今 生を慈しむか
「それで、俺のところに逃げてきたと」
「失礼な話、権力よりも義理と金を取る人の方が安心かと」
「懸命だな」
エル・シッド邸から逃げて逃げて辿り着いたのはゴッドフリート邸。
最初、裸足で訊ねてきた俺を何事かと聞き、家にあげてくれた。
白の国の辺境没落貴族だったのがいつの間にかこんな立派な邸宅を構えているなんて、世の中何があるのか分からない。
ここに逃げ込んだ理由としては、俺に対して恩があって、金を払えば何があろうと情報を外に漏らすことの無い傭兵団を率いている団長で、なにより義理堅いから。
ゴッドフリート邸には他にも多数の手練れの傭兵たちがいるが、皆信用できる者たちなのだと。
そう言えば、俺がゴッドフリートさんの元で戦っていた時からいた顔もちらほらと。相手も俺のことを覚えていてくれて何よりだ。
「でもなぁ、エル・シッドがそんなことをするとは思えないんだよ。元々権力云々ってやつじゃなかったしよ」
「俺に権力を使って無理やり娘の師範にしようとしたんだぜ?」
「それだよ、アイツが権力まで使ってお前を呼んだ理由だよ。アイツは自分のことには疎いが、娘のためなら結構力任せなんだ」
「エル・シッド卿は娘が俺を指名したって言ってたな」
「アイツ自身の思いではなく、娘のために呼び出した。なぁ、なんか引っかからないか?」
「……何かってなんだ?」
もちろん話すことは先ほどのこと。
エル・シッドと同じ貴族でありながら、王宮に出入りすることも多い。
俺はエル・シッドのことは設定ですら知らないから、彼のことを良く知るゴッドフリートさんに聞けば何かわかるかも知れない。
これほど“シナリオに出てこない主要人物”が恐ろしいとは思わなかった。その人物が何者であるか、どんな行動をするのか、これまで何をしてきたのかさっぱりわからない。
これまで自分のゲーム知識に頼って来たツケが回って来たのか。
「娘にそんなに必死になるのに、なんでそこまで冷静でいられたんだ?」
「冷静を装っていたとか?」
「娘のこととなると猪突猛進なのにか?」
「……確かに不思議だな。これじゃあ、俺が勘違いしたみたいじゃないか」
「…………私闘の時も思っていたが、お前ってパニックになりやすいのに冷静になったら理解速いよな」
ゴッドフリートさんが口にした疑問。
元から俺をおびき出して殺すなり報復をしようとしていたんじゃないかと思っていたが、冷静に考えてみれば少しおかしいことがよく分かる。
俺に対して娘さんのために激昂したならば、あそこまで引き延ばすか?
俺を師範にすると怒ったのも……うーん、なんだろうかモヤモヤする。
俺を呼ぶために自宅へ招いたのならば、招いたら招いたなりの徹底差があるはず。
それなのにも拘らず、俺は庭園に繋がる窓からいとも簡単に逃げだすことが出来た。鍵も掛かっていなかった。
俺を逃がさないつもりなら、そんなヘマをするだろうか?
それも、娘のためにあんなに怒るのに。そこまで怒るんだったら徹底してなくてはおかしいような気もする。
「分かんないなぁ」
「まぁ、そのうち分かるだろうよ」
「どういう意味だよ」
「直ぐにでも遣いが来るだろうさ。エル・シッドならお前の交友関係だって知り尽すことだって簡単だ」
「ですよねー」
まぁ、そうだよな。
俺の経歴を知っているなら、この国での交友関係……それも大御所ばかりなのだからすぐに割れることだろう。
今更ながら八方塞がりだ。
「どうするんだ? 国外逃亡するってんなら手助けするぜ?」
「……この五国の内比較的平和な二国から追い出されたらどう生きていけばいいんだ」
「赤の国が平和と言うか。やっぱりお前は無敗の王だよ」
さて、その次に話のタネとなるのは俺の行く末。
このまま肥やしとなるのを良しとしないのは当たり前として、どこに逃げるのかが問題だ。
赤の国に戻るなんてことをすれば俺の存在は確実に赤王と赤姫の耳に入ることになるだろう。
なんせ、戦闘狂の国だ。辺境の村だって血気盛んな農夫やら用心棒がいるんだ。
しかも、ギルドの規模が一番大きい国だ。どこの村にだってギルドの出張所がある。
そんな中に赤姫と相打ちになった戦士が来たらどうなる?
確実に俺に腕試しに来ることだろう。そしてギルドの耳に入り赤王の耳に入り赤姫の耳に入る。
俺に安寧は無いのか。
「そう言えば、この間言っていた義肢が完成したんだが、どこに送ればいいんだ?」
「あ? あぁ、それなら赤の国の玄翁心昭のところに送ってくれ」
「玄翁心昭……かの玉藻御前が死してなお悪霊化した殺生石を砕いた鍛冶屋だったっけか。知り合いなのか?」
「あぁ、ちょっとな」
「しかもよぉ、あの義肢は見たところ少女のか? まさかお前……」
「何を勘違いしている知らないが、俺が赤の国にいた頃の従業員ようだ。退職金も満足にやることも出来なかったから、その代わりだ」
「なぜ義肢が必要なのかは聞かないが、最高傑作とだけ言っておこう」
「ありがとよ」
そう言えばゴッドフリートさんに義肢の製作を頼んでいたことを忘れていた。
ロボ娘の義肢なのだが、作ってもらってなんだが少しもったいないような気もする。
お題は別にいらないそうなので、俺が気にすることじゃないんだろうけど……俺が壊したんだから気にすることか。
俺も随分と丸くなったな。
「ボス、失礼します」
「なんだ、俺の恩人がいるんだぞ」
「それが……」
「入るぞ、鉄腕ゲッツよ」
自分の心の変化に少し戸惑いながら、なぁなぁに生きてみよう、そんなことを思っていた矢先の事。
俺とゴッドフリートさんがいる団長室に、三回ノックの音が響いた。そのノックの主はゴッドフリートさんの赦しを得る前に開き、少し焦った様子の男が現れた。
服装からしてチンピラ風と感じたが、立派なゴッドフリートさんの部下だ。多分、そう言う役割の人間も必要なのだろう。
そのチンピラは肩で息をしながらも、要件をボスであるゴッドフリートさんに伝えようとしたがそれを制する物が。
チンピラも中々にいい体格をしている……が、それよりもさらに体格の良い男が部屋に入って来たのだ。
その男wpごっぢフリートさんが見た瞬間、絞り出す様に名前を呼んだ。
「エル・シッド……!」
そうだ、先ほど俺が命からがらに逃げだして来た恐怖の大元。
フルフェイスの髭が見る者に威圧感与える人物、エル・シッドがしかめっ面をして立っていた。
「っっっ……!」
俺は隠れるようにゴッドフリートさんの背後へと廻り込む。
コレは無意識に動いたことであり、人の生存本能は凄いと改めて思うのであった。
そんなことを持っている場合ではないと言うのに。
「なんだ、ロドリーゴ・ディアス・デ・ビバール……マクラギを連れて行くのか?」
「なに、そんな手荒な真似はしないさ。それにしても驚いたなぁ、彼に鉄腕ゲッツともつながりがあったとは」
「マクラギは俺がベルリヒンゲンを建てなおすことが出来た一番の立役者だ。渡しゃしねぇよ」
「ほぉ! では彼が無敗の王! 最強の私闘士か! いやいやいや……なおさら理解に苦しむ。私は別に彼と話をしたいだけだ。それとも何かね? 私が口八丁でこの場で嘘を吐くと思うのかね?」
「……マクラギ」
「うっ……」
俺はゴッドフリートさんに促されるまま前へ出る。
その足は震え、歯はカタカタとなっている。きっと、傍から見たら滑稽なものだろう。
一度腰を落ち着かせると言うことでテーブルを挟んでソファーに座る。
俺の隣にはゴッドフリートさん。背後には部下二人。そして目の前に私兵も連れていないエル・シッドが座っている。
表情はしかめっ面でも、その眼は優しさが見えている……ような気がする。
「あぁ……まず、誤解を晴らしておきたいが、私は別に君をどうこうするつもりはない。純粋に娘の師範になってもらいたかっただけなんだ。尤も、娘は酷く失望してしまったが」
「…………」
「その眼は知っているよ、信用していない目だね」
当たり前だ。人の事を簡単に信用できるほど、俺は出来ちゃいない。
隣に座っているゴッドフリートさんは背後にいた部下の二人のうち一人を部屋の外へと回した。
きっと、この屋敷の周りにエル・シッドの部下がいないかどうか見回らせているのだろう。
「はぁー……貴殿はどうにも疑り深い」
「…………」
そらそうだ。何にも知らないことがこんなにも怖いものだと知らなかったんだからな。
これは慎重に逝かなければならないことだと俺の警報が鳴り響いている。無視してはしけない警報がな。
「では、一方的に話をさせてもらう」
「……」
「私は貴殿に期待をしていた。そして、娘も貴殿に期待していたのだ。そして、今回のことで深く失望した」
「……そんなことを言われましても」
「娘はな、私の娘ということで様々な者が媚を売っているのだ。私に取り入るために。そのため、娘を“叱ってやれる者”が誰一人としていない。私は知っている通り娘を溺愛しているためか、どうも叱ると言うことが出来ない。まぁ、娘も“私の娘”ということで恥ずかしくない人間になろうと頑張っているためにそんな場面に出くわしたことが無いのだがな」
エル・シッドが語る御令嬢のこと。
ほとんどの貴族の子どもは奔放な性格になるが、エル・シッドの御令嬢は立派に父の背中を追いかけて育ったらしい。
確かに、気丈ではあったが……なんだかなぁ。
「しかし、問題は起きた。娘に教鞭を振るう者まで媚を売りだしたのだ。そんな者が教えるものはたかが知れておる。結果、娘は独学で勉強しなおす羽目になる」
「……」
「無論、私も勉学を教えようとしたこともある。だが、私はどうも物を教えるのが下手糞で……結果としては余計に娘の手を煩わせることになったのだ」
なるほど、確かにそんなことでは物事を勉強するという事態では無くなってしまう。
教鞭を振るう者まで媚を売り始めたとなったら、もし御令嬢が間違った答えを言ってもそれを指摘するわけがない。
それは困ったことだ俺でも分かる。
「そこで……だ。娘がより高い評価を……媚を売る者が付ける過剰な評価ではなく本物の評価を欲して……先日の事件が起きた」
「それが……西の森での?」
「あぁ、そうだ。娘は飛び上がるように喜んでいた。自分に初めて“勉学”を教えてくれる者がいた、とな。後は言いたいことは分かるだろう?」
……なるほど。だから俺を指名したってのか。
貴族の……救国の英雄の娘だからこそ擦り寄ってくる下賤な蟒蛇に悩んでいた。
そこへ何も事情を知らない俺が、何も知らないまま武器の使い方や戦い方を叱った。
それは御令嬢にとって、きっと……嬉しいものだったに違いない。
あぁ、なるほど。汚いなぁ。
汚ねぇなぁ……そんなお涙ちょうだいで俺を落とそうってのが見え見えだ。
同情を誘おうってのか……あぁ、そうかい。
「……それでも、自分にはそんな大それたものは」
「貴殿は分かっていない。言っただろう? 私が師範になれと。どうであれ、貴殿にはやってもらうよ……師範をね」
「……えぇー」
まさか、まだ有効だったのかよ。
俺が逃げた時点でそれは白紙になっている物じゃなかったのかよ。
そんなことを表情に出さないように思っていると、俺の心を読んだかのようにエル・シッドはニタリを口端を上げてこう言った。
「私もね、言ったのだよ娘に。この男はメリアが思っている男じゃないと。そうしたら……泣いたのだよ。娘が。分かっているかい? 泣いたのだよ? 私の娘に相応しい者になろうと気丈に振る舞っていた娘が。弱っている部分を父である私に出さえ見せなかった娘が……泣いたのだ。私の前で」
「……それは」
「理由は分かるだろう? 娘はそれほどまでに貴殿に期待していたのだ。それを貴殿はあまつさえ裏切り……泣かせてしまった。本来ならその身を切り裂きたいところだが?」
「ひぃ!」
「怯えるでない。そうするつもりなら、こうして話し合いの機会なぞ設けていない。貴殿に……頼みに来たのだ」
「え?」
俺が呆けたような声を上げたのも納得がいくと言うもの。
何故なら、目の前にいるエル・シッドが、俺に頭を下げていたのだから。
俺でなくとも、隣で窺っていたゴッドフリートさんも、背後にいた部下も同様に息を飲んでいその光景を見ている。
いったい、彼に何がそこまでさせるのか。
「頼む。娘を……見てやってくれないか。ただ一人の町娘として」
「え、あ?」
「娘のためだ。頼む。これは権力ではなく、ロドリーゴ・ディアスと言う男の……一人の娘の父親としての、お願いだ」
……なるほど。
そういうことか。どうやら俺は凄く誤解していたらしい。
エル・シッドという男は、どこまでも娘のためを思って生きているのか。
娘のために、俺のような地位も何にもない男に、そのどこまでも高い頭を俺より下に下げている。
きっと、屈辱だろう。しかし、それ以上にもっとどうにかしたいものがあるのだろう。
それが、娘のための師範。
それのために……下げているのか。
「マクラギ、これは……どうにもこちらに分が悪いぞ」
「……そう、だな」
「エル・シッドよ、貴様のような者がおいそれと頭を下げるものじゃない。だが……娘のために頭を下げる姿……しかと見届けた。マクラギ、受けてやってもらえないか?」
……ゴッドフリートさんの言う通り、コレは俺がどうみても分が悪い。
傍から見らた、完全に俺が悪者だ。娘のために頭を下げる父親、それを断ろうとする者。
俺が悪者だな。
これは……俺が腹を括るしかないのか。
この男の言い分を信じて、俺は首を縦に振るしかないのか。
「マクラギ、どうも不安なら俺の息が掛かった訓練場を貸し出そう。そこならどんな刺客もお前の命を狙えない。そこで、教えたらどうだ?」
「………………はぁ、分かりましたお。お受けします」
「本当か! ははぁ! 感謝する!」
あーあ、受けちゃった。
どうするんだよ、本当に。
そんなこと、俺に出来るはずもないのに。