緩やかに迫るギロチン
「ジャック訓練兵であります! 本日付より、よろしくお願いします!」
そう言ってビシッと敬礼を決めるジャック。
このまだ年端もいかない小僧が最終的には最強クラスのキャラクターになるだなんて誰が予想出来ようか。
流れでジャックを引き受ける羽目になってしまったが、それよりもあの酔っ払い爺さんの言うことが気がかりだ。
あの酔っ払い爺さんは五年前から居る兵士たちは腐ってはいないと言った。
そして、それには五年前に起きた赤の国への魔物大進行が関係していると言う。あれから問い質しても頑なに口を開かなかったが、いったいここで五年前に何があったというのか。
国王が無能ならば、その下にいる軍部も無能でなければならない。
だが、それは半ばわざとそうしているだけであって、本質は洗練された兵器そのもの。
ましてやそれを国王は知らない。きっと、側近のニオンさんも知らないだろう。
知られてはいけないのだと酔っ払い爺さんは言っていた。国王ですら知ってはいけないこと。
当然ながら、俺にはそれが分からない。
……後で会長に訊いてみるか。
「あの!」
「ん? なんだ?」
顎に右手を添えて考え事をしていると、ジャックが突然声を上げた。
俺は発言を許可していないが、俺は別にコイツの上官でもないので特に何も言わない。
俺はコイツを鍛えればいいだけ。もっとも、それはとあるイベントをこなせばいいだけだが……。
「自分は何をすれば良いでありますかっ!」
「……お前がどこまで出来るか分からない。とりあえず動けなくなるまで走れ」
「サー! 了解であります、サー!」
とりあえずさせることも無く、まだ考えておくことがあるのでジャックに走らせることにする。
今いる場所は兵士たちの訓練場だが、整備されていないので雑草が伸び放題。地面も風雨により凸凹となっている。
そこの外周を疑いもせずに走り出したジャック。これで静かになった。
さてはて、これからすべきことは何だろうか。
別に世界を救おうとなんざ考えていねぇから、ゆっくりと暮らして行けばいい。
だが、こうも俺の知らない……没設定なのか分からないが、没設定が多過ぎる。シフトワールドはかなりやり込んでいて、設定も粗方頭の中に入っている。
だがしかし、それはまだほんの一部でしかないのだろうか。スタッフたちが考えていた設定がこの世界にはまだまだたくさんあるのではなかろうか。
そう考えるとイライラする。
気に入らない。俺が知っているものだと思い込んでいたことが、実は全く理解していなかっただなんて気に入らない。
とても気に入らない。なんだかムカついてきたぞ。
「お? お、おい! お前は、もしかして陰陽の傭兵か!」
「……アンタは」
改めて考え込んでいると、今度はまた別の声が邪魔をしてきた。
しかも、懐かしい言葉を口にして。思わず顔を上げて声のする方へ向いてしまった。
そこにはまるで旧友に会ったかのような親しみのある笑顔をした中年男性が立っていた。
右手には見る者を威圧させる鉄腕。
手入れのされていない無精ひげと中年太りが彼の風格を現しており、いかにもチンピラと言っているかの様。
狂喜に駆られたかのような眼は戦う相手を委縮させ、我先に前へ行くと言わんばかりに突き出した鉤鼻は皺が掘られている。
無造作にまとめられた栗色の頭髪は狼のようだ。
俺が約一年前に彼の元で戦い、共に栄光を掴んだ戦友。
名をゴッドフリート・フォン・ベルリヒンゲン。人は彼を盗賊騎士“鉄腕ゲッツ”と呼ぶ。
「久しぶりじゃないか! こんなところで会えるとはなぁ! 青の国へ行ったんじゃないのか?」
「わけあって巡り巡ってまたここに来たんだ。今はここに拠点を置いている。元気そうで良かったよ」
「ガハハハ! この俺様がそう簡単にくたばると思うか? 今はお前のおかげで貴族として返り咲いたよ。相も変わらず傭兵団をやっていてな、他方へ貸し出しているって訳よ」
俺は思わず彼からもらった装備アイテム“ゴッドフリートの鉄腕”を頭に思い浮かべた。
俺が死に物狂いでようやく手に入れた壊れ性能を誇る腕用装備。私闘で金貨十枚を稼ぐと言う途方も無い状況で根気と神経を尖らせて手に入れた一級品。
一度でも負けたら終わりという緊張の中、俺はかなり張りつめていただろう。
そんな状態で俺はこのゴッドフリートの元で私闘をしていたんだ。
ゴッドフリートは義肢と義腕を造ることに関しては右に出る者はおらず、騎士とは別に名工としても名をはせている。
きっと、この世界で唯一ロボ娘の四肢を造ることが出来る者であろう。
「んで、お前はここで何をやっているんだ? まさか軍に入ったってんじゃ……」
「んなバカな。ただ、国王からの勅令でよ、兵士たちに発破を掛けてくれって言われたんだが……どうやら必要ないみたいでな」
「あー……そうかもな。国王は知らなんだ、仕方がない。んで、行き場の無いお前はあの小僧をしごいているわけか?」
「そういうことだ」
ゴッドフリートにここにいることを訊かれ、俺はちょっとカマを掛けてみることにした。
それは事の顛末を知っている振りだ。すると、予想通りゴッドフリートもこのことを知っていたようで、仕方がないと言った。
やはりこの国は国王に内緒で国ぐるみで隠していることがあるようだ。
しかし、迂闊には口にしてはいけないことなのだろう。俺が知ってはいけないことなのだろう。
部外者には極力教えないと言う風潮には必ず理由がある。好奇心猫を殺す。
知ろうとするのは良くないだろうな、俺のためにも。
「そういや、お前赤の国の騎士団長に勝ったんだってな! よくあんな化物……おっと、今のは失言だった忘れてくれ」
「はっはっは、確かにアレは化物だった。でも、正確には相打ちだ。まぁ、そのせいでこの面倒なことに巻き込まれちまったけど」
「でもな、俺は驚かなかったぜ。なんてたって私闘の界隈では無敗の王として有名だぜ、アンタ」
「あー……あー、まぁ……不服ではあるがな」
「おいおい、これがどんだけ名誉なことか知っているのか? いや、分かんないんだろうなぁ」
……そう言えば、よく考えたことが無かったな。
この世界で姫様に勝つだなんて。姫様は単騎で一国の軍隊に相当する兵力を誇る。
いわゆる人間兵器というところだろう。その一国の軍隊に匹敵する兵器を相打ちとは言え倒すことがどんなことなのか。
例えば、そうだな、例えば……一匹の蟻が色々な物を駆使して巨象を倒す。
……あれ?
「もしかして、結構相当なもんなのか? これ」
「今頃理解したのか。俺はアンタが頭が良いのか悪いのか、わからねぇな」
「いやちょっと待て。えっ? 良く勝てたな俺。いやいや、だって、なんだこれ」
ちょっと待てよ。
おかしいぞ。いくら蟻が色々な物を駆使したところで巨象に勝てるわけが無い。
所詮蟻は蟻。巨象は遥か高みに位置して、その全貌を見ることすら叶わないとても大きな敵。
なのに俺は勝った。相打ちとは言え勝ったんだ。あり得ないのに。
明らかに矛盾があるのに。
それが当たり前のように何の疑問も持たずに普通に過ごしていた。
こうして誰かに言われるまでに疑問にすら思わなかった。いくらドーピングをしたって、火耐性を上げたって、勝てるような相手ではなかった。
姫様は頭脳明晰のはず。戦場では先の先の先を読んで行動して、敵の進む先、執る作戦、地の利。それらを全て先読みするからこその強さ。
決して腕っ節の強さだけでは一国の軍隊に匹敵するはずがない。あんな俺の誰でも思いつくような搦手が通用する相手じゃない。
じゃあ、なんで俺は勝てたんだ?
俺の考えた作戦がこうも上手くいったんだ?
しかも、俺はあの時に疑問に思ったはずだ。思いのほか上手くいったって。
「おいおい、大丈夫か? 顔色が悪いぞ」
何でだ、姫様は手加減していたのか?
でも手加減していたようには見えなかった。
姫様はそもそも八百長などをとても嫌う人だ。手加減なんかする人じゃない。
俺が誰かに強化されて……はいなかった。
逆に、なにか大きな力に操られて………………イベントの、影響力。
世界を動かすほどの、この世界のゲームである根本からある設定。
プレイヤーはある程度努力したら道は開かれる。
「…………」
……俺は、本当に自分の意思で進んでいるのか?
ゲームの影響力によって、左右されているだけなんじゃないのか?
ただの人が、よりにもよって平穏に生きたいと思っている人間が、こうも簡単に何かに巻き込まれて、こうも上手く物事が進むはずがない。
俺は、何かに上手く誘導されているだけなんじゃないのか?
「……おい」
「…………バカか。俺は俺の意思だ。誰のでもない。俺は俺だ」
「おい」
「いや、大丈夫だ。ちょっと不安になっていただけ。問題ない。問題ないさ」
「おい」
「だから大丈夫だって」
「そうじゃなくて、あれ」
「あ?」
そんな馬鹿なことあるかと笑い捨て、気を確かに持ち直した。
それでもなお、心配した風にゴッドフリートが声を掛けてきたため、ちょっとムッとしてしまったが、どうやらそのことではない様子。
ゴッドフリートに言われるがまま指さす方を見てみると、そこには虫の息状態のジャックが倒れ込んでいた。
どうやら死ぬ手前までは知っていたらしい。
馬鹿な奴だ。