慢心的メイガス
◆ ◆ ◆
「みかん、食べるかの?」
「おう、いただく」
部屋に備え付けられている物置の奥からみかんを取り出して来た魔族。
好物だったので快く受け取る。柔らかめなみかんだったため、よく熟しているようだ。
みかんを揉んで更に柔らかくする。意味は分からないが、こうすることで美味しくなるとかならないとか。
「美味いな」
「お前は白い部分を剥かぬのか?」
「これもみかんの旨味だと思っているからな」
「そうか。ワシもじゃ」
みかんを裏から半分ずつ割るように剥いて、一欠けらを口に運ぶ。
甘みと酸っぱさが程よく混ざり合った味だ。とても美味い。
魔族もみかんを剥いて食べ始める。
こう言う季節になると炬燵が恋しくなるのは俺だけではないはず。
「…………今更、ここまで来ておいて何もせずに帰ると言うのは、止めてくれ」
「俺はここの集落を潰してくれって頼まれているんだ。それはしないよ」
「それを聞けて良かった。ワシらも、準備は出来ている」
「ワシら? その口ぶりからすると、ここの全員が殺されることを知っているようだけど?」
思わず鳥の囀りでも聞こえてきそうなのどかな時間が流れている中、魔族が重々しく口を開く。
内容は、みすみす見逃すような真似はよしてくれとのこと。もちろん、そんなことをしたくても出来ないことを知っている俺はその魔族の不安を払しょくする一言を伝える。
そんなことをしようものなら、イベントの影響力によってどうかしてしまう。きっと、何が何でもこの集落は滅亡を迎えるのだから。
その旨を伝えると、今度は魔族の口から思わず聞き返してしまうフレーズが聞こえた。
それは、この魔族だけでなくこの集落の全員が死ぬことを知っているような、そんなフレーズだ。
そんな疑問を、魔族は目の前の埃を吹き飛ばすように答えた。
「知っておるよ。皆、ここ数日のうちに死ぬと」
まったくの他人事のように。
◆ ◆ ◆
「ここは……なんというか……」
「ここはね、聖地なんだって。ここに住んでいる神々様にとっても、この山にとっても……私たちにとっても」
少女と肩を並べ、まるで兄弟のように手を繋いでやって来た場所は高い木々が囲む空間だった。
場所を選ばぬ木々が、そこだけは避けているように森の中に空いたぽっかりとした空間。そこには太陽の光が溢れんばかりに注ぎ込まれており、まるでそこだけを照らし出しているかのような場所であった。
草花はその太陽の光を受け、輝くように生えている様はとても美しい。
少女はここを聖地だと言う。
その言葉に思わず青年は頷いた。それほどまでに荘厳で、優しい場所だったのだ。
「そこに刺さっている棒は何でありますか?」
「それはね、守り神様。でもね、とても怖いの」
「怖い?」
「うん。怖い。でも、優しい守り神様」
そんな広場の中心に、地面に直接刺さっている棒上の物体があった。
これほどまでに美しい空間に、異様な雰囲気を醸し出している。よく見てみればそれが古びた剣だと、知識のある青年には理解できた。
旅人が昔捨てて行ったのか。それとも誰かが意図的に刺したのか。青年にはわからなかった。
「守り神様は待っているの」
「誰をでありますか?」
「抜いてくれる人。お兄さんかもね」
「抜いたらどうなるでありますか?」
「大切な物に気付くんだって。でも、私たちじゃ抜けなかった。試してみる?」
「こう見えても、力には自慢があるのでありますよ」
少し挑発されたように感じた青年は敢えて乗ってみることにしたのか、少女の言う守り神様の元へ歩いていく。
地面に深々と刺さった錆びた剣は柄の部分を合わせて約五十センチ見えている。刺さっている部分は三十センチあたりであろう。
青年は柄と柄頭の形状から見て全体で八十センチあたりの片手剣だと踏んでいた。
青年はれっきとした武人。
体を張ることを仕事にした力自慢。
だから、簡単に抜けるものだと、信じ切っていたのだ。
自分の力を。
だからこそ、
「ぬぅう!?」
力いっぱいこめて引っ張っても抜けなかったときの衝撃は結構なものであろう。
「ぬぎぎぎぎ……っ! だはぁ! ぬ、抜けないであります!」
「あはははっ、残念だったね」
「ううむ……力の問題ではない様でありますな……」
「大丈夫大丈夫。いつか抜けるから」
一気に力を込めたせいか、青年は襲い来る疲れにより尻餅を着く。
その光景を知っていたかのような口振りで笑う少女。とても面白かったのか、お腹を押さえて笑っている。
脱力感を感じながらも青年は立ち上がり錆びた剣を観察するが、やはり何も分からない。
そんな青年を見ながら少女は笑い続ける。
そのせいか、青年もまた、笑うのだった。
◆ ◆ ◆
「……理由を、訊いても良いか?」
魔族の口から信じられないことを聞いたような気がして、思わず訊ねる俺。
魔族の言うことが正しければ、今もなお集落でいつも通りの日常を過ごしている魔物たちが、なすがままに殺されることを容認していることになる。
それはいくらなんでもいただけない。
自分の命を犠牲にすることが、なにが偉いものか。
「ワシらを忘れたか。魔物じゃ、魔物」
「知っているさ」
「魔物は……本能で人間を襲うことを望んでいる。いくら、ワシらが人間に友好的な感情を抱いていようが、本能は消えん。それこそ、空腹を満たす欲求を叶えるように」
「本能……」
「ワシら魔物はどちらかと言うと野生動物に近い。このように本能……欲求を抑え続けていれば、いずれ潰れる」
本能。それは人間にだってある。
生殖の本能。生への本能。人間だけじゃない、この世に存在する生物全てに本能がある。
人間ですら本能は抑えきれない。歴史的に見て理性の化物だと言われようとも、本能は抑えきれない。
それは魔物でも同じだと言うのか。
だが、それは理由にはならない。
魔族もそのことを理解しているのか、それとも前提として話したのか定かではないが言葉を紡いだ。
「その欲求も、抑え続けるのも当の昔に限界を迎えているんじゃ」
「……」
「夜になり遠吠えをする若い男。野を駆け、獣のように走る初老の女性。周りの者を人間だと勘違いして襲う少年。他にもこれまでにいくつもあった」
「……本能」
魔物は、野生動物に近い。
それゆえに本能も野生動物と似ている。
似ているからこそ、暮らしも似ている。獲物を狩り、その日暮らしの魔物。
狩った獲物を貯蔵して来る飢餓に備える魔物。知能を持ち、道具を使って暮らす魔物。
それを抑え続けて、人間として暮らせば、どうなるか。
ヒューマノイドスライムとは違う。進化もしていない現代の魔物たち。
そんな魔物に、適応力は無い。
「……そして、三日前。恐れていた事態が起きた」
「…………」
「死人が出た。殺されたわけじゃない。餓死したわけじゃない。ストレスに犯された末の、自傷によって。」
「それは……」
魔物たちが感じるストレスはとてつもないものであろう。
それがついに限界を超えて、あふれ出してしまった末の自傷行為だというのか。
「皆、全身をかきむしり死んでいった同胞を見ながら思い思いの顔をしていた。だが、皆分かっていたのじゃろうなぁ。もう、無理なことなのじゃと」
「三日前といえば……」
「そうじゃ。お前さん方がこっちへむけてやってくる時じゃ。その時、村の皆を集めて集会を開き、決めたのじゃ。今一度、我らは魔物に戻る、と」
「だから俺たちをここまで案内したのか」
「あぁ……ハナには、悪いことをしたのお。あの娘は、魔物にしては綺麗すぎる心を持っていたからに……」
魔物に戻るとは、おそらくそう言うことなのだろう。
だが、あくまでもタダでは殺される気はなさそうだ。魔物として、人間の良き敵として、戦って死ぬつもりなのだろう。
これが、このイベントの全貌か。
なんだ、救いの無いイベントとか思ってたけど、救いがあるじゃないか。
この魔物たちを、殺すことによって背負った業から解放できるなら、殺そうじゃないか。
もう既にここにいる魔物たちに未来は無い。どうしようも出来ない本能と、どうしようも出来ない弱さが救われるには、それしかなさそうだからな。
なんだ、俺。
ホッとしているじゃないか。
こんなお人好しな性格じゃなかっただろうが。
だが、ここまで身の上話を聞かされちゃ同情の一つもするってものなのか。
なら、俺に出来ることは一つだ。
お望み通り、殺してやろうじゃないか。