギ――ラッセルボックと、頭に一本角のある馬――ユニコーン、そして大きな黒い牛――スイギュウがたくさんいた。外の見た目からは、中がこんなに広いなんて想像出来ない程広い家畜小屋だ。もしかして、農園といい、この家畜小屋といい、魔法か何かで空間を広げているんじゃ……。部屋のクローゼットも……。空間拡張って言うんだっけ? 異世界って本当に便利だねぇ。
「今朝、乳をとったスイギュウは」
「こちらです」
腕を組んで上から目線で問い掛けるシュヴァルツを、ヴォルフが先導して歩いていく。私もその後をついて行き、私の後ろをラインヴァイスがついて来る。またしてもRPGのように一列になって歩いた。
「こちらのスイギュウです」
ヴォルフが見せてくれたスイギュウは、他のスイギュウと大差ない、至って普通のスイギュウだった。つぶらな瞳とクルンとカールする長いまつげが可愛いけれど、身体は筋骨隆々で逞しい。でも、メスだからおっぱいがある。パンパンに張ったおっぱいは、搾ったらたくさんお乳が出そうだな。
「乳を」
「はっ!」
シュヴァルツに命じられ、ヴォルフが何処からからバケツみたいな容器と桶を持って来た。バケツみたいなとは言っても、ピカピカと光るそれはとても清潔そう。絞ったお乳を入れる、専用のバケツなのかな?
ヴォルフはスイギュウのおっぱいの下に容器を置くと、綺麗な水の入った桶に白い布を浸し、それでお乳を拭くと搾乳を始めた。スイギュウは嫌がるでもなく、ヴォルフにされるがままじっとしている。もしかして、毎日ヴォルフが搾乳をしているのかな? お乳を搾るヴォルフの手つきも慣れているし……。搾乳をする半裸のワイルドイケメン……悪くない。
「どうぞ」
ヴォルフは容器に少し溜まったお乳をコップみたいな小さな容器に移し、シュヴァルツに差し出した。シュヴァルツはそれを一口含み、眉間に皺を寄せる。怖い顔……。ヴォルフは私とラインヴァイスにも、コップみたいな小さな容器を渡してくれた。味見ってやつだね、きっと。
どうでも良いんだけど、ヴォルフが私にコップを渡す時、手が凄く震えていた。私は何もしていない。そんなに怯えないでよ!
私はおずおずとスイギュウの搾りたてのお乳を口に含んだ。朝のホットミルクと大差ない、とても濃い味がする。生暖かい、ホイップ前の生クリームを飲んでいる感じだ。
「う~ん」
私は手に持っている容器を見つめながら唸った。牛乳って、牛のお乳で合ってるよね? 味が濃いのは種類の差? この世界のスイギュウは生クリームみたいな濃いお乳を出すって事?
「違うか」
違うかって? 違うよ。ふと顔を上げると、シュヴァルツが空の容器をヴォルフに手渡していた。もう全部飲んだんだ……。
生クリームと牛乳。似ているといえば似ているのかなぁ。私は再び容器に視線を戻した。
「アオイ様の世界とこちらの世界のスイギュウでは種類が違うのでしょうか? だから味に差が出てしまうとか?」
ラインヴァイスが困ったように言った。これがこっちのスタンダードなら、諦めるしかないのかな……。私は手に持つ容器を軽く振った。ホイップ前の生クリームのように少しトロッとした液体だし、やはり牛乳とは違うみたい。牛乳は諦めて、ホイップクリームでも作ってもらおうかな。あ~ぁ……。
「あ! そんなに振ったら――!」
ヴォルフが容器を振る私を制止しようと手を伸ばした。その手をシュヴァルツが掴む。私の隣では、ラインヴァイスが真顔で剣の柄に手を掛けていた。な、何? どうした?
「な、何……?」
私は恐る恐る声を発した。怖い。シュヴァルツとラインヴァイスが滅茶苦茶怖い! 殺気というのだろうか、二人から漂ってくるオーラがどす黒くって、涙がちょちょ切れるくらい怖い。ラインヴァイスに目配せしたシュヴァルツが、痛みで悶え苦しんでいるヴォルフの腕を握る手に更に力を込めたのが、傍で見ていてはっきりと分かった。ヴォルフの腕、へし折ったりなんて、しない、よね……?
「いだだだだ!」
そう叫んだヴォルフの目には涙が溜まっている。ヴォルフは何もしていないのに、シュヴァルツってば何してんの!
「ちょ、ちょっと! シュヴァルツ! 手、離してあげてよ! で、ヴォルフ。何だったの? 何か言いたい事、あったんじゃないの?」
シュヴァルツが渋々といった表情でヴォルフの腕から手を離すと、そこにはくっきりとシュヴァルツの手の痕がついていた。どんだけ渾身の力で握っていたんだ……。
「乳、振ったら……飲めなく、なります……」
ヴォルフは涙目のままそう言うと、何処かへ走り去った。腕を冷やしに行ったのかもしれない。骨、折れていたりなんてしないよね……? もし折れていても、私のせいじゃないよね? シュヴァルツが悪いんだよね?
「飲めなくなる、ねぇ……」
私は走り去っていくヴォルフの背を見送り、視線を容器に戻した。何で飲めなくなるか聞くのを忘れた。別に、腐るとかじゃなければ飲めると思うんだけどな。私は容器の乳を口に含んだ。飲めるじゃん……と思ったけど、何かが口の中に残る。
「何これ……」
容器の中の乳をよく見ると、何か小さなツブツブが浮いている気がする。気持ち悪い。口に残るのはこのツブツブか。
「どうした」
シュヴァルツが私の手の中の容器を覗き込み、首を捻った。ラインヴァイスも不思議そうに私の容器の中を見ている。
「乳は振ると、分離します」
唐突にヴォルフの声がし、振り返ると少し離れた所にヴォルフが立っていた。ヴォルフは腕に濡れた布を当て、シュヴァルツに掴まれた痕がある腕を冷やしている。
「分離って、何が?」
私は小首を傾げながらヴォルフに問い掛けた。牛乳って、振ると分離したっけ? いや、これの場合は生クリームに近いのか。でも、生クリームって、振って分離するのかな? 泡立ててホイップクリームになるイメージしか湧かないけど……。
「乳の中の脂が」
そう答えたヴォルフの頭には耳が、お尻には尻尾が出ていた。ジッとこちらを見つめる視線が、獲物を狙う目つきになっていて怖い。私がサッとラインヴァイスの後ろに隠れると、シュヴァルツがフンと鼻を鳴らした。
「ヴォルフ、耳と尾が出ている。見苦しい」
シュヴァルツにそう指摘され、ヴォルフが我に返ったようにあたふたと耳と尻尾を触った。そして、自身で尻尾を思いきり握る。すると、一瞬にして耳と尻尾が消えた。その様子を、私はラインヴァイスの影に隠れながら見ていた。
もしかしなくても、ヴォルフって尻尾を触ると人型に戻るんじゃ……。さっきも、ラインヴァイスに尻尾を握られて元に戻ってたし。ワーウルフにとって、尻尾は尊厳の象徴とか言っていたけど、実は弱点でもあるんじゃないのかな? 犬と同じだ。そんな事をボーっと考えていると、唐突にシュヴァルツに腕を掴まれ、ラインヴァイスから引き離された。もう安全って事?
「乳の脂が分離すると飲めないのですか?」
ラインヴァイスがヴォルフに問う。飲んでみれば分かるけど、分離したこれは飲めたものじゃない。口の中に残るツブツブが気持ち悪いから。
「害はありませんが美味しい物ではありませんし、加工も出来なくなります」
ヴォルフはそう言うと、私に新しい容器に入れた乳をくれた。私は古い容器と新しい容器を交換し、再び首を捻った。牛の乳の脂、牛の乳の脂……。何か忘れているけど、何だっけ? ラードじゃないし、牛脂はお肉の脂だし……。あ、そっか。バター!
「分離したものはどうしているのです?」
ラインヴァイスが小首を傾げる可愛らしい仕草でヴォルフに問い掛けると、驚くべき答えが返って来た。
「使い物になりませんので捨てています」
な、何ですとー! パンに何もつけていなからバターは無いんだろうなとは思っていたけど、まさか捨てていたなんて!
「ねえ! 蓋がピッタリ閉まる入れ物、ちょうだい!」
「え? あ、はい!」
ヴォルフは慌てて駆け出すと何処かへ姿を消し、暫くするとビンのような物を持って帰って来た。私はそれに乳を移し替えると、力一杯振った。
「あ! だから振ると――!」
「黙ってて!」
そう言って暫くフリフリ、フリフリ! バシャバシャとした感触が無くなり、手応えが無くなる。そして、暫くすると唐突に感触が変わった。固形物が水の中を動くような感触に。手を止めて容器の中を見ると、中には小さなバターの塊が出来ていた。蓋を開けてそれを少し摘まんで口に含む。間違いない。お菓子作りに使うような無塩バターだ。水分を切って、塩を少し入れたら、パンに塗るようなバターになるよ!
「どうした、アオイ」
シュヴァルツは形の良い眉を顰めていた。そりゃ、乳を普段捨てるような状態に敢えてした私の行動は意味不明だろう。ラインヴァイスもヴォルフも怪訝そうな顔をしている。
「バターが出来たの!」
私はバターをもう一摘まみ、口に入れる。うん、美味しくない! 塩が欲しい!
「ばたー?」
シュヴァルツは怪訝そうに私の手の中の容器を見た。と思ったら、バターを一摘まみ口にいれる。それ、私のバターなのに……。
「アオイ。お前の世界では、これをばたーと呼ぶのか」
「そう。これの水分を切って、塩を入れて、料理に使ったり、パンに塗ったりするの」
「塩とな? では調味料なのか」
「うーん……。調味料、なのかな? 料理には香り付けで使うし、焼き菓子にも使うし、パンにも塗るし……。用途は広いよ」
「ほう」
シュヴァルツは顎に手を当て、私の説明を興味深そうに聞いている。未知との遭遇ってやつなのかな? チーズはあるのにバターが無いなんてね。異世界って不思議。
「では、もう少しばたーなるものを作り、水分を切って塩を入れてみましょう」
そう言ったのはラインヴァイスだった。ナイス提案。私達四人は、ヴォルフが何処かから持って来た蓋付き容器を手に、暫く無言でフリフリ、フリフリ、容器を振り続けたのだった。因みに、ヴォルフは一抱えある容器にたっぷりと乳を入れ、盛大に振っていた。疲れないのかなぁ?
出来上がったバターは元の世界と大差ない仕上がりだった。いや、出来たてほやほやだからか、元の世界以上に美味しかった。そして、何と、何と! バターと分けた後の水分が、牛乳っぽい代物だった。試しにと思って飲んでみたのだが、結構美味しい。牛乳をごくごくと飲む私を、ヴォルフが微妙な表情で見つめている。でも、気にしない!
「お、美味しいですか?」
私の飲みっぷりに、流石のラインヴァイスも引き気味だった。でも、気にしたら負けな気がする! 久しぶりの牛乳だ。満足するまで飲みたいの!
「おかわり!」
そう言ってコップを差し出すと、申し訳無さそうな表情でヴォルフが空の容器を見せた。結構あった牛乳を飲み切ったらしい。残念……。
「そんなに残念そうにしなくとも、明日から口に出来る。ばたーもな」
そう言ってシュヴァルツは踵を返した。もう帰るの? こんなところに置いて行かれたら堪らない。私は慌ててシュヴァルツの背中を追った。
次の日から、シュヴァルツは約束通り牛乳とバター両方を朝食に出してくれた。こういうところは結構良いヤツだ。私を城の一室に閉じ込めたり、偉そうな言動が無くなったりすれば完璧なのにねぇ。ホント、残念な人だ。私はパンにバターを塗りながら、同じくパンにバターを塗っているシュヴァルツを見て、小さく溜め息を吐いた。




