いつも、いつも、吐き気を催す
「うぅ、さすが英雄殿、であります……」
「あ、いや、うん……そうだろ?」
場所は移って兵舎。
ジャックを休憩室へと運び、横にしてあげたところ。
終わってみれば明らかにべとべとの手の平。腋汗のせいか風が吹けば腋が冷たい。
背中は汗でぬれており、かなり蒸れている。動悸も早くなっていた。
完全に本気だった。
あまりにも強くなっているもんで体が力んでしまっていた。
そしてなにより、あれほど偉そうな面していたのだから負けるわけにはいかなかった。
あそこで負けてしまっていては面目も糞も無い。
目の前にはベッドに横になっているジャック。
結果としては、俺の一撃は力の腕輪と王家の指輪で底上げされた力から繰り出される攻撃により、ジャックのHPの3/4を削ったのだった。
もう少しで殺してしまうところだったという現実を受け入れなければならないが、ぶっちゃけ殺しても生き返らせることが出来るからさして問題は無いと思う。
「おい、ちょっと来い」
「ん」
ジャックも満身創痍で今日はもう何もできることが無さそうだと思っていた矢先、酔っ払い爺さんに呼び出された。
爺さんの手にはもう酒瓶がある。まだ飲む気なのか。
ジャックが寝ている部屋とは別の部屋へと場所を移し、近くにあった丸椅子に腰掛ける。
相も変わらず酔っ払い爺さんは手に持っている酒瓶を煽っているが、この人は素面の時が存在するのだろうか。
「まぁ、飲めや」
「だからなにか割る物を寄越せと」
「舌が子供だと苦労するな。ほれ」
「どこに酒をたしなむガキがいるんだ……って、これ果実酒じゃねぇか!」
「んだよ、割る物を寄越せとか言っておいてよ」
渡された度数の高い酒と程々な度数の果実酒を交互に見て、仕方なしに俺は果実酒を開けて飲む。
マンゴー酒か。中々に甘い……が、喉に感じる熱さは紛れも無く酒だと主張している。果実酒にしては度数の高い酒ですこと。
「煙草、良いか?」
「ん? おう、遠慮なんかすんな」
煙草が吸いたくなったので爺さんに確認を取る。
了承ももらったので懐から紙巻き煙草を取り出して吹かす。
最近は安定した収入があるので紙巻き煙草がそれなりに吸えるようになった。
それでも紙巻き煙草は高いので、しょっちゅう吸えるわけではなく、口が寂しくなった時は今でも噛み煙草だ。
「……んでよ、アイツやっぱ天才だわ」
「お前もそう思うか? 心の構え方一つであんなに成長するとはなぁ。おじさん、驚いた」
「爺さんが根性があるとか言いだしたんだろ? あれはもう根性とかそんなものじゃねぇわ」
「益々こんなところで燻っているのがもったいなく思える」
話はもちろんこの場に居ないジャックのことに。
爺さんもこのことを話すために別室に移ったと踏んでのこと。
幾ら仕様だからと言って、いざ目にしてみたらコレは驚きだ。
武器の使い方が分かっただけでレベルが上がるとか俺は聞いたことも無い。
訓練してレベルが上がるとは言ったものの、コレは訓練と言ってもいいのだろうか。
ともあれ、これで第一段階が終了だ。
次は自信をつけさせ、果敢に魔物へ挑む勇猛な心を育てるのが目的だ。
流れは知っているため、どんなことがあってジャックのレベルが上がるのかは知っている。内容までは知らんがな。
一つ言うとすれば、とある人から激励されて自信が着くんだが……この様子だと一筋縄ではいかないのだろう。
「にしてもお前も必死になりすぎだろ」
「仕方ないだろうが。いつの間にか俺よりもレベルが高くなっているし。あれだけ偉そうな面してたのに負けるとかダサいだろ」
「言えてるな。まぁ、俺はもう爺さんだからもう少しで抜かれるだろうな」
「いや、爺さんのレベル六十八じゃねぇか。まだ抜かれねぇよ」
そんなことを話していると、兵舎の訓練場の方が騒がしくなって来た。
きっと、次のジャックの成長のために呼びに来たのだろう。となると、この兵舎に来るのもあと少しだ。
こんな男臭い場所に来たいとは思わんがな。
「なんだ、騒がしいな」
「召喚命令だな」
「召喚?」
やがて部屋の扉が開き、背広を着た男性が入って来た。
しっかりとした身なりのところを見ると、予想は外れていなかったと見える。
男は俺と爺さんを交互に見ると、整然とした表情でこう口にした。
「マクラギ様。国王様がお呼びです。至急、王宮へと」
「……相分かった」
「出来るだけ、早くお願いします。それでは」
そう言って背広の男は出て行ってしまった。
やっぱり無能王からの召喚命令だったか。ということはこのイベント早くも終わりへと向かっているのか。
◆ ◆ ◆
「なななななぜ自分が国王様と謁見を!?」
「いや、必要なことなんだ。我慢しろ」
「我慢どころか冷や汗まで掻いてきたであります……」
「良いから行くぞ」
「ま、まだ心の準備が出来ていないであります! 後生! 後生ですから少々待つでありますっ!」
ジャックへ回復薬を数本投げつけて無理やり回復させて、これまた無理やり病室から連れ出して王宮へとやって来た。
謁見の間と大きな扉を隔てガクブルと震えているジャックの首根っこを引っ張って扉を開く。
先ほどまでの廊下とは一変、途端に空気が変わった部屋へと踏み入れる。
ここは王族の空間。庶民が簡単に足を踏み入れてはいけない。それだけに空気も荘厳の物となっている。
首根っこを掴まれたジャックは歩きづらそうに半ば引き摺られて赤いカーペットを歩く。途中、うっとおしくなったので離したが。
「何度も悪いね」
「いえ、お話があると伺っておりましたが」
「うん。他でもない君にね」
そして最奥で鎮座しているのは無能王。
その傍らで、鋭い眼光でこちらを見ているニオンさん。
横でガクブルと震えながらも立派な敬礼をしているジャック。
この流れからして、無能王からこの場でジャックへの激励があって、その後に悲しみを背負うことになるのだが……本当にあの悲劇を繰り返さなくてはならないのだろうか。
人は百の喜劇よりも一の悲劇を望むと言う。その通りだと俺は思う。
笑えるのはもちろん良いことだ。けど、泣けるのは日常でも少ない。日常では常に笑えるだろうが、日常を過ごしている合間に泣けるのはごく少数だ。
だから人間は悲劇を望む。
だから、スタッフは悲劇を創った。
「この国の南に大きな山脈があるのは知っているかな?」
「国境になっているあの山脈のことでしょうか?」
「うん。そして、山脈の麓はこの国では珍しく雪の積もらない地帯でもある。君にはそこに行ってもらいたいんだ」
今回のグランドフィナーレが行われる場所は、赤の国と白の国との国境になっている山脈だ。
そこは白の国にしては温暖な地域で、頂上付近には積もるものの麓の地域には緑が茂っている。そのため、生物たちも多い。
さらに、適正レベルも高く、低レベルでは越えることは疎か登りきることも難しい。
俺が赤の国にいた頃にそこを越えて白の国へ行こうとしたところ、手痛い歓迎を受けたところでもある。
そこで、悲劇が起こる。
「最近、そこへ魔物が多く集まっていると報告があってね。魔族も見かけたとの報告もあってか冒険者などの立ち入りも禁止ているんだ」
「魔族、ですか?」
「……うん、魔族。本来なら人間がいる地域には顔を出さないはずの魔族もいるらしいんだ。そこで、魔物の集落が作られていると先遣隊の報告にある」
「それを、私に叩いてほしい、と」
「そういうこと。このまま放って置けばいつ僕らに害をなすか分からない。僕は君が適任だと思う。軍を派遣しようにも……そんなお金も人材も無い。情けない限りだけど……君に頭を下げざるをえないんだ」
魔族。
魔族とは優れた知能と魂を持っている魔物の総称だ。
幾つかの言語を解し、獣のような魔物とは違って知的な文明を持っており、魔物を従えることも出来る。
また、魔法も研究していて、魔族独自の魔法を扱うことも出来る。魔力も総じて高い。
このゲーム内では強敵の部類に入り、中盤では戦うことすら稀だ。
終盤になれば、それこそ嫌ってほどエンカウントするが、強敵には変わらない。
そんな魔族が南の山脈に魔物のコミュニティを形成しているという。
そこへ行って集落を叩き、魔族を倒すことがグランドフィナーレを迎える条件となっている。
「ですが、私は武勲をたてたとは言いますが、量では勝ち目はありません」
「さすがに君だけで送り出すつもりはないよ。貴族が営んでいる傭兵団を君につかせる。露払いはその傭兵たちがやってくれるだろう」
「ゴッドフリートさんですか?」
「知り合いかい? それなら話は早い。済まないが、頼んだよ。謝礼も弾む」
「……一つ、提案なのですが」
「なんだい?」
少しここでゲームとこの世界に違いが見られる。
本当ならばここで俺とジャックのみで討伐へと行くんだが、今回はゴッドフリートさんがやっている傭兵団も同行するとのこと。
もし、このままゲーム通りで進んでいたらレベルの高い魔物たちを蹴散らしながらやる羽目になっていた。
適正レベルではない相手と戦うのはなるべく御免こうむりたい。
そんな中、俺は無能王に対して提案を上げる。
他でもないジャックのことだ。
ジャックは軍に身を置く者。
つまり、無能王の物となるのだ。無能王の許可を得ずにジャックを連れだすのは不味いだろうと思ってのこと。
「国王様の軍に所属する、新人兵士のジャックも同行させたいのですが……」
「君の傍らにいる彼のことかい? どうして?」
ジャックを連れだしてもいいかと聞いてみたところ、当然ながら疑問符を頭上に出す無能王。
また、傍らにいるニオンさんの表情も若干険しくなる。軍の権利を握っているのは無能王だが、実質動かしているのはニオンさんだ。
ニオンさんからしたら、勝手にそんなことをしてもらいたくはないのだろう。
「彼には無限大の可能性があります。きっと、今回の件が彼を大きく成長させるでしょう」
「……君が言うなら、僕は何も言うことは無いよ。ニオンも、良いね?」
「私は反対です。彼は帳簿上ではまだまだ新米の域を出ません。レベルもあの山脈に行くには低すぎます。かえって足手まといになるかと」
「ニオン」
「ですが!」
「…………こんなことは言いたくはないけど、昔と違って今は死んでも蘇ることが出来る。そんな心を持ちたくはないけど、間違ってはいないと思うよ」
「……っち。かしこまりました」
なんとかジャックを連れて行く赦しを得た。
ニオンさんは終始面白くない表情をしているが、まさか舌打ちをするとは思わなかった。
やはり、無能王の意見は聞きたくないという感じだったが、仮にも王のために最終的には退かなければならない。
そんな無能王はニオンさんの舌打ちを悲しそうな表情で聞き流している。無能王も、自分の言うことに信頼がないことを悲しんでいるのだろう。
ゲームでのニオンさんは別に嫌なキャラなどではなかった。
むしろ無能王の傍らで支え続ける秘書官と言う印象が強かったため、今回の舌打ちが本当に驚きだ。
それでも、終盤では姿を現さなくなるけども。
「え、英雄殿……!」
「ん? どうした?」
「じ、自分なんかが行っても良い任務なのでしょうか!」
「良いかどうか今聞いたじゃないか。喜べ、国王様の許可までもらった」
「ひ、ひぃい……!」
謁見の間に入ってから静かだったジャックが震えた声を出した。
見ればガクガクと体が震え、嫌な汗を大量に掻いている。顔も真っ青で、臆病風に吹かれたかのような体勢である。
話の内容はジャックのような新米が行っても良い任務だったことか。
確かにこの話はかなりの手練れが行くような出来事だが、これがジャックのためのイベントなのだから仕方がない。
「ジャック君、と言ったね」
「へ? は、はひぃ!」
「済まない。軍の管理は主にニオンに任せているせいか、新人の顔も満足憶えられていないんだ。……いいや、これは言い訳だね。御免、こんな僕だけど、頼まれてくれないかな?」
「きょ、恐縮でありますぅっ!」
未だに混乱が治まっていない最中、さらに混乱する出来事が彼を襲う。
無能王がジャックに話しかけたのだ。当のジャックは無能王に話しかけられたのだと分かると、すっ飛ぶように起立して敬礼をした。習慣ってすげぇ。
声も上ずり、嫌に声がでかくなってしまっているが、何もしゃべれないよりはマシだ。
これで何もしゃべれない方が問題だと俺は思う。
「ジャック君。君は誇って良いよ。君の隣にいる者はかつて赤王敖欽も名乗っていた“武闘王”の称号を手に入れた者だ。そんなマクラギ君が君は筋が良いと言っている。そして、彼から信頼を得ている。僕には無縁のね。だから、誇って良いんだよ」
「さ、サー! イエッサー!」
無能王はジャックの緊張を晴らそうと思ってのことなのか、なおも彼に話しかける。
しかし、それは誰が見ても逆効果。さらに混乱している様子のジャック。
「おい、大丈夫か?」
「自分は……信頼されている……国王様に……英雄殿に……筋が良い……自分にも……頼まれている……!」
「おいってば」
さすがに俺も心配になり、ジャックに話しかけるがジャックはブツブツと意味の分からない言葉の羅列を吐き出すだけ。
顔を覗き込んでみてもこちらに気付いた様子はない。
もしかして緊張と期待に押しつぶされたとか言わないだろうな。
言っておくが止めさしたのは俺じゃないからな。あの無能王がと止め刺したんだからな!
「…………了解でありますっ! 自分は、必ずや、必ずや! ご期待に添えてみせます!」
「うおっ!?」
と、思ったら声高らかに口を開いたジャック。
その表情は実に晴れやかなもの。憑き物が落ちたかのような自信に満ち足りた表情。
体の震えもいつの間にか止まっており、目には光と埃がありありと映っている。まるで、それを自慢しているかのように。
体を纏う雰囲気が先ほどまでのと全く違う。まさかこれで激励が完了したのか?
完全に逆効果に見えたのは見間違いなのか?
「《アナライズ》」
試しにジャックのステータスを見てみることに。
すると、俺の予想が正しかったのか、ジャックのレベルがあっていた。
それもかなり。
今現在のジャックのレベルは七十。
今までのジャックのレベルは四十五。実に二十五のレベルアップである。
俺どころかあの酔っ払い爺さんのレベルさえも簡単に抜きやがった。しかもステータスの上がり幅が半端ない。
俺の力は力の腕輪を二つ装備して王家の指輪で効果を倍にした結果が百十二。
しかし、ジャックはそれすらを軽々に抜いて更に上乗せの百七十六。実にレベル百相当の力を持っている。
例えるならば、百キロまでの武器なら余裕で振るえるほどと言えば分かりやすいだろうか。
「ん?」
そんなスキル《アナライズ》でステータスが見えるようになった視界の端に、二つの別の数字が映り込んだ。
一つはニオンさんのステータスだろう。もう一つは無能王のステータス。
それは分かり切っていることなのだが、そのうちの片方に違和感を感じたから疑問に思ったのだ。
自信に満ち足りたジャックから無能王へと視線を戻す。
そこには思わず目を疑う光景が広がっていた。
【Name:ニオン】[Level:三十二][称号:なし]
【Name:敖閏】[Level:百三十五][称号:西海龍王]
正直、ジャックのことなんかどうでも良くなることくらい衝撃的だった。