物語にはやっぱりヒロインが必要だよね
「おうおう、混んでんなぁ」
メリアとの稽古から数日後。
しんしんと雪が降る中、俺は人ゴミを縫うように道を進んでいた。
時刻は既に後に時間もすれば日が変わってしまう。それなのにも拘らず、街は人であふれている。
そんな吐き気を催す人混みに意味の無い呪詛を吐きながら、独り言ちる。
今日はこの国で特別な日だ。
なんせ、白の国が白の国として本当の意味で建国した日なのだから。
世界の五国が元々一つの大国で、始まりの魔物の大横行によって今の国になったとされている。
しかし、いきなり一つの国が五国に分かれてしまったらそれはそれは大きな混乱が起こったのだと。
そのごたごたで白の国は早々に崩壊。済し崩しに五国の中心にあり、王権があった区画の黒の国に吸収されてしまったのだ。
しかし、そんな中にも英雄と言う者がいるもの。
初代西海龍王の老王ヒルデブラントだ。ヒルデブラントは黒の国の圧政に耐え兼ね、英雄ディートリヒとレジスタンスを率いて下剋上をし、その責務を果たした。
その老王ヒルデブラントと独立を祝う日なのだ。だからこんな時間だと言うのに人々でに賑わっている。
「おっちゃん、昆布茶とイカ焼き頂戴」
「あいよ。銅貨二枚だ」
「どもー」
だが、この日が嫌だというわけではない。
美味いものは格安で食えるし、なにより今日は大事なイベントがある。
別にシナリオに関係は無い。関係が無いからこそ、気軽にイベントをこなせるってものだ。
買ったイカ焼きを頬張りながら目的地へと赴く。
本来なら寒さで凍えるところなのだろうが、この人ゴミと温かい食べ物のおかげでそこまで寒くはない。
そして何よりカップルが多い。別に俺はカップルが嫌いというわけではないが。
カップルにはもっとやることやってもらいたいね。
元の世界の日本では少子化問題が遠くない未来に日本を潰すだろう。
それだと俺が好きなゲームだって美味い飯だってなくなっちまう。
そしてなにより、俺が爺になった時に年金を払ってくれる若者がいないと困るんだよ。
だからもっとばかずかやって子供を増やしてほしいね。
「……っと」
目的地……朽ち果てた神殿跡に着いた。
この神殿は今はもう機能していないが、かつて【神】を祀っていたそうな。
しかし、この世界には【神】はもういない。遥か昔に世界を統治していた世界王が、あろうことか【神】に対して戦争を吹っ掛けたのだ。
それに深く悲しんだ【神】はこの世を去り、野放しとなった神々と人間と魔物が蔓延る世界になったのだと。
それの、名残だ。
もう何百年と経っているはずなのに、土台は形として残っているところはさすが【神】の神殿だと言いたい。
だが、もうこの世界には【神】のことを覚えている人は極少数。一般人であるならば、かつて祀っていたが信仰が廃れてしまった神殿のなれの果てとしか思っていないだろう。
もっとも、その情報は設定集からだが。
そんな神殿跡に、“彼女”は立っていた。
足元しか残っていない神像の前で跪き、本を広げて今はもういない【神】へ祈っている。
俺はそんな彼女の元へ行く。
「……英雄本では聖剣ノートゥングを携えた無敵王ジークフリートに対し、英雄ディートリヒは巨人の剣ナーゲルリングを掲げ、傷が付かないはずのジークフリートを見事打倒した」
「え?」
彼女まであと数メートルというところでだ。
彼女はいきなり立ち上がり、こちらを振り向いたのだ。
体全体をローブとフードで覆い、その姿は身長とフードから覗く碧い髪の毛からしか情報が得られない。
俺が来たことを知っているのか?
「かの老王ヒルデブラントは英雄ディートリヒを育て上げました……そして、この国の根幹を創り、後世に名を遺したのでした。では、貴方は……なぜここへ?」
「……今はもういない【神】に祈っている人が、物珍しかったもので」
俺がここに来たのは、このローブの女性が目当てだから。
世界各国に出没し、その存在が設定集であってもたった一行しか語られていない謎のキャラクター。
ただの好奇心。純粋に彼女のことを知りたいという気持ちで、俺はここまで来た。
「そうでしたか。貴方は……失礼ですが、人間……なのよね?」
「え? えぇ、はい」
そんな彼女に、なぜか疑問形で人間であることを訊ねられた。
もちろん俺は人間だが、そんな質問の意味が分からないことを聞かれると変に疑ってしまう。
一体、何が目的でそんなことを訊いてきたのだろうか。
「……不躾な質問をしたことをここに詫びるわ」
「いえ……貴女はなぜここに?」
「……そうですね、昔愛した男の恨み事を一方的に愚痴っていたのよ」
「よりにもよって【神】に対してですか?」
「えぇ、でないと意味が無いですから」
彼女は意味の分からない質問をしたことを素直に謝って来た。
こちらとしても意図が分からない以上、なんとしても聞き出したいところだが……経験上、彼女に口喧嘩は一生かかっても出来ないので諦めよう。
含みのあることをこの人は言うけれど、大半は考えるだけ無駄だ。
会話を繋げるために、今度は彼女が何をしていたのかと問うと意外にも恋愛事の恨み……それも昔の男と言うのだから驚きだ。
よりにもよって今はどこにいるかもわからない【神】に愚痴るだなんてかなりの変わり者だ。
「……名前は何と?」
「枕木智也です」
「枕木智也……」
会話に詰まったのか、会話の常套句でもある名前を訊ねて来た。
しかし、俺の名前を聞くに否や持っていた黒い動物の皮で装丁された本をばららっと捲り目を通し始めた。
いったい何をしているのだろうと不思議に思ったが、その奇妙な行動も数秒のうちに終わる。
そこで俺はある違和感に気付いた。
今まで当たり前のことと感じていたが、初めての印象。
当たり前の違和感。それはこの世界に来てからのものであるのは間違いない。
やがて、違和感の正体に気付く。
俺はこの世界に来てから初めて、下の名前を呼ばれたのだ。
今までのマクラギではなく、枕木智也……と。
「……ようやく会えたわ」
「え?」
古くところどころ装丁が剥げている本を閉じ、一息置いてから彼女が呟いた言葉。
ようやく会えたとはどういうことなのだろうか。彼女は俺を探していたのか?
いったいなぜ、どうして。しかも、俺の顔を見て気付いたではなく、俺の名前を……聞いてから本を読んで気付いた。
なんだろうか、こんなタイプのキャラクターは今までに無い。
もっとも、彼女自体なぞに包まれているために俺も彼女のことはほとんどわからない。
なんせ、彼女はゲームを最初から始めるにあたって、プレイするたびに話すことが変わるのだ。
公式すらも彼女の会話データを把握しておらず、プレイした人たちから彼女の会話内容を問い合わせているぐらいだ。
それほど彼女の会話データは膨大なのだろう。
皆が皆、同じ会話が無く、テキストの細部に至るまで違っているためにそれはもう熱心なプレイヤーたちは彼女の裏設定を知ろうと自棄になっている始末。
しかし、そんな勇士の奮闘の甲斐あってか彼女の共通している部分を発見した。
それは彼女がどんな会話であれ、どこで会おうと“クールのようでツンデレ”という意味の分からないことだった。
だが、そんな彼女の性格も、謎に包まれたローブ姿なことが相まってかギャップ萌えという人気に火が点いてしまったのだ。
おかげでシフトワールド女性ランキング堂々の一位に君臨している。実際、彼女のツンデレはそれはそれは可愛いものだ。
「ねぇ、もう少し夜風に当たらない?」
「どこか落ち着ける場所なら」
「そうね、なら……港の波止場はどうかしら。潮風が少し気になるけれど、この街の状況だと一番静かに過ごせる場所よ?」
「じゃあ、行こう」
もう少し会話したいのもこちらとしては願ったり叶ったりなので、港の波止場へと移動することに。
この賑やかな夜に船で漁に出ようだなんて考える漁師は一人もおらず、普段であれば酔っ払いたちの笑い声が響ているのだが、今日に限っては静かなものだろう。
彼女の先導の元、俺は続く。
身長はそこまで高くはない。一般流通しているローブに比べて随分と余裕が無いので、彼女のスタイルがとても良いことが分かる。
しかし、胸は残念だがそこまで大きくはない。しかし、無いとも言えない……発達途中?
「貴方、今失礼なことを考えなかった?」
「気のせいでは? それより……貴女の名前を窺っても?」
そう言えば彼女に名前を聞いていなかった。
その膨大なテキストデータと相まってか、彼女の名前は多数ある。
多数あるとは言っても、名前はちゃんと種類が判明している。可愛らしい名前から不思議な名前まで沢山。
時に『リル』又は『ラル』あるいは『イリシア』……と他にもあるが羅列するのも面倒なほど。
今回はどれに当たるのだろうか。
「私は……クルスよ」
「……クルス?」
「えぇ、クルス・クルス。それが私の名前。良い名前でしょう? 一応、加護付きなのよ」
「クルス・クルス……」
「なぁに? 私の名前がおかしいの?」
「いや、素敵な名前だ」
「そう、ありがとう」
そんな投げられる球種が分かっているボールに、俺は驚きを隠せなかった。
ストレートか、それかカーブか、決め球のスライダーか。そう来ると思っていたのに一度も受けたことも無いSFFが投げられたかのよう。
クルス・クルス。その名前は攻略ウィキペディアにでさえ……乗っていない名前だったのだ。
ここに来て、また分からないこと。
彼女の謎は……はたして説明できる人がいるのだろうか。