希望の朝、絶望の夕暮れ
「済まん、会長……」
「いや、まぁ……その、なんだ。先生も大変なんだな」
「本当に、済まん」
「今回は先生が段取りを決めれるんだろう? 俺はやることやってくれたら何も言うことは無いさ」
「そうなんだが……」
「エル・シッドの娘は聞くところによると、高飛車で高圧的な性格だそうだ。食われんように気を付けろよ?」
「どういう意味だよ……」
翌朝。
俺は早速行動へと移すために会長へと通信魔石を通じて会話をする。
話はまた厄介事に巻き込まれたと言うこと。その際には決して仕事には迷惑を掛けないという話。
その旨を伝えると、想像通り会長は呆れた様子だった。
しかし、今回の頼み事は短期の仕事ではなく、いつ終わるか分からないもの。
それは明日か、それとも一週間後か、はたまた一か月後か。それは俺にはわからない。
けれども、俺は思う。近いうちに俺は解雇されるだろうと。
その解雇される理由は決まっている。
俺の力不足と、身分によって。当然だ、無礼を働くのが目に見えて分かる。
一応失礼が無いようには気を付けるが、それでも習慣と言う物はふとした拍子に出てしまう物だ。
「なぁ、先生。俺は思うんだが……自分から厄介事に突っ込んじゃいないか?」
「阿保抜かせ……って言いたいところだけど、俺が何かするたびに何かに巻き込まれるから一概にも言えないんだなぁ、これが」
「なんにせよ、俺は納品日をしっかりと守ってくれているだけでいいんだ。あぁ、品数もな。それ以外は俺は何も干渉しない」
「だろうよ。そう言うと思ってた」
「はははは! 身から出た錆だと思って受け入れるんだな、先生」
「……はぁーあ。愚痴を吐いて悪かった」
「おう、頑張りな」
「おうともさ」
独特の音と共に通信魔石から会長の声が聞こえなくなる。
軽い現実逃避みたいなものだったが、少し気が軽くなった気がする。
会長の方も、俺がただ口を言いたいだけだと分かっていたようで、特に深く踏み入ることもしなかった。
俺も、それがありがたかった。会長も忙しいだろうに、悪いことをした。
今度の納品は少しを色を付けてやることにする。
「うわぁ……やだよーこの国まで捨てたくないよ。嫌になる。本当に」
静かになった工房の中で独り言ちる。
どうやっても現実は目の前にやってくる。どう足掻いても顔面に張り付いてくる。
俺には過ぎたるものだ。ダメなんだ。
俺は偉そうにしているが、偉くもなんともない。
ただ勘違いされているだけなんだよ。本性は小市民なんだよ、もう。
「……腹を括るなんて、いつになっても苦しいな、ったく」
俺はモブキャラだってのによぉ。
◆ ◆ ◆
「それで、貴殿の考えを聞かせてもらいたいのだが……」
「いや、あの、そちら側が望む日を提示していただければこちらが合わせますので……」
「それはいかん。敖閏からも聞いておる通り、私側が日程を決めるのではなくそちら側が決めていただきたい」
「……勘弁してください」
「なぜ泣きそうな顔をしておるのだ。先日のことがトラウマになったのなら謝罪をする。どうか、面を上げてくれないか」
「どうすれば良いのさ……ホント」
会長に連絡してから数時間後。
昼飯も食べ終えた頃になってエル・シッドから接触があった。
それも直接俺の元へ来たのだ。しかし、俺の家は人を出迎えるスペースが無い。
工房と居住部屋の二つの部屋しかないため、とても一国の英雄を上げるには些か汚すぎた。赤の国にいた頃はロボ娘が掃除をしていてくれたため、俺の部屋は清潔が保たれていたのだ。
俺も掃除はしているのだが、どうにもロボ娘のようには出来ない。やはり掃除にもコツと言う物があるのだろう。
では、どこで話をするのか。
その答えは簡単。二人に邪魔が入らない場所で話をすればいいのだから。
けれども、その場所がエル・シッドの邸宅じゃなくても良いと思うんだ、うん。
「よもや何も考えていなかったというのではあるまいな?」
「い、いやいや、滅相も無い。エル・シッド殿に物申すのが至極申し訳ない気持ちになると言うか……」
「確かに私は一国の英雄で、貴殿の雇い主だが……貴殿のことは戦士として敬意を持っている。この場では名誉も地位も無い。遠慮せずに申してくだされ」
「それが困るんですよぉ」
相手のステージで、しかもこの後何が起こるか分からない状況でいつもどおりの啖呵なんて斬れるわけもなく、俺はただ怯えるばかり。
今まではシナリオ通り進むことが分かっていたからこそ強気に出られたが、今回は何がどうして何が起きるだなんて全く持ってわからないんだ。
こんなシナリオなんてゲームには無かった。だからこそ怖い。もしかしたら取り返しのつかないことになるかも知れないのだから、好き勝手出来るわけがないんだよ。
もしこれで相手の逆鱗に触れることでもしてみろ。
最悪の形で俺はこの国を去ることになるだろう。更に俺の予想では遅かれ早かれこの国を去ることになることだろう。
どっちみち、俺にはこんな繊細なことは出来ないのだろうから。
「あー……埒が明かん。とりあえず、娘と会ってくれまいか。話し合うことも必要だろうに」
「はぁ」
「誰ぞおらんか。メリアを呼んできてくれ」
そんな俺に嫌気がさしたのか、契約の話を切って件の娘さんと会うことになった。
部屋の中で待機していた執事がエル・シッドの頼みを聞いた瞬間消え失せたのだが、やっぱり執事って凄い。
職業にあったらきっと敏捷が全職業中最高だろうな。
「お父様。メリアはここに」
「おぉ、入って来い」
そして数分後。
応接間に扉をノックする音が三回響く。
聞こえて来た声はどこか不安が混じったものだったが、今の俺にそんな意味も分かるわけもない。
それよりも目の前の案件をどうするかで頭の中が一杯だ。
そうして入って来た娘さんに、俺は目を奪われる。
「どうも。その節はお世話になりました」
「あ、あ……」
「面識はあるだろう? 紹介しよう、貴殿を指名した娘のメリア・ディアス・デ・ビバールだ。名前の通り、この土地の次期領主だ」
その顔、その声、その姿。
俺は知っていた。以前、西の森でアイスゴーレムに殺されそうになっていた学生。
自分の沽券に係わると怒鳴り散らした彼女が今、俺の目の前で少し遠慮しがちに立っているのだ。
俺は考えるよりも早く動いていた。
「あの時、貴方が助けていただけなければ私の命は無かったことでしょう。まともにお礼も言えず――」
「すいませんでした! 貴女がエル・シッド殿の御令嬢だとは露知らず、無礼な真似を働いたことを反省しております!」
「――申し訳……え?」
俺は滑るように彼女の元へと行き、膝と三つ指を着いて頭を下げる。
俺は彼女に対して物凄い無礼を働いた。バカだとか阿保だとか言ったこともある。
そのことに彼女は怒り、こうしてこの剣の師範だと話を持ち出してきたに違いない。
きっと、俺が好き勝手言い放題だったのを赦せないのだろう。
会長から聞く限りだと高飛車で高圧的な性格だと。だとしたらもう大層御立腹だろう。
なんせ、自分のプライドを地位も低い輩に踏みにじられたのだから。
そうさ、俺は小市民さ。
相手が自分より格下だったら強気に出て、相手が自分より各上だったら下手に出る。
相手は無能王と違ってその身に権力を所持している。そして相手は俺が関わって来た人たちと違って温厚な人たちではない。
これまでとはわけが違う。俺が強きに出て良い相手ではないのだ。それを分かっているからこそのこの土下座だ。
まさか本当の頼み事ではなく、頼みごとを口実にして俺を呼び出すことが目的だったとは。
恐ろしいことだ。俺はここから生きて帰れるのだろうか。
「いえ、あの……」
「この身で払えることがあるのでしたら何なりとお申し付けください! 此度のことはどうか、どうかお許しください!」
「……どういうことですの、お父様?」
心臓がこれまでに無いくらいに速く鼓動している。
赤姫様の時は違う、あの……名前は忘れたけど人魚の少女を陥れる時とは違ったまた別の緊張。
そうだ、この緊張はあの時に似ている。この世界に来たばかりの時、想像以上に強かった亡者に追い詰められた時に似ている。
そうか、俺は今この世界で生きていく命の危機にあっているのか。
「はぁ……」
頭上でエル・シッドの溜息が聞こえて来た。
その瞬間、体中の穴という穴から汗が噴き出して来たのが分かる。
その溜息はいったいどういう意味だ。
俺は赦されないのか。ここから生きて出ることは叶わず、死ぬことも叶わず地下牢獄と言う世界から抹消されてしまうのか。
それは嫌だ。俺はまだやりたいことがまだまだ沢山ある。
それに、元の世界に帰って幸せな日々を過ごす必要があるんだ。これまで善行を行ってきた正当な願いなはずだ!
「どうにもこうにも、この男はメリアが思う平等に見てくれる者ではないというわけだ」
「そんな……」
「メリアの人を見る目もまだまだというわけだ。相手の地位を知った途端にこれだ。この男も他の男と変わらないのだよ。残念だが、お帰り願おう」
どうする!?
今の状況からどうやって打破するんだ。
この場で戦って逃げるの……は無謀ともいえることだ。あのエル・シッドと戦うなんて愚の骨頂。
しかも相手のステータスも職業もスキルも分からないのに戦うだなんて自殺も良いところだ。
レベル差はよほどのことが無い限り絶対。俺は自殺する気は更々無い。
今は俺の頭上で話し合っているようだ。
と言うことは今は二人の意識は俺に向けられていない
だったらやることは一つ!
「南無三!」
「なっ!?」
近くにあった窓から飛び出し、広い広い庭園を駆け抜けて逃げ出す俺。
靴なんて気にしている暇はない。背に腹は代えられぬ。
俺は裸足で命の危険に晒された衝動のまま街へと駆けていくのであった。