交渉
私が次に目を覚ました時、外は既に薄暗くなっていた。だいぶスッキリした。気持ち悪いのが治まって、気分が良くなった。私はベッドから降りると、ソファに座り、水差しの水を飲んだ。くぅ~! 冷たい水が五臓六腑に染み渡る!
ふと、私はローテーブルの上の薔薇に目を留めた。シュヴァルツと同じ香りがする、彼の瞳の色の薔薇、か……。何と無く気分が重くなる。そりゃ、具合悪くなった私の為に薬の手配をしてくれて、シュヴァルツにはお世話になった。薔薇だって持って来てくれて、部屋に飾ってくれているし。でも、私は彼にこの部屋に閉じ込められている。私は籠の鳥になっているんだ。そう思うと、無性に悲しくなってきた。私は溜め息を吐き、ソファで項垂れた。
どれくらいそうしていたのだろう。私は身体が冷えるのを感じ、ぶるっと身震いをした。汗をたくさんかいたからだろう、着ているネグリジェが湿っている。そのせいで体温が奪われ始めたんだ。着替え、あるのかな? 私はのろのろとソファから立ち上がり、クローゼット上段の観音開きの扉を開いた。
クローゼットの中は広々としていた。見た目は普通の箪笥くらいしか無いのに、やけに中が広い。引くくらい広い。一体、何畳位あるんだろう。どうなってんの、これ? 物理法則とかは完全無視? 便利だな、異世界。まあ、中身は当然空っぽな訳だから、このだだっ広い空間は全く意味を成して無いんだけど。
私は観音開きの扉を閉じると、下の引き出しを引いた。引き出しもスルスルと、どこまでも、どこまでも出てくる。何じゃこりゃ。ホント、どんな造りになってるんだ。
下の引き出しには、ぎっしりと色々な物が詰まっていた。主に下着類。それが整然と詰め込まれている。私が今着ているようなオーソドックスなネグリジェもたくさんあった。コルセットとかかぼちゃパンツ、ガーターベルトみたいなものまで入っている。……誰だ。レースフリフリのスケスケベビードールとか、裾が異様に短いネグリジェとか用意したヤツは。殴るぞ。
私はオーソドックスなネグリジェを手に取り、引き出しをそっと閉めた。きっと、変なベビードールとかネグリジェは元々この部屋にあった物なんだ。決して私の為に用意された物じゃない。きっとそうだ。そういう事にしておこう。
私は洗面所へ移動すると、顔を洗った。汗で全身がペタペタする。明日は朝一でお風呂に入ろう。こんなに気分が良くなっているんだから、きっと熱も下がったよね。私が顔を上げると、鏡に映った自分の顔が目に入った。私の顔は少しやつれていた。三日間も薬湯以外は口にしていないんだから当たり前、か……。何で私がこんな目に遭わないといけないんだろう。神様、恨みます。
私は濡らしたタオルで全身を拭き、着替えを済ませると洗面所を後にした。部屋にはさも当然のようにシュヴァルツがいる。なぜかソファで寛いでいるんですが……。部屋で着替えなくて良かった、ホント。
シュヴァルツは洗面所から出てきた私の姿を見て、ソファから立ち上がるとダイニングテーブルの上で薬湯を用意し始めた。ポットに色々な草を入れていく。私はそれをソファに座って眺めていた。最初に私が薬湯を飲まなかったから、原料をいつでも見られるようにしてくれているのかな? 一応、気を遣っているらしい。
私はふと、目の前の紫色の薔薇に目を留めた。さっきは全然気が付かなかったけど、薔薇の棘が無い。私が怪我をしたからか、目の前の花瓶の全ての薔薇に棘が無かった。遠目にベッドサイドのチェストの上の薔薇を見ると、それにも棘が無い気がする。テーブルの上の白い薔薇もだ。もしかして、さっき私が寝る時にシュヴァルツがソファに居座っていたのって、一本一本薔薇の棘を取る為? だとしたらマメな男だ。私だったらそのままにするな。何度も薔薇の棘で怪我なんてしないだろうし。
「小娘、薬湯だ。飲んで寝ていろ」
掛けられた声に反応して私が顔を上げると、シュヴァルツが私を見下ろしながらコップを差し出していた。少しくらい笑おうよ。ホントこの人、綺麗だけど、傲慢そうで不愛想で、ついでに口も悪い。残念な人だ。
「ありがとう」
私はシュヴァルツにお礼を言い、コップを受け取った。シュヴァルツはローテーブルを挟んだ反対側のソファに腰を下ろし、腕と足を組んで私が薬湯を飲むのを傲慢そうな表情で見張っている。もっと愛想良く出来ないもんかねぇ。あ、私もか。
今回の薬湯はあまり熱くなかったので、一気に飲んでローテーブルにコップを置いた。温くなく、熱くなく、丁度良い温度だった。これくらいの温度なら、慎重にならなくても飲めるな。
「……ねえ。私、家に帰る方法、探したいんだけど」
私は上目遣いでシュヴァルツに言った。私はこのまま籠の鳥になるなんて真っ平御免だ。それに、家に帰る方法を何としてでも探したい。それにはここを出なくてはいけない。出してもらえるように交渉、交渉。
「私はお前をここから出すつもりは無い」
シュヴァルツは淡々とそう言った。何という事だ。交渉する前に断られてしまった!
「何でよ! ここから出してくれたら、アンタとアンタの国には干渉しないって約束するから! 出してよ! 私は家に帰りたいの!」
私は立ち上がり、力一杯シュヴァルツに向かって叫んだ。魔王を倒すとか、そんな使命、私には関係無い。家に帰る方法さえ分かれば良いんだ。でも、ここから出してもらわない事には何も出来ない。帰る方法が探せないじゃないか!
「何度も言わせるな、小娘。私はお前をここから出すつもりは無い」
シュヴァルツはそう言い、ソファから立ち上がった。そして、私に背を向けるようにマントを翻すと、忽然と姿を消した。私は暫く呆然とした後、悔しくて唇を噛んだ。
傲慢そうで不愛想だけど、シュヴァルツが意外と優しいところがあるなんて思った私がバカだった。もしかしたら出してくれるかもなんて、あんなヤツに期待して。やっぱりシュヴァルツは嫌なヤツだ! 大嫌いだ、あんなヤツ! 私は目元に溜まった涙を乱暴に袖で拭い、ベッドに潜り込んだ。