轍
絶望的だ。
あぁ、絶望的だ。
だが、ここで言う言葉はそんな言葉ではない。久しぶりに前向きと行こうじゃないか。
敢えて言おう、作戦通りだと。
今まで誤算はかなりあるけども、ここまでは結構作戦通りだったりする。
それでも、思っていたよりも与えられているダメージが物凄く少ないことが絶望的なんだけどな。
そんなことは考えないようにしよう。だから、作戦通り。
粉塵が晴れ、俺との距離を保ったまま見つめてくる姫様。
よく見てみれば、口の中を切ったのか唇に血が滲んでいる。親王側がこの光景を見たら、俺は夜道に気を付けなければならない。
あ、もう手遅れか。
「今のは、結構効いたぞ。目から涙が止まらない」
「いや、失明させるつもりだったんけど……」
「確かに。軟な鍛え方をしている輩なら失明していただろう。だが、私は違う」
どうやらその通りみたいですね。
「ふむ……」
姫様は顎に手を当てて、何かを考える素振りをしながら俺を下から上へと観察し始めた。
その手には獲物はなく、地面に突き刺してあった。姫様の獲物は一目でわかるが、あれはドラゴンの鱗と牙を鍛えて作られたという設定のドラゴントゥースという剣。
もちろん、市販なんかされていないが、造ろうと思えば終盤なら造れる。それでも、作るまでの過程が面倒だが。
生半可な鎧じゃあバターのように斬られてしまう。俺は造ったことはあるが、使っていない。
それよりも、今の状況を考えるのが得策だとは思わんかね。
姫様からは殺気を感じない。先ほどまで殺すという意思を持っているかのように錯覚するほど溢れ出ていたのに。
つまり、今は攻撃してはいけないんですね、分かりません。
空気が読めない男の子ですから。
「そのレベルで大したものだ。鍛冶屋は全ての武器を扱えると聞くが、本当に扱える者は見たことが無い。この国で有名な玄翁心昭でも、四種類までだそうだ」
「俺は全部使おうと思えば使えるけど」
「本当……ふふ、何故か貴様が言うと本当のように聞こえるから不思議だ。どうだ、この機に兵士に志願しないか?」
「お断り、だっ!」
「っ」
まだ話の途中だというのに、俺はそれを折って姫様に攻撃する。
今は戦いの最中だ。話をする時間でないことは騎士団長である姫様が一番分かっているはずだ。
ということで、俺は変わり種として芥子を編んで造られた強化済みの呪杖を装備して魔法を唱える。
スキルラグを短くする果実水も飲んでいるために、簡単な魔法ならば無声詠唱も出来る。
だから、身構えていなかった姫様はそれをまともに喰らってしまった。
「くっ、小癪な!」
「こちとら闇討ち・搦め手・不意打ち上等なんですわ。そんな奴が国を守れるとは思えないんで」
「自分で言うのか……!」
姫様に使った魔法は杖スキルで取得できる《ベアドロップ》だ。
いつぞやか、キマイラに使って足止めした地面に底なしの水溜りを出現させる魔法。
それに脚を取られた姫様は見事にはまり、こちらを恨めしそうに見てくる。正直、その眼光は怖いんで止めてもらいたい。
そして、そこへ向かって俺はもう一度二つの瓶を投げる。
一つは先ほど投げたパラライリキュール。もう一つは、言わずもがな。
それを確認した姫様はわざと水溜りの中へ逃げるように沈み、避けようとする。
「《オウム返し》!」
すかさず投げたパラライリキュールへと向かって《オウム返し》……もとい《火突》を使って爆発させる。
小規模とは言っても爆発は爆発。それなりの爆風が辺りに広がる。
まるで水面の波紋が広がるように。
「同じ手が通用すると思ったか!」
少し間を置いて水溜りから抜け出した姫様。
少し勝ち誇ったような表情が何とも言えない可愛さを醸し出している。
慢心なんてしない人だと思っていたのに。少し幻滅した俺がいる。
「思っちゃ、いませんよ」
ハッとして振り向く姫様。
もちろん、同じ手が通用する相手ではないのは俺がよく分かっている。
そして、その裏を掻いてくるだろうと思っていたのだが、少し思い違いをしていたようだ。
姫様の背後には俺。爆風と粉塵で見えないのを利用して回り込んでいたのだが、こうも上手くいくとどこか不気味さえ覚えてくる。
もしかして、わざとやられているふりをしているのか?
でも、姫様がそんな相手をおちょくる様な真似をするとは思えない。正面で、正々堂々騎士道精神を直進する御方だ。
それを、相手を陥れるようなクズな考えを持っているはずがない。
その考えを持っているのは俺だ。だとしたら、なぜ?
「《ローキック》!」
「ぬぐぅ!?」
「からの、《体落とし》!」
「ぐふっ」
武器も持たずに姫様へと肉薄して素手スキルの《ローキック》と《体落とし》を繰り出す。
《ローキック》は一時的に相手の敏捷を下げる低級スキルだ。しかし、膝裏に繰り出せば体勢も崩れるもの。
そこからテンプレのような流れで《体落とし》で地面へと叩き付けスタン状態にする。
攻撃のチャンスだ。
「させはしない!」
しかし、これも二回目のこと。
姫様も学習して、これから訪れるであろう俺の攻撃を避けるために身をよじる。
だが、知らないようだ。スタン状態では攻撃を回避することが出来ないのが、設定で決まっていることを。
そして、やっぱり学習していないな、とも思った
「だから、通用するって思わないから」
俺は呪杖を取り出して、杖スキルで覚える魔法を唱える。
唱えたのは、辺り一帯を急激に冷やして相手の敏捷を下げる《アイシングミスト》という魔法。
それだけなら、ダメージは与えられない。しかし、姫様は先ほどの《ベアドロップ》で全身がずぶ濡れ。
全身が凍り付くような寒さはかなり堪えるはずだ。そこに、俺はもう一度追撃をする。
相手は、スタン状態で次の攻撃を受けるまでは動けない。
「《炎拳》!」
俺が選んだのは杖スキルで覚えられる魔法使いでは死にスキルの《炎拳》。
いつぞやか、連続誘拐事件の犯人に向けて使った物理依存のスキルだ。
果実水で底上げされた力に、全身が凍り付いている姫様。
氷属性の弱点属性はもちろん火属性。与えるダメージは二倍となり、威力を増す。
当然ながら、姫様は避けられない。
故に。
「ぐはぁ!」
その攻撃は有効打となる。
「どうだ……!」
姫様のお腹に吸い込まれるように繰り出された俺の拳は、確かに手ごたえを感じた。
結構なダメージを与えられたに違いない。けれど、決定打になりえないのが現状。
でもこれで良い。こうやって、攻撃していけば必ず勝てる。
俺は姫様から距離を保ち、ジッと見つめる。
スタン状態から解放された姫様はゆっくりと立ち上がり、こちらを見る。
しかし、どことなく様子がおかしい。腕はだらりと垂れ、こうべも垂れている。
俺はその姿を見て確信する。俺がこれまでにかなりのダメージを与えていたことを。
「ふは、ふははははっ。一つ、謝罪をせねばならないな」
「謝罪?」
「いや、なに。私は心のどこかでは貴様を侮っていたのだ。どうせ、貴様は負けて立っているのは私だと」
「騎士団長様とあろう方が慢心ですか」
「慢心。……確かに慢心だった。済まない」
そう言って頭を下げた姫様。
一国を担うかも知れないものが庶民に頭を下げる。これがどういうものか分からない俺ではない。
それなのにも拘らず、姫様は俺に頭を下げた。だからこその謝罪。
「お詫びに、私の全力をお見せしよう」
途端、
「ぬお!?」
全身から溢れ出る気。
姫様を中心に辺りに風が吹き叫び、思わず腕で顔を守る。
目に見える程の溢れる気が、この決闘場内で縦横無尽に駆け巡っている。
この現象を俺は知っている。姫様のHPが半分になった時に起きる“覚醒”と言われる現象だと。
こうなっては今までの様にはいかないだろう。
今まで通用していた小手先の技術など、圧倒的な力の前には無力に崩れ落ちる。
この状態の姫様は全ステータスが上昇し、スタン状態などの状態異常にならない。更に、常にスーパーアーマーを身に纏っている状態なので、攻撃しても怯むことは無い。
つまり、先ほどのように《ローキック》で体勢を崩すことは出来ないのだ。
さて、ここまではおおよそ作戦通りに運んできた。
ここからだ。ここから、俺が生きて来た二十余年で培ってきた人を本気にさせる煽り技術が火を吹く時が来た。
ここで、俺が姫様を煽れなければ負ける。確実に負ける。
この状態の姫様に五分とも持たないのは火を見るより明らか。だから、俺が滅多に出さない本気を出そうと思う。
「行くぞッ!」
「っ」
姫様を中心に風が渦巻き、徐々に、徐々に凄まじい魔力が溜まっていく。
心なしか天候すら怪しくなって来た。今まで騒いで観ていた観客も、不穏な空気にどよめいている。
バカが。一番不安なのは俺なんだよ。
「これは避けれまい!」
突如、魔力の渦が途切れて辺りに耳鳴りのような音が響く。
そして、初見殺しのあの攻撃が決闘場内を包み込む。
「《炎天下》!」
決闘場内が、劫火で包まれた。