テンタグラム
王宮から出ると、自国はもう夕暮れ。
ポケットの中に金貨数枚が入っていることを確かめ、赤王が言う遣いの者を待つことに。
ここで王家の指輪が手に入るとなれば、これからの旅も楽になるだろう。
今出て来た王宮へと振り返り、茜色に染まる王宮を見上げる。
造りは王宮というより神殿と言った方がしっくりくる造形をしている。
夕日を浴びてより一層真紅へと近づく紅の王宮。それでも、夜になれば真っ黒に見えるのだろう。
そんな景観を眺めながら、今日は少し豪華に宿屋に泊ろうなどと考えていると、王宮から見たことのある人物が走ってやってくるのが見えた。
副騎士団長のベズワルだ。何やら急いでいるように見える。
「おぁ! 待たせた! これが約束の物だ」
俺の元に走り寄ってくるなり、懐から手のひら大の正方形の物を取り出して来た。
それは厳重に何層も何層も結界が張られており、手を出そうものなら腕が弾け飛びそうな感じだ。
恐る恐る受け取ると、それまで幾重にも張られていた結界が消え失せ、指輪ケースだけが残る。
開けてみるとそこには『クラウン・ジュエル』である王家の指輪があった。
ベズワルが遣いの者だったのか。
ありがたく受け取っておこう。
「ども」
「あぁ、それと……その、だな。残念、だったな」
「何がッスか?」
王家の指輪を受け取り、四次元ポーチの中へしまい込む。
用は済んだので、踵を返して王宮区の関所を目指そうとしたところ、ベズワルが歯切れが悪く俺を呼び止めた。
その表情は言葉を必死で選んでいるが、その言葉が見つからないという印象を受けた。
豪快であまり人に言葉を選ぶような人ではないベズワルにしては珍しいこと。俺は再びベズワルの方へ向き直る。
そして、何回か金魚のように口を開いては閉じてを繰り返し、ようやく見つかったのか意を決して口を開いた。
「悪く思わないでくれ。王政も、何かと複雑でな。貴様の、店は……どうにも出来なかった、はずだ」
「あぁ、そのことッスか」
一体なんだと思っていたら、話題は俺の店のことに。
おそらく、赤王がベズワルを遣いに出そうとした時に言ったのだろう。
それを気にしてか、俺の背中の声を掛けたのか。意外に繊細なんだな。
「俺が撒いた種ですわ。それに虫や獣が群がるのを事前に対処していなかった俺が悪いんすよ」
「……この国の貴族は……いや、王政の上層部までもが腐りきっている。辛うじて主や姫様の息が掛かるところはまともだが、下級区などの統制は全て領地を持つ貴族と上層部が受け持っている。悲しいことにな」
下級区などの土地は貴族が所有しており、下級区に住むものはそれぞれの区画ごとに違う貴族に金を払わなければならない。
どれも安くはないが、暮らせない程ではない。きっと、そこは赤王が決めたのだろう。
だが、それ以外は貴族のやりたい放題。逆に、住んでいる連中もやりたい放題している。
出店がいい例だ。
「……意外ッスね、大幹部の貴方がそんなことを言うなんて」
「俺も危惧はしている。甘い蜜を啜って汚い排泄物しか出さない虫けら共は……どこの世にも蔓延るものだ。だが、今更どうこうできる問題ではない」
「俺がいたところもそうッスよ。横領や賄賂が蔓延していた……」
「白の国もか……そうか。貴様は故郷へと帰るのだったな」
「あぁ、まぁ一応は」
そうか、俺の故郷は白の国になっている設定だったのを忘れていた。
日本はこの世界に無いんだもんな。でもまぁ、日本に帰るのもあながち間違ってはいない。
「もし、行き場所が無くなったのならば、ここに来るが良い。俺の元で面倒を見てやる」
「騎士団ッスか?」
「あぁそうだ。俺がビシバシ鍛えてやろう。姫様の管轄である限り、ここは安全を保障されている。部屋も飯も保障も完備だ。給料面も良い。貴様程の実力であれば、大いに活躍できるだろう」
「強制ではないんですね」
「当たり前だ。ここにいる奴らは良い意味で忠義が無い。皆、守りたい者のために志願した者ばかりだ。そんなところへ、誰が強制できよう」
そう言ってニカッと口端を上げて笑うベズワル。
強面だが、優しい笑顔だ。きっと、見る者を安心させる力があるだろう。
そんなんでいいのかと言いたくなるが、それで成り立っているのだから凄いものだ。
そこだけは、腐っていてほしくないな。
「失うものが何も無くなったら、お邪魔しに来ますよ」
「おう、いつでも来い」
今度こそ踵を返して関所へと向かう。
なんだろうか、温かいのだが、居心地が悪い。俺がいてはいけないような気がする。
そんな場所なのだろうか。まぁ、騎士団なんて入る気はないが。
普通、王宮区には許可をもらった者か、王政に関わりのある者しか入れない。
それ故か、人の姿はあまり見えない。見えても形の良い貴族みたいなバカしか歩いていない。
それに、王宮区はそこまで広くない。半径五キロもあるのだろうか。
そのため、直ぐに関所に辿り着く。
関所にいる守衛がこちらを睨んでくるが、何も言わない。
初老だろう男性が二人。きっと、ここを何年も守り続けているのだろう。
俺の話が伝わっていたのか、すんなり通してくれた。だが、そこから戻ることは出来ないだろう。
戻ろうものなら、排除されるに違いない。
上級区に入っても、人の往来は疎ら。ここには貴族と金持ちしか住んでいない。
後は立派なブティックや、いかにもな店ばかりだ。きっと、俺のポケットに入っている金貨を出しても、それなりな買い物しか出来ないのであろう。
所謂、住むところが違うと言うやつだ。
「ん?」
そんなこんなで上級区の関所を抜けて中級区へと入る。
すると、関所のすぐ近くでとある人物がいた。その人物は壁に背中を預けていて、人々が行き交う光景を見ているようだ。
俺はその人物に近づく。
「なにしてんだ」
「え? あ、捜したんだよ! もう!」
「今まで王宮にいたんだよ」
その人物とは、おそらくこの世界に来て一番の付き合いがある玄翁さんだ。
ぷりぷりと怒っており、言葉を間違えたら癇癪が起きそうな気もする。
俺の知ったことではないが。
「それより大変なの! ロボ娘ちゃんが大破しちゃって……!」
「あぁ、知ってるよ。俺がやったんだもの」
「……へ?」
そこへ恐れず爆弾投入。
いずれ知ることだろうし、今言っても後に言っても変わらない。
その事実を聞いた玄翁さんは、呆けたような顔になった。
それはそれで面白いのだが、今は笑ってはいけない。それこそ油を注ぐようなことだろうし、なにより信用性が無くなってしまう。
「な、何を言って……」
「だから、俺がやったの! 無理やり俺について来ようとするもんだから、スレッジハンマーで砕いたんだよ」
「は、はは……冗談キツイよ、もう。マクラギが言うと冗談に聞こえないから困るよー」
「大分前に言ったが、俺は冗談が嫌いだ」
「……うそ」
最初こそ、笑って冗談だと思っていた玄翁さんだったが、俺が目を見て無表情で見つめているとようやく理解した。
理解すると同時にわなわなと体が震え始め、ついに我慢できなくなったのか俺の首元を掴んできた。
それでも、怒っているという雰囲気ではなく、どこか信じたくないという雰囲気だ。
「どうしてっ!? どうしてそんなことを! なにか、何か理由があるんでしょ……? そうでしょ……?」
「おい、周りが見ているぞ。もうちょっと声押さえろ。あと、離れろ」
「あ、ごめん……」
俺に諭されて落ち着いたのか、周りを確認するようにすごすごと俺から離れた。
それでも、どこか納得がいっていない様子。説明したのにも拘らず、理解しようとしないとは何事かと思ったが、別にどうでも良いことだったと気付く。
大きな声を出したのを反省してか、玄翁さんが周りの雑踏に消えない程度の声量で話しかけてくる。
その表情はどこか泣きそうだ。
「ねぇ……何があったのさ……? マクラギはそこまでする人じゃないでしょ? ねぇ……?」
「でも、現にしちまったしな。ここじゃ、なんだ。移動するぞ」
「え? う、うん……」
立ち話もなんだと思った俺は近くにあったオープンテラスのあるカフェに移動する。
俺の後ろを元気がなさそうに歩いてくる姿は、見ていて気持ちの良いものではない。俺がそうさせたのだろうけど。
オープンテラスの中でも一番奥の席据わったところでウェイトレスが注文を取りに来る。
俺はホットコーヒーを。玄翁さんはホットティーを注文した。
もう肌寒くなって来る季節。もう少しでこのオープンテラスは次の春まで無くなるだろう。
肘をつき、頬杖をついて人の往来を眺める。
祭りごとが終わればいつもの日常。ときおり、俺を指さして噂話をしている姿も見える。
何を話しているのか分からないが、おおよそ予想が付く。
俺は姫様を倒してしまったのだから、悪い噂が流れることだろう。
やがて注文品が届き、人啜り。
挽きたてのコーヒーは美味い。甘いのも苦いのも好きだ。
別物と考えればイケるイケる。
「ねぇ……」
そんな時だ、約束もしていない沈黙が破られたのは。
沈黙を破ったのは当然玄翁さん。注文したホットティーに口もつけず、思い悩んだ表情をしている。
何を考えているかは、考えたくない。きっと、俺のために考えているのだろうから。
「なんでかな……マクラギのこと考えても、分からないや……」
「人の考えていることが分かる奴なんて――」
「そう言うことじゃない! 違うの! 何で、何でさ! 何で……あんなに仲の良かった……ロボ娘ちゃんに酷いことが出来るの……!」
「――お、おう……」
心のダムが決壊したように感情と涙を流す玄翁さん。
俺の嫌いな物トップスリーに入る“俺のための涙”が今目の前で起きている。
そのためか、言葉が遮られても俺が怒ることは無かった。
信じたくなかった結末ほど、受け入れたくないものはない。
それが今彼女の身に起こっていることなのだろう。どうやら、俺は優位には立てない様だ。
「マクラギのことあんなに慕ってたじゃん! あんなに笑顔だったじゃん! 知ってる!? ロボ娘ちゃんって、マクラギの前でしか見せない笑顔があるんだよ!?」
「んなもん知ってるさ。それと、大声は出すなと……」
「知ってるなら、なんでなおさら……!」
何でと言われても、ただたんに邪魔だったとしか言いようがない。
俺は友達でも自分の邪魔になった時は警告はするが容赦しない。むしろ、友達だからこそ立ち向かうこともある。
それがあの時だっただけのこと。その後の関係の修復は絶望的だがな。
多分、そこが認識のズレなんだろう。
「……やっぱり、人間じゃないから? ロボ娘ちゃんが……ロボットだから?」
「それもあると俺は思う。俺はなんだかんだ言って人間が一番だと思ってるからな」
「……そう、なの。ごめんね、マクラギの考えも聞かないで勝手に怒鳴って……」
「おい、どこに行く」
「私、帰るね。マクラギも……出来れば家に来てほしい。待ってるから」
そう言って玄翁さんは二人分の代金をテーブルに置いて帰ってしまう。
最後の方は比較的冷静だった玄翁さんだが、平静を装っていたようにしか見えない。
去り際に自分の店に来てほしいと言い残して去った彼女。
今更、どの面下げて行けばいいのか。
少なくとも、あの爺に怒られることは間違いないだろう。
俺はテーブルに残された代金を掴んで言葉を漏らす。
「金、足りてねぇぞ」