熱き思いを
翌朝。
寒い寒い朝の室温に少しうんざりして、もぞもぞとベッドから這い出る。
冷たいフローリングの床をペタペタと少し覚束ない足取りで洗面台へと向かい、お湯で顔を洗う。
歯を磨き終わった後、いつものように台所へと足を運んでコーヒーを淹れる。
世界は苦いから、コーヒーくらいは甘い方が良い。
いつもの日課である開店準備はせずに、白樺の板に“臨時休業”と書いて店先に吊るす。
今日は……というか店を構えてから間もないが早々に臨時休業となるのは世間体ではよく見られないだろうが、仕方がない。
次にすべきは商会への連絡。
店のカウンターに置いてある通信が出来る魔法石を手に取り、魔力を流し込む。
繋ぐ先はもちろんダルニード商会。間もなくして参勤交代で常勤している係の者へ繋がった。
「枕木鍛冶屋です。会長へお繋ぎ願います」
「畏まりました。少々お待ちください」
しばらくして、
「おう、俺だ。朝っぱらからどうした?」
「しばらく店を休むことになった。王の勅令が下ったんだ」
「勅令って……なにをしたんだ?」
「軍の奴らに発破を掛けてくれだと。断ろうにもどうにもならなくて。次の納品の武具は既に作ってある。済まないが、よろしく頼む」
「あぁ、アンタは腕前もピカイチだったっけな。大方、赤の姫様を倒したことで頼まれたんだろう? 俺としちゃあ納品さえしてくれれば何も言うことはねぇ」
「済まない」
「良いってことよ。ま、アンタには向いてないと思うが、怪我だけはすんなよ? 武具が造れねぇって話は聞きたかねぇぜ」
「あたぼうよ。それじゃ」
報告することを報告して通信を切る。
さすがに王の勅令とは言えども仕事を放棄していたんじゃ話にならない。
そこで会長に連絡したんだ。しばらく店を留守にするって。
幸い、納品だけしっかりとしていたら言うことが無いそうだ。なんてったって、俺はこっちが本業なんだから。
さて、今日の朝飯は何を食おうかな。
◆ ◆ ◆
時間は昼過ぎ。
俺が今いるのは王宮から少し離れた兵舎だ。
この兵舎に、駐屯している兵士たちがいるのだそうだ。参勤交代制で全員は見られないが、それなりにやってくれとのこと。
まぁ、予想はしているが歓迎はされていないだろう。考えてみれば分かることだ。
ぽっと出の青二才の奴にいきなり戦いは何ぞかと説かれればムカつくのが道理。ここにいるのはいわゆる戦いに自信を持った奴らだ。
それが国王直々の勅令でただの鍛冶師が戦いの講談に来てみろ、彼らのプライドが傷ついてしまう。
何より俺が面倒だ。
「待っていたぞ。部下たちはこの中で訓練している。中には訓練兵もいるため、是非とも見本になってやってほしい」
「……腹の探り合いは嫌いなんですが」
「そう言うな。俺としても部下たちには手を焼いているんだ。その部下たちを纏め上げられない不甲斐なさで潰れそうなんだ。頼む」
兵舎の前には男性が立っていた。
その男は俺が近づいてくると綺麗に敬礼をして話しかけてきた。
どうやらここの責任者のようだ。中々に友好的。
見本になってやってくれと言われ、皮肉を言われたのだと思った俺は本心を話せと言ってみたが、どうやら本心で言ってきたらしい。
なんでも、この男の言う通りならば兵士の錬度は低く、あろうことか上官の言うことに従わない兵士ばかりなのだと。
俺はその信じられないことに少しばかりの溜息を吐く。部下も部下なら上官も上官だ。
従わない部下がいれば懲罰を与えればいい話。
それでも従わないのなら徹底的に苛め抜けばいいのに。上官は“カミサマ”なんだから。
部下が勝手に口を開けないように教育してやればいい。従わないのなら調教してやればいい。
それが出来ない無能な上官め。見せしめに一人殺せば言うことを聞くと思うがな。
そう言えば、この世界では寿命や病気じゃない限りは死んでも生き返れるんだっけか。
五体満足に限るが、それを越えなければ殺して生き返らせて殺してって繰り返して行けば自ずと利口になると思われ。
だが、それが出来ないんだろうな、この男は。
「お前ら! 通達の通り、今日は外から特別講師を呼んである! かの赤王の姫にも打ち勝ち、ドラゴンの討伐歴もある偉大な戦士だ! 無礼が無いように!」
「ども」
中へ入ると各々の行動している兵士が目に入る。
休憩している者。ポーカーをしている者たち。形だけの訓練をしている者たち。
その各々がこちらを向くが、集まりもせずにただ見ているだけ。だが、一人だけ奥の方でこちらに向けて敬礼をしている新人兵士がいる。そいつが話していたイベントのあるやつだ。
上官である男が声高々に俺の紹介をしているが、興味がなさそうだ。
俺はとりあえず近くで座っていて、俺を睨むように見上げている奴の元へ行くと、力に任せてぶん殴る。
コイツらには兵士としての自覚が足りない。俺は兵士ではないが、これはダメだと分かる。
ここでは上官が全てだというのに、コイツらはそれをまるでわかっちゃいない。
「な、なにしやがんだてめぇ!」
「オメェの上官が話しているんだ。立って敬礼しろ。口を開いてまずサーと言え。話終わったらサーと言え」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
殴られた奴が俺に向かって突っかかってくるが、俺はそれを無視して上官に対する“一般常識”を言うが聞く耳を持たない。
俺は更にムカついて殴ろうとしたが、上官に止められてしまった。何故止めるんだ。
「なにをやって……!」
「アンタがしなくちゃいけねぇことをしたんだ。ただの一般人に言われなきゃわかんねぇのか」
「そんな武力国家みたいなことは出来ない! 皆仲良く――」
「軍がある時点で武力国家なんだよ。実力もねぇ、統率も取れてねぇ。何が出来んだよ」
これが白の国の軍隊か。
ここはまだ氷山の一角なのだろう。こんなことになっているのだから他の部隊も期待が出来そうにない。
こんなのでよく街の治安が守られていたものだ。治安が良いとは言っても犯罪はあるのだから軍は軍として機能していなければならない。
これではギルドの方が……いや、合点が行った。
なるほど、だからこの国では軍部よりもギルドの方が影響力があるんだな。
簡単なことだ、ギルドの方が優秀なのだから。
俺の言うことに言葉を無くした上官はどこか驚いたような表情になり、力無くうなだれてしまった。
まともな部下がいないのなら、まともな上官もいないことは明白。この組織を変えるには部下よりも上層部を変えなくてはならないだろう。
つまり、俺だけでは無理だ。
せめて赤の国のように国王の血族が軍を管理していればこんなことには……いや、無能王が指揮を執っても今の状態になっていただろうな。
「おい、アンタ……国王の勅令と、言ったな」
「……あぁ、そうだ」
空気が悪くなり、発言するタイミングもない時に俺に話しかけて来た者がいた。
見れば初老の兵士であり、年齢の割には階級が見合っていない男性だった。鼻頭が赤くなっており、片手には酒瓶が握られている。
昼間、それも勤務時間中だというのに飲酒をしている。風紀が最悪の証拠だ。
その酔っ払い兵士は酒瓶をグイッと煽ると、俺に差し出して来た。
俺は無視をする。飲む気が無いと伝わったのか、渋々手を引っ込め、口を開く。
「王は知らねぇんだ。王が無能であるならば、俺らも無能でなければならない」
「……どういうことだ?」
「簡単な話よ。だが、これは口が裂けても言えねぇ。約束だからな。今ここにいるだらけきった同僚共は糞だ。大糞だ。だがな、前々から居る……そうだな、五年前からここにいる奴らはちゃーんと分かってんだ」
「五年前? 魔物大進行のことか?」
にやりと口端を上げて下卑た笑みを浮かべる酔っ払い兵士。
白髪交じりの髪の毛が年期を語るように、経歴の長さも年期を語る。
五年前と言えば赤の国魔物大進行のことだろう。
何度も話題に上がっていたその話は設定を知らなくとも上を向いて説明できる。
赤の国へ攻め入った魔物に対して白の国は何の派遣も行わなかった。もう何度も語られてきていい加減うんざりするほど。
その俺の答えに対して、
「おうともよ。そうだ、それだ。だから、俺たちゃ無能でなければならない」
更に笑みを浮かべる酔っ払い兵士。
「源さん! それは……!」
「いいのよっ、コイツには。だが、これ以上は何も言わないがな。コイツは……きっと、やってくれる」
先ほどまで項垂れていた上官が酔っ払い兵士を制止するように声を上げた。
しかし、その制止を無視して俺には言っても良いと声を上げる。きっと、この源さんと呼ばれた者は上官よりも古株なのだろう。
そして、何よりも分かる。この酔っ払い爺さん、レベルが俺よりも三十近く高い。俺よりも強い。
「悪いな小僧。俺はこれ以上言えねぇ。だが安心しろ、表向きには腐っちゃいるが、本質は何ら変わっちゃいやしねぇ。五年前から、ずっとな」
「俺はいらねぇってか?」
「あぁ、いらないお世話だな。だけども……これじゃあアンタが立つ瀬がない。そうだな、ここらの新人どもはダメだ。鍛えても駄目だ。だが……」
酔っ払い爺さんは部屋の隅の方で最初から敬礼している新人兵士を指さし、
「アイツを鍛えてもらえんか? アイツはこの空気の中腐っていくには惜しい。このご時世、あそこまで根性がある奴は早々いねぇ。頼まれてくれねぇか?」
酔っ払い爺さんに指さされた新人兵士はビクッと跳ねあがり、見る見るうちに汗が滝の様に流れ出した。
あの新人兵士は専用グラフィックが用意されているキャラクターだ。専用のイベントもある。
鍛えればかなり強くなり、とあるイベントを乗り越えればめちゃくちゃ強くなる。
そいつを鍛えてくれってことは、やっぱりそう言うことなのか。
この流れ自体が、イベントに向けてのことだったのか。
「おら、ジャック。こっちに来い! 早く!」
「りょ、了解であります!」
突然のことで理解が追い付いていなかったのか固まっていた新人兵士を大声で呼ぶ酔っ払い爺さん。
年を感じさせない見事な大声は見事に新人兵士を融かし、新人兵士は狭い屋内だというのに走ってやって来た。
懐かしい顔だ。
初見での時は俺はコイツを気に言っていた。
二週目は、俺はコイツを仲間にしなかった。とてもだが、俺はあのイベントをもう一度やる気にはなれなかった。
俺が得すれば喜んでそのイベントを行っていた。だけども、それは誰も得にならないイベントだった。
快楽主義者じゃねぇんだ。なるべくなら、やりたくない。
「今日からジャックに着く講師だ。世界最強クラスの先生だ、良く言うことを聞くんだぞ」
「サー! イエッサー!」
だが、やらなくてはならないらしい。