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籠絡



「へ……なん、で?」


 少女は理解できなかった。

 目の前には少女が夢見た幻想が。幻想なのだ。

 だが、その幻想は少女の耳に、少女の手に、少女の温もりに触れている。


 だからこそ理解できないのだ。


 ここを知っているはずがない。

 でも、現に今少女の目の前にいる。


 少女が捕まっていることを知っているはずがない。

 でも、現に今少女を助けに来た。


 何故なのか。


「何でも何も、人魚の国が見つかったって聞いてな。聞けば、それは……俺のせいだって聞くじゃないか」


「へ?」


 更に理解できない状況に陥る少女。

 この原因を作ったのは、今目の前にいる彼が作ったと言うのだ。

 この優しき男が何故にこの惨状を招いたというのか。少女の頭ではその答えを考えることすらできなかった。


「……実は、俺とメイがあそこから出てくるところを目撃した奴がいたらしいんだ。それで……済まない。謝って済むことではないことは重々承知している。だが、謝らなければ……俺が押しつぶされそうなんだ」


「そん、な……」


 答えは少女の頭でも容易に理解できるものだった。

 だからこそ、理解したくない自分と現実なんだと思う自分がいることに気付くまでそう時間はかからなかった。


 目の前には頭を下げている彼。

 否、下げているではない。五体投地をして頭を地面に擦り付けている。

 ゴリゴリと聞きたくない音が少女の耳に届く。痛いだろう、悔しいだろう。それが痛いほどわかる彼の誠意。

 少女は、知らずのうちに口を開いていた。


「マクラギさんは……悪くないです。私が、私があの時月夜に誘われて国から出なかったら……私……!」


 彼は悪くないと思う自分が作り出した言い訳。

 あの時、大きな満月を見ようと外へ出なかったら。月の引力によって海流が変わっていたことに気付けていたら。

 そう思う度に自身が悪かったという言い訳が思いつく。あの時、自分がもっと気を付けていれば。


 そのようなことばかりが脳裏を巡る。

 イベントの影響力の仕様とも知らずに。


「いいや、違う。俺が……いや、誰も悪くない。運が悪かったとしか、言い様がない」


「でも、でも……!」


「……なぁ、メイ。俺は……アンタを助けに来た。今のところは、これだけじゃダメか?」


 彼だ。彼が少女に微笑みかけている。

 彼が少女に向けて手を差し伸べている。

 しかし、彼と少女を隔てる絶対的な鉄格子。だが、それすらも彼女は、彼がどうにかしてしまうのではないかと思えていた。


 少女は知らない。

 彼がここの全てを把握していることを。

 彼の計らいにより、ここには人っ子一人いないことを。


 彼が、少女をここまで叩き落とした張本人であることを。


「さっき、居眠りしていた看守からかっぱらってきたんだ」


 そう言って彼は懐からじゃらりと幾つもの鍵が付いた鍵束を取り出した。

 それを見た少女は満ち足りたような表情を浮かべ、ホッとした様な、小さな息を吐きだした。

 今まで溜めこんでいた邪気を吐き出す様に。疑いもなく。


「開いた! さ、行くよ!」


「は、はいっ!」


 何回か鍵を鍵穴に合うかどうか試行錯誤した後、聞いたことのあるような音と共に鉄格子の扉が開く。

 これで晴れて少女はここから出ることが出来る。しかし、ここは地上。少女は人魚。

 ここから這い出るには些か距離がありすぎた。無理やり脱出しようとするならば、少女の美しい尾ひれを犠牲にしなければならなかった。

 もちろん、それを良しとしない者がいる。


 彼は、少女が元気な姿でいなければならなかった。

 ともなれば、彼がとる行動は一つ。女性を抱えて移動するにはこの手しかないだろう。


「ちょっと乱暴になっちゃうけど、我慢してくれ」


 それはお姫様抱っこ。

 彼に先日してもらったことがある彼女だが、その時とはシチュエーションが違う。

 あの時はただ動けない少女を移動させるため。今回は、少女のために体を張り、危険を承知で助け出す救出劇。

 少女の頬が朱に染まっているのは、決して長いこと陸の上にいるからではない。きっと、気のせいではない。


 彼の首へと腕を回し、しっかりとしがみつく少女。

 その際に体が彼と密着しているのを恥ずかしく思った。胸が彼に当たっている。人間で大腿部に当たる部位を掴まれている。

 そのことが、どうしようもなく恥ずかしく感じてしまうのだった。




◆ ◆ ◆




「ふぅ。ここまで来ればもう大丈夫だろう」


「ありがとうございます。なんとお礼をしたらいいのか……」


 それから誰にも見つかることなく無事に脱出することが出来た二人。

 外に出ると意外にも海の近くであったらしく月明かりを反射する広大な大海原が目の前に広がっていた。

 彼はその海へと少女を連れて行き、優しく硝子製品でも扱うくらい慎重に入水させた。


 久しぶりの海の感触に鱗が喜ぶ。

 くすんで汚らしかった鱗が見る見るうちに輝きを取り戻し、彼が綺麗だと言ってくれた鱗へと戻る。

 負った傷は塞がらなかったが、この分だと完治するのも早いだろう。もっとも、破瓜の穴までも治りはしないだろうが。


「……それで、どうして私が捕まっていると?」


「俺は商人と接することがあってな、酒で口を滑らした人がいたんだよ。人間と一緒に人魚が島の洞窟から出てきたってな。そんで、大規模な人魚の捜索隊が結成されて捕獲したって言うじゃないか。しかも、その一部がここに留置しているって」


「でも、どうしてここまで……? 自責の念に駆られたのですか?」


 聞けば、少女が教えた太古の昔に人間が使っていた道から出てくるのを他人に目撃されたとのこと。

 その危険性があったのにも拘らず、少女は易々とその道を使ったことを今更ながら後悔した。両親が、先生が戒めだと何度も教えてくれたのにも拘らず。


 そう考え始めると少女の双眸から涙が溢れだして来た。

 拭っても拭ってもとめどなく溢れてくる。受け止められることの無かった涙はぽたぽたと海の一部へと変わる。

 目の前がかすもうとも後悔はかすまぬ。より鮮明に、現実だと非常に見せつけてくる。


 それを受け止めることは、少女に取ってあまりにも残酷すぎるものであった。


「どうしてだって?」


 まるで責めてほしいとばかりに少女は彼に問いかけた。

 誰にも責められることが無いのは、とても苦しいものだと少女は過去に知った。

 だからこそ、問うたのだ。


 何故、助けに来たのか。


 そんな彼の答えは素っ頓狂で何で問われているのか分からないという声色で答えられた。


「約束したじゃないか。昨日、明日の夜にまた会おうって」


「え……っ?」


 実際、素っ頓狂なものだった。

 酷く間抜けで、おおよそ普通の人では動き得ない答え。

 約束は果たすものだと少女は教わった。しかし、その“果たす”の程度は絶対というべきではないと成長過程で学んだ。

 どうしても果たせないものは止むを得ない。体調不良に陥った時。優先度の高い約束があった時。

 いずれも誰にでも経験はあること。


 だが、彼は言った。

 約束した、と。危険を顧みず、敵が潜む地へと入り込み、少女を助け出して約束を果たした。

 危険というだけで約束を果たせない止むを得ない理由になりえるというのに。


 口端を上げて笑う彼。

 月明かりのように優しい、見ていて安心する笑顔。

 それを見た少女は、先ほどまでの自責の念で流していた涙とは違う、また別の涙が溢れだして来てしまう。

 その涙はもう危険な目には合わないのだという安心からと、どうしようもなく頼りたくなる包容力からだった。


「うわぁ……ぁ……ぁぁぁぁ……!」


 もう抑えきれなかった。

 心の拠り所はあれど、心の置ける場所がなかった少女に取ってその優しさは毒だった。

 心に少しだけ滲みこんだと思ったら、瞬く間に心を覆いつくしてしまう毒。心地よくて、心が痛む毒が。


 決して大きな声ではなかった。

 しかし、心の全てを吐き出したような慟哭だった。

 彼の決して厚くはない胸へと飛び込み、己の積み重ねて来た全てを泣き声に乗せて歌う。

 まるで、聞く者を誘うセイレーンの唄。哀しくも、どこか温もりを感じる後悔の唄。


 少女はあの惨劇から生き残った。

 生き残ってしまったのだ、二度も。


 だからこその、唄だった。




◆ ◆ ◆




「落ち着いたか?」


「はい、はしたない姿をお見せして申し訳ございません」


 青年も月も見守る中、ようやく落ち着きを取り戻した彼女。

 涙袋が腫れているが、その表情は清々しいものだった。きっと、憑き物が落ちたのであろう。


 青年は彼女の頭を優しく撫でると、彼女はまるで猫のように心地よい表情をする。

 そして、お互いに笑顔になるのだ。


 理解しているからこそ、言いだせないかのように。


「…………なぁ、メイ」


「なんですか? 私の体なら、いつでもあげますよ」


 青年はどこか気まずそうな表情で彼女に声を掛ける。


 彼女はどこか強がっている素振りで青年に冗談を言う。


「………………こういうのは、男から言うもんだよな」


「…………」


 暫時。


「メイ。もう、会うのは止めよう」


 分かっていた哀しいセリフ。

 この現状で、人間と人魚が、こうして月夜に、二人話し合うのは大変危険なことだ。

 それを分からなかった彼女ではない。分かっているからこそ、言わなかったのだろう。


 もっと共にいたいがために。


「やっぱり、そうなっちゃいますよね。えへへ」


 強がり。

 強がって彼女は笑う。

 心は笑わずとも、顔は笑えるから。

 それが、人間とどう違うのだろうか。


「……なぁ、お願いがある」


「なんでしょう? 処女以外なら、なんだって言ってください」


「赤サンゴの加工方法を、教えてくれないか?」


「…………」


 赤サンゴ。

 サンゴは熱帯の海にしか生息しない生物。

 だが、どういうわけか寒帯の海に生息するサンゴがある。それが赤サンゴ。

 それを加工して装飾品にするのが、人魚たちの楽しみの一つである。


 同時に、門外不出のロストテクノロジーであった。


 彼女は教えられた、両親に、先生に、王様に、漏らしてはならないと。

 絶対に破ってはいけない掟。人魚だけが持ち得る技術。


「…………」


 だが、彼らは……一体なにを彼女へもたらしたのか。


「…………」


 ――――――――――――――――――――――――――。


「……はいっ」


 青年は、ほくそ笑んだ。

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