下準備
無事ギルドに入ることが出来た翌日。
俺は早速ギルドへ来ていた。今回は素材を入手するためではない、クエストのための装備調達だ。
このギルドには、ギルド特設冒険者応援店“大木”という店がある。文字通り、ギルドメンバーにだけ特別価格で売っているというもの。
しかしこの店、置いてある品や値段が入店時ごとに違うために、目的の物が目的の値段になった時が買い時なのだ。
無論、この世界とて例外ではない。
「ごめんください」
「はい、いらっしゃい。おや、アンタは新顔だね。ゆっくり見ていくと良いよ」
「すんません、また来ます」
「はい?」
早速店に入ると出迎えてくれるのは、昔に冒険者を引退した女性だ。
鍛えられた体は今は昔、今ではふくよかな体の持ち主で母性溢れる物腰は男女問わずギルドメンバーには親しまれている。そんな女性は新顔である俺に対しても笑顔で接してくれた。
しかし、目的のものが売られていなかったので退店する。
「ごめんください」
「アンタ、出て行ってから十秒も経っていないよ?」
「すんません、また来ます」
「…………」
このギルド特設冒険者応援店“大木”は品揃えが豊富だ。
回復薬であるポーションはもちろん、解毒薬や万能薬など薬系は当然売っている。他には、武器だったり防具だったりと専門店に比べれば品数は少ないが、ここに脚を運ぶだけで買えてしまう。
さらに、武器屋や防具屋で買うより安い場合もあるのだから使わない手はない。
ただ、その商品がいつ店頭に並んでいるかが分からないだけだ。
この行動を繰り返していれば、いつかは目的の品が手に入る。
しかし、その確率は限りなく低いことで有名。数いるプレイヤーたちがこの店にどれだけ挑戦したことだろうか。時には百回入退店を繰り返しても出ない時もあれば、三回出入りしただけで目的の品が目的の値段で売っていたという報告もある。
だが、そんな失礼なプレイヤーに対して変わらず笑顔で接してくれるこの女性に、心労と労りで思わず涙を流してしまう。
彼女に安らぎを与えられたプレイヤーも少なくないだろう。
実際、冷やかし上等のプレイヤーたちは彼女の体型と店名になぞらえてこう呼んだ。
“マルタのヴィーナス”と。
「ごめんください」
「…………」
「すんません、また来ます」
「……アンタ、もう出入り禁止だよ」
「えぇ!?」
なんとういうことか。かつて数万回も冷やかしをしても笑顔でいてくれたマルタのヴィーナスは、明らかに怒りの表情を露にしている。
しかも出入り禁止だと言う。それはかなりの痛手だ。というか今後に響くぞ、コレ。
ちなみにさっきで冷やかしは十回目だ。
もちろん、目的の品は手に入らなかった。一回も店頭に並ぶことすらなかった。
何がいけなかったのか。入店時にはちゃんと挨拶をして、退店時にはしっかりと挨拶をした。
何がいけなかったのか!
「あはは、見てたけど、面白いことやってたね」
「ん? あぁ、玄翁さん」
しょんぼりとギルド特設冒険者応援店“大木”から出てくると、待ち構えていたかのように俺に話しかける声が。
声の方へ顔を向ければ、そこにはつい昨日知り合ったばかりの玄翁レナがいた。
相も変わらずの鍛冶屋らしい服装だ。というか洗濯しているのだろうか。
玄翁さんは俺が名前を呼んだと同時に右手をヒラヒラとさせた。
仕草は女の子らしい。これがギャップ萌えか。
「ちょっとお茶しない? ちょうど割引券があるんだ」
「お、行くよ」
刺さる様な視線を浴びつつギルドを後にする二人。
ギルドがあるのは中級区のメインストリートの途中だ。そのため、他の隣接しているカフェやレストランなどがよく見られる。
そのうちのテラスがあるカフェに入る。例によって俺は学生服、玄翁さんは作業着にタンクトップ。目立つには事欠かない格好だ。
ギルドを出ても視線を浴びることになるのか。
「私、カフェオレね」
「じゃあ、俺はブラックを」
着席と共にやって来たウェイトレスに注文し、一息つく。
俺たちが座っている場所はテラスの端、メインストリートを歩いている人たちを見ることが出来る。同時に、見られているということなのだが。
「ねぇ、さっきは何をやっていたの?」
「ん? あそこって、入退店するごとに品物が変わるだろ? だから目的の物が出るまで粘っていたんだ」
「あはは、このギルドに入って初めてだよ。そんなことした人」
そりゃ、そんなことをする人はそれを知っているプレイヤーだけだからだろうな。
常習的にやっている人がいたら、店先に冷やかし禁止の看板が立っていてもおかしくない。
というかそんな早業で店の商品を変えているマルタのヴィーナスが過労で倒れてしまいそうだ。
あれ?
もしかして、俺ってかなり非常識なことをやっていたんじゃないのか?
気のせい?
「それで? 何を探していたの?」
「緋色の指輪だよ」
「それなら防具屋で売ってない? というか、鍛冶屋なら自分で造れそうな気がするケド」
「素材を持っていないんだ。それに、あそこなら防具屋で買うより安く手に入るかも知れないし」
「なるほどねぇ」
俺があの店で粘っていた物は緋色の指輪と呼ばれるアクセサリーに分類される防具だ。
緋色の指輪は火属性ダメージを一割減して水属性ダメージを一割増する防具で、ゲームでよくある耐性を強くしてくれる装備だ。
俺はそれを十個ほど欲しかったのだが、その入手は叶わなかった。
確かに自分で造るのも手だが、素材が鉄のインゴットと赤い石が必要なのだ。俺はそのどちらも持ち合わせていない。
仕方ないから普通に防具屋で買うとするか。資金が無くなってしまうのは少し痛手。今夜から料理一品少なくなる。
「それならさ、私が造ってあげよっか?」
「いやぁ、遠慮しておくよ。そういうのは自分の手で揃えるものだと思っているし」
「そ、そうなんだ」
そんな俺に魅力的な提案をしてきた玄翁さん。
しかし、俺は断る。緋色の指輪は安易に手に入り、値段もそこまで高くない。
それくらいのことで人に借りを作るのも気が引けるし、なにより知り合って間もない人にしてもらうことではない。
ましてや、自分でも造れる範囲内なら自分で造っておきたいところ。職業レベルが低いうちはとにかく自分で造らないと始まらない。
「そう言えば、この国と白の国との国交ってどうなんだ? あまりよくないってことは聞いたけど……」
「うん、そうなんだ。五年くらい前にこの国に統率なんて全く感じられない魔物の軍勢が攻めてきたのは知ってる?」
「んー、どこかで聞いたような……」
今しがた思い出したが、昨日何で白の国って言うだけで疑われてしまうのか聞いてみることに。
そのせいでギルドに入れなかったかも知れないと考えると、今でも血の気が引いてしまう。それを玄翁さんに助けてもらったんだ。
あ、そういえばそのことで借りが出来ていたな。どこかでお礼をしないと。
そのことで話題に出したのが五年前に起きた魔物の進行が関わっていると言う。
確か、時代背景にそんなのがあったと思う。あまりシナリオに関わっていないからあまり詳しくは知らない。
「そこでさ、隣国で、同盟国だった白の国に応援を求めたんだけど、白の国はこれを無視して傍観していたんだよ。だから、そのことで同盟は破棄されて、今でも険悪ってこと」
「そんなことが……」
「だから、この国では白の国出身ってだけで嫌な顔されちゃうんだ。だから、あまり自分の出身国を喋らない方が良いよ」
なるほど、それは確かに好まれないな。
俺が白の国のシナリオをプレイした時はそんな話は出てこなかったし、赤の国で黒の国共通シナリオをプレイした時には軍総出で助けに来てくれたから、てっきり仲が良いものだと思っていた。
まさか、ゲームには無い設定か?
そうなってはこれから生きていくにあたって少し困ったことになった。
「それにしても、それなら何でクックさんは独断で俺をギルドに入れたんだ? 俺が白の国出身っていう時点で支配人に相談するものじゃないのか? 白の国出身ってだけで嫌な顔されるなら、ギルドの面子を保つために入れないと思うんだけどなぁ……」
「うん、まぁ……そうかもね」
そこで疑問になるのがクックさんが俺をギルドに入ることを許可したことだ。
普通、そういう周りの信用を落としかねないことはしないのが鉄則なはず。それなのにも、クックさんは支配人に相談もせずに俺をギルドに入れた。
ここで、俺という白の国出身者が何か大きな失敗をしたら、怒られるのはクックさんなのに。
副支配人っていうのは、そこまで独立した権利を持っているのか?
「クックさんって副支配人だろ? だったら分かっていると思うんだけどなー」
「うん、でもよかったよね。入れて」
「その点に関しては、ありがとう。おかげで入れたよ」
「どういたしまして」
と、そこで注文した品物が届く。
玄翁さんはカフェオレのホット。俺はブラックコーヒーのアイスだ。
俺は注文したブラックコーヒーが届くなり飲み干す。
しかし、アイスコーヒーだったので頭がキーンと痛む。いきなりは胃に悪かったか。
「っふぅー、ごちそうさま。やっぱり買うより自分で造ってみるわ。赤い石なら雑貨屋で売っているだろうし、鉄のインゴットなら適当な武器を熔かせば手に入るし。お代は置いておくから、それじゃまた明後日」
「う、うん」
そうとなったら早速行動しよう。
帰りに雑貨屋に寄って、家に帰ったら武器を溶かして素材を確保しよう。
確か、倉庫にナックルダスターが結構あったから、それを溶かして造ってみよう。一応、失敗も考慮して多めに用意しないと。
俺は自分の分と玄翁さんの分、合わせて銅貨四枚をテーブルに置いてカフェを後にする。
割引券があったとか言っていたが、そういうのを考えて渡すのも何だか引けたから一応売値のお金を置いておいた。そこまで俺はケチ臭い人間じゃない。
よし、やる気があるうちに造ってしまおう。