さよなら
赤の国にはメインシナリオなる富国強兵イベントがあることは知っているだろう。
富国強兵イベントに入るには、それなりの功績を残さなければならない。
ギルドに入り、名声を得るか。志願兵となり、国のために尽くすか。
そして、姫様に打ち勝つこと。
富国強兵イベントの最後には、姫様と結婚して赤の国をより強大な国へとすることになる。
そして、姫様と結婚するには姫様と真っ向から戦って、勝つことが条件となっている。
それでも、終盤で戦う姫様は弱体化されており、普通にイベントを進めても勝てるようになっている。
この大会で姫様に勝つことが条件だったら、発狂していたところだ。
そして、今がその時なのだろう。
だからこその相打ちにしたというのに、全く意味が無かった。
倒してしまったら、赤の国エンドへ直進してしまうから俺も腹を括って死んだって言うのにさ。
もしかしたら相打ちになって、姫様を倒しつつ赤の国エンドには進まないという淡い希望を抱いていたのが間違いだったのか。
目の前にいる姫様は俺の眼を見て離さず、見つめている。
その青い瞳に吸い込まれそうな感覚が襲うが、平静を装う。
もっとも、その瞳の意味は違ってくるのだろうが。
「密偵……?」
「あ、いや……」
「なるほど、貴方は密偵で、白の国へと情報を持ち帰ろうとしていたわけですね?」
ずいっと体を近づけて問いかけてくる姫様。
姫様の表情はどこか柔らかで、俺を弄んでいるような、そんな風に感じた。
まるで、本気にしていないかのようだ。
「では、なおさら帰すわけには行きません」
悪戯に彼女は笑う。
可愛い。可愛いが、その笑顔は今は俺にとっては毒だ。
思い入れのあるキャラクターにそんな風に笑われては、どこかくるものがある。
そんな彼女を見ていられず、思わず視線を逸らす。
「密偵ならば、傍に置き、問い質さなくては」
「いや、言葉の綾でして……」
「なぜ、そこまで拒否なさるのですか? 私と添い遂げれば……この国の全てが手に入るのです」
「あの、いきなりそんなこと言われても困ると言いますか……」
「それに、何故王家の秘密を知っているのか、問い質さなくてはいけません」
この姫様、徹底的に帰さないつもりだ。
王家の秘密というからには、王権を乱用してまで俺を匿うつもりなのでは。
それだけは何としても避けなければならない。俺は、俺は姫様と添い遂げるつもりはない。
しかし、悲しいかな、まだ思い通りに動かない体では姫様から逃げ出すことは叶わない。
それどころか、着実に逃げ道を潰しに来ている。俺はバカだから、頭の良い姫様と会話しているだけで墓穴を掘っていく。
「私に、話ていただけないかしら?」
「いや、それはその……」
「姫様! それ以上はいけませぬぞ!」
「ベズワル?」
徐々に徐々に、姫様の顔が近づいてきて、もう少しで唇と唇が触れるかという時、病室の扉が勢いよく開かれた。
姿を現したのは副騎士団長。焦ったような、それでいて怒っている様子。
副騎士団長の姿を目にした姫様はサッと俺から離れて副騎士団長を見やる。対する俺は慣れない女性に依然としてドキドキしていた。
ズカズカと俺が寝ているベッドの近くまで歩いてくる。
小さい子が見たら思わず泣いているところだ。
「ベズワル、ここは病室です。あまり大きな声は出さぬよう」
「も、申し訳ありません。ですが! 一国の姫ともあろう方がどこの平民とも百姓とも知れぬ男に擦り寄るとは何事です!」
「私を殺した者です。魅力なら、十二分にありましてよ?」
どうやら話が出来る人が来たようだ。
この騎士団長、いや敬意を持ってベズワルと呼ぶことにしよう。
ベズワルは他のシナリオやイベントでは嫌われ役のような立ち回りをしているが、俺はそうは思わない。
少なくとも赤の国富国強兵イベントでは姫様の身を一番に案じており、姫様を想うが姫様の幸せを願うその姿は涙を誘う。
婚約者となったプレイヤーを実の兄弟のように接し、悩み事があれば親身に相談に乗ってくれたり、プレイヤーが男ならば共に風呂に入って酒を飲みかわす仲にまでなる。
そんな滑稽な姿、笑いを堪えれるわけがない。
自分の幸せよりも好きな人の幸せを願って、自分の想いは諦めるとか笑わせに来ているとしか思えない。
そんな自己満足、一番自分が不幸になっているというのに。他人の不幸は蜜の味とはよく言ったもの。
更に笑えることに、設定ではプレイヤーが姫様と結婚しなくともベズワルと姫様が結ばれることは無いということ。
だから、少なくとも俺はベズワルを嫌われ役だとは思っていない。
人前で笑われることが仕事のピエロ役だと思っている。
「しかし、考えても見てください! コイツはアイテムによって能力を底上げして姫様の力を使ってようやく相打ちにする程度の実力! レベルは低レベルの四十三! 小手先だけの男!」
「ではベズワル。貴方は能力を底上げして、私に勝てるとでも?」
「ぬっ……それは……」
おい、そこで黙るな、口だけは姫様に勝てよ。
屁理屈でも良いから、屁でも理屈なんだから。
しかし、このベズワル。脂汗を大量に掻いている模様。
これ以上の期待は見込めない。
「ベズワル、よもやこの期に及んで不平を言うのではあるまいな?」
「いえ、違います。私は本気でこの国の未来を思っているのです。経歴を見ましたが、この男の出生は不明。今はレベルが低く、これよりレベルが高くなり本当に姫様を打ち破ろうとも、執政はそうはいきません」
「何が言いたい?」
「この男には、国を治めるカリスマと腕が無いと言っているのです!」
おぉ、良いこと言うな。
確かに俺では国を治めることは出来ない。早々に滅亡するか、どこかの国に隷属する未来しか見えない。
常々思っていたが、ぽっと出の奴が国なんて治めることなんて出来ないだろうし、あまりにも責任感がなさすぎる。
自分より強いやつが王様って、世紀末でも畜生でもないんだからさ。
そうベズワルの言うことに感心していると、姫様は女神のような笑みを受けべてこう言った。
「執政は、私が行えば良いではないですか」
「そう言うことではないでしょう!」
ダメだ、本格的にこの姫様ダメだ。
姫騎士だってもうちょっとしっかりしていたぞ。思えばこの設定自体破綻しているようなもんだし。
というか、ゲームだから現実的に考えてみると色々破綻している。ちょっと怖くなって来た。
ベズワルに諭されようとも一向に考えを変えない姫様。
こんなのが一国の姫様で良いのかと思っていると、唐突にベズワルがこちらに話を振ってきた。
「貴様、貴様はどうなのだ! 考えてみれば、ここで一番大事なのは貴様の意思ではないか!」
「え? えっと、俺は姫様と結婚する気はないですし、そもそも赤の国に居場所はないですし、なにより……好きな人がいますから」
「なっ」
ベズワルに訊ねられ、この際だと自分の気持ちを嘘偽りなく話すと姫様の顔色が変わった。
主に好きな人がいると言った瞬間から。それを聞いたベズワルはしたり顔で姫様の方へ向き直る。
俺としては一刻も早くこの場から離れたい。
「……貴方には、想い人がいるのですか?」
「一応、はい」
嘘は言っていない。
実際、俺には好きな人がいる。
誰かは今は言う必要が無いので言わないが、もしかして人の想いを蔑ろにして自分を優先するタイプなのか、姫様は。
そうだとしたらこの想いすら無下にしなくてはいけないとか、かなり鬼畜だな。
俺の答えを再度聞いた姫様は見るからに意気消沈し、一回り小さくなってしまった様な気がする。
美人が悲しそうな顔をするには正直見たくないが、この場合は仕方ないと言いたい。
そんなことよりも、例の約束はどうなるのだ。ほら、勝ったら言うことを聞いてくれるというアレ。
「そうですか。心に決めた人がいるのならば、致し方ありません」
意外にも良心的なのか、流れが良い方向へと向いてきた。
このまま何事もなく話が流れて、願い事を叶えて貰えれば万々歳。
姫様は仕方がないと言った感じの表情をしており、ベズワルもホッとしたような表情をしている。
なんとかなりそうだ。
「では、私の持てる全権を使って、貴方の隣に座ることにします」
前言撤回。本気で俺を囲いに来ている。
「ですが、私自身の力で、私が得た力のみで貴方を振り返させることにします」
そう言って少し無邪気に微笑む姫様。
救いを求めてベズワルの方を見るが、どこか諦めの色が見えるのは気のせいでありたい。
そこで諦めてしまっては何もかも終了だぞ。この国も、俺も、お前も。
そんな俺の思いは空しく、どうやらこれから一波乱ありそうだ。
まぁ、国外に逃げればその限りではないと思うけど。
「……忘れていましたが、優勝賞品を渡すのを忘れていましたね」
「えっと、願いを叶えてくれる云々ですよね」
「えぇ、そうです」
そこでようやく話に上がる俺の本願。
どうやら完全に後回しにされていたようで、今の今まで忘れていたらしい。
このまま話に上がらなかったら俺が話していたところ。
姫様は俺に向き直り、どこか恥ずかしそうに手を弄っている。
なんだ、その仕草。可愛いじゃないか。
「賞品は、その、私、です……」
「いや、他にほしいのあるんですけど」
「そんな……!」
本当にこれから大変になる気がしてならない。