生贄
とりあえず白の国の首都から出る。
夜の街は赤の国と違って静かなもので、しんしんと降る雪が相まって寂しく感じる。
既に寝静まる頃。そう言えば夜遅い時間だったなと思いながら雪の轍を歩く。
真上には欠けた月。
ついさっきまで満月だったような気もするが、今が上弦の月なんだからどうとも言えない。
イベントの影響力って凄いと思った今日この頃。
やがて海までやってきた俺。
その後ろを文句ひとつ言わずに着いてきたエリート。
この寒い中ビジネススーツだけでよく耐えれているものだと感心していると、海から顔を出している岩の上に何かがいるのが見えた。
よく見てみると、それは人型で、尾が付いている。どう見ても人魚だ。
というかこんな人魚が姿を現して良いものなのか。幻じゃなかったのか。久しく人間の前に姿を現していなかったんじゃなかったのか、おい。
「なぁ、そこで隠れていてくれないか」
「知らない者がいたら逃げる、ですか」
「話が早くて助かる」
もしあれがメイだったら、知らない人間を見たら逃げてしまう可能性がある。
ということでエリートにどこかこちらが見えるところで隠れているように言おうとしたところ、さすがエリートなのか俺が言いたいことを言わなくても分かってくれた。
俺の好感度が少し上がったのはまた別の話。
エリートは疎らに生えている木の幹に身を隠してこちらを窺うように見ている。
あいつは俺が嘘をついているとか疑っていないのだろうか。仕事だと割り切っているのだろうか。
俺だったらバカにして嘘だって決めつけるって言うのに。
「……あぁ、まごうことなくメイだな」
岩に腰掛けているのは月明りでよく見えないが、確かに深い蒼色をしている。
人魚はこちらに気付いたのか、驚いた様子で海へ飛び込んだのだが、やがて海から顔を出す。
そして、俺だと分かったのか物凄い速さでこちらまで泳いできた。もちろん、彼女だ。
「あ、あの! また、会えましたね」
「アホか! なんでこんな目立つところにいるんだよ!」
「あ、ごめんなさい……。ここにいたら、また会えるかな……って思って。えへへ」
そう言ってしゅんっと元気が無くなる彼女。
まるでアニメの中から飛び出してきたかのようなヒロインっぷりだが、そんな行動をしていたのなら人間に捕まっても仕方ないとも思える。
それよりも、どれだけ待ち焦がれていたんだか。
あれから一時間も経っていないって言うのに。
「いや、あのなぁ……なんでもない。また会えたな」
「はいっ。私、唄を歌っていたんです。再会の唄を。そうしたら貴方が来て……。セイレーンになった気分です」
「そ、そうなのか」
会った時から思っていたけどもこの娘、結構ロマンチストだ。
ちょっと引いてしまったが、こんな娘は今時絶滅危惧種なので大目に見る。
それよりも唄なんて聞こえなかったが。人には聞こえない周波数だったのだろうか。
しかも、セイレーンは元々腕と下半身が鳥の魔物だ。人魚がセイレーンなのは比較的新しい考察で、古来から住んでいるはずの人魚が自分をセイレーンみたいだと言うのはスタッフの趣向なのだろう。
「それで……私に何か?」
「え? あ、あぁ。特に用事はないけど……会いたくなったって言う理由じゃ、ダメか?」
「へっ? ……いえ、嬉しい、です。ふふっ」
特に話す内容を考えてなかったので、よくあるアニメの展開でありそうなことを言ってみたが、さすがロマンチスト・メイだ。引くどころか喜んでくれた。
こんな言葉を女性が望んでいると思っていると痛い目見るからな。別に男も女もそんな変わらない会話をしているもんだよ。
歯が浮きそうな言葉に少し自己嫌悪に陥りそうだが、顔に出さずに平静を装う。
ここはメイに合わせておくのが賢明だ。可愛いから別に良いけどさ。
「顔を見れて良かったよ。けど、もうあまり国から出ない方がいいかも知れない」
「……そう、ですよね。でも、でも! 明日……明日また会っていただけますか?」
「……あぁ、明日、また会おうか」
「今日は……いい加減に親が怒るかも知れません。帰らないと……」
そう言って顔を上げて空を見る彼女。
雲が出始めて月が隠れかけている。イベントの影響力が無くなったせいか、天候の流れも元通りとなっている。
なんせ、今は雪が降っているのだから雲が無くてはおかしい。だから、雲があるのが正しいのだ。
さっきまでは怪奇現象だったのか。
「では……また、明日」
「あぁ、またな」
時間にして十分弱。
俺に背中を向けて泳ぎ出した彼女はやがて海中に潜り、消えてしまった。
今の彼女は先ほどまでの彼女とは違い、元気がない様に見えた。この短時間の間に何があったというのか。
そう言えば、人魚は正体がバレると泡になって消えるとかそんな話があったような……?
俺は彼女が帰ったことを確認すると、背後を振り返る。
そこには一部始終を見ていたエリートが立っている。俺は少し得意げに近づき、話しかける。
「どうだった」
「正直驚きましたね。本当に人魚をこの目で見ることが出来るとは」
「交渉材料としては?」
「私が保証しましょう。では、ボスのところまで帰りましょう」
◆ ◆ ◆
「ただいま帰りました」
「おう、帰ったか。で、どうだった?」
「彼が言った通り、目の前に人魚が現れました。目撃証言の通り、美しい人魚で商品価値は充分にあるかと」
「へぇ! そうかそうか! お前がそこまで言うんだ、信用に足る」
イグニード商会の会長室まで戻り、イグニード会長に報告をする。
もっとも、報告をしたのはエリートだが、彼を相当信用しているのか会長は直ぐに信じた。
「なぁ、俺が言うのもなんだが、コイツを俺が買収したとは思わないのか?」
そのちょっと違和感を覚える流れに俺は思わず口を挟んでしまった。
こう言う大事な商談、しかも話が本当ならかなりの人と金が動くことになるのに、一人の男が本当だというだけで信じるのは些か変な流れだ。
そんな俺に会長は少し口角を上げて俺にこう言う。
「大丈夫だ。コイツは俺と契約しているからな。呪詛のようなものでな。コイツは俺に嘘が付けないんだ。代わりに、俺はコイツに信用を寄せなければならないっていう呪詛がな」
「そ、それは凄いな」
だから、信じたのか。
「それで……アンタの商談を聞いてやろう。契約だ。俺らはアンタから人魚の国へ通じる道を教えてもらう。それで? アンタは俺に何を要求する?」
「俺が鍛造した武具を買い取ってほしい」
「それだけか? は? それだけか? それだけのことに、この創業して以来……いや、世界でも類を見ない商談が起きようとしているのか!?」
ということで早速“本題”に入る。
人魚の国を教えるのは、俺の商談を飲んでくれるという条件の元。
それで俺が出した条件に理解が追い付いていないのか、何度も俺に聞き返してきている。
この規模の大きさでこのレベルに見合わないと思って、だからこそ会長は俺に聞き返してきたのだろう。
もちろん、それだけではない。
「俺はな、赤の国で鍛冶屋をしていたんだが、ダルニード商会に潰されちまったんだよ」
「……なるほどな。納得だ。ダルニード商会、へっ、あぁそうかい。アンタ、俺のバカ兄貴にか」
ダルニード商会。
赤の国で武具の供給のほとんどをシェアしている大手の商会だ。
赤の国だけでなく、世界でも屈指の商会として名をはしている。俺はその商会に潰されてしまった。
だからこそ、俺は復讐を誓ったんだが、途中で貴族を敵に回すのが面倒になってしまい、諦めていた。
だが俺は忘れていた。
この商会のことを。イグニード商会のことを。
実はイグニード商会はなんとダルニード商会会長の弟が営んでいる商会なのだ。
商会としての才覚は兄弟ともども優秀で、兄は赤の国、弟は白の国で商会を営み、その規模は互いに譲ることなく大きく成長している。
しかし、兄弟間の仲は険悪そのものであり、赤の国と白の国の中の悪さも相まってか時折抗争が起きることもあるそうだ。
だからこそ、俺はそこらの大きな商会ではなく、イグニード商会に話を持ちかけたのだ。
ダルニード商会にとって、イグニード商会に業績を抜かされることが何よりの屈辱だと。そして、その屈辱を受ける元を作ったのが俺という。
イグニード商会はダルニード商会を抜かしたい。俺はダルニード商会に恥をかかせたい。
そのどちらにも有益な商談を、俺は持ちかけたのだ。
そのためには人魚の国へ行くというイベントを利用し、金になる人魚を商談の手土産にする必要があった。
これ以上に商人が飛びつくものはないと思って。思った通り、人魚は商人にとって喉から手が出るほど欲しい商品だったようだ。
悪いが、メイの家族には生贄になってもらおう。
「はっはっは! 悪かった悪かった。変に疑っちまって悪かったな。バカ兄貴にやられちまって俺のところに来るとは、なかなか利口……いや、面白いやつだ」
「それで? 受けてくれるのか?」
「もちろんだ! この商談が成功した暁には、アンタに工房と俺の系列に入れてやる!」
「ありがとう」
「いやいや、こちらこそありがとう。俺もアンタも、お互いに利益が一致している。これほど上手い話があるものか!」
会長は俺の言いたいことを理解して朗らかに笑った。
恰幅のいい体に似合う良い笑顔で、とても面白く笑っている。
そして、会長は俺に右手を差し出して来た。握手なのだろう、俺はそれに応じて硬く手を握る。
ごつごつとして、働き者の手だった。
「それで、アンタの造る武具ってのは?」
「ん? あぁ、これだ」
目先のことで話が進んでいなかったが、俺は会長に武具を見せていなかった。
いくら商談の条件が上手い話でも、造る武具がなまくらではあまり良い顔は出来ない。
俺の武具なら大丈夫だろうが、一応俺が鍛造した強化済みの鉄の短剣を見せる。
それを見た会長の目の色が変わる。
ひったくるように鉄の短剣を奪うと、まじまじと見始めた。
そばにいた秘書や空気になりつつあったエリートも近くによって見ている。
そして、見終わったのか大きく息を吐いて慎重に机の上に鉄の短剣を置いた。
「これを、アンタが?」
「あぁ。潰される前は、赤の国の宝とまで言われたよ」
「……あぁ、コイツは凄い。宝だ。だけどどうも一つだけ納得いかねぇ。これだけの腕があれば他のところだって買い取ってくれる。何故だ?」
「だから言ったろ。俺は、イグニード商会に潰されたって」
「……へへっ。アンタ、こっちが本当の条件かい。いや、アンタ、面白い。今度酒でも飲もうや」
二人は口角を上げてニヒルに笑う。