ツケの代償
◆ ◆ ◆
今日も今日とて、同じく新しい朝が来た。
白い息を吐き、相も変わらず手袋を着用できない両手を怨みつつも王宮へと足を運ぶ。
昨日の晩に無能王からの使者がやってきて、今日は謁見するよう言われているんだ。
また何か頼み事だろうか。
だけれど、もうなるべく無能王の頼みは聞かないようにしている。
本当だったら一国の王の頼み事を断るなんて、時代と場所によっては処刑ものなのだろうが……なんだろうか。
無能王の頼み事なら別に断っても良いような気がしてくるから面白い。俺が見下しているだけか。
「おっちゃん、昆布茶一杯」
「あいよ。熱いから気を付けな」
「とんでもねぇ、待ってたんだ」
厚着してもなおしばれる気温に嫌気がさし、耐え切れず窓口販売している店へと赴き温かい飲み物を注文する。
海産物が特産品のこの街は、海産物をありとあらゆる方面へと扱っている。この昆布茶も意外といけるんだよなぁ。
ズズズと昆布茶を啜りながら王宮へと向かう。
銀世界の平日だと言うのに活気にあふれているのか、行き交う人々の表情は穏やか。
主導者は無能だが、それなりに平和だからな。俺としても住みやすい……冬以外はな。
思わずため息を吐きそうになる階段も登り切り、王宮へと辿り着く。
ロビーで無能王へと謁見の約束をしていると言うと、特に何の身体検査もなくすんなり通された。
何回も謁見を行っているせいなのか、それとも無能王から身体検査はしなくともよいと言われているのからか、俺にはわからない。
ただ一つ分かるのは、受付の娘が俺を見る目がまるで上客を扱うように感じるのだけ。
俺は大した人物ではないと言うのに。
「やぁ、よく来たね。毎回ここまで来るのにゆるくないだろう?」
「ただでさえ動かないんです。良い運動ですよ」
そして何の躊躇もなく謁見の間へと足を踏み入れる。
いつもの玉座には無能王。その傍らには執政のニオンさん。
最初のころのような堅苦しい空気もなく、気軽と言えば気軽になっていた。
それでも相手は一国の王。最低限の礼儀は忘れない。
「早速で悪いけれど、本題に入ろう」
「頼み事ですか?」
「そうだね。毎回のようで悪いんだけど、頼むよ」
「今回は何を?」
「そうだね……僕の知人が君を剣の師範として迎い入れたいって言っているんだ」
「剣の師範、ですか?」
雑用のようで、雑用でない頼み事。
いつもであれば平原に暴走した魔物が現れて困っているだとか、未踏の場所へ先遣隊として向かってほしいとか、俺でなくともいい仕事ばかりだった。
しかし、今回の頼み事は無能王以外からの頼み事。
しかも俺自身を指名している。ということは、何かでも俺を知っているということだ。
剣の師範と言うことは俺が姫様と引き分けたことを知っている人物なんだろう。
そして、これは一回か二回で終わる様な頼み事ではない。
そっちに肩入れしてしまえば、こっちが疎かになってしまう恐れがある。
雑用ならば小遣い稼ぎだと思ってやっていればよかったのだが、こういう長期間に渡ってやるのはさすがに困るな。
会長に怒られてしまう。
申し訳ないが、断ろう。
「君も知っているだろうけど、エル・シッドからの直々の頼みでね」
「エル・シッド……」
エル・シッドと言えば、この国の英雄だったはず。
現実ではイスラムと戦ったスペインの英雄だったっけか。レコンキスタは授業で習った覚えがある。
更にエル・シッドを讃えて『わがエル・シッドの歌』なんてスペイン文学最古の叙事詩なんて作られる始末。
ちなみにこの知識はオカルトサークルの友人からだ。
今何しているんだろうなぁ、アイツ。歴史上の騎士のことを楽しそうに話していたっけ。
俺は全く興味なかったけれども。
「今まで何度も君に頼み事をしてきたけれど……この話はなるべく受けてもらいたい」
「……御言葉ですが陛下。私の職業は鍛冶屋。その一つ一つの鍛造には時間も掛かり、また納期に間に合わせるためにかなりの時間を有します。そのあたりを、考慮していただけないでしょうか」
「どうしてもダメなのかい? 日に一時間でも良いんだ。もちろん、君の仕事は優先でも良い。毎日でなくとも週に一度でも良いんだ」
「……それは、日程は私が一任しても良いと受け取っても良いでしょうか?」
「…………そうだね、君に頼みごとをするんだ。それくらいならなくてどうする。分かった、僕からも話を通しておくよ」
「でしたら、一度エル・シッド殿と話をしたいのですが」
「分かった。恩に着るよ。僕の方からも、援助金として報酬を出そう」
しかし、目先のことばかりに囚われ、ましてや自分で日程を決めても良いと言われたことで断る意思が揺らぎ、ついつい了承してしまう。
時間も俺の方を最優先にしてくれるとあれば、段取りだって決められる。大事な仕事がある日に稽古を入れられてしまっては目も当てられない。
そんな目の前に出された飴玉に飛びついてしまった俺。援助金だって出るって聞いて、もう断る気も無くなった。
意志の弱い人間だな、俺って。
「今の時間だと彼は王宮にいるはず。応接間で待っていてくれないか。多分、暇していると思うから」
「わかりました」
「ニオン。案内してやってくれないか。僕は席を外すよ」
「畏まりました陛下」
どうやら俺を指名したエル・シッドは王宮にいるらしく、呼んできてくれるのだそうだ。
俺としては仕事が早いのは嬉しいことだが、なによりエル・シッドに会うのがちょっと引けている。
なんせ、彼はこのゲームの表舞台には一切顔を出さず、設定上だけ存在しているキャラクターだったためにどう接していいのか分からないから。
今までは主要人物ばかりに関わっていて、事前にゲームの中の情報を得ていた俺は臆することなく接することが出来ていたんだけれど……どんな人物なのだろうか。
「こちらへ」
「あ、はい」
ということでニオンさんに連れられて応接間へと向かう。
途中、ニオンさんが俺の方をチラチラと見てくるのが気になったので、声を掛けてみることに。
すると、ニオンさんはどこか勝ち誇っていて、それでいて見下しているような表情で口を開いた。
「貴方は何がお望み?」
「はい?」
「無能に取り入ろうったって、無駄よ」
「はぁ?」
「貴方の腹の内は見えているわ。あまり大胆にやっていたら、敵だらけになるわよ」
「……あー、西海龍王のことバカにするなよ。むの……陛下は、後に大成する」
「……バカね、あの人の事をなにも分かっていない」
何かと思えば無能王の話。
ニオンさんが心から無能王のことを見下しているのはシフトワールドをプレイしたプレイヤーの中ではあまりにも有名だ。
現にニオンさんがこの国を回していると言って過言ではない。それでニオンさんはすっかり天狗になっている。
それで、どうやらニオンさんは俺が名誉やら地位を求めて無能王に取り入ろうと思っているらしい。
俺にはもちろんそんな気はない。というより、名誉ならもう持っている。南海龍王からもらった“武闘王”という称号をな。
それに、俺はなんで無能王の元へ行くのか……それ自体に理由は別にない。なんせ、呼ばれているから来ているだけなんだから。
そして、西海龍王のことを分かっていないのはそっちだ。
今に見てろ。西海龍王は軍を見事に建て直し、大軍を率いて魔王軍へと進軍して西国無双となる。
俺は今の無能王と呼べども、後の彼を無能王とは呼ばない。そして、今の無能王を決してバカにはしない。
なんだかんだ言って、俺は彼のことは好きなのだから。
「こちらでお待ちください」
「はい」
後に自分の権力を全て無くして、そんな自分に耐え切れなくなって自害するニオンさんに通されたのは王宮の一角にある応接間。
王宮の応接間と会って広々としていて、装飾品も豪華だ。飾られている壷も赤サンゴの装飾品が添えられている。
上物ばかりだ。だからか、逆に落ち着かないのは庶民ゆえか。
俺にはやっぱりこじんまりとしていて、手が届く範囲に何でもある方が過ごしやすい。
しかし、エル・シッド直々に俺を指名するとは……正気の沙汰としか思えない。彼ほどの者となれば俺の身辺くらい調査するだろうに。
調べたのだったら、俺なんて指名する理由が分からない。
まさか彼は狂人なのか?
そうでないと説明がつかない。はず。
まぁ、話を聞いてみればわかることか。またくだらないことで時間を食ってしまったな。
「お待たせして申し訳ない」
しばらくして応接間の扉が開き、とある人物が入って来た。
板金鎧に身を包み、懐に二本の剣を携えた豪傑。フルフェイスが良く似合う顔立ち。
鋭い眼光はまるで鷹のようだ。その眼で、この国の行く末を見てきたのだろう。
「急な話で済まないが、来てくれてありがとう」
しかし、それでいて優しい表情をしている。
それがこの男。白の国を西海龍王と共に纏め上げた軍人であり貴族。
エル・シッドこと、ロドリーゴ・ディアス・デ・ビバールだ。