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ある晴れた日のこと



◆ ◆ ◆




「……はぁ」


 少女は小さく溜息を吐く。

 見上げているのは欠けた月。吐く息は白く染まり、直ぐに消えてなくなる。

 冬の海はこうも寒く、寂しいものだと知らなかった少女。温もりは、こうも心を浸食する物だったとは、知らなかったのだろう。


「……帰ろう」


 座っていた岩から飛び降り、海中に潜る。

 冷たい海は、慣れ親しんだ水温で、さほど冷たいとは思わなかった。

 何故か、海中よりも海上が寒いのは初めての経験。そして、こんなにも寂しいのは久しぶりの経験。


 家に帰れば両親がいる。

 とても優しく、とても温かい空間。しかし、何か足りない。

 そこが自分の全てのはずだったのに。


「……ん?」


 いつもの道。いつもの海流。

 重い足取り……尾ひれ取りで帰路に着いた彼女は、少しの変化に気付いた。

 海流の流れではない。海中の水温ではない。月明かりなどでもない。

 人魚の国へ繋がっているポータルに、何か変化が見られる。歪みのような、でも少女には何が違うのか分からなかった。


 だから、特に気にすることなくポータルへと入ったのだ。


「……えっ?」


 そして目にすることになる。

 凄惨な光景を。今まで観たことも……いや、いつぞやか観た光景が目の前に広がっているのだ。

 人魚が住んでいるはずの貝の家が壊され、見るも無残な瓦礫へと変貌している。

 舗装され、季節で変わるイルミネーションが綺麗だった道は二つの細い轍により耕されている。

 道端に植えてあったサンゴは誰かに削られており、白く濁っている。


 いつもの道を歩いていたはずだった。いつもの海流を感じていたはずだった。

 しかし、景観が変わるだけでこうも違うのか、彼女は知っていた。


 あそこには近所のおばちゃんが住んでいた。

 あそこには優しくてきれいなお姉さんが住んでいた。

 あそこには面白くて人気者のおじさんが住んでいた。

 あそこにはいつも挨拶をしてくれたおばあちゃんが住んでいた。


 その全てが、壊れていた。


「……ぇ……」


 少女は立ち尽くしていた。

 目の前の光景が理解できず、いつぞやの光景を思い出しているから。

 あの時は、こうやって立っていたらどうなったのか。どうなったのだろうか。

 少女は呆けたような表情で記憶を巡っていた。


 あの時は確か。

 少女は思い出す。あの時どうなったのか。


「おい、コイツじゃねぇか?」


「だな、よし捕まえろ。犯しても良いって聞いてたけど、穴なんかあるのかねぇ」


「排泄口ぐらいあるんでねぇの?」


 そうだ。あの時はこの光景を作った者たちに捕まりそうになったのだと。

 しかし、思いだした時には遅い。魔の手は既に少女の体中に手を伸ばしており、既にからめられていた。

 既に遅い。あの時もそうだった。あの時も、既に遅かったのだ。


 あの時は、あの時は、近所のお兄さんが身を呈して助けてくれた。


 でも、今回は……誰もいない。




◆ ◆ ◆




「ここか。こんなところがあったなんてな」


「何で今まで見つかっていなかったのか分からないくらいだな」


「それで? 蒼色の髪の毛と緑眼の人魚は利用価値があるんだったっけか?」


「あぁ、頼む」


「聞いたかお前ら! 先生のお気に入りは丁寧に扱えよ!」


 明くる夜。

 会長の元に系列店の若者たちが集う。

 皆屈強でレベルもそこそこ高い者たちであり、厄介事にはなれていそうな風貌をしている。

 聞けば、暴力沙汰などの火消しを専門とする者たちだそうで、他にも根回しや爆弾を抱えて良そうなところを探し出したりもする商会に無くてはならない勇士だ。


 大きな船が二隻、冬の海に進水している。

 片方は先行組。もう片方が商品である人魚を捕獲する者たちが乗っている。

 先行組はいわゆる捕獲組に脅威が向かないようにする切込み部隊だ。俺はそのどちらにも属さない会長が有する比較的小さな帆船に乗っている。


 人間用のポータルが設置してある小島には小さなボートで行くしか方法は無く、先行組が次々と小さなボートに乗り換えている。

 ここら辺は浅瀬で、下手に船で進もうなら座礁してしまうだろう。そうならないようにも、事前に進言してある。


「で、先生のお気に入りは何かあるのか? まさか、情が湧いたのか」


「んなわけない。仲が良いには仲が良いなりの利用価値がある」


「いやぁ、褒め言葉だが、アンタはクズだ」


 会長とも一度酒と巻き煙草を交わしてみると意外と話が合う。

 会長は商売というのをよく理解しており、人を扱う立場というのを最大限に活かせる近年稀に見る凄腕だ。

 そんな会長は俺のことを鍛冶師としてか大きな商談を持ち込んだこととしてか“先生”と呼んでいる。

 少しむず痒いが、悪くない。


 今まで人を間引いてきた会長からクズ認定された。

 とすれば俺には商売の才能があるのだろうか。それとも、人を扱う立場の才能か。


「若い衆の腕は保証する。約束も守る。それで、アンタの良い武器も買える。人魚も売れる。バカ兄貴に勝てる。ははっ、なんだこりゃ。上手くいき過ぎだろうが」


「そのためにこの話を持ってきたんだ。上手くいってもらわないと」


 空を見上げれば雲の切れ間から見える月。

 この商談が上手くいけば、俺はしばらく金に困らず、居場所に困らない。

 だって、三年耐えればいいんだから。別に世界を救う必要はない。待てば帰れる。


 待っていればゲームクリアとかヌルゲーすぎるかも知れないが、いざその状況になってみるとこれほど簡単なものはないと実感した今日この頃。

 だって、裏ボス倒せとか無理くせぇんだもん。何だよアレ、HP(ヒットポイント)が十桁って。


「それで、赤サンゴの加工は……拷問でもかけて聞き出すか」


「いや、だからこそ俺の出番だ。俺が聞きだす」


 話は人魚だけが加工できる赤サンゴのことに。

 赤サンゴを加工した装飾品は以前会長と話した通りとても希少で、その技術は人魚しか知りえない。

 入手方法が今の段階で浜に打ち上げられた物を回収するしかないが、人魚から聞き出すことが出来ればそれはイグニード商会のみの宝となる。

 だが、こうまでして人魚から希望を奪い、更に人魚の宝を聞きだそうとして素直に教えてもらえるとは思えない。

 陸に上がった人魚は少しの間なら問題ないだろうが、ずっととなると異常をきたして死んでしまうかも知れない。

 そうなっていまっては二度と赤サンゴの装飾品は手に入らないだろう。


 そこで俺だ。


「さっき言った俺の“お気に入り”には、今回の捕獲作戦の大元が俺だと気付かれていない。だったら、まだ付け入る方法はある」


「どうやってだ?」


「古来から行われてきている方法があるだろう。飴と鞭だ。捕らえられた彼女を、俺が助ける振りをする。そうして付け入り、聞きだしてやろうじゃないか。絶望からの希望はさぞや美味かろう」


「……先生、アンタ……この機会に本当の商人を目指してみないか? そこまで出来る人を、俺はあまり知らない」


「折角だけど、遠慮しておきますよ。俺は、下々え使われるほうが楽なんでね」


「先生がそう言うなら、諦めましょうかねぇ」


 メイは未熟ながら赤サンゴを加工する技術を持ち得ている。

 それならば、教えてもらおうじゃないか、メイから直接。彼女を騙すのは少し心にくるものがあるが、この際四の五は言っていられない。

 利用価値があるから近づいたんだ、だったらその価値を利用してやらねば腐ってしまう。


 作戦はこうだ。

 捕らえられた彼女を俺が助けて、海へと逃がしてやる。

 そして、俺が更に彼女へと歩み寄るために、彼女へ赤サンゴを加工したものをプレゼントしたいと申し出る。

 そうして教えてもらい、俺が作る。作ったものを彼女へプレゼントして、終わりだ。

 随分と穴が多い作戦だが、大まかな作戦はこれで上手くいくと思っている。


 なんせ、人魚はお人好しだから。




◆ ◆ ◆




「あぁ……」


 薄暗い、どこかの部屋。

 海の中ではなく陸の上。彼女は陸に上がるのは初めてでは無いが、長い時間陸の上にいると体調が悪くなることを知っていた。

 だから、コレから彼女は衰弱していくのだと、理解している。


 鉄格子で隔てられた先には廊下があり、彼女が収容されている部屋が幾つかあった。

 いわゆる地下牢という場所である。彼女はここに数時間前に連れてこられ、それっきり何の物音も聞こえない。


「…………」


 長い間陸の空気にさらされた自身の鱗を彼女は人差し指で撫でる。

 鱗はくすんでおり、無理やり引き摺られるように連れてこられたために傷が付いている。

 彼が綺麗だと言ってくれた鱗は、汚くなっていた。彼女はそれが、とても悲しく思えたのだ。


 今頃みんなはどうしているのだろうかと彼女は思う。

 売り飛ばされているのか、殺されているのか、自身と同じように捕まっているのか。

 彼女が知りえないことだが、考えれば考えるほど悪い方へと向かって行くのは、心理的状況では仕方がないとい言える。


 今の彼女を支えているには、記憶にある彼だけなのだから。

 しかし、彼は来ない。ここを知っているはずがない。自身が捕まっていることを知らないのだから。


 今頃、あの海岸で自身を捜しているのだろうか、待っているのだろうか。

 そう思う度に、頬に涙が伝うのだ。


「……っ」


 思考が現実へと引き戻される。

 この静寂がうるさい空間に、他の音が現れたのだ。

 コツコツと革靴の足音のような音は、反響して聞こえてくるので、足音の持ち主がどこから来るのか見当もつかない彼女。

 だが、一つだけ彼女にもわかったことがあった。この足音の持ち主は、決して自身に対して良い結果をもたらせてくれるものではない、と。

 助けの者ではない。誰が自分を助けてくれるというのか。いったい誰が……彼女の涙を掬ってくれるのだろうか。


 それは、


「よ、無事か?」


 彼以外にいないのだから。

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