唐辛子に砂糖を混ぜると、より辛くなる
突然現れた御主人様に、会場は少しどよめく。
それもそう。御主人様は一回戦には顔を出さずに進行したため、御主人様自体がいることに気付かなかったのだと思う。
それでも、真剣に見ている人なら違和感に気付いていたかも知れませんが、それも一握りにも満たないでしょう。
出場者は十二人いるはずなのに、なぜ十人しかいないのだろう、と。
それに気付かなかった者が、こうして疑問の声を上げている。
バカだ、と私は心の中で嘲笑する。あそこにいる人がどんな人かも知らないくせに。
限りなく人に近く、限りなく人間と遠い人なんですよ。どこまでも、人間らしい人なんですよ、と。
どこまでも自分勝手で、気まぐれで人助けして、それを悔やんで、それを忘れて、また人に迷惑を掛ける、そんな人だと。
「ほら、始まるよ!」
レナさんの声に、思わずハッとする。
目の前に広がる光景を私のメモリに書き込むようプログラムを組み、御主人様だけでなく決闘場全体を見渡す。
一種の記録として、この映像をずっと忘れないように。
アナウンスが響き渡る。
開始の合図だ。それと同時に動き出す二人。
大きな鎧を装備した戦士は、重そうな斧を軽々と持ち上げて御主人様の元へ向かって行く。
けれど、その速さは亀のようだと私は思った。重い鎧と斧を持てたとして、それを維持したまま走るのは思いのほか難しい。
それを分かっているのか、御主人様は相手を嘲るように軽々とステップを踏んで相手との距離を取る。
偶然なのか、御主人様の得物は対戦相手と同じ斧。けれど、造形はかなり違う。
相手の斧は身の丈ほどもある巨人の斧。対して、御主人様の斧は三十cmほどの方手斧。
市販されている戦闘向けの斧とは違い、どこか農具のような印象を感じた。形も削りだされた様な無骨な形。
接近戦は有利不利がはっきりする物だと、本で読んだことがある。
それは得物の届く範囲だそうです。剣と槍だったら、当然槍の方が有利。けれど、槍は有効範囲より接近されると剣の方が勝るため、一概にも言えないとその時私は思った。
このことを御主人様に言ったことがある。すると、御主人様はこう言った。
槍の推進力を利用すれば、剣でも楽に勝てる。剣の身軽さを利用すれば、容易に槍の懐に潜り込める。と。
今回のようなことも、それに当てはまるのでしょう。
だから、一見不利に見えるこの状況でも、御主人様は……笑っているのでしょう。
「前から思っていたけど、凄い身軽だね。やっぱり冒険者上がりだと身のこなしが違う!」
「そうでしょうか。私の眼には、御主人様が相手と一定以上の距離が詰まらないようにしているようにしか見えませんが」
「え? でも、それじゃ攻撃が出来ないんじゃ?」
「レナさん」
相も変わらず御主人様へ認識が甘いレナさんにぴしゃりと言う。
「あの方は、御主人様ですよ? なにかしらの、この大会で違反にならない程度で卑怯なことをするのでしょう」
「……思わず納得しちゃった私がいるんだけど」
御主人様はいわゆる騎士道精神なんて糞だと思っている人です。
どんなことにしろ、勝てば官軍だと思っている方。それも、周りの人が反論できないようなやり方で相手を丸め込む人。
仮に反論できる人がいても、お得意の屁理屈で押し通すことでしょう。
御主人様のことは何でも知っているつもりです。もちろん、過去のことは分かりませんが。
御主人様は……恐れているのかも知れませんね。
何をとは言いませんが、御主人様は恐れているのかも知れません。
私にはわかります。決して、理解し合える間柄ではありませんけれど。
「あ! マクラギが攻撃した!」
「……んー、やっぱり私は御主人様を理解できていませんでしたね。どんな思考回路をお持ち何でしょう」
ついに、お互いが牽制し合うような状態が瓦解した。
最初に動いたのは御主人様。隙を伺っていたのではなく、我慢できずに手を出したかのような一撃でした。
一定の距離を保ったまま、手に持っていた斧を真横に一振り。すると、その軌跡になぞるように空気の刃が現れて鎧の戦士に直撃したのです。
その攻撃を予想だにしていなかったのか、攻撃がクリティカルヒット。苦悶の表情を浮かべる対戦相手。
随分と効いているようです。
大方、私は機を見て相手の懐に飛び込むばかりだと思っていましたが、そんなことはなかったですね。
そうですよね。わざわざ危険を冒すより安全圏内から攻撃した方良いですものね。
あー、なんかご高説垂れていた私が恥ずかしいです。ばーかばーか。
そうですかそうですかと、若干呆れつつ試合を見守る私とレナさん。
不意の攻撃を食らった対戦相手は気丈にも直ぐに平静を取り戻し、負けじと御主人様へと向かって行く。
けれど、それまで一度も追いつけていなかった御主人様に負い付けるはずもなく、何度も何度も空気の刃を食らい続ける鎧の戦士。
結局、御主人様に一度も追いつくことも無く鎧の戦士は倒れてしまいました。
直ぐにアナウンスが高々と響き渡る。
見ている側としては面白かったのか、観客は大いに盛り上がり、思わず耳を塞ぐほどの歓声が響き渡った。
私たちも勝ち進んだことが嬉しく、お互いに手を取り合って喜びました。
「やったね! 予想通りだったけど」
「さすがです、御主人様。分かっていましたけど」
まぁ、私たちは御主人様が負けることなんて一ミリたりとも思っていなかったのですけどね。
◆ 鍛冶師視点 ◆
「お主……強いな」
「良いからはよ倒れろ爺さん。賞金が目の前なんだよ」
「最近の若いものは……まったく」
「ようやくくたばったか」
目の前でしぶとく片膝を着いていた旧時代の鎧を装備した老兵がようやく地に伏す。
それと同時に湧き上がる歓声。これまで何度も叫んできた観客共は喉が痛くならんのかね。
決勝戦の相手の老兵も倒し終わり、俺の優勝が決まった。
ここまで来るのに対して苦戦しなかった。なんせ、俺の試合なんて時間にして長くとも十分くらいだったし、見どころという見どころも無かった。
というか、ここで躓いていたらどうしようもないわけだし、ここまで来るのが前提だったからな。
ピエロ男なんて投げようとしていたナイフが誤って自分に刺さって、隙が出来たところで一気にやられたもんな。
雑魚だなんてレベルじゃなかった。
ともかく、これで俺の優勝は決定だ。
温いな、おい。
目の前で倒れていた老兵を救助班の人たちが担架で運んでいく様を眺めていると、主賓席のところから誰かが下りてくるのが見えた。
じっと見つめていると、その人物は真っ直ぐ俺の元まで近づいてくるのが分かる。
言わずもがな、この国の姫様だ。
というか、あの高さから飛び降りたぞ。
怪我するんじゃないのかという心配は誰もしないのか。この国の姫様だろう。
それよりも、姫様直々にここまでやってくるとか、演出なんだろうが逆に申し訳なくなるな。
姫様は俺の目の前までやってくると、俺の眼をまっすぐ見た。
かなりの美人さんだ。この世界でも五本指にはいるレベルだろう。
あの原人みたいな王様のどこからこんな玉娘が生まれてきたのやら。
「優勝、おめでとう」
「ども」
姫様は拡声魔法を使い、観客にも聞こえるように、俺の優勝を告げた。
よく見ると、腋に何か抱えているようで、それを俺の目の前に出してきた。
賞状のようなものだ。
「栄誉を讃えて。マクラギ殿。ここに、この大会で、この国に認められた猛者の証を、この私直々に授与する。おめでとう」
「ども」
俺はそれをわざとうやうやしく受け取る。
その瞬間に、歓声がもう一度湧いた。英雄の誕生だと思っているのだろうか。
随分とレベルの低い英雄だな。
「それと、こちらは賞金の金貨だ」
「おぉ、待ってました」
小さな巾着袋が目の前に差し出され、俺はそれを半ばかっさらうように受け取る。
チャリと小気味の良い音が袋の中から聞こえてくる。俺のその中から金貨一枚を取り出して噛む。
もちろん、本物かどうか確かめるため。金は柔らかいからな、噛めば歯形が付く。
その光景を苦笑いしながら見ている姫様。まぁ、姫様の前ですることじゃなかったか。
俺は金貨を噛むことを止めて、目の前にいる姫様を見つめる。
何か言いたげな姫様だ。おそらく、あのことだろう。
「さて、前置きはここまでにして、分かっているな?」
「えぇ。分かっています」
「では、挑むのだな?」
「えぇ、まぁ。確か、勝てばこの国でできることならなんでも願いを叶えてくれるんでしたっけ?」
「強気な者は嫌いではない。確かに、叶えよう」
「じゃ、挑みます」
その言葉を聞いた姫様はニッと笑い、踵を返して主賓席へと戻っていく。
その主賓席にはこの国の王、赤王がこちらを見ながら座っている。とても、人を見下したような笑顔で。これから行われることに対しての期待の笑みで。
なんだか優勝したって言う実感が湧かない。
対して苦労していないからかな。ドラゴンを倒した時は飛び上がるほど嬉しかったのにな。
やっぱり難易度低すぎるよな。低レベルでもクリアできるんだから。なんか嬉しくないなぁ。
そんなことを思いつつ、俺も踵を返して控室へと戻る。
これから来る、本番に向けて、準備をせねば。